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黒竹
2022-05-30 22:26:32
11424文字
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プロセカ
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アイオライト
【プロセカ】【みのはる】
気配、みたいなものを読むのが得意だ。社交的な子どもではなかったから、何も考えず無邪気に笑っていたような周りの子たちに追いつくには努力が必要だった。みんなに明日への希望を届けるには、彼らが望む『希望』を体現してみせなければならなかった。
心から笑っていたのは確かだ。
それと同時に、俯瞰でもうひとりの自分がその様子を見ているような感覚がずっとあった。
その良し悪しについて考えたことはなかったが、今は少し己の特性に感謝している。
隣を歩く彼女がひっそり思い悩んでいることに気づけたので。
放課後の帰り道、並んで歩く二人は手をつながない。遥としては別につないでもいいのだけれど、なにかの拍子にちょんと触れただけで動揺して転びそうになるような子なのでなかなかタイミングが難しい。第一、先程の気配の話を出せば、彼女から「手をつなぎたいなあ」という気配を感じたことはない。逆に「手をつなぐなんて恐れ多くてとんでもない」という気配ならひしひしと感じている。一応お付き合いをしている間柄のはずなんだけれど。
そんな手をつながない彼女の横顔を覗き込んで、桐谷遥は花里みのりに優しく声をかける。
「みのり、もしかして具合悪い?」
「え? ううん、元気いっぱいだよ?」
不意の問いかけにみのりはきょとんとして、元気いっぱいのアピールなのか両手を胸まで上げてガッツポーズを取った。アイドルらしい可愛いポーズだった。可愛いなと遥は思う。
「気のせいならいいんだけど。少し、元気ないように見えたから」
「そうかな? ダンスの練習がんばったから、ちょっと疲れたのかも。でも大丈夫だよ、帰ってぐっすり寝たらすぐに回復しちゃうもん」
「
……
そう」
最近は体力もついてきて、何テイクも繰り返す動画撮影もこなせるようになってきた。遥だってそれは知っている。
頭を撫でてあげたかったけれど往来だから我慢した。
「活動始めてからずっとがんばってるもんね」
「えへへ。わたしだけアイドル経験もないし、早くみんなに追いつかなくちゃ」
「焦ることないよ? 私も愛莉も雫も、みのりと一緒にやりたくてやってるんだから、肝心のみのりが無理して倒れたりしたら本末転倒だし」
「ん、大丈夫。ありがとう、遥ちゃん」
ふわりと目を細めるみのりにうなずきかけて、気づかれないように目の奥を覗いた。
銀鼠の彼女の瞳の奥の奥。底にあるのは暗然とした気配だ。今日一日、彼女とすごした時間のすべてを思い出してみたが、みのりが落ち込むような出来事には心当たりがなかった。だとするとそばにいなかった時になにかあったのだろうか。朝の練習では変わった様子はなかった。昼は休み時間を利用して新しい動画をアップして、早速ついたコメントをみんなで読んだり意見を交換し合ったり、それもいつもと変わらない光景だ。遥はあれから動画のコメントをチェックしていないけれど、もしかしたら心無いコメントとかがあったのかもしれない。あとで確認しよう。
ふ、と表情を和らげ、「そうだ」といかにもなんの気なしに思いついた、という声で言う。
「今度の土曜日、よければまたサモちゃんの散歩に付き合わせてくれないかな。迷惑じゃなければだけど」
「え? うん、もちろん! やっぱり遥ちゃんもあのモフモフには癒やされちゃうよね〜」
みのりが瞬時に顔を輝かせてうなずく。以前、花里家の飼い犬であるサモエドのサモちゃんと散歩をさせてもらったのだが、おとなしくて可愛くて、毛並みがふわふわでものすごく癒やされた。加えて、慣れ親しんだペットが一緒のせいかみのりの緊張もわりにほぐれていて、お互いリラックスした時間をすごすことができた。
