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黒竹
2022-05-30 22:01:44
11231文字
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少女☆歌劇レヴュースタァライト
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#1 楽天家の憂鬱
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【すずまひ】【夏の夜に覚めてみた夢】
照りつける陽射しから逃れるために入った街路樹の木陰で、南風涼はそわ、と無意識に身じろぎする。目深にかぶったベースボールキャップの下で視線が落ち着きなく動いている。左腕のスポーツウォッチで時間を見ると、まだ約束まで十五分もあった。待ちきれなくて早めに出発してしまった自覚はあったが、これほど早く到着するとは思わなかった。こんな時ばかり乗り換えや信号待ちがスムーズになる法則でもあるんだろうか。
帽子のつばを無意味にいじる。長身と端正な顔立ちにはやや似合わない、キャラクターもののワッペンが縫いつけられたベースボールキャップ。それでも今日は絶対にこれをかぶっていこうと決めていたのだ。
休日の繁華街、そして真っ昼間となれば人通りなど推して知るべしで、実際、涼の視界には同じように待ち合わせをしている人たちや通りをすぎていく人たちでごった返している。ここにいると連絡はしたけれど、もっと分かりやすい目印のある場所のほうが良かっただろうかと眉を下げた。この駅で、と簡単に決めてしまったけれど、そうなのだ、都会の駅は改札も出口もたくさんあるのだった。待ち合わせ場所についてもっと話し合っておけばよかったと軽く後悔。友人にも楽天的すぎるとよく怒られるがなかなか直らない。
と、ふわりと舞う黒髪が目に入った。つかの間、思考が止まる。考える前に反応していた。
目が合う。華やぐ彼女の表情を、涼は逸る鼓動を隠して右手で受け止める。「涼ちゃん」少し早歩きになる彼女を待ち構えて、「まひる」自分でも驚くくらい柔らかく呼びかけた。
ぽんと跳ねるような仕草で涼の前に立ち止まったまひるの、ワンピースの裾が可憐にひらめく。
「お待たせ」
「まだ五分前だよ」
「でも、涼ちゃんを待たせちゃったから」
相変わらず律儀だなあと、感心半分おかしさ半分で笑う。「なあに?」まひるがきょとんとした表情を浮かべながら軽く伸びをして、涼の顔を覗き込んだ。
「なんでもない。まひるは真面目だなあって思っただけ」
「えっと、褒められてるのかな?」
「もちろん」
胸を張って答えると、彼女はうーんとわざとらしいしかめ面を作って頬を膨らませた。
「バカにされてる気がするぅ」
「え、そ、そんなことないよ。ほんとに褒めてるんだってば」
本当に。
本当に、そういうところが可愛らしいって、思ったのだ。
まひるの頬がぷしゅんとしぼむ。「ふふ。冗談」「ちょっと、勘弁してよまひるー」肩を落としつつも、内心では安堵していた。
交流プログラムの際、連絡先を交換して、それから電話越しのやり取りはあったが、実際に会うのは今日が初めてだった。あんなふうにわだかまりをぶつけてしまって、彼女とどんな顔をして会ったらいいのか分からなくて、それが緊張につながっていたのだけれど。
蓋を開けてみればなんのことはない、普通の友だち同士みたいに、冗談で笑い合ったりできるじゃないか。取り越し苦労だったかと、肩の荷が下りた気分だった。
南風涼は楽天家である。
「あっ、涼ちゃんそれっ」
涼がかぶっているキャップの額部分、布製のワッペンに気づいたまひるがはしゃいだ声を上げる。思わず涼の頭ごと抱え込んで自身のほうへ引き寄せた。「わたたっ」意外と力の強いまひるの腕に、油断していた涼はなす術もなく引っ張られる。
まひるの視線の先では、シュールな顔をした白猫がバットを構えている。
「やっぱりスズダルキャットだ。どうしたの、これ?」
「こないだ、小春と買い物に行った時にたまたま見つけたんだ。確かまひるの好きなキャラクターだって聞いてたから、思わず買っちゃった」
「ふぅん
……
?」
意味を掴みかねたか、まひるは小首をかしげながら曖昧な相づちを打った。
「でも涼ちゃん別にスズダルキャット好きじゃないよね?」
「この子のことはよく知らないけど、まひるが好きなものは好きだよ」
「そっかー」
のんきな笑顔でまひるがうなずく。涼は軽くかがんでいた身体を起こして、帽子を脱ぐとまひるの頭にぽすんと乗せた。
「まひるのほうが似合うね。今日の格好には麦わら帽子とかがいいけど」
短い袖が膨らんだAラインワンピースを身に着けたまひるは、まるで避暑地のお嬢さんみたいだった。麦わら帽子をかぶって草原に佇んでいたりしたら、さぞかし画になるだろう。
ワンピースとは少しちぐはぐだが、目尻の下がった優しい瞳とシュールなキャラクターが妙にマッチする。まんざらでもなさそうな顔で笑うまひるに、涼も目を細めた。
取り返してかぶり直した帽子の縁から、嗅ぎ慣れないシャンプーの匂いがして、涼はそれが一瞬で消えてしまったことを少し惜しく思う。
「じゃ、そろそろ行こっか。もう開場してるよね」
「うん」
今日の目的は観劇である。青嵐総合芸術院が行う発表会で上演する演目が『三銃士』に決まり、ちょうど界隈で有名な劇団が公演中だったので参考になるだろうとまひるがアドバイスをくれた。そこでせっかくだからと誘ったのだ。
並んで歩くと、まひるの側頭部で結った髪がぴょこぴょこ揺れる。視界の端にそれを捉えた涼は、ミントの葉を噛んだような心持ちになった。
「演るのはいいんだけど、あたし三銃士ってよく知らないんだよね」
「演劇だとけっこうオーソドックスっていうか、よくやる演目だよ。聖翔でも前にやったんだ。華恋ちゃんがダルタニャンだったの。かっこよかったなあ、衣装のマントをなびかせる華恋ちゃん」
「そうなんだ。まひるは何役?」
「ポルトスっていう、力持ちでちょっと間抜けな人の役だよ」
「へえ、なんかまひるっぽいね」
「ええー」
まひるが唇を尖らせて「これでもけっこうしっかり者なんだけどな」と言い返してきた。「はは、知ってる。おうちの手伝いとかよくしてたもんね」地元にいた頃は、弟妹たちを引き連れて出かける姿をたまに見かけていた。実家である農場の手伝いもして、それでいてバトンの練習も怠らずに大会で優勝していたのだから、それはしっかりもするだろう。さっきのは失言だったなと心の中で反省する。
そうだ。あの頃は、そんな彼女に純粋なあこがれを抱いていたはずなのに。
透き通ったあこがれがいつしか奇妙に曇ったのは、どうしてなんだろう。
けれどたぶん、もうあの曇りも消えていて、今ならバトンをもっと上手に回せるし、きっと目もくらまない。
「あ、ここかな。はいチケット」
並びで取った席はちょうど真ん中くらいで、遠すぎず近すぎず、役者より演劇そのものを観るのに最適な位置取りだった。自らの強運にご満悦な南風涼だ。
開演前、帽子を脱いで髪を整える仕草でごまかしながら隣を盗み見ると、思い出より大人びた横顔があった。柔らかい雰囲気はそのままだけれど、それに伴う気弱さが薄れて、代わりに凛とした芯の強さが見て取れる。
二年ってけっこう長かったんだな。南風涼は嘆じるような、どこか寂寞とした感想を彼女の横顔にいだく。
ストローでアイストロピカルティーをすすり、涼がふわあと深く息を吐いた。
「面白かったあぁぁ」
「でしょ? 前に華恋ちゃんと観に来たんだけど、そのときもすごかったの。絶対に涼ちゃんも気に入ってくれるって思ったんだあ」
タピオカミルクティーを両手に持ったまひるが得意げにうなずく。涼もそれに深妙なうなずきを返した。
「うんうん。これは何度でも観たくなるね。うちでやる時の配役、まだ決まってないけど、あたしもポルトスがいいなあ。で、小春がアトスで氷雨がアラミス!」
「イメージだとそんな感じだね。まるきり変えてみても面白いかも」
「あ、ダルタニャンはどうするのかな
……
主役級でうちら三人と並べる子、正直いないんだよねえ。石動さん借りようかな」
「それなら華恋ちゃんだよ! ほんとに、ほんとにかっこよかったんだから! 青嵐のみんなと一緒に出ても絶対かっこいいよ」
大きく身を乗り出してきたまひるの勢いに押されて、思わず身体をちょっと引いた。落ち着いて、と胸の高さに上げた両手でボディランゲージをして、まひるの浮き上がっていた腰とテンションを落とさせる。
「愛城さんがすごいのは知ってるよ。聖翔祭のフローラ役、ほんとすごかったし」
「そうなの、フローラはしなやかさと強さが同居した感じの女の子でしょ? でもダルタニャンはもっとまっすぐな感じのたくましい男の子役だったの。そのどっちも見事に演じきってすごいよね。華恋ちゃん、役柄の幅も広がってきて最近すごくキラキラしてるんだあ」
「そ、そっか」
「そうなの! 次の聖翔祭でもひかりちゃんと『スタァライト』の主役をやりたいって燃えてるし、練習もがんばっててすっごくかっこいいんだよ」
「う、うん」
「この前も華恋ちゃんがね」
「あの時も華恋ちゃんが」
「そうだ、そこでも華恋ちゃんの活躍で」
「華恋ちゃんの」
「華恋ちゃんに」
「華恋ちゃん」
露崎まひるは南風涼と一緒にいた五時間で、愛城華恋の名前を十三回呼んだ。そのうち二時間は観劇中のため無言である。
昼休みの教室で、祈りの形みたいに組んだ両手に額を押しつけ、「
……
どう思う?」絞り出すように、南風涼が問う。
問われた柳小春は隣にいる穂波氷雨と目を合わせてから、視線をショートボブの頭頂部に戻した。
「どう、って」
「『わたし華恋ちゃんのことが大好きなの! 涼ちゃんはただのお友だちだよ勘違いしないでね☆』ということではないですか?」
「まひるはそんなこと考える子じゃないよ! あと変な声真似しないで語尾に星とかつけないで!」
けたたましく椅子を鳴らして立ち上がる涼。氷雨は名前に相応しい冷たい視線で涼を見上げた。スラリとした長身が今は情けなくしぼんでいて、丸まった背中に哀愁が漂う。「涼、うるさい」顔をしかめながら、やや空気を読まずに小春が言った。
涼が椅子に座り直し、頬杖をついて、注意されたから静かにため息をつく。
「そりゃ、まひるが愛城さんに憧れてるって話は聞いてたけどさ。さすがになんの話題振っても愛城さんにつながるとは思わなかったよ」
「あれはどうしたのですか? なんとかキャット。あれなら愛城さんとは関係ない話ができるでしょう?」
氷雨の言葉に涼が疲れた顔をした。口元がわずかに引きつって、湿度のない笑いがこぼれる。
「そっちだと神楽さんの話になっちゃうんだなあ
……
」
露崎まひると神楽ひかりは、同じアニメの別キャラクターがそれぞれ好きらしい。愛城華恋を含めた三人部屋で生活していることもあり、とかく話題には事欠かない。
背もたれに深く身体を預けて、涼が大きく伸びをする。紺碧の空は晴れやかに澄み渡り、涼の心境とは正反対である。それを怠惰な視線で眺める。
「まあこっちはさ、思い出しかないもんね」
それだって尽きないほど多くはない。特に中学生最後の夏からはほとんど言葉も交わすことがなかった。あの頃の話は二人ともまだうまく消化できていなくて、不自然に、思い出話に穴が開く。
「まひるはまひるで困ってたのかもしんないな。あたしとまひる、特に共通する趣味とかないし」
視線の先で鳥が飛んでいた。
あこがれて、同じ舞台に立ちたくて、同じ舞台に立てなくて、それでもいつかそうできたらいいと、彼女と同じ演劇の道を選んだけれど。
実はそれだけなのだ。
あなたのためにこれだけしたのだから報いるべきだと、そんなおこがましいこと、言えるわけがない。
そろりと額のあたりを撫でる。顔の傷はもう見えない。
ピリ、と小さな音がして、小春の手元で菓子パンの袋が開く。先ほど昼食を食べたばかりのはずだが、涼も氷雨もそれには特に言及しない。
チョココロネを袋から引き出しながら、小春が視線を送ってくる。
「どうなりたいの?」
「なにが?」
「露崎さんと」
無表情で尋ねてきた小春はしかし、涼の返答を待たずに興味をなくした様子でパンを頬張った。反らしていた上半身をもとに戻して、涼は小さく肩をすくめる。
「どうとか、別にないよ。こないだのはただ、ただ
……
」
親に置いていかれた幼子をすら想起させる目。
悔しいのでも、腹立たしいのでも、悲しいのでもなかった。
ただ。
「少し、さみしかっただけ」
わずかに尖った涼の唇を小春が注視する。それから自身が持っているパンに視線を移して、やや悩んでから涼の眼の前に差し出した。食べかけのチョココロネを突きつけられた涼が目を丸くする。
「な、なに?」
「たぶん、慰めているのではありませんか?」
「あっは」
呆れと友情が半々くらいの笑声が涼の口から飛び出た。身体を乗り出してがぶりとパンにかじりつく。「
……
食べ過ぎ」小春が眉間に深くシワを刻んだ。「いいじゃんこれくらい」甘い甘いチョコレートが口いっぱいに広がる。
「小春さん、食べ物で釣るとは卑怯ですよ」
氷雨が小春と見つめ合いながら涼の頭をわしわし撫でだした。
「私だって涼さんを慰めたいんです」
「もー、なんなのさ君たちー」
髪の毛をさんざん乱された涼は、幸福を感じて笑う。おやつをあげて、頭を撫でて機嫌を直そうとするなんて、まるで犬みたいな扱いだけれど、この二人にされると悪い気はしなかった。
氷雨に撫でられるままになりながら頬杖をついて、ぬるく息をつく。
「別に愛城さんと神楽さんのことが嫌いなわけじゃないし、まひるが楽しそうだから、それでいいんだ」
「涼さんは優しいですねえ」
「それに、来週またまひると遊ぶんだよね。前に小春と買い物した店、スズダルキャットのコラボアイテムがたくさんあったからさ、まひるに話したら行ってみたいって」
「
……
リベンジ」
「リベンジですね」
「リベンジなのかなあ」
いつの間にか氷雨の手が行うのは頭皮マッサージに変わっていた。ツボを押される刺激に涼が相好を崩す。いたわりの指先はあたたかい。
チョココロネを食べ終えた小春がウィンナーロールを取り出した。ふたりとも何も言わなかった。
その小さなセレクトショップは、大きな通りから一本はずれた小径の奥にあった。店内は雑多ではあるが、観光客向けのショップとは趣が違う。店主の趣味で集めたという品々はなんの統一性もなかった。入り口から店の中を覗いたまひるがほわあと感心したように口を開ける。
「すごーい。涼ちゃん、よくこんなお店知ってるね」
「小道具に使えそうなものを探してる時に偶然ここに来たんだ。けっこういろんなジャンルのものが置いてるからさ、掘り出し物がありそうでしょ?」
これとかね、と今日もかぶってきたスズダルキャットの帽子を指先で弾く。
まひるが面白そうに笑って、それから何かを思い出して顔を上げた。
「そうだ、わたしもそれ買っていい? 涼ちゃんとおんなじの。前に見たときから可愛いなって思ってたんだぁ」
「え、でも、おそろいになっちゃうけど
……
」
「うん? そうだけど?」
「え?」
「ん?」
涼はやにわに平静さを失っていた。なんだか思考がうまく回らない。
「ん、あれ? いいのかな? いいんだっけ?」
そもそも駄目な理由って何かあったっけ?
風に当たりたくて帽子を脱ぐ。うっすらと湿った額を撫でるように前髪をかきあげた。
涼自身はそういうことをあまりしないが、クラスメイトなどを思い返せば、仲の良い友人たちでお揃いにそろえるなんてよくあることだ。それに、まひるは元々このキャラクターが好きなのだし、別にそういうつもりではなくて、ただ単にスズダルキャットのグッズがほしいだけなのかもしれない。
「あ、えっと、やっぱりやめとこうかな。こっちのシャツも可愛い。これにしようかな」
あまりにも涼が返事を長引かせるものだから、こちらが嫌がっているのかと、まひるが気まずそうに傍らのシャツを手に取った。涼はあたふたしながら彼女の手首をつかむ。
「いや、いいよ!? まひるこれが気に入ったんでしょ? あたしに気なんか遣わないで買いなよ」
「い、いいの?」
おそるおそる覗き込んでくる瞳を真正面から見返して、深くうなずく。
涼と同じキャップと、それからいくつかグッズを選んで会計を済ませたまひるが、涼の隣に戻ってきてさっそく帽子を頭に乗せた。活動的な印象のまったくない彼女がベースボールキャップをかぶるとどこかアンバランスな印象だったが、二人並べば不思議とよく似合った。
「えへへ。涼ちゃんとおそろいって初めてだね」
「そうだね。っていうか、誰かとおそろいの物を買うのが初めてかも、あたしは」
キャップのつばを撫でながら斜め上を見上げて記憶をたどるが、こういうことをした思い出はついぞ出てこない。学校行事でクラス一同が同じものを見につけたりしたくらいだろうか。
まひるがきょとんと涼を見上げる。
「柳さんとか穂波さんとかは?」
「うーん、あの二人もそういうキャラじゃないんだよねー。気は合うけど、そういう感じの仲良しグループってわけじゃないし」
「そっかぁ」
まひるは相槌を打ったあと、ふふりとくすぐったそうに笑って、涼の手にそっと自身の手を重ねた。
「わたしが涼ちゃんのおそろい第一号だ」
「
……
うん」
店を出て大通りに戻ると人波でごった返していた。はぐれたら大変だから、涼は触れ合わせていた手の指先に力を込めた。なんか今日暑いな、と胸の内だけでつぶやく。身長差のせいで軽くまひるの手を引っ張るかたちになっていて、少し申し訳なくて心なしか背中を丸めた。
「涼ちゃん、手が冷たいね。冷え性?」
「え? 別にそんなことないけど。冷たいかな」
「ちょっとだけ」
思いがけないことを言われて困惑気味に首を傾げる。こんなに暑いのに、手が冷たいなんて。
よくわからないけど、鼓動がいつもより速くて強いのと関係あるのだろうか。
「あ、あれかなー、手が冷たい人は心があったかいってやつ」
「そっか」
「冗談だってば」
自分で言うのもなんだけれど、心が温かくなんてない。
人並みに怒るし。
人並みに、嫉妬もする。
羨望と嫉妬がないまぜになったあの感情は、まだ南風涼の中に在る。
「涼ちゃんは優しいよ」
露崎まひるは南風涼の右手を両手で包んで、いたわるように撫でさすった。
その仕草は赦しに似ていた。
うむむ、と愛城華恋が腕組みをしながら唸っている。その隣で神楽ひかりが無表情で前方を見ている。
二人の視線の先にはルームメイトである露崎まひるが座り込んでいて、彼女は放心したようにあらぬ場所を見つめ、たまに両腕で抱えたスズダルキャットのぬいぐるみを強く抱きしめたりした。
「まひる、どうしたの?」
ひかりの問いかけに、華恋がまたしてもうむむと唸った。
「わたしもよく分かんないんだけど、南風さんと出かけて、帰ってからずっとああなんだよねえ」
ずいずいっと、ひかりが膝立ちでまひるに迫る。床に両手をついた姿勢でまひるの正面に陣取ると、ふんと鼻息を荒くした。
「まひる、なにかされたの?」
「え? なにかって、涼ちゃんに?」
「そう」
「別に、なにもないよ? お買い物して、ちょっとお茶しただけ」
「だけ?」「だけって感じじゃないよまひるちゃん」華恋も一緒になってまひるに迫る。二人から至近距離に詰められたまひるは、両手でガードするように壁を作りながら、顔を背けた。
「赤い」「顔が赤いよまひるちゃん」両脇から容赦ない追及。スズダルキャットの背中に隠れる。結わえた髪が揺れていた。
「
……
あの、ね」
「うん」
「うん」
華恋とひかりがやや姿勢を戻し、まひるの斜め前で正座する。清聴のかまえ。
「わたし、ずっと華恋ちゃんにあこがれてたでしょ? 華恋ちゃん、一年の頃からすっごくキラキラしてて、自信があって、まっすぐ前を見てて、わたしにないものをたくさん持ってて」
「なんでわたしの話?」
期待していた方向とはずいぶん違った口の切り方に、華恋の肩ががくりと落ちた。しかも自分のことを絶賛する内容なので、それもまた面映い。
「でも、お寝坊さんなところもあったりするし、ほら、わたしよく華恋ちゃんを引っ張って学校に連れてったりするでしょ? そういう時って、華恋ちゃん寝起きだから手とかもポカポカしてて」
「あのー
……
南風さんのことは
……
?」
「華恋、いいから黙って聞いてて」
「はい」
まひるの顔がスズダルキャットの後頭部に埋まった。
「華恋ちゃんの手、あったかいし、わたしとおんなじくらいなの」
さあもう何も分からない。華恋がじっと己の手を見る。
「でもね、でも、涼ちゃんはね、手、手がね、おっきくて冷たいの。か、華恋ちゃんとぜんぜんちがったの」
「そりゃまあ、南風さん背も高いしねえ」
違って当たり前だろう、という感想しかいだけない華恋と、何を考えているのか表情からは覗えないひかり。二人の視線がまひるのつむじあたりに注がれている。
「なんでだろう、華恋ちゃんとちがうのに」
すでにまひるの言葉は華恋たちに話しているというよりは独り言に近いものになっていた。どうしたものか、と難しい顔をする華恋の肩をひかりが叩く。
「華恋。これはたぶん、私たちが口を挟んじゃいけないこと」
「え、そうなの? ひかりちゃん、今ので分かったの?」
ん、とひかりが重々しくうなずいた。華恋が尊敬の眼差しでひかりを見つめる。「さすがです、さすがですよひかりちゃん」
「わたしにはさっぱり分かんないけど、見守ってあげるのがいいってことだね。まひるちゃんのルームメイトとして、どんな時も見守り続けるよ!」
「
……
ん」
神楽ひかりの目もまた、決意に燃えていた。
露崎まひるはまだなにか一人で考え込んでいた。
青嵐総合芸術院から招待状が届き、まひるはクラスメイトたちと共に発表会へと赴いていた。彼女たちの演技を見るのは交流プログラムのレヴュー以来である。純粋に楽しみにしている華恋を尻目に、まひるの表情はやや硬い。それもしかたないことなのだろう。思い出したくなかった傷をさらされて、一度は聖翔を裏切り、そしてすぐに翻意して、また彼女を傷つけた。
同じ舞台に立てて嬉しかったと、そう言ってくれたのは本心だったのだろうけれど。
友人として街へ出かけたりするのと、こうして舞台少女として彼女に対するのとでは、やはり気の持ち方がちがっている。
入口前で、意識的に呼吸を二回。吸って、吐いて、吸って、吐く。
涼からは始まる前に顔を見たいと言われていた。本番前に邪魔にならないだろうかと思ったが、どうしてもとせがまれて首を縦に振ってしまった。気にしすぎだよ、と自分に言い聞かせる。一緒に来ていた天堂真矢はすでに柳小春へ挨拶に出向いていった。あそこはあそこで何かしらあったようだが、真矢が気にしている様子はなかった。さすが首席とため息をつく。あれくらいの胆力があればよかったのに。
華恋がそっと隣に並んできた。
「まひるちゃん、南風さんのところ行くんでしょ? なんだったらわたしも一緒に行こうか?」
「
……
ううん、平気。一人で行けるよ」
不思議なことに、あれだけ怖気づいていたのが、華恋に声をかけられると半分くらい薄らいだ。華恋ちゃんってやっぱりすごい。ふと気が抜けて口元がゆるむ。
ありがと、と小さく言って、まひるは事前に教えられていた楽屋へ向かった。そういえば涼がなんの役をやるのかまだ聞いていない。前に話していた通りポルトスだろうか。笑えば可愛らしいが、真面目な顔をするとキリリと端正だから、アラミスも似合うかもしれない。益体もなく考えながら歩いていく。
楽屋のドアをノックすると高い声で応答があった。「失礼します」そっとドアを開ける。衣装を身にまとった涼が顔を上げてこちらを見やってくる。「まひる!」涼の表情が見る間に華やいだ。軽やかに近寄ってきた涼がひだまりの子犬みたいに笑う。
「まひる、来てくれてありがと」
「こちらこそ、ご招待ありがとうございます」
わざと丁寧に言って頭を下げると、彼女は少し困ったふうに息をこぼして、「どういたしまして」と片眉を上げた。
「涼ちゃん、何役するの?」
「ふふー。なんだと思う?」
そう、実はさっきから気になっていた。もちろん自分たちが演じた三銃士とまったく同じ衣装ではないが、それでもある程度似通ったりはするもので、衣装のパターンで推察できることもある。
「銃士の衣装じゃないよね、それ?」
涼がうなずく。まさか彼女ほどの舞台少女が通行人役ということもないだろう。
メインどころで銃士ではないキャラクターといったら、ひとつしかない。
「涼ちゃん、ダルタニャンなの!?」
「ピンポーン。けっこう似合ってない?」
「か、かっこいいけどっ」
思わず口走ってしまった。だって本当にかっこいい。中世の青年の衣装が実によく似合う。シャツの袖やズボンの裾が細く縫い留められているから、涼の長い手足がよく映えていた。ジャケットからあふれるほどたっぷりとしたフリルのシャツも華やかで、それに顔が負けてない。
カツ、とブーツの踵を鳴らして、涼が優雅に腰を折り、まひるに片手を差し出した。
一緒にいる時はいつも無邪気さが覗く眼差しが、今は秀麗につやめいている。
「お嬢さん、一曲踊っていただけませんか?」
「
…………
」
「なーんてねー。どう? ちょっとはサマになってたかな」
照れ笑いしながら背筋を伸ばした涼はもういつもの南風涼だった。まひるは喉の奥からせり上がってくる何かを抑えるのに必死だった。涼は外したんだろうかとごまかすように頭を掻いた。
穏やかに目を細めた涼が、今度は右手を縦にしてまひるのみぞおちあたりへ差し出した。何も考えず、まひるはその手を受けて握手する。
大きい手は、今日は冷たくなかった。
滲むような微笑みが涼の口元に漂って、
「ねえまひる。ひとつ、お願いしていい?」
「なに?」
「
……
おでこ、さわって」
このへん、と指で指し示すと、まひるが小さく息を呑んだ。
もう痕なんてまったく見えないそこは、けれど、あの夏、ガーゼと包帯に覆われていて。
彼女はそれから目をそらし続けていて。
でもあの頃からずっと、彼女にそれを触れてほしかった。
「今は痛くもかゆくもないけど」
ただ。ただ。
彼女がそれに触れてくれないことが、少しだけ、寂しい。
だから。
おずおずと、彼女の指先がのびてきて、まるで自分の指が刃であるかのように、はらりと、額に触れた。
涼が目を閉じる。「もっと」
遠慮がちなまま、それでも次第に深まっていく指先。眉毛の上をなぞって、生え際に到達し、人差し指と中指が頬骨にかけてのラインをたどる。
「涼ちゃん」
「うん」
髪をかきあげる感触。親指がもういない傷を拭い取る。まぶたのふくらみを確かめるみたいに薬指を置いて、静かに、離れた。
まぶたを上げると露崎まひるは泣きそうな顔をしていた。
やっぱりあたしは優しくなんかない。南風涼は内心でひとりごちる。
優しくないから、彼女がそういう表情をしていることが、なにより嬉しい。
「見ててね。きっと愛城さんよりあたしの方がいいって思わせるから」
「え?」
「ダルタニャンだよ」
露崎まひるは、受け止めきれない視線におろおろしている。
南風涼は彼女がどうしてそんなにうろたえているのか分からないまま、なんだか面白くて「あっは」と笑った。
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