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黒竹
2022-05-30 22:03:04
10266文字
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少女☆歌劇レヴュースタァライト
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#3 楽天家の不可思議
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【すずまひ】【夏の夜に覚めてみた夢】
彼女の視線は熱くも冷たくもない。けれど感情がうかがえないかと言えばそういうこともなく、二つ並んだベッドの片方に大の字になった南風涼は、彼女の視線を受けながらくいと首をかしげる。「不満そうだね、神楽さん」見上げた先にいる少女は投げかけられた言葉を否定しなかった。耳の上で輝いている髪留めに手を添えて涼から目を外す。涼が投げ出していた両足を振り上げて、勢いよくベッドから起き上がる。にかりと笑う涼に手を振られ、神楽ひかりは少しだけ目を細めた。笑ったわけではない。訝っただけだ。細められた分だけ鋭くなった視線に怖気づくこともなく、涼は目尻のしわを深くする。
「せっかく同室になったんだから仲良くしようよ」
「
……
あなたと?」
「あたししかいないじゃん」
言外の意味を完全に無視して涼がうなずく。ひかりは小さく口を開いて、それから「いー」というように顎を引いた。子どもがいじけて泣き出す直前みたいな表情だったが、彼女は曲がりなりにもあと二年もすれば成人という年頃だったので泣きはしなかった。それでも気持ちは充分伝わる。「あっは」涼は困ったように笑い声を洩らして、ベッドから降りるとひかりの前に立ちはだかる。
「ま、いっか。あと三日もあるし」
よろしく、と差し出された手をひかりは迷いながら握る。涼はうん、と嬉しそうにうなずくと、握手したまま大きく右手を振った。
「南風さん、クジ運悪いの?」
無遠慮に聞かれた質問に、涼は小さく肩をすくめる。
「いいほうだと思うけど?」
「じゃあ私が悪いのね」
「いいほうだと思うけど?」
ひかりが小さくため息をついた。皮肉がまったく通じないことに疲れたのかもしれない。クジ引きで涼と同室になると決まってからずっとこの調子なのだ。このため息を言語化すれば、「先が思いやられる」といったところだろう。
南風涼は直情径行でまあまあ思い込みが激しく、こうと決めたらどんな手を使っても叶えようとするくらい強情だが、頭の回転は鈍くない。神楽ひかりがこちらをよく思っていないことも分かっているし、それを態度に出して牽制してきているのも理解している。ただまあ、あまり気にならないだけだ。彼女の生ぬるい視線も。
仲良くできたらいいと思う。単純に。
難しいかもしれないけど。
「そうつんけんしないでよ。別にもう『スタァライト』の奪い合いなんかしてないんだし」
「
……
それはそうだけど。そういう問題じゃない」
とうとうはっきりと顔をしかめたひかりが、噛んで含めるように告げた。それでも涼はどこ吹く風で(南へだろうか?)笑顔を保ち続ける。
「小春なんかは素直に喜んでたよ。聖翔と一緒に舞台やりたいって言ってたしねー」
「
……
柳さんは、けっこう好き」
「ええ、さすがにちょっとショック
……
」
握ったままだった手を外された。「そっちがどういうつもりでも、合宿中、馴れ合う気はないから」なぜかどれだけ冷たい言葉でも、彼女の視線と声にある温度は常温のまま変化しない。なんだか面白い子だな、と涼は内心でつぶやく。
「今はそれでいいよ。グミ食べる?」
「
……
食べる」
聖翔音楽学園と青嵐総合芸術院の有志による合宿は、先の交流プログラムがきっかけだった。あのときに何人かが連絡先を交換しあって交流が続き、その中で、夏休み中の稽古をどうするか悩んでいるというような話が上がったのだ。聖翔は長期休暇には帰省する生徒も多く、残った人数では人手が足りないのだという。