自分自身が癒やされたいというよりは、みのりにそういう状態になってもらって話を聞かせてほしいというのが狙いだった。
「サモちゃん、私のこと覚えてくれてるかな」
「絶対大丈夫だよ。サモちゃんも遥ちゃんに会いたがってると思う。えへへ、楽しみだな」
「私も楽しみ」
それから他愛もない話をしながら帰路を歩いて、お互いの自宅までの分かれ道に到着して足を止める。
夕暮れ直前のほの淡いオレンジの景色の中でみのりが少し寂しそうに笑う。いつも、この場所で彼女が浮かべる表情。ほんの少しの別れを惜しんで彼女の目が泳ぐ。
「じゃ、じゃあね遥ちゃん。また明日」
「お疲れさま。また明日」
もじ、と照れくさそうに身を捩らせたみのりの、上目遣いの視線が届いて、遥は「うん?」と首を傾げた。
「えっと
……
土曜日のって、デートだよね
……
?」
「もちろん」
「
……
えへへ」
みのりは嬉しいのか恥ずかしいのか両方なのか、耳まで赤くなりながら何度もうなずき、耐えきれなくなったのか「お、お疲れさまでした!」と捨て台詞のように叫んで駆け出した。
背中を見送りながら遥は人知れず苦笑を洩らす。それから、うなじを撫でながら小さくため息をついた。
「
……
もうちょっと頼ってほしいんだけどな」
恋人として頼りないのか、アイドルとして遠慮されているのか、どっちにしても嫌だなあと、遥はひとり肩を落とす。
日課の筋トレを終わらせてスマートフォンを手に取った。ほどよく疲れた身体が精神を落ち着かせている。動画サイトを開いて自分たちのチャンネルから最新の動画を表示させた。再生数もコメントも増えている。それをスクロールさせながらひとつひとつ読んでいく。
「
……
特に問題ありそうなのはないみたいだけど」
みのりについて言及しているコメントもあるが、みんな好意的だ。頑張っていることを褒めたり、前より上手くなっていると評価していたりするものばかりで、気になるものは特になかった。
念のためSNSの反応も見てみたがこちらも大して変わらない。見逃しているのかもしれないけれど、それにしても、さっきのみのりは心無いコメントに傷ついたというのとは少し違った気がした。
ダンベルとプッシュアップバーを片付けつつ、遥は思案顔のまま低く唸る。
「学校じゃ話してくれそうにないし、やっぱりサモちゃんと散歩してる時に聞くしかないかな」
みのりが何に悩んでいるか聞き出すなんて、本当はその気になればとても簡単なのだけれど、あまりそういうことはしたくない。彼女の自分への好意をそんな形で利用するのは良くない、と思う。
しかし反応が可愛くてついついからかってしまうのだけれど。なにせ桐谷遥は甘いものが好きなので。そういう時の花里みのりの顔はこれ以上なく甘いので。
「
…………
」
あまり考えると会いたくなるからやめよう。ほのかに赤らんだ頬を意識しつつ、誰も聞いていないのに咳払いをして誤魔化す。
体型管理のための筋トレはバーンアウトするほど激しくはない。念入りにストレッチをして身体をほぐし、そろそろお風呂に入ろうかな、とドアに向かいかけたところでスマートフォンから通知音が響いた。
メッセージアプリを開いて確認するとみのりからだった。サモちゃんと一緒に写っている写真が送られてきていて、次のメッセージで『待ち合わせは前と同じ公園でいい?』と来ていた。
明日、学校で聞いてもいいはずなのに、わざわざメッセージを送ってきたみのりの考えを読んでくすりと笑う。デートが楽しみで仕方ないのならこちらとしても喜ばしい。
送られてきた写真をじっと見る。みのりと、サモちゃん。
好きなものしか写ってなかった。
「待ち受けに
……
うぅん、さすがに誰かに見られたらまずいかな
……
天馬さんとか食いついてきそうだし」
好きすぎてつらい、とファンから言われたことがある。その時はどういうことだろうと首をかしげるばかりだったけれど、なるほど、こういうものなのだと今さら理解する。
甘くて、苦しくて、心地良くて、痛い。
心臓をめちゃくちゃにされるつらさは、しかしうっとりするほどの甘露だ。
恋の歌ならたくさん歌った。きっとこれからも歌い続けていく。花里みのりに恋をする前と後で、表現の何が変わるわけでもない。桐谷遥は歌に己の恋を重ねたりはしない。これは誰のものでもない自分だけの恋で、だからなによりも特別だった。
他の何にもならない、その想いは。
口元をゆるめながらスマートフォンを操作して返信を打ち込む。
彼女にどれほど知られているのだろう。
以前の散歩と同じように公園で待ち合わせて合流する。満面の笑みでこちらを待っているみのりと、隣でしっぽを大きく振っているサモちゃんの雰囲気がよく似ていて、遥は思わずくすりと笑みをこぼした。
「どうしたの?」
出会い頭に笑ったから不思議だったようで、みのりが尋ねてくる。
「ペットは飼い主に似るって、ほんとだなって」
「え、わたしこんなにモフモフしてないよ?」
きょとんとした目で言ってくるから遥はさらに笑って、サモちゃんの顎をのんびり撫でてやりながら首を振った。たしかにサモちゃんはモフモフで触るととても気持ちがいいが、そういうことではない。
「ううん、似てる。天真爛漫で見てる人を笑顔にして、すごく可愛い」
「
…………
あは」
まっすぐに目を見ながら言ったら、みのりは口元を震わせながら誤魔化すように息を吐いて、茹でダコみたいになった顔をしずしずとうつむかせた。照れさせたくて言ったわけじゃなかったから遥は少し困る。
ふに、と彼女の頬を軽くつまんで遊ぶ。みのりはますますうつむいて、赤いうなじを太陽に晒した。
「みのりは可愛いよ」
「うう
……
」
褒めれば褒めるほど彼女は目を合わせてくれなくなって、このままだとずぶずぶ地面に埋まってしまいそうだったから、遥は意図して明るい声を出した。
「さ、お散歩行こう? サモちゃんも待ってるよ」
「
……
う、うん、そうだね」
リードを持ったみのりと、隣で行儀よく歩くサモちゃんに並んで散歩を始める。あまり人通りの多いところは通らず、また日陰が多いルートだった。サモちゃんは暑さに弱いからそうしているのだそうだ。この毛量では夏はつらいだろう。サモちゃんのために夏はエアコンフル稼働だよ、とみのりが笑った。
「ずっとエアコンに当たってて体調崩したりしない?」
「うーん、自分の部屋はそんなにエアコンつけっぱなしにしたりしないし、ストレッチとかしてると身体があったまるからそんなに困らないかな」
「そっか」
「コンサートDVDを見ながら踊ったりコールしたりすると汗かくから、そういう時に涼みに行ったり」
「コールもするんだ
……
」
そういえばカラオケでも完璧なコールを聞かせてくれていた。あれは日々の反復練習の賜物だったのかもしれない。
すれ違う人は多くない。歩きながら話している少女たちの会話なんて、誰も耳に留めはしない。
そういうことが分かっていたから、今日の散歩を願い出たのだ。
遥はみのりの表情の些細な変化をつぶさに観察しながら、タイミングを図って口を開いた。
「ねえ、みのり」
「なに?」
「最近、なにか悩んでない?」
訊いた瞬間、みのりの顔が薄曇りになった。それからパッと笑顔になって、「悩みなんてないよ?」ほがらかに首を振る。
ああ、もう、彼女のこういうところ。
細長く息を吐き出し、リードを持っていないほうの手を取った。
「私には話せない?」
「
……
え、ちが、ちがくて、本当に悩みなんて
……
」
ぎゅっと手を握る。みのりが怖がるように身をすくめた。異変を察知したのか、サモちゃんが訝しげに低く鳴く。
「ほっぺにちゅーかな」
「待って! 話すから、お願い遥ちゃん心臓が止まっちゃう」
推しの立場を存分に利用する桐谷遥だった。
みのりは深くため息をついて、一度ちらりとこちらへ視線を送り、正面に顔を戻して小声で話し始めた。
「えっと
……
は、遥ちゃんとですね、お付き合いをさせていただいてるわけですけど」
「うん」
「な、なんで、わたしなんだろうって」
「え?」
唐突に怪訝な発言をされて遥が眉根を寄せる。みのりは正面を向いたままで、その眼差しはどこか遠くを見ていた。遥が見えなければそれでいいというような視線だった。
それが少し悔しくて、遥は握っている手を親指でなぞる。途端にみのりの眼差しが揺らいだ。それでも意固地になっているかのように目線は動かさない。
「遥ちゃんはついこの前まで芸能界にいて、しかもトップアイドルで活躍してて、お仕事だってたくさんあったよね」
「
……
まあ、そう、だね」
自分でトップアイドル云々を認めるというのもなかなか気恥ずかしいが、いちいち謙遜していたら話が進まなそうだったのでおとなしくうなずく。
「番組で共演した人とかもたくさんいたよね?」
「うん、いるけど」
「
……
だ、だから、その人たちって、かっこよかったり可愛かったり面白かったり賢かったりしたわけで、そんな人たちと対等にお仕事をしてた遥ちゃんが、どうしてわたしを
……
その
……
」
「好きになったか?」
「
……
はい」
サモちゃんが心配そうにみのりの足元にまとわりついている。みのりは大丈夫だよというようにサモちゃんの頭を撫でてやっていた。その手を眺めながら遥は自身の額を押さえる。
「オーディションでも地味とかパッとしないとか言われてて、五十回も落ちてるくらいなのに、遥ちゃんの隣りにいていいのかなって
……
」
遥ちゃん、お友だちのアイドルとかスタッフさんとかからよく連絡来るし。弱々しく語る口調に嫉妬はなかった。あまりにもないので逆に不安になる。ちょっとくらいあってもいいんじゃないだろうか。
ため息をつきたかったがぐっと我慢。さすがにこの状況でため息をついたら彼女に失礼だ。
「わたし、ライブの時のコール完璧にできるんだよ?」
「う、うん?」
「MORE MORE JUMP!としての活動も始まったし、いつまでもファン気分でいちゃいけないのかなとか、コメントもわたしだけファン仲間みたいな感じでアイドルとして見てもらえてないのかなとか、遥ちゃんと一緒に活動したいアイドルだってたくさんいるのに抜け駆けみたいに思われてないかなとか、そういうこと考えちゃって、そのうえ、あの、遥ちゃんに
……
こく、こくはくを、ですね」
されてキャパシティオーバーになった、ということらしかった。
遥は肩の力を抜いて、気づけば一周して戻ってきていた公園の前でみのりの手を引いて立ち止まらせた。
「それ、ずっと抱えてたの?」
「
……
ひゃい」
「告白してからけっこう経つけど」
「だって、誰にも言えないもんこんなこと
……
」
ああ、もう。
彼女のこういうところ。
サモちゃんに癒やされてもいいけれど、そうやってすべて忘れていい問題でもない。
モフモフの毛並みに埋もれて、雲みたいに流して消して、そんなことができるわけがない。
「このままみのりのうちまで付き合っていい?」
「え、いいけど、遥ちゃん、あの、なんか目が怖い
……
」
珍しくうまく笑えない。子供の頃に戻ったよう。あの頃、どうしてあんなに笑えなかったんだろう。たぶん、今の気持ちとは全然違うのだろうけれど。
怒っているのかもしれない。
片付けるから二分待って、というみのりの言葉を受け、部屋の前で二分、腕組みをして待つ。
そろりと開いたドアからみのりが手招きしてきたので「お邪魔します」と中に入った。
部屋の一角には相変わらず青いコーナーがあって面映い。お付き合いが始まれば何か変化するだろうかと思っていたが、そういうわけでもなかった。むしろ新しくグッズを出したら迷いなくあそこに増やされそう。
差し出されたクッションを受け取り、みのりの意図に反して隣に腰を落ち着ける。対面に座って欲しがっていたみのりが泡を吹いた。
しばらく、肩と肩を触れ合わせたまま沈黙する。みのりも口を開かなかった。何を話していいか分からないんだろう。
「私が」
触れてる肩が小さく震える。無視。
「みのりを好きになった理由って、挙げようと思えばいろいろ挙げられるけど、大事なのはそこじゃないと思う」
「え
……
そう、なの?」
「大事なのはね」
床に手をついてみのりに身体ごと向き合い、鼻先が触れるほど近づいた。みのりが条件反射で離れようとするのを片腕で抱き寄せて阻止する。
揺れる銀鼠の瞳に己の姿が映っているのが見えた。
「私がどれだけみのりを好きか、みのりが分かってないってことなんだよ」
視線で束縛したまま、噛みつくように、唇を奪った。
石にでもなったかのように動けないみのりの唇を、さらに二度三度と奪う。髪の毛に指を差し込んでくしゃりと掴んだ。恋人同士の熱烈なキスをあげて、離れてから小さく唇を尖らせる。
「なんで分からないかな」
「は、遥ちゃん
……
」
みのりはもう真っ赤だ。いつものことなので遥は塵ほども動揺しない。逆にみのりはすぐにいっぱいいっぱいになってしまったようで、顔を隠したがるのを手首を掴んで阻んだ。
「待って待って、遥ちゃん、怒ってる?」
「ちょっとだけ」
「あのあの、待って、無理」
「なにが?」
「怒ってる遥ちゃんとかレアすぎて無理、可愛い
……
」
ぶれない花里みのりだった。
遥は呆れた吐息を洩らしてから、みのりに覆いかぶさるように腕を回す。お互いの顔が見えなくなって、みのりの呼吸も少しだけ落ち着いた。
「アイドルの私の周りには、かっこいい人も可愛い人も面白い人も賢い人もいっぱいいたよ。お世話になった人もたくさんいる。でも」
乱暴にみのりの髪をくしゃくしゃかき回しながら、凪いだ水面の視線で部屋の壁を見つめる。
「アイドルじゃない私を救ったのは、みのりしかいないんだよ」
どうして分かってくれないんだろう。
それがどれだけ嬉しかったか、って。
他の誰でもない、彼女だから現れた恋なのに。
「青いライトでいっぱいのステージを見せてくれたのも、希望が届いてたって教えてくれたのも、大きな犬の撫で方を教えてくれたのも、誰かを想って眠れない夜を越えさせたのも、全部みのりなのに」
抱き寄せて腕の中に閉じ込める。そういうの、みんな君との思い出なのに。
それを大切にしたいのに。
みのりは閉じ込められたまま無理に抜け出そうとはせず、しかし腕はだらりと垂らしたままそっと寄り添っている。
「遥ちゃん、眠れなくなったりしたの?」
「したよ」
「ご、ごめんね」
「謝るところじゃないと思う」
気が抜けて小さく笑う。本当はこのまま閉じ込めて彼女がどろどろになるまで甘やかしたい。そんなことは望んでいないだろうからしないけれど。
空回りする彼女を見るのはこれが初めてではない。焦って空回りして失敗して、それでも立ち上がるのがみのりだから、遥はそっと頬ずりをして息をつく。
みのりが小さく喉を鳴らすのが聞こえた。
「
……
遥ちゃんの、隣にいたいって思ったの」
「もういるよ」
「うん、でも、もっとちゃんと、アイドルとしてもこ、こいびと、としても、堂々としていたいっていうか。でもあんまりうまくできてなくて、このままじゃ駄目だと思うんだけど、どうしていいかも分からなくて」
「そっか」
心配しないでといつか彼女は言った。そう言われて彼女を心配するのをやめた。
でもだからって、頼ることまでやめなくて良かったのに。
そばにいたいならいたいって言ってほしいし。
胸が痛いなら痛いって言ってほしい。
みのりの背中を優しく撫でる。むずがる子どもをあやすような手つきのそれは、その実、全然そんなものではなかった。
「みのりはアイドルも私の恋人も、うまくできなかったらやめちゃうの?」
「そんなことないけど」
「なら、もっともっと頑張ろう。すぐに自分が思うような姿になれないかもしれないけど、明日はなれるかもって思って頑張ってたらいつかなれるよ。そういうの、
希望
﹅﹅
でしょ?」
そのいかにも抽象的な二人の合言葉は、実体がないから強く影響する。
桐谷遥の明日への希望は花里みのりだし、花里みのりの明日への希望は桐谷遥だった。
だから結局、隣同士でいるしかない二人だ。
「遥ちゃん、待ちきれなくて嫌になっちゃうかも」
「ならないよ」
「すぐ落ち込んで迷惑かけちゃうし」
「私としてはもっと頼ってほしいんだけどな。アイドルとしてアドバイスできることもあるし、恋人として言えることもあるんだから適任だと思う」
むしろ自分しかいないのでは?
みのりの首筋に唇を当てて、そのままの姿勢で唇だけで笑う。
くすぐったかったのか、みのりがかすかに身震いした。
「うまくできないことがあったってみのりはみのりだし、他の誰と比べたってみのりより大切な子はいないよ」
「
……
うぅ」
「一緒にいようよ」
みのりが恥ずかしくて逃げ出したくなっている気配を感じ取ったので、彼女を包む腕に力を込める。逃げられてはたまらない。
「頑張るみのりが好きだけど、つらい時はつらいって言って? みのりは一人じゃないんだから、一人で頑張らなくていいんだよ」
「
……
うん」
なんだか返答が曖昧で、遥はこっそりため息をつく。
少しだけ身を起こしてみのりの顔を上げさせ、透き通った青い視線で射抜いた。はわ、とみのりの口元が震える。不意打ちで全力の視線を食らってしまったみのりとしてはなすすべもない。
「優しくしたいって言わないと分からない?」
蝶が花弁に降りる時にも似た淡さで、優しく優しくキスをする。欲望とか打算とか色とか手触りとかのなにもない、ただ「君が好き」というだけのキスだった。
みのりの視線がとろみを帯びて、それに自分で気づいたのか、静かに横へ逸らされた。
それを止めることなくみのりの両手を取ってそっと撫でる。
「優しくさせてよ。大事なんだから」
「うん」
ぽふりとみのりが胸にもたれかかってくる。これだけだって彼女にしてみれば快挙なのだ。柔らかく受け止めて、遥は手のひらでみのりを慰める。泣きそうな気配はない。
「一人で頑張らなきゃって思ってたかも」
「うん」
「こ、こいびと、なんだから、遥ちゃんに迷惑かけないようにしなきゃって思ってた、かも」
「迷惑なんていくらでもかけていいよ」
そういうのだって嬉しいのだ。別に恋に詳しいわけではないがたぶん恋ってそういうものだと思う。
みのりがくれるならなんだって嬉しい。
笑顔でもいいし涙でもいい。彼女になにかできるならこれ以上の喜びはない。
シャボン玉すら割れない淡さで抱きくるんで、彼女のこめかみに頬を寄せた。
「今は、どうしてほしい?」
蜂蜜を垂らすような声でねだる。そうそれはねだっているのだった。甘やかせさせて、と彼女が逆らえない声で。
甘い甘い蜂蜜に溺れそうになりながら、みのりがぽこんと息を吐く。
「じゃあ
……
頭なでて」
「うん」
「ぎゅってして」
「うん」
お望み通りのことをしてあげると、次第にみのりの身体から力が抜けてくる。するりと腕が首に回されて、とろりとした目のまま彼女が見つめてきた。
「
……
目、閉じて」
「
……
うん」
これは少し予想外だったから反応が遅れた。手もつなぎたがらなかったのに。
ああ、あれも、そういうことだったのかもしれない。単にファン心理が邪魔をしているのだと思っていたけれど、あれもまた、ひとつ彼女の前にあった障壁だったのかも。
目を閉じると残像のように彼女の姿の陰がまぶたの裏に映し出される。そんな陰すら愛しい。
そういうの、分かってるのかなと唇をふさがれながらぼんやり考えた。
週明け月曜日の朝、練習のために屋上へ向かっていると、階段の途中にみのりが佇んでいた。「みのり?」思わず足を止めて訝しげに声をかける。
「あ、遥ちゃん、お疲れさま」
「どうしたの、鍵開いてない?」
屋上へのドアが施錠されているのだろうかと尋ねてみるけれど、みのりは軽く首を横に振って「遥ちゃんを待ってたの」と言った。
踊り場で止まっている遥の一段上まで降りてきて、段差の分だけ少しこちらを見下ろしてくるみのり。彼女を見上げることなんてほとんどなかったので、なんだか新鮮だった。
どうしたんだろう、と待ち構えていると、みのりは頬を緊張させながら口を開いた。
