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黒竹
2022-05-30 22:03:46
11759文字
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少女☆歌劇レヴュースタァライト
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#4 情熱家の愛情
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【すずまひ】【夏の夜に覚めてみた夢】
青春は密度が高い。突き抜けるイメージの青とは裏腹にそれは濃縮され、凝縮され、圧縮されて生半可な力では抜け出せない強固さで少女たちを包み込む。翻って、閉じ込められた肢体は伸びやか、どこにも枷などないと言わんばかりに駆けて跳ねる。青春は自由だ。自由だからこそ足元にはなにもない。たぶんみんなふわふわと浮いているのだ。軽やかに、笑って、不和不和と憂いているものなどないというように。
閉じ込められたひと時の青い時代。泣いて笑って喧嘩して、ぶつかって、分かり合って、すれ違って、分かり合えなくて、浸かって、計り合って、入れ違って、計り知れなくて。
地に足のつかない露崎まひるは、手にした自由で彼女を見ている。ステージでキラめきを放つ彼女を。ずっとそばにいて、ずっと見ていた彼女の、その横顔。馴染んだ光景だった。正面から向き合った景色より、隣や半歩下がった位置から少し斜めに眺めるケースの方が多かったように思う。照れくさかったし、彼女はとてもまっすぐで、その凛とした姿勢が好きだったから邪魔したくないという気持ちもあった。
欲を言えばもう少しこちらを見てほしかったけれど、今だって大きく不満はない。
歌唱シーンを終えてふと肩の下りた彼女が、舞台袖に控えるまひるへ視線を送ってきた。光り輝く純粋な笑顔だ。小さく手を振って応えると、彼女も小さくピースサインをして見せてきた。
かっこいいな。口の中だけでつぶやく。
別に長身なわけでも顔立ちが凛々しいわけでもない、どちらかといえば外見も声も仕草も可愛らしいタイプだ。それでもあのキラめきを浴びたまひるの感想は「かっこいい」なのだ。姿が良いという意味である。
好きだと、思う。
無意識に握り込んでいたタオルから慌てて力を抜き、軽く叩いてつぶれた部分を直してから、「華恋ちゃん」可愛らしくてかっこいい彼女へ歩み寄って手にしていたタオルを差し出す。
出迎えた愛城華恋はゆがみなどどこにもない笑顔でまひるに向き合い、タオルを受け取った。
「ありがとー」
「スポットライト熱いもんね」
華恋の独唱で行われたステージでは、一曲ずっと彼女にピンスポットが当たっていた。客席のどこからでもはっきりと見えるように光量を強められたライトは、その分とんでもなく熱い。こめかみからしたたる汗をタオルで拭い、華恋が大きく息をついた。そこへ鋭くも温度のない声が届く。
「華恋、さっき二番の歌詞間違えたでしょう。出だしのキーもずれてたし、少し気が抜けてない?」
ステージ下でダンスの基礎練習をしていた神楽ひかりだった。途端に華恋がしゅんと肩を落とす。
「だって今日いきなり渡された曲なんだもん、急に完璧になんてできないよぉ」
「そんなに難しい曲じゃないでしょう。あれくらいすぐに覚えられないと」
「まあまあひかりちゃん、初めての場所で音響もつかめてないし、いきなりはやっぱり難しいと思うよ」
二人の間に入り、というか華恋の前に出てひかりの視界から彼女を隠して、まひるはなだめるように両手を胸の高さまで上げる。ひかりがやや倦怠感の見える眼差しでまひるを見上げた。いつもこの流れなのだ。ひかりが怒るとまひるがなだめる。華恋はまひるの背後できまり悪そうに笑っていて、一応、反省はしているようだからひかりが引いて終わる。
「
……
まひる、あんまり華恋を甘やかさないで。こんなんじゃ次の聖翔祭、スタァライトの主役を誰かに取られちゃう」
「それはノンノンだねえ
