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黒竹
2021-07-27 14:55:48
5204文字
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プロセカ
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なぜ恋をしてこなかったんだろう
【杏遥】
今から行ってもいい? とメッセージが来たので、迷いもせず了承の返事をハイテンションな短文で打ち込む。つまり『OK!』と、スタンプつきで。
父親が経営しているカフェの営業時間はすでに過ぎていたが、それはいつものことだった。彼女からこの手のメッセージが来るのはいつだって深夜だ。気を遣っているのだろうと思う。人気アイドルの行きつけだなんて知られたらミーハーな客が増えるだろうし、それを、こちらが喜ばないと思っている。実はこちらとしてはけっこうどうでもよかった。来たいならいつでも来ればいいのに、というのが本心ではある。伝えたことはないけれど。
看板を下ろして明かりも消えたカフェは静かだ。表の入り口から遠い席のランプだけつけて、二人分の水をポットにそそぐ。封が開いて半端に余っていたグリッシーニを一本、口にくわえてパキリと折った。
あと五分くらいで着きます、と新たに届いたメッセージに、白石杏は残りのグリッシーニをくわえたまま裏口に回る。ハムスターみたいに固く焼き固められたグリッシーニを食べていると、なんとなく相棒を思い出した。まあ実際には彼女は行儀よく一口大に手で折って食べていたので、こんなことを言ったら怒られるかもしれない。当人ではなくその他二名に。
口の中の水分をすべて取られたあたりで昔なじみが顔を見せる。「おつかれ」軽く片手を上げて笑いかけると、彼女も同じように笑って上げた手に自身の手を合わせた。
「急にごめんね」
「気にしなくていいって。急なのはいつものことじゃん」
彼女は子どもの頃から人気アイドルで、一時期少しだけ休んで、またアイドルになった。休んでいた時期も本質的にはアイドルだった。そんな彼女だからいつだって人のことを思いやって、なんでも先回りして動く。
「今日、ライブだったっけ? 打ち上げ帰り? 盛り上がった?」
「うん、みんなで打ち上げしてたんだけど、少し涼みたくて。盛り上がったよ、この前の杏たちのライブに負けないくらい」
だからこうしてアポ無しの訪問をしてくるのも、気安い軽口を叩いてくるのも、なんとなく特権のように感じて腹の底をくすぐられる。昔から。伝えたことはないけれど。
「そっか。まあ入りなよ。コーヒーくらいしか出せないけど」
「充分じゃない?」
店内に誘って椅子を勧める。ステージつきのカフェは床に傷が数多くついている。椅子の脚が引っかからないように気をつけながら彼女が腰を下ろす。杏はカウンターの内側でポットのお湯を沸かし始めた。
薄暗い店内で、『あの』桐谷遥とふたりきり。そりゃ、隠しておきたくもなるよね、と心の中でつぶやく。幼いころから外で遊べば「桐谷遥だ!」と追い回され、人が多いところには出かけられなくて。最近はそうでもないらしい。配信をメインに活動しているからファンとの距離が近く、杏は妙な輩が現れるのではと危惧していたが、逆に完全な偶像ではないから彼女たちを尊重する向きが大勢なのだそうだ。確かに、自分たちもネットの声より直接届けられる応援のほうが温かい。なるほど、と感心したものである。
それでも時々、彼女はこうして静かな店内の、白石杏だけが存在する空間に入って来たがる。
疲れたとか一人になりたいとか、ましてや杏に会いたいわけでもないのだろうと思う。たぶん彼女は意識的にここを『それ』にしている。セーブポイントなのかリセットポイントなのかはわからないが、『明日』のために必要な時間をここで過ごすことに決めているのだ、数年前から。