そんなようなことを大場ななに相談された穂波氷雨が提案したのが二校集まっての合宿だった。ななと氷雨の間だけで盛り上がったものが、やがて他の生徒たちに話が及び、聖翔は居残り組のほとんどが乗り気で、青嵐も氷雨と仲の良い小春と涼を筆頭にそこそこ人数が集まった。これなら裏方を含め、ステージを使った稽古などもできそうだった。
「にしても、すっごいよねー天堂さん。さすが売れっ子舞台俳優の娘さんだわ」
ハードグミを口に放り込んで天井を見上げる涼。「こーんなおっきな別荘持ってるんだから」
「しかもレッスン場付き」
「世界が違うよね」
天堂真矢は不参加だが、「楽しそうなので協力させてください」と別荘の使用を申し出てくれたのだった。最初はどちらかの学校に泊まり込むつもりだったが、海辺の一軒家でレッスン場もあるとなれば、うら若き舞台少女たちは拒むことなどできはしない。どう考えても学校よりラグジュアリーである。
「ベッドもふかふか。もう寝ちゃいそー」
「まだ何もしてないけど」
「移動で疲れたー」
というのは嘘だった。別に疲労は感じていない。ただベッドに寝転がっていたいというだけの話だ。なにせふかふかなので。
神楽ひかりは立ちっぱなしでいる。そうだろう、午後に到着して今は夕暮れ、つまり数時間しか経っていないのにベッドの上は彼女のトランクから溢れ出た荷物で覆われている。ぬいぐるみ(ないと落ち着かないらしい)を探すだけでこうなるなんてある種の才能だ、と涼はその光景を眺めながら思った。
かくして、二校は協力してレッスンをすることになり、もちろん海辺に建てられた別荘なのでみんな泳ぐつもりであり、何人かは花火なども持ち込んでいた。
以前、露崎まひると冗談半分にそんな話をしていたことを思い出し、涼の口元がかすかにゆるむ。
海に行ったり、花火をしたり。
もう叶っちゃうのか、早いな。口を手首で隠した。夢というほど大げさなものではないけれど、願って叶えられるならその方が嬉しい。
「今、まひるのこと考えてたでしょう」
不意にひかりから言われて咄嗟に視線を窓へ向けた。
「へっ、なっ、なんで?」
「顔見たらすぐに分かる」
「うそお」
「ほんと」
顔に出やすい自覚はあるけれど、はっきり言われるとなかなか動揺する。まひるにも考えていることが伝わってしまったら嫌だなと考えたが彼女はわりと鈍いから大丈夫かもしれない。
第一、自分自身でもよく分かっていない感情を、誰かが理解できるはずなんてないし。
ひかりは白いくまの頭部を模したぬいぐるみを腰のあたりで抱えながら、温度のない、けれど少し警戒心の見える眼差しで涼を見やった。
「まひるになにしたの?」
「え? 別になにもしてないけど。電話したりたまに遊んだり?」
嘘偽りのない言葉だった。少なくとも南風涼にとっては。実際にそのとおりだ。南風涼は露崎まひるになにもしていない。ただ彼女が、露悪的に過去の傷をえぐりたがるのを受け入れているだけで。
疑り深い目で見つめてくるひかりと真っ向から対峙する。なにも後ろ暗いところなんてないのにそんな目で見られて、涼もちょっとカチンと来た。
わずかに眉を立てて起き上がる。
「友だちと遊んじゃいけないわけ?」
「そうは言ってない。まひるは大切な友だちだから、変なことをしてほしくないだけ」
「大切な、友だち。ね」
強調するように繰り返す。よくそんなことを平気で言えたものだなと思う。
「じゃあこっちも聞くけど、君たちはまひるをどうしたいわけ?」
君たち、とあえて複数形にして問いただす。この状況で誰を指しているのか分からないほど、神楽ひかりは鈍くはない。それでも質問の意図が読めなかったのか、やや訝しげに眉をひそめて視線を上げた。
「『運命の相手』なんでしょ? キミと愛城さん。良かったね、運命の相手とスタァライトの主演を張れて、次も二人でポジションゼロを目指して、これからもずっと一緒で? で、そこにはまひるもいるんだ? そうやって二人で二人でって言いながらまひるのことも離さない。それってさあ
……
」
一息に語り、一度唇を閉ざす。言い募りすぎると自分でも止められなくなるから。
けれどその一拍は、重圧しか産まなかった。
「まひるの気持ちはどこにあるの?」
涼の目に、二人の選択はひどく利己的で傲慢に見えた。眼の前の彼女はどうか知らないが、愛城華恋は露崎まひるの想いを真正面から受け止めて、それでなお神楽ひかりを選んだという。それなのに、それなのに。
「まひるの優しさにつけこんで、あの子の気持ちを無視したままで勝手なことしないで」
「
…………
」
ふっと、神楽ひかりが息をついた。眼差しにほんのわずか、熱がこもる。情熱を失って、激昂することができなくなった彼女がそれだけの熱を放つなら、それは本気の怒りである。
「あなたこそ」
ぬいぐるみを持ち上げ、それを撫でながらひたりと涼を見据えて、ひかりは抑揚もなく言う。
「私の友だちを見くびらないで」
「っ、な」
居丈高に言われて思わず気圧された。喉が締まった一瞬をついて何かが迫り、眼前が白く染まる。ぽふん、と柔らかな感触。ひかりが持っていたぬいぐるみを顔に押しつけられて「むあっ」妙な声が口をついて出る。
ぬいぐるみが離れて開けた視界の先にいる神楽ひかりの視線は、もう体温と同じくらいのぬるさになっていた。
「あなた、けっこうヤキモチ焼きなのね」
「うっ、ぐっ」
さっきから核心ばかり突かれて涼はぐうの音も出ない。なんとか言い返そうとしても最初の一音で喉が詰まってしまって、奥歯を噛みしめるばかりになっている。
違う、ヤキモチとか、そういうことではない。彼女を守りたいだけだ。いつか一緒に、同じ舞台でキラめくために、彼女の足が止まらないように、彼女の心が折れないように。
ずっと太陽のように輝いていられるように。
再度、ひかりが息を洩らす。今度は少し、自分自身に向けられている吐息だった。
「
……
ごめん。今のは、ちょっと意地悪だった」
「え?」
「チア部のエースで、いつもたくさんの人に囲まれて笑ってる、みんなの憧れの人。まひるがそんなふうに言う人、他にいなかったから」
その口ぶりは小さな子どものようで、涼も思わず毒気を抜かれる。
「
……
まひる、そんなこと言ってたの?」「言ってた」つまらなそうに答えられたのに、涼の首が一瞬で熱を持った。きっと色もついてる。
同じ部屋に暮らしていて、同じ学校のクラスメイトで、いつも三人でいて。
その生活の中に、自分が入り込む隙間なんてないと思っていた。
「んんっ」
咳払いで色々なものをごまかす。ひかりは興味がないのか涼の顔を一瞥しただけで背を向け、「そろそろ夕食の時間よ」スタスタとドアを抜けて歩き去ってしまった。
「あ、待って待って。あたしも行くってば」
慌てて神楽ひかりの背中を追いかけ、隣に並ぶ。
たぶんだけれど、仲良くなれると思う。
別荘は大変ラグジュアリーであるが、言ってしまえばただの一軒家なのでホテルのように誰かが何もかもやってくれるわけではない。もちろん、夕食の準備もだ。
涼がひかりとリビングダイニングに入ると、すでに有志たちがテキパキと働いていた。中心には大場なながいて、他の子に指示を出したり自分で動いたりしているが、不思議と忙しそうには見えない。慣れているんだろう。
「涼ちゃんひかりちゃん、ごめんちょっとどいて」
後ろから声をかけられて振り向けば、渦中の人露崎まひるがダンボール箱を抱えて立っていた。入口付近に二人で並んでいたから通れなかったらしい。
「っと、ごめんごめん。あ、それ露崎ファームじゃん! 懐かしいなぁ」
まひるが抱えているダンボール箱の中身を覗いた涼が感慨深げに声を上げた。「おいしいんだよね、露崎ファームのおいも」地元を出てからとんと食べる機会のなかったじゃがいもをひとつ取り、「なに作るの?」まひるに尋ねる。
「今日はジャーマンポテトとビシソワーズだって」
「明日はみんなでバーベキューするのでおいもも焼きまーす」
キッチンから身を乗り出したななの笑い声が割り込んできた。涼はひかりと顔を見合わせて、「最高じゃん」「最高」真顔で言い合う。
見た目に反して力持ちのまひるは、じゃがいもがいっぱいに詰められたダンボール箱もものともせず、軽々と胸まで抱えあげている。キッチンはすぐそこだし、「手伝うよ」と言うには少し外れたタイミングだ。
だから涼は、一瞬だけ届いたまひるの何かを訴えるような視線が、手伝ってほしいからだは思わなかった。
視線に気づいたところで今の涼にできることはない。彼女の両手はふさがっているし、隣には神楽ひかりがいる。
髪をかきあげるように、自身の額に触れた。途端、まひるが顔を俯けて、瞳に浮かんだ羞恥を隠そうとする。
その独占欲の強さと言ったら。涼は笑いそうになるのを必死にこらえた。無意味に首を巡らせて、友人の姿を見つけてそちらに足を向ける。「おっ、準備万端だねえ、小春」テーブルにつき、首元にハンカチを差し込んでナイフとフォークを構えている柳小春の肩に手を置いて言うと、彼女は真剣な表情でうなずいた。
「天堂さんもうなるというおいもの実力、見せてもらいます」
「油断しちゃだめだよ小春ちゃん。まひるいものおいしさは予想を遥かに上回るからね」
小春と同じ格好をしている愛城華恋が、舞台本番でも見せないような眼差しでキッチンを見つめる。そういえばこの二人、今回同室である。このわずかな時間でここまで仲良くなったらしい。小春を陥落するなんてやるなあ愛城さん。涼は顎に手を当てながら感心する。
そしてこの二人、手伝う気がまったくない。
「華恋は基本的に食べる係だから」
「小春もああいう輪に入るの苦手だからなー。ま、今日は人数も多いし、おまかせしても平気かな」
大場ななが中心だからか、キッチンには聖翔の生徒が多い。その中で必死な顔をしながら動き回っている小柄な少女を認めて涼は目を細めた。「氷雨ちゃん、こっちのお皿お願い」「う、うん」けして社交的な方ではないのに、それでも因縁のある相手にあれだけ自分から近づくのだから大したものだ。
ニコニコしながら友人の頑張りを見守っていると、ふと、シャツの裾に感触があった。「ん?」振り向くと背後に、ぴょこんとサイドで結った髪を揺らす昔なじみの頭が見えた。指先で引っ張っていた裾を離した露崎まひるは、しかし顔を上げないまま黙っている。
「どしたのまひるー?」
「あ、えっと、あ
……
なんでもない」
「ん?」
首をかしげる涼に、ひかりがこれみよがしなため息をついて、
「
涼
﹅
、ちょっと」
「おっ、なになにどうしたの
ひかり
﹅﹅﹅
」
呼び捨てなんていう仲良しの証をひかりが示してきたのが嬉しくて、同じように呼び返す。「ええっ
……
」後方から呻くような小声が聞こえたが、涼はあまり深く気にしなかった。
ひかりが額に手を当てた。傷があるわけでもないのに。
「
……
ちょっと目の調子が悪いの。私のバッグに目薬があるから取ってきてくれない?」
「えー、自分で行きなよー」
「い、い、か、ら。散らかってて分からないかもしれないからまひるもついていってあげて」
「えっ」
「鍵は涼が持っているし目薬がどんなのかはまひるが知ってるから」
「だからどっちも自分で行けば済む話じゃ
……
」
「いいの!」ひかりが強引に涼の背中を押してドアへ向かわせる。「なんだよー」困惑したまま、ひかりにリビングを追い出される。ドアを抜ける直前、「まひるに変なことしないでね」小声で耳元に囁かれたが、意味が分からなかったので涼は応えなかった。
「よく分かんないけど、とりあえず行こっか?」
自分たちの部屋へ続く通路を指し示して言うと、まひるは何度か口をぱくぱくさせて、それから何かを諦めたように閉じて「うん」と小さくうなずいた。
「ジャーマンポテト、ビシソワーズ、ポテトフライ、サラダ、ふかしいも
……
ひとつの食材がこれだけ色々な料理に姿を変え、そのどれもが違った魅力を持つ。たとえ始まりが同じものだとしても、その行く先はひとつではない。おいもとは素晴らしいものですね」
「うんうん、グッドだよ」
「愛城さんは何が好きですか?」
「ううん、フライドポテトも好きだし、じゃがバターも好きだし、ひとつになんて選べないよぉ」
「私もです。けれど、選ぶ必要などないのかもしれません」
「そうだねえ、そうだねえ」
柳小春と愛城華恋は、並んで深くうなずき合った。
頭の後ろで手を組んで歩きながら、涼は半歩後ろをついてくるまひるへ目線を送る。
「どしたの? さっきから落ち着かないけど」
「う、ううん。なんでも
……
」
「なんでもって顔じゃないけどなー」
唇を尖らせながらまひるの顔を覗き込むと、「うひゃっ」小さく悲鳴を上げてまひるがのけぞった。逃げられてちょっとショックな涼である。
夕食の準備が進んで、もう他の生徒たちはみんなリビングで待機しているかキッチンで調理をしている。だから廊下は静かなものだ。夏の夜の空は黒い。そのぶん星がよく見えた。窓から見える星々を見るともなく見る。涼は夜より昼のほうが好きだ。星よりも太陽が。
「
……
手、つないでいい?」
答える前に手を取られた。「いいよ」遅ればせながら答えて、握られた手を握り返した。
客室として想定されている部屋には簡素だが鍵がついている。涼が開けて中に入ると、後ろでまひるが「もぉ」と唸った。おそらく神楽ひかりのベッドの惨状を見てだろう。
「あっは。ひかり、寮でもこんな感じ?」
「そう。やっぱりわたし、涼ちゃんと部屋代われば良かった。涼ちゃん、嫌だったらちゃんと言ってね。わたしからひかりちゃんに言うから」
「別に気にならないよ。一応、こっちには散らかさないようにしてくれてるみたいだし」
床を指で示しながら言う。確かにひかりの私物はベッドを挟んだ向こう側にしかなく、ベッド脇に置かれた涼のスポーツバッグから手前には何一つ飛んできてはいない。
「それならちゃんと片付けてほしいんだけどな」
「片付けって苦手な人はとことん苦手だよねー」
「さ、目薬探しますか」バッグに入っていると言っていたが、他人のバッグを漁るのはなんだか気が引ける。まひるに任せた方がいいだろうかと首を捻っていると、「涼ちゃん」シャツの袖を引っ張られて、今度はそれだけじゃなくて引き寄せられた。
「ひかりちゃんの、嘘だと思う」
「嘘?」
するりと懐に入ってくるあたたかくて柔らかいもの。太陽というには儚すぎるそれは、けれど確かに涼の太陽だった。
本当なら、追いかけて追いかけて追いかけて、それでも届かないはずのもの。
日差しのない夜にだけ、その姿を変えて、触れられるようになるもの。
「あの、ね。ちょっと限界だったの」
「な、なに、が」
「わたしが」
ああどうしよう、今日は暑くて、首の後ろがべたついていて、シャツも汗ばんでるし、それなのに、彼女は離してくれなくて。
この、独占欲。
「お部屋、代わりたかったな」
誰と、と聞くほど野暮ではなかった。
床に置いてあったスポーツバッグに足を取られて、ベッドにぽふりと尻餅をついた。それでも彼女の華奢で力強い腕は離してくれず、丸まった涼の内側にきれいに収まる。
もたれかかってくる首の重さを肩口に感じる。涼は両腕を彼女の背に回せなかったので、ベッドに手のひらをついた。
「まひるは誰と一緒だっけ?」
「ばななちゃんだよ」
「へえ。平和そうだね」
「なにそれ?」
まひるが小さく笑う。
「二人とも面倒見いいしさ、ほんわかしてるし。平和な空気流れてそうだなーって」
なんてことのない会話の間も、露崎まひるの指先は南風涼の身体をたどっていた。どれだけ触れても色のつかない、なんの跡もつかない触れ方だった。頬を包まれて目を閉じても唇には何も触れなかった。ただ指先だけがすべっていった。愛されたがりの少女はそうやって南風涼の感情をなぞっていた。そこにあるだけで満足な、それを自分に向けてくれているだけで満足な、そういう独占欲だった。かつて愛城華恋のキラめきを己と同化していたように。在るだけで満足する幼い充足だった。
スズダルキャットのぬいぐるみに似ている。在るだけで良い、何もしなくて良い愛情。それはとても心地良い。神楽ひかりに釘を刺されるまでもなく、南風涼は露崎まひるにそれ以上のアクションを起こすつもりはなかった。追いかけはしたいけれど、後ろから腕を掴んで引きずり寄せたいわけではない。
「でも、ばななちゃん忙しいの。こういうところで頼りになるのって、やっぱりばななちゃんと純那ちゃんだし。だからあんまり部屋にはいないんじゃないかな」
「ふぅん」
その言葉になんの裏もないことは分かっていたので、涼はただ相づちを打って、
「暇だったらこっちに遊びにおいでよ。トランプもウノもあるよ。ひかりと三人でやろうよ」
「あっ」
助け舟のつもりで言った言葉に、まひるの眉が上がる。思いがけない反応に涼がきょとんと目を丸くした。
「涼ちゃん、いつの間にひかりちゃんと仲良くなったの。こないだまで『神楽さん』って呼んでたのに」
「さっきだよ。下の名前で呼んだのもさっきが初めて」
「なんで」
「え」
「なんですぐひかりちゃんと仲良くなってるの。わたし、ひかりちゃんと寮で一緒になってから、仲良くなるのに何日もかかったんだよ」
「
……
えーと、まひる、どっちに怒ってる?」
まひるの双眸が揺れて、涼に届いたのは消え入りそうな「わかんない」という返答だった。
誰かに嫉妬して、別の誰かに嫉妬して、誰も彼もに嫉妬して大変である。露崎まひるの目まぐるしい感情は激しく渦巻いて荒れくれている。
首筋にかじりついてくるまひるをそのままに、涼は軽く目を伏せて笑う。
「じゃあ、もし今日、クジで愛城さんと同じ部屋になったら、代わりたいって思った?」
「
……
そういう意地悪しないで」
心なしか、結わえている部分の髪がへたりこんだ気がした。髪の毛が彼女の意思を反映するはずもないのに。だからその幻視は単なる涼の願望だ。「ごめんごめん」気安く謝り、涼はなだめるようにまひるの髪を指で梳き始めた。
遠くの好きな人より近くの優しい人、なんて言うけれど、なにせ彼女の場合は近くの好きな人だ。こっちは遠いうえに優しくもない。本来なら勝てる見込みなどない勝負だ。それでも諦められない。南風涼は諦めが悪い。
夢は叶えなければ意味がないのだ。
髪を梳いている手を止めないままでいると、肩口にうずめられていたまひるの重さが少しだけ消えた。
「意地悪な涼ちゃんなんてきらい」
傷口に自分から触れる露悪。
「それ、好きってことだよね?」
しょうがないなあと苦笑する。おとなしくて思ったことを口に出せないような内向的な性格だと思われがちだが、どうしてどうして、我は強いし嫌なことは嫌がるし勝負事にはめっぽう真剣で欲深い。そうでなくては名門学校で上位になどいられない。
それが、南風涼の憧れた露崎まひるだった。
ずっと見てたから知ってる。
教室の窓から見えた、屋上で軽やかに舞う彼女の姿は小さくて、それなのにその身にまとう光が、涼の内側にある奥底まで届いて消えなくなった。あたたかい光だった。あの光がほしかった。それは露崎まひるとイコールであってイコールではない光だ。自身に生まれた渇望をどうすれば解消できるのか分からなかった。彼女より輝けばひょっとして、と、そう思った。
結果としては光も失って、自身のキャリアも失って、他にも色々なものを失った。
そして新たな夢を得て、共に歩む友人を得て。
好きな人が、できた。
それが光への未練であるのか、あるいはただ一人の少女への愛情であるのか、まだ判じかねているけれど。
優しくしてくれなければ嫌だとわがままなことを言う彼女に意地悪をしたいし、罪悪感を捨てきれない彼女にそんなもの捨てていいと諭したいし、間違えたくないと怯える彼女を間違いでもいいから引き寄せたい。
とはいえ現実は髪を撫でたりほんのり触れる程度に背を包むだけで、それ以上のことはできないのだけれど。
まひるの顎を持ち上げて視線を合わせ、人懐こく笑う。
「明日の稽古、本気出そっかなー」
「え、な、なに?」
至近距離で瞳が揺れて、それがなんだか愛しくて、自然に肩の力が抜けた。
「まひるが愛城さんよりあたしに目を奪われるくらいに」
「
……
もうっ、涼ちゃん!」
「なんで怒るのさ」
耳まで赤くして怒るまひるに胸元をぽかぽか殴られて、涼はのけぞりながら笑った。それを見ていたまひるがぎゅっと目を閉じてさらに叩いてくる。
「涼ちゃんたまにほんとにぜんぜん分かってないっ」
「え、ええ?」
ひとしきり涼を殴ったまひるがすっくと立ち上がる。見事なターンで背を向けて歩き出す。
「はい、もうおしまい。戻ります!」
「は、はい」
涼も慌てて立ち上がり、足早に去っていくまひるを追いかける。
南風涼はどうして露崎まひるが怒っているのか分からない。
分からないけれど、彼女の隣に追いついたらやや乱暴に手を取られたので、分からないままでいいのかもしれなかった。
南風涼は自分自身が理解できないものを、他人が見ればすぐに理解できたりするのだということを、まだ知らない。
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