……
」
「だったら真剣にやって」
「はい
……
」
まひるは二人のやり取りを無言で眺めていた。二人の約束、二人が演じたフローラとクレールの姿を思い出す。
諦めたわけじゃなかった。ただ願うだけだったのをやめてそれを目指した。目指したけれど届かなかった。それだけだ。
女神は、塔に閉じ込められて、運命の二人を、見送る。
ぼんやりしているまひるを斜めに見やり、ひかりが肩をすくめた。
「まひるもぐんぐん力をつけているし、フローラ役、取られるかも」
「ええっ、やだやだまひるちゃん、フローラ取っちゃやだあ」
唐突に水を向けられてまひるが目を丸くする。「わ、わたしがフローラ?」どちらかというとクレールになりたいのだけれど。フローラは、できれば、そう、願わくば。
ひかりは真顔で、平坦な口調のまま続ける。
「だって似合うもの、フローラ。私はまひるだったら文句ないけど」
「え、ええ?」
「ちょっと、ひかりちゃん!」
「華恋とはもうやったし」
冗談なのだとは思うが、表情が乏しいので華恋は不安にかられたらしい。あわわ、と唇を震わせてから、大きく首を振る。
まひるに握った拳をつきつけて、華恋が宣戦布告をしてきた。
「ううん、負けないよ、まひるちゃん!」
「えええ?」
どうしてそんな話に? まひるは混乱の極地に陥る。
「あ、あの、できればわたしは
……
華恋ちゃんと
……
」
「負けないぞー」
シュッシュッとなぜかボクシングの真似事をし始める華恋。完全に戦闘態勢だった。
「ええええ
……
」
無意識に首を巡らせた。それは誰かに助けを求める仕草だった。誰を探したのか自分でも分かっていなかった。誰でも良かったのかもしれない。ただ目についただけの相手で良くて、つまりきっかけさえあれば。
猫が。
白い猫が、いたら。
足を踏み出して七歩。真っ白なTシャツの裾をぎゅっと掴む。「え? まひる?」シュールな顔の白い猫が縫い付けられた帽子をかぶり、聖翔の舞台創造科と機材を運んでいた南風涼が、つかまれた裾に気づいて立ち止まった。
戸惑う涼とは対照的にまひるはほっとしていた。溺れる者は藁をも掴むが、まひるが掴んだのは藁なんかよりずっと強く結ばれたものだ。ただそれの名前は、知らない。
追いかけてきた華恋が、今度は涼に向けて寸止めパンチを繰り出した。ダッキングの経験などないだろうにステップが妙にきれいである。
「南風さんもフローラを狙うなら受けて立つよ? ひかりちゃんとスタァライトするのはわたしなんだから!」
「いや、なんの話?」
成り行きでまひるを背中に隠した涼が目を白黒させた。一緒にいた舞台創造科の子たちは微妙な笑みを浮かべて「またか」と言いたげな表情。「気にしないで、この人たちいつもこうだから」代表して涼の一番近くにいた生徒がフォローしてくる。
「ていうか、愛城さんかな」
「そうそう」
「ふぅん?」
やにわに盛り上がる周囲に、涼は首をかしげながらも相づちを打つ。すると、背後からほんのわずかに硬い声がした。
「でも
……
いいことだと、思う。前の華恋ちゃんはすぐに役を譲っちゃうような子だったけど、今は自分の夢に向かって努力してるし
……
」
シャツをつかまれているので振り返ることができず、涼は首だけ回して背後をうかがう。それから、ぷかりと泡玉のような息を吐いた。
「そーそー。舞台少女は闘争心がないとねー。夢は叶えるためにあるんだから」
そう言う、上目遣いに覗いたまひるの目に映る彼女の顔には闘争心などかけらも見えず、子犬に甘噛みされている時みたいな表情で笑っていた。
夏の季節風は南から吹いて、その流れは穏やかだ。涼やかに頬を撫でていく風。それらを名に冠する彼女はそのどれもふさわしいと思う。
やはり名前にかけて、こちらのことを太陽だなんて言ってくれることがあるけれど、とんでもないことだ。周囲を明るく照らすようなキャラクターでもなければ燦然と輝く神々しさもない。今だってこうやってすぐ頼れる人の後ろに隠れるし、夢ひとつまともに口にすることもできない。