杏としては別に構わない。やってくるのは月に数度、せいぜい一時間程度だ。それくらいなら付き合うしコーヒーくらい淹れてあげる。本来はまだ父親からコーヒーを淹れることは許されていないが、この時だけは特別だった。器具をきれいに洗って戻しておいてもバレてはいるようだが、何も言われないのでいいんだろうとのんきに構えてる杏だ。
コーヒーミルに深煎りの豆を二人分。ハンドルを回して豆を挽いていくと、ゴリゴリと小さく音が響く。遥はその音を聴くのが好きなようだった。頬杖をついて、壁のポスターなんかを眺めながら無言でいる。うるさいうるさいと人によく言われる杏は、しかしその沈黙が嫌いではない。
豆を挽き終えてドリッパーに移していると、遥が顔を上げて「似合うね」と話しかけてきた。
「ん?」
「そのピアス。新しいの? 初めて見た」
「ああ、これ? こないだこはねにもらったんだ。いいでしょ」
「ふぅん? 誕生日
……
じゃないよね。なにかあったの?」
「特になにもないよ。こはね、お店で見かけたりして私に似合いそうだって思うとつい買っちゃうんだって」
相棒の深い親愛を胸を張ってアピールする杏。遥は微苦笑を浮かべて、なるほど、とうなずいた。
「この髪留めもそうだし、前に来た時につけてたリングもだし。あ、こないだはこはねもいたじゃない? あの時つけてたチョーカーは私があげたんだ。可愛かったでしょ?」
「相変わらず仲いいんだ」
「もちろん、相棒だもん。そっちだってずっと仲いいじゃん、四人とも」
彼女が身につける装飾に、ずいぶんと青色のものが増えたことを、白石杏は知っていた。
おそらくそれは、青とオレンジとピンクと空色で、時々ライトグリーンだったりする中のひとつだ。
それぞれの大切な仲間との大切な思い出たち。
「そのピンキーリング、誰かにもらったの?」
「みのり」
「やっぱりねー」
「どんどん増えていくね、お互い」
「ねー」
そこに重さはなにもないという表情で、二人は笑う。
カップにそそいだコーヒーをソーサーに乗せ、慣れた手つきでテーブルに運ぶ。残り物のグリッシーニも一緒に持っていったけれど、ふと気づいてそれは自分の手元に置いた。
「遥は食べないか。こんな時間だもんね」
打ち上げでも炭水化物は取ってないんだろう。彼女のストイックさはよく知っている。
グリッシーニをさっきと同じようにハムスターみたいに食べ始める。
遥は口の中で小さく唸ってから、頬杖をついたまま目線だけ杏に向けた。
「一口だけ」
ちょうだい、と口を開けてきたので、かじりついていたそれを遥の口に入れてやった。控えめな一口分が彼女の口の中に消える。遥がなんの味つけもされていない素朴な堅パンを咀嚼し、コーヒーを含む。
「
……
コーヒーに合うんだよね、これ」
「ま、ライブでカロリー消費しただろうし、これくらいはいいんじゃない?」
ほんの一口なんて誤差の範囲だ。気にしない気にしない、と杏は気楽に手を振った。
彼女とも、長い付き合いになった。ただの友だちから、どちらも表現者として活動するようになってライバルのような関係性も生まれて、それでもずっと友だちだった。桐谷遥がここを選ぶくらいには。白石杏がそういう役目を負うくらいには。
「配信もけっこう頻繁にやってるし、フリーっていうわりと忙しそうだよね」
「そうだね、ライブもやれるところが増えてきたからスケジュール管理が大変。でも、やっぱり私たちのスタートが配信だったから、そこは手を抜きたくないの」
「この前の面白かったよ。お悩み相談のやつ」
見てるんだ、とちょっと意外そうに言われたので、見てますぅ、と口を尖らせてみせる。「杏だってステージ色々出てて忙しそうだから」遥が言い訳のように言ってくる。確かにライブイベントには精力的に参加しているし、ここの手伝いだって続けているが、親友の活躍を見る時間くらいは取れるのだ。
遥がコーヒーの香りを味わいつつ目を伏せた。
「お悩み相談ね。みのりがすごく親身に答えてて、私も隣で見てて楽しかったな」
「アイドルファンの子の悩みとか、すっごい力説してていっそ感動だったよ。いい子だよねー、みのり」
「うん。すごく優しくてまっすぐないい子」
遥はまるで我が事のように誇らしげに、大切な彼女を評した。少し、つきりと胸が痛む。ずっとそばにいた自分が救えなかった彼女を救ったあの子に、感謝はもちろん心からしている。けれど、けれど。