「あの、この前は、ありがとう」
「うん? ああ、週末のこと? 気にしなくていいよ、私もちゃんと話せて嬉しかったし」
あといろいろできたのも嬉しかった。言わないけど。
みのりが胸の前で手を組む。なにやら照れくさそうな顔をして視線をさまよわせた。気配を読むのは得意だがエスパーではないのでさすがに今の彼女が何を考えているかまでは分からない。
「でね、あれから考えたんだけど、わたしばっかり遥ちゃんに甘えるのも悪いかな〜と思って」
意を決したように両手を広げてみせるみのり。遥はきょとんとする。
「は、遥ちゃんも疲れた時とかつらい時とか、わたしに甘えたい時は遠慮なく言ってね! どーんと受け止めるので!」
『どーんと』のジェスチャーらしい広げられた両手と紅潮しきった彼女の顔。それらを見やり、彼女の思いを飲み込んで、遥はやはりきょとんとしたままだった。
その表情にひるんだか、みのりがあわあわし始める。
「もちろん、わたしなんかじゃ全然頼りないと思うけど、一応、あの、こいびとなので! わたしも遥ちゃんの支えになりたいというかですね
……
」
だんだん自信がなくなってきたのか尻すぼみになっていく言葉。
そんなことを言われるなんて思っていなかった。
そうだ、いつだって彼女はそうなのだ。こっちが思いも寄らないことをして、そして救ってくれる。
──みのりだなあ。
これがたぶん、花里みのりの本質なのだろう。
受け止めるだけではなくて、そこからさらに返してくれる。思えば最初からそうだったのだ。明日への希望を受け取って、明日への希望をくれた彼女。
分かっている必要なんてないのかもしれない。
こっちがどれだけ彼女を好きか、分かっていようといまいと、彼女はきっとそうやって桐谷遥を救い続けるだけなのだ。
そんな子はきっと世界に一人しかいない。
誰かと比べるまでもない。
「ありがとう、みのり」
「う、うん、任せて!」
微妙に分かっていないままみのりがどんと自身の胸を叩いた。
「じゃあ、早速甘えていい?」
「えっ。遥ちゃん、今なにかつらいの!?」
「昨日みのりに会えなくて寂しかった」
「
……
それは
……
ありなのかな
……
」
もちろん遥だってみのりがそういう意味で言っていたのではないことは分かっている。
半分冗談のつもりだったけれど、脳内で審議していたらしいみのりがやがて「えっと、じゃ、どうぞ」と手を広げてきたのでお言葉に甘えることにする。
階段の段差のおかげで、抱きついたらいつもと違うところに頬が触れた。いつもはこちらがくるむようなかたちになるのに、今日は彼女に包まれている気分。目を閉じてみるとずいぶん気持ちが安らかになった。
これは、いいかも。
「ど、どうかな? 癒やされる? サモちゃんのほうがいい?」
「ううん。みのりがいいよ」
彼女の心音がよく聞こえて心地良い。早鐘のようだ。もう少し落ち着いてもいいと思う。
ちょっと面白くなってしまって思わず笑声が洩れた。それは幸せと同じ意味を持っている。
こんな思いができるなら毎日でもお願いしたい。でもさすがに愛莉に怒られそう。三日に一回くらいだったらいいだろうか。
「
……
遥ちゃん、なに考えてるの?」
少々警戒心の見える声で聞かれた。彼女、エスパーかもしれない。
「みのりが好きだなって」
顔を上げて
水縹
みはなだ
の瞳でみのりを捉える。青い視線は幸福で、返す彼女の眼差しも幸福だった。
きっと悩むことはこれから何度もある。
けれど迷うことはない。
そう信じられるくらい、まっすぐな眼差しで、少女たちはお互いを見ていた。
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