いつの間にかボクサーとトレーナーごっこが始まって、涼の手のひらに華恋が軽快にパンチを打ち込んでいる。この二人、背格好も顔立ちもぜんぜん違うのに、こういうところはよく似ている。だからなのだろうか。
涼のシャツのしわを見ながら小さく嘆息する。あるいはひとつも似ているところがなければよかったのかもしれない。いつもはぜんぜん似ていないのに、ふとした拍子に驚くほど重なる輪郭。
ずるいのだと思う。自分自身が。
華恋がスズダルキャットのベースボールキャップをかぶらないことなんて、とっくに知っているのに。
口の広いコップにレモンシロップ指一本分と塩をひとつまみ、そこによく冷えた炭酸水をそそぐ。クラスいちの長身のてっぺん、左右で結ったライトイエローの髪がひょこりと揺れる。ふんふんと鼻歌をうたいながらロングスプーンでかき混ぜて、ひとすくいしたレモネードを口に含んだ。
「うん、ばなナイス」
爽やかに弾ける気泡と、強すぎない酸味と甘味。仕上げにミントの葉を乗せたかったけれどさすがに見つからなかった。氷をたっぷり浮かべて完成である。
コップをふたつトレイに乗せてキッチンを出ると、ちょうど廊下を逆側から歩いてきた星見純那と鉢合わせた。「あら、なな」向こうもこちらに気づいて相好を崩した。ななが持っているトレイに目をやり、うん?というように顔を上げる。
「どうしたの? それ」
「まひるちゃんがちょっと元気なくて。夏バテかもしれないから、塩分と糖分補給にレモネードを作ってみたの」
「へえ、おいしそうね」
「純那ちゃんも飲む?」
コップの片方を渡そうとしたら「いいわよ、それ、ななの分でしょ」手のひらで押し返された。優しさから来る遠慮だけれど、それはそれで少し寂しく感じる。
「じゃあ、味見にひとくちどうぞ」
宙ぶらりんになった手を、もう一度差し向ける。純那がくすりと苦笑して「ありがと」今度は素直に受け取って口をつけた。
「おいしいっ。うちじゃないのにこんなの作れるなんてすごいわね」
「暑くなるから自家製シロップは持ってきてたの。もともと、ご飯の時にみんなに出すつもりだったから」
「そっか。うん、きっとみんな喜んでくれるわ。私が保証する」
純那が保証してくれるなら間違いない。両手をトレイに戻してうなずく。今日の夕飯は全員庭に出てのバーベキューだ。海風が心地良いが、火も使うし、やはり空調の効いた室内とは過ごしやすさが違うので、冷たい飲み物は必須だろう。
純那は同室になった氷雨に歌い方のレクチャーを受けているそうで、これからまた個人レッスンらしい。「穂波さん、教え方がすごく上手なの。いつかななと一緒に三人で歌ってみたいな」親友に友人を褒められてななは満面に笑みを浮かべる。
部屋に戻る純那と別れて一人歩く道すがら、
「あ。間接キスになっちゃう、これ」
先ほど純那が口をつけたコップに目を落とし、ぽつりとつぶやく。
立ち止まって、天井を見上げ、喉の奥で小さく唸る。
「まあいいか。純那ちゃんそういうの気にしないし」
部屋に戻るとまひるはベッドにもたれるように座って膝を抱え込んでいた。背中を丸め、自身の膝に頬を乗せている。まるで出かける直前に大雨の予報を見てしまった時みたいな表情だった。実際にはよく晴れているのだけれど。
「まひるちゃん、レモネードどうぞ」
「あ、ありがとう。いただきます」
受け取ったコップに口をつけてひとくち。たっぷり入った氷のおかげでキンキンに冷えたレモネードが喉を通り抜ける。やや痛いくらい爽快で、まひるが「んんー」と口をすぼめる。
「ちょっと調子が悪そうだけど、夏バテ?」
「え? ううん、別にどこも悪くないよ」
きょとんと見返してくる目に嘘はない。ななは自分のレモネードを特に意味なく半回転させてから喉に流し込んだ。向き合ったまひるは顔色が悪いわけでも呼吸が乱れているわけでもなく、確かに今は別状ないように見える。昼間はもっと覇気がなかったのだが勘違いだっただろうか。
まひるがコップを傾けて、一気に半分くらいレモネードを飲んだ。なんだか少しやけばちになっているような雰囲気もある。アルコールは入っていないが、やけ酒というのはこんなふうな飲み方を言うのではないだろうか。