あの頃の自分の判断が間違っていたのかどうかは分からない。あの子と同じ方法で遥を救えたわけでもないし、他の誰にも遥を救えなかったのかもしれない。それでもなにかできることがあったんじゃないかと、時々考える。これが後悔だと気づいたのは最近のことだ。
私だって君を救いたかった。
今さら言っても仕方がないし、伝えるつもりもないけれど。
「でもさすがに恋愛相談は困っちゃった。一般論なら言えるけど、うまいアドバイスって難しい」
黙考の間に話題が進んで、杏は慌てて顔を上げる。
「アイドルだもんねー。下手なこと言うと荒れそうだし」
「うん、結局、当たり障りのない答えになっちゃって。けど、真剣に相談してくれたんだから、もっと言えることがあったかもって思っちゃうの」
「ふぅん。真面目だなー、遥は」
遥が小さく肩をすくめた。
「高校生の頃とか、ちゃんと恋愛とかしていれば良かったのかもしれないけど。現実には難しいよね
……
」
「そりゃ、アイドルだからねえ」
そういえば彼女からそういう浮いた話を聞いたことがない。もしかして本当にまったくないんだろうか。いやちょっとさすがに親友と言えども聞きづらい話題だ。
「別に恋人じゃなくてもさ、好きな人とかいなかったの?」
絡め手で流してみる。
遥はきょとんとして、まるで杏を珍獣でも見るような目で見つめてきた。これはどうかと思う。
「いたら言ってるよ?」
「
……
そっか」
なんだか少しほっとして、なんでほっとしたんだろうと自分で不思議がった。親友を取られたくないみたいな? 己にそんな可愛げがあったとは驚きだ。
ためしに相棒に恋人ができたところを想像してみた。うん、やっぱりちょっと嫌だ。そういうことだ、これは。
「ああでも」遥がくすりと笑ってコーヒーの最後の一口を喉に流し込む。
「あの頃、恋をするなら杏が良かったな」
「
……
え?」
「杏だけが、私になにもしないでいてくれたから」
それは。
それは、救いすらいらなかった彼女の、傷跡だ。
傷跡がまだ生傷だった頃、杏は遥になにもしないことを選んだ。
今頃になってその答えをくれた彼女のほころんだ口元。
ずるい。
「じゃあ、今は?」
「え?」
泣きそう。あの頃、と枕詞をつけられてしまったのが悔しい。
伝えなかったけれど。伝えるつもりもなかったけれど。
けれどそれは、あった。確実に、あの頃。
今、も、たぶん。
「今は、私じゃだめってこと?」
遥は口をつぐんだまま、最後のグリッシーニをつまみ上げて杏の唇に差し込んできた。パキリと杏の歯がそれを砕く。
口の中がカラカラになっていて、それをグリッシーニのせいにするには耳の後ろが熱すぎた。
どうして言わなかったんだろう。お互いに張り合うみたいに歌っていたのが遠い昔に思える。あの頃はそれで充分だと思っていた。
グリッシーニを食べきると、遥の指がずいぶん唇の近くに来ていた。触れはしない。
「そのピアス外してって言ったら、外せる?」
「絶対やだ」
「ほら」
「じゃあ遥もリング外してよ」
「無理」
「ほらぁ」
お互いに意地っ張りで、なんでもかんでも張り合って、こうなることは分かっていたのに。
「だから言いたくなかったんだよ。遥、私のこと一番好きじゃないじゃん」
「杏だって私が一番じゃないでしょう?」
困ったように笑う遥はテーブルの向こうで親友の顔をしている。
グリッシーニが水分をみんな持っていったおかげで涙は出なかった。ため息まじりに立ち上がり、コーヒーカップをふたつ手に取る。
「おかわりいる?」
「もう一杯もらおうかな」
もし相棒と出会っていなかったら、彼らとスクアッドになっていなかったら、すべてを彼女に捧げられただろうか。
けれどきっと彼女はそんなものはとっくにたくさん持っていて、だからそうじゃない杏を選んでくれた。
新しく淹れたコーヒーを彼女の前に置く。
「ありがとう」
「どーいたしまして」
「コーヒー、ブラックだし、ちょっと甘いのがほしいな」
「え?」
珍しい、と眉を上げる。もう日付も変わった。こんな時間にお菓子を食べたがるなんて。
くