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黒竹
2021-11-13 02:21:23
5218文字
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プロセカ
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220,284
【プロセカ】【みのはる】
目を開けると光が飛び込んできたと思ったら桐谷遥ちゃんだったので驚いた。
眼前十五センチくらいのところにあるその顔は彫像のように整っていて、しかし石膏などでできてはいない。その証拠に薄く開いた唇からゆったりと呼気が洩れている。規則正しい寝息。間接照明がついたままの部屋で、みのりは彼女の美しさに見とれて微動だにできない。
シーツが真っ白で、枕もふかふかだったから、まるで雲の上にいるよう。
ふわふわする。
どうして遥ちゃんがここにいるんだろう、と考えてから、ここがホテルの一室だと思い出す。そうだ、連休を利用したロケ企画を立てて、昨日から隣県の観光地に来ているのだった。アクティビティメインのレジャー施設で遊んでいるところを動画に撮って、それを編集して公開する予定で。そうだった。だから今日はホテル泊になっているので隣に遥が寝ていてもなんの不思議もない。
ないわけがない。確かに同室だけれど部屋はツインルームなのでベッドはふたつある。遥の肩越しにベッドメイクされてからまったく使用された形跡のないセミダブルベッドが見える。良かった記憶違いではなかった。
落ち着こう、落ち着けない、いい加減しっかり目も覚めてちゃんと思い出していた。身体のいろいろなところに付着している残滓。目に見えないそれらを無視できるほどみのりは成熟していない。
「──うぅ
……
」
パジャマを着ていることに安心したけれど、いつ着たっけと内心で首を傾げた。ロケで疲れていたのに、さらに疲れるようなことをして、それから、いつの間にか眠ってしまっていて。
ものすごく恥ずかしい可能性に思い至ってしまったので目を閉じて現実から逃げた。
そぉっとベッドから抜け出してバスルームに入る。ホテル特有のユニットバスで軽くシャワーを浴びる。シャワーカーテンで跳ねた水滴がぶつかってきて、その刺激が数時間前の出来事を思い出させる。いくらシャワーを浴びせても、もう流れ落ちることのない色が、花里みのりの身体にはついている。
身体を流してから備え付けの冷蔵庫に入れてあった飲みかけのミネラルウォーターを取り出す。何度か喉を鳴らして小さくため息をついた。アメニティのパジャマは真っ白なリネンでみのりには大きすぎる。手のひらが隠れてしまうほど長い袖でまぶたのあたりをゴシゴシ擦る。そんなことで赤みが取れたりはしないのだけれど。
ペットボトルを冷蔵庫に戻してベッド脇に立ちすくみ、恐る恐る覗き込むとやっぱり桐谷遥ちゃんはそこに寝ていた。
「
……
かわいい
……
っ」
思わず声が出た。咄嗟に口を押さえて悶える。まさに天使の寝顔。この世にこれ以上かわいらしい光景があるだろうか。いやない。
少しだけほわほわした気持ちで遥の寝顔を眺めてから、ハッと気づいた。
しまった、このベッド、出るより入るほうが難易度が高い。だって桐谷遥ちゃんが寝てるのに? その隣に? 潜り込めと?
早々に諦めて空いているベッドを使おうと背を向けたら、パジャマの裾がどこかに引っかかったようで小さな抵抗があった。はて、ベッドサイドに引っかかるようなものがあっただろうか。
「そっち行っちゃうの?」
「うぅぅ
……
」
いつから起きていたのか、ベッドから伸びた遥の指先がみのりのパジャマを掴んでいる。強く引っ張られているわけではないのにみのりはそれ以上先に進めない。
「みのり」
「
……
う〜
……
」
「こっちおいで?」
疑問形みたいな語尾上がりなのに、こちらの意思などひとつも慮ってはいない、少々驕った声だった。そうなるのも仕方がない、花里みのりは彼女のその声に逆らえない。
遥が掛け布団をめくって自身の隣をポンポン叩いてくる。おそろいのリネンのパジャマなのに、彼女が着ているとまるで天女の羽衣だ。大人用のそれは遥にも少し大きくて襟ぐりや袖口からちらりと素肌が覗く。それを見てはいけないような気がするのに視線は捕らえられて、その一瞬を気づかれることに羞恥を覚える。
遠慮しいしい、遥の隣に寝転んで小さくなった。めくられていた上掛けが戻されて、その中でぎゅっと抱きすくめられた。
「あ」
鼻先をかすめた香りにみのりが思わず声を上げる。「ん?」遥が不思議そうに目を丸くした。
「遥ちゃん、シャワー浴びてる」
「え、うん。みのりが後でっていうから先に入ったんだけど、戻ってきたら寝てたよ」
「
……
そうでした
……
」
いつもと同じシャンプーとコンディショナーの香り。普段使いしているものを旅行用のミニボトルに詰め替えて持ってきているのは知っていた。旅行の非日常の中でそれだけが日常の気配を放つ。それが『日常』に含まれてしまうことには我ながら驚きだった。
みのりを解放した遥が頬杖をついた姿勢で見下ろしてきて、その瞳が優しく細められている。そこには確かに睦み合ったふたりだけが持つ甘さが滲みていた。
さらりと指先が髪を梳いてくる。まだ濡れた髪は少し重くて余計に彼女の指先を感じた。
「起こしたほうが良かった?」
「えっと
……
たぶん、起こされても起きれなかったと思う」
けっこう体力の限界というか、いつもは家族がいる自宅の部屋だからいろいろとこう気を遣っていたところが今日はその必要もなくてわりと、なんというか、遥の遠慮がなかったので。
どこをどうされたら声が出てしまうのかとっくに知られていて、それを意識すると首の根元が熱を持つ。
間接照明のオレンジでごまかしきれなかったのだろうか。遥がくすりと小さく笑って、熱さを無視しきれない首元に唇を押し当ててきた。せっかく汗を流したのにまた汗ばみそうで、それでも拒むことはできずに首を差し出した。
比喩的な意味でもそうなのかもしれない。花里みのりのすべて、いのち、のようなものすら既に彼女のもので、なにひとつ己の自由にはならないような。
そんな幸福。
首筋に触れていた唇が耳朶へ上がってくる。軽く噛みつかれて、縁を舌先でなぞってくる。「っ、ふ
……
」かすかに息つきをするけれど、遥の触れ方はどちらかというとじゃれつくようで、ただ持て余した愛しさを無遠慮に塗りつけるだけの、未成熟な戯れだった。
のしかかってくる遥に両手を捕まえられる。指が絡んでもう自分の意思だけでは離せない。
「
……
みのり」
甘い甘い、何十年も寝かせた果実酒みたいな声だった。まだ十余年しか生きていないのに、けれどそれしか生きていないから出せる声だった。
一瞬で酔い痴れたみのりが眼差しでねだると、優しい唇が落ちてきて、触れるだけのキスをくれる。
「ごめんね、久しぶりだったから無理させたかも」
「それは
……
大丈夫、だけど」
遥が甘えるようにみのりの胸元に顔を乗せる。首元に落ちてきた髪が少しくすぐったい。
いつぶりだったっけ、とうっかり数えてしまった。これだけ間隔が空いたのは初めてかもしれない。
若さである。
「わたしも
……
その
……
嬉しかった、し」
「ん」
遥は、顔を上げてみのりをまっすぐに見つめると、それはそれは嬉しそうに笑った。
くすぐるように指の背で頬を撫で、そのまま片手で頬を包む。
「してなかった間、さみしかった?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「
……
意地悪」
「ごめん」
別に、顔を合わせるだけなら毎日しているし、話もできるし一緒に買物をしたりカフェでお茶をしたり、そういうことは苦もなく叶えられた。その状況でさみしいなんて言えない。けれど本当はそれは『さみしい』ではないのかもしれなくて、花里みのりも桐谷遥も、それを正しくはなんと言うのか知らなかった。
つないだままの左手を、遥の親指がゆるゆると撫でてくる。
「どうしてた?」
「え?」
どこか胡乱に、遥の目から光が流れる。線香花火の最後のひとしずくに似た、柔らかくて無害そうで、その実ひどく熱い、そういう光だった。
「──ひとりで、とか」
「へっ!?」
突如思いがけないことを言われて声がひっくり返った。「しっ、してないよ!」いや確かに時々ちょっとなんとなくもやっとした夜があったりはしたけれども、まさかそんな。
遥はなぜかちょっと残念そうだった。
「なんでがっかりしてるんですか
……
」
わずかに尖った唇から目をそらしつつ、まったく、と息をつく。遥は左手に力を込めて、こちらはこちらで不満そうな息を吐いた。
「一緒にいない夜も、みのりが私のこと考えててくれたらいいなって」
ああ、だから、それは。
まさしく、『さみしい』ということだ。
けれどみのりはきょとんとして、そらしていた視線を遥に戻した。
「昼も夜もいつでも遥ちゃんのことを考えてるよ?」
あまりにも当たり前のことなので、みのりはどうして遥がそんな顔をするのか分からない。
ふたりはだいたい同じくらいさみしくて、だいたい同じくらい引き寄せ合う。
それをふたりは知らないけれど。
こつりと、遥の額がみのりの額に触れた。
「そうだった。そうだったね」
こらえきれないという風に遥が笑う。「そうだった」何度も同じ台詞をつぶやく遥を、訳が分からないまま可愛いなと思うみのりだった。
「そんなこと言うなら遥ちゃんは?」
「してないよ」
「ですよねー」
「──嘘」
不意に遥の声が濡れたように重みを増した。みのりは背中が粟立つのを感じ取る。あ、この声。たぶんこの世でひとりだけ、花里みのりだけが聞ける声。
みのりの首筋にすり寄って、遥が小さく吐息を洩らす。
「みのりと出会って、みのりを好きになって、私が触ったらみのりがどうなるんだろうって、どんな顔をして、どんな声を出すんだろうって、みのりの身体がどんなに柔らかいだろうって、どんなにあったかいんだろうって、想像してたよ」
「
…………
」
「幻滅した?」
「しない、けど」
ただただ恥ずかしい。耳が痛いくらい熱くて、ごまかしたくて遥の髪に指を潜らせる。
「なんか、ちょっと申し訳ないといいますか」
「なんでみのりが申し訳なくなるの」
「だって、もっと可愛い人とかナイスバディな人ならともかく、こんな感じので」
しかも遥自身はストイックすぎるほどの体型管理をしていて、さらに笑顔で磨かれたとんでもなく整ったお顔をしてらして。
翻ってこちらはといえば、けっこう甘いものとか食べてるし、書類審査にも通らないくらい地味だし、それは申し訳なくもなる。
みのりがもごもご言うと、遥は表情をあえて消した様子でじっとみのりを見下ろした。
「それって、関係あるの?」
「え?」
「じゃあみのりは、私がみのりより可愛くてみのりよりスタイルがいい人を好きになったほうがいい?」
「
…………
やです」
「もしみのりの前に、私より可愛い人が現れたら、みのりはその人を好きになるの?」
「遥ちゃんより可愛い人って想像できない
……
」
「ふふっ」
ぶれないみのりに遥が思わず吹き出した。「ほらあ」つないでいた左手に力がこもって、それからたまらない気持ちが溢れた遥の腕が背中に回される。それはごく単純な『大好き』のハグだった。
「そういうことでしょう?」
「ひゃい
……
」
ふたりは違うように見えて、同じものでできている。
「みのりが好きだよ。みのりに触りたいし、みのりのそばにいたいし、みのりに好きって言ってほしい」
「遥ちゃんのことはずっと大好きだよ」
「うん」
遥は少しだけ幼く笑うと、ちょんと可愛らしくキスをしてきた。
それじゃ物足りなくて彼女の腰にそっと手を添える。視線が語るものを読み取ったのか、遥がさっきより大人びた微笑を浮かべた。
唇と唇が重なるだけの触れ合いがある。成熟してもいない、かといって未熟でもない、思春期に特有の果実酒みたいなキスだった。
花里みのりの想いを分解して足し合わせたら桐谷遥になるし、桐谷遥の想いを分解して足し合わせたら花里みのりになる。
きっと他の誰でもないのだ。
「好きになったのがみのりで良かった」
目の前の彼女は、湖面に浮かぶ月のように、そう言った。
好きだから幸せで、好きだからさみしい。
喉の奥からせり上がってくる何かに耐えきれなくて、両腕を遥の首に回してきつく抱きついた。
「うにゅう〜」
「なにそれ?」
意味不明な声に遥が苦笑する。自分でも分からない。ただ感情が音になっただけの、なんの意味もない唸り声だったのかもしれない。もしかしたらもっと大人になったら意味のある言葉にできるのかもしれないし、大人になったらこの感情自体、失われるのかもしれない。
「がんばるね」
「うん」
「もっともっとがんばるから」
「うん」
成熟していない、未熟でもない、ひどく中途半端な、それ故にひどく純粋な。
それは恋だった。
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