炭酸に急襲されたせいだろうか、心なしかまひるの双眸が濡れて見える。壁を睨むような目つきで見つめていたまひるの唇から鋭く呼気が吐き出された。
「ど、どうしたの?」
「自己嫌悪なの」
「え?」
まひるは手の中でコップをもてあそび、気泡がはじけるのを見るともなく見ている。
「
……
ばななちゃん、人を好きになったことある?」
ななが部屋に備え付けられているテーブルのへりに腰を預けた姿勢でレモネードを飲む。
「あるけど?」
「どうだった?」
「なにが?」
「幸せだった?」
「ええ。幸せよ、とても」
その言葉にまひるが泣きそうに笑って、「いいな」と消え入りそうな声で言った。
「まひるちゃんは幸せじゃないの?」
「どうだろ。そばにいられて、笑いかけてくれて、大切って言ってくれて、お世話させてくれて、そういうの、幸せって言えるのかもしれないけど。けど、わたしは」
いつまで待ったところで、彼女に選んではもらえないのだ。
選ばれないままそばにいて、そばにいて、そばにいて、あのキラめきを浴び続けるのも、ひとつの幸福なのかもしれないけれど。
そう、できなくはないのだけれど。
「いつまでこんなことしてるんだろうって、時々思うの」
あの子の笑顔を見ているだけで、笑いかけてくれるだけで満足していたのはもうずっと前の話で、自分たちの間に入り込んできた彼女に関係を振り回されてかき回されて、平穏を振り乱されてかき乱されて、ぐちゃぐちゃになった心根を、またあの真っ直ぐさに救われた。
それで終わればよかったのに、残念ながら人生は続いていくし想いのかたちは変わらないまま胸の内に秘めている。秘めてはいないか。言わないだけで隠せてはいない。華恋がどう思っているのかは知らない。迷惑がられてはいないと信じたい。ひかりも、迷っているようだけれど余計なことは言わないことにしてるみたいだった。それはおそらく友情である。
なながまひるの隣に腰を下ろした。天井を見上げてその先にある何かを見通す。
「わたしたちはいつまでもここにはいられないし、きっと、変わらなきゃいけないこともあると思う」
「うん」
「
……
『世界は君たちに大きく開かれている。どしどし遠慮なく進むがいい、大地は広々とつづき、空は広大無辺にひろがっている』。ゲーテの言葉よ」
まひるがクスリと笑った。
「純那ちゃんに教わったの?」
「そう」
得意げに肩をそびやかしたななが、ふと、眼差しに懐かしさを浮かべる。
「怖がらないで。未来は
……
きっとカラフルだから」
いったい誰が想像できただろう、とうに切れたと思っていた縁がまたつながって、新たな縁が生まれた。
大切にしたかった人と、大切な人が出会って、今、ともに歌っている。
それはあの繰り返す一年間を抜け出さなければ生まれなかった光景だ。
変わりたくなくて停滞していた過去を乗り越えた大場ななだから、迷って出口に向かえない露崎まひるに言えることがある。
「もし傷ついても、先に進んでいけば、いつか時間が癒やしてくれるわ」
「そうかな」
「きっとね」
レモネードを冷やしてくれていた氷は、あんなにあったのに気がつけばすべて溶けて消えていた。
バーベキューの炭熾しで南風涼が大活躍している。
炭を組み、着火剤を乗せて火をつけるところまでは誰でもできるが、いざ火が上がってからが大変なのだ。バーベキューコンロいっぱいに敷かれた炭のすべてに一定の熱をかけなければうまくいかない。どうすればいいのか? 扇ぐのである。ひたすらに。ただひたすらに団扇で火を扇ぎ、炎を平べったく流して炭全体を覆うのである。そうすると炭の上部に炎の膜ができ、内側の炭がバランス良く燃焼する。
腕を振り続けるという単純作業は意外と疲れる。聖翔にもそういうのが得意な石動双葉がいるが、彼女は幼馴染と一緒に京都へ帰省中だ。次々と脱落する中、団扇を渡された南風涼は疲労の色ひとつ見せず力強く扇いでいた。
「その調子です、涼」
「南風さん、グッドグッドだよぉ」
見物している柳小春と愛城華恋の声援を受け、「うおりゃっ」涼はさらに腕のスピードを上げた。炭が赤あかと燃え上がる。
「涼、それくらいで。あとは火が落ち着いたら焼き始められる」
炭の具合を覗き込んだ小春が口を挟んでくる。「あー疲れたー」疲れた様子など微塵も感じさせずに涼が言った。
「さ、なに焼く?」
団扇を腰の後ろに挿して両手を空けた涼が、背後のテーブルに置かれていた皿を取って振り返る。
「お肉お肉っ」
「玉ねぎ」
「小春ちゃん、玉ねぎはじゅんじゅんが見てない今のうちにっ」
皿に盛られた肉と野菜の山。そこからトングでせっせと取り分けて網に乗せ始める。「あ、まひるちゃん!」皿の置き場がなくてうろうろしていたまひるを華恋が見つけて大きく手を振った。
「それなーに?」
まひるが持っている皿を覗き込むと、アルミホイルに包まれた大きめの塊が乗っている。なにせすべてアルミホイルで覆われているので、形が丸いことしか分からない。
「じゃがバターだよ。このまま炭の中に入れて焼くの」
「ええっ、なにそれ絶対おいしいやつだよ。まひるちゃん、ちょーだいっ」
「はいはい、どうぞ」
「それはつまり、まひるいものじゃがバターということですね
……
? 露崎さん、私の分もお願いします」
「はーい」
我先にとホイル包みに手を伸ばす華恋と小春を眺めながら、涼がくつくつと喉を鳴らした。
「けっこういいコンビだよねえ、小春と愛城さん」
「そう? あ、でもだめだめ。わたしにはひかりちゃんっていう運命を誓った相手がいるからね」
あ、と。涼の表情が一瞬消える。それからうっかりまひるの方を見てしまって、自身の失敗に顔をしかめた。
そんな表情の変化には気づかず、愛城華恋はくったくなく笑っている。
涼はすぐに笑顔を戻して、パタパタと手を振った。
「まーうちもそう簡単に小春はあげらんないけどね。せめてあたしと氷雨と八雲先生を倒してからでないと」
「勝手に決めないで。行かないから」
呆れ顔で言ってくる小春に、涼がぐっと笑みを深くした。「そうだねー。小春はうちらと一緒がいいんだもんねー」からかい口調に小春が泥水を見るような目を涼に向けた。「やめて怖いからそれ」涼が自分を守るように両手を胸まで上げる。
青嵐の二人のじゃれ合いを傍観しながら、まひるが少しだけ眉尻を下げる。
彼女たちはいつまで三人でいるんだろう。そう思っているんだろう。
こうしてみんなで集まって騒いで同じ時間を過ごせる、残りの時間は少ない。
愛城華恋が焼けた肉を頬張っている。「うーん、グッドグッドだよ!」とても楽しそうだ。心からこの時間を楽しんでいる表情。そう、彼女はいつだってどんな時だって全身で楽しんでいて、そして、キラめいている。
ぶわりと、ダイヤモンドを砕いて振りまいたように、輝く波動に覆われた。
ほしくてほしくて泣きそうだった。他の子をあんな目で見ないでほしかった。他の子にあんな声で呼びかけないでほしかった。他の子の隣になんて立ってほしくなかった。
けれど。
そうだ、その願いはもう否定されている。小さな星も大きな星もこの手にはない。星を手に入れたのは彼女たちだ。自分はただ見送るだけの囚われた存在でしかない。
永遠の願いは叶えられない。
時は、止まらない。
「まひるちゃんも食べなよ、おいしいよ」
「う、うん」
どこか少年じみた笑顔の華恋に促されて箸を握る。涼が熾した炭火は絶好調、バーベキューコンロの周りは食べざかりの女の子たちが群がっていて、半ば争奪戦の様相を呈してきている。首尾よく肉とじゃがバターをゲットした柳小春が、涼と氷雨に呼ばれて写真を撮っていた。お手本のような青春のいちページ。「せっかくなので」小春がスマートフォンを操作して、先ほど撮った写真をメッセージアプリで誰かに送信していた。すぐに返信が届いたらしく画面を覗いた涼が爆笑している。「どうしたの?」興味をそそられて三人に近づくと、小春がスマートフォンの画面をこちらに見せてきた。肉とじゃがバターを持ってふんぞり返る小春の写真、そのすぐ下に「許しません、柳小春!!」という返信があった。
「天堂さん
……
」
「素敵な場所を提供していただいたお礼のつもりだったのですが」
首をかしげる小春。本気で言っていた。
「煽っているようにしか見えませんよ」
諌めるような氷雨の言葉に、小春はまだ納得がいかないという顔をしている。天才はどこかしら人と違った部分があるというが、正直なところ、聖翔と青嵐の天才を見ているとそのとおりだと思ってしまう。
食事も進み、ななが作ってくれたレモネードが配られてみんな思い思いに腰を落ち着け始めた。スタートダッシュで全力を出した華恋は早々に離脱して、庭に続いているウッドデッキで足を伸ばしている。まひるはその隣に腰を下ろすと、キョロリと周囲を見回して、声が聞こえそうな場所に誰もいないことを確かめる。
「はー、おなかいっぱい、もう食べられないよぉ」
「よく食べたね、華恋ちゃん」
「だって青嵐の人たちと一緒にこんなに遊んだの初めてなんだもん。あ、もちろん稽古は真剣にやったけどね? でもどうしてもワクワクしちゃうよね」
「うん、みんなで集まると楽しいね」
普段ならまひるはこの時期、地元に帰省している。帰省の手配をする前にななからこの話を聞いて、華恋も残ると聞いたから追随したのだ。華恋のために残ったのだけれど、思いがけず勉強になったし楽しかった。
変化を望まなかった己が少し変わった気分。
たぶんもう、色々と変えなければいけない時期なのだと肌で感じている。
キラめきに灼かれた目は、きっともう治っている。
「いやー、これは帰省してるみんなより一足先にキラめいちゃったなー。じゅんじゅんも歌の特訓してるらしいし、次の舞台が楽しみだね」
「うん」
「お昼に負けないって言ったの本気だよ? わたし、誰にもスタァライトの主役は譲らないから」
「うん」
まひるはふわりと笑って、「華恋ちゃんのそういうとこ、好き」たんぽぽの綿毛を飛ばす時の呼気に似た声で告げた。
「ねえ、華恋ちゃん」
「なになに?」
「もういいよって、言ってみて」
「え?」
「わたしに、『もういい』って、言って」
それはずるいことだと自分でも分かっていたけれど。
華恋は小さく息を呑んで、それから唇を真一文字に引き結んだ。
「だめだよ」
「え?」
「よく分かんないけど、『もういい』って諦める時の言葉でしょ? まひるちゃん、諦めちゃだめだよ」
真正面から見つめてくる真摯な瞳がまひるを射抜く。あっけなく断られた決意は雲散霧消して、彼女が放つキラめきに塵も残らず燃やし尽くされた。
背中から喉を通って何かが這い登ってくる。くしゃりとまひるの顔がゆがむ。
愛城華恋はいつだって純粋でまっすぐで、残酷だ。
なんてひどい人だろう。
諦めさせてもくれないなんて。
頭を冷やしたくて、とぼとぼと海辺を一人歩いていると、半ば見慣れてきたベースボールキャップが少し離れたところに見えた。飛び散る火花とはしゃぐ声。五人ほどのグループが花火で遊んでいて、その中でひときわ目立つ長身の女の子が両手に持った花火を掲げて周囲を照らしている。
昔から、彼女はそうだった。人懐こくて、社交的で、優しいから、自然と周囲に人が集まってくる。そんな彼女に自分から声をかけたことはなかった。いつも彼女の方から話しかけてきて、一緒にバトンの練習をしていた。それ以外に大した思い出はない。だから今でも不思議だ。こんなふうに仲良くしてくれるのが。
そして、たぶんだけれど──好きになって、くれたのが。
涼の隣には知らない女の子がいて、花火の火を重ねたり離したりして遊んでいる。
視線を感じたのか涼がこちらを振り向いた。「あ、まひるー!」消えた花火をバケツに突っ込んでから空いた手を振ってくる。その表情がなんだか気に入らなくて唇を尖らせる。えっ、と涼が見る間に慌てだした。
跳ねるように駆け寄ってきた涼の帽子を奪い取る。「えっ?」はらりと広がり額に落ちた髪を払って、手のひらを押しつけた。
「ま
……
」
「もうっ。涼ちゃんいつもタイミング悪いんだから」
涼は目を白黒させていて、まひるが奪った帽子を自身でかぶるのを黙って見ている。いつだって彼女は分かってくれない。
ぐいぐいと手のひらを額に押しつける。
本当は抱きつきたいのに。
この帽子をかぶって他の子と楽しそうにしないで。
「ちょ、ええ? まひるなんで怒ってんの」
「なんでもない!」
「なんでもなくないじゃん」
恋人同士なら抱きしめてキスの一つもしてあげれば良いのだろうが、あいにく恋人同士ではないので、南風涼は遠慮がちに露崎まひるの肩に手を添えるくらいしかできず、言うまでもないが嫉妬の女神はそんな程度で治まりはしない。
「すずちゃんのばか」
「ねえー、ちょ、ほんとにけっこう傷つくんだよ、まひるにそういうこと言われると」
泣き言じみて涼が言う。手の置きどころが分からなくて迷い続けている涼の右手をまひるが掴んだ。涼の眼差しが揺れる。まひると手をつないで歩き出す。帽子はまだまひるに奪われたままだ。
月明かりだけの浜辺で、乾いた砂を踏む音がふたつ、静かに響く。
「どーしたの」
「華恋ちゃんにだめって言われちゃった」
涼が首をかしげた。「なにを?」当然の疑問に、まひるは帽子のつばで視線を隠しながら答える。
「諦めたかったのに。華恋ちゃんと舞台に立ちたいからじゃなくて、わたしがスタァライトの主役を目指すんだって、そう思いたかったのに。華恋ちゃんのことはもういいんだって、そうなりたかったのに」
もういいのだと許してくれなかった彼女。許してくれたらきっとそれで済んだ。気が済んで、気が澄んで、迷いなく前に進めた。
涼と手をつないだまま、震えた声でまひるは言う。
「華恋ちゃんが好き」
「
……
うん。まあそれは、しょうがないよね。気持ちって、自分じゃどうしようもないしさ」
砂で城を作っていたら、不意の大波にすべてさらわれてしまったような表情の涼。誰が悪いのでもないけれどダメージを受け止めきれない、そういう顔だった。
「ごめんね」
「いーよ」
「でも」
足を止めてつないでいた手を離す。喧騒はずいぶん遠い。かぶっていた帽子を取って顔に押し当てる。己のずるさに嫌気が差して彼女の顔を見られなかった。
「涼ちゃんも離したくないの」
夜になって太陽が隠れても熱気は引かず、体内に溜まったそれを逃したかったのか、涼が細長く息を吐いたのが聞こえた。
どんな顔をしているのか見るのが恐くて帽子を取れない。
「あっは」ぷかぷかとした、水中でぽこりと吐いた泡みたいな笑い声が上がる。
「まひる、それ、ちょーわがまま!」
笑ったまま涼は倒れ込むように言った。「まったくー」震える喉を抑えもせず、帽子を持っている両手をつかんで無理やり下ろさせる。まひるは抵抗したい気持ちもあったけれど、なんだか申し訳なくておとなしく従った。
帽子の向こうから現れた涼は、眉を下げた優しい笑顔で、少しだけ泣きそうにも見えた。
「だったらあたしにすればいいのに」
思わず出てしまったというように、涼は言葉を切って気まずそうに目をそらした。
「
…………
」
「ま、離れる気なんてないけどね。まだあたしの夢、叶ってないし」
「え?」
「まひると同じ舞台に立って一緒にキラめくこと。それがあたしの夢だって、まひるも知ってるでしょ?」
そうとも、知っている。そのためにずっと追いかけてきてくれることも、行く先を変えないでくれていることも、壊れないように守ってくれていることも。
その愛情を拒めないのは、弱さだろうか。
我慢できなくて両腕を涼の首筋にまわした。背伸びしてもたれかかると耳元で彼女の喉が鳴るのが聞こえた。肩越しに満天の星空が広がっている。広大無辺の、数え切れない星々。
「空がきれい」
「そう?」
「うん。お星さまがたくさん」
小さな星も大きな星も、その何一つとして掴めはしないけれど、夜空は見ているだけなら単純にきれいだ。
星を摘まないのならそこに罪はない。
風花のような曖昧さで、涼が背中に触れてくる。
「あたしからは、太陽しか見えないよ」
小さな星も大きな星も、その何一つとして欲しくはないと南風涼は言い、その声を糸にして露崎まひるの輪郭を縁取った。
二人を包む夜の風は生ぬるく、南風涼の身体から立ち上る青白い焔は、露崎まひるの肌を焼く前にふっと消えてしまうのだった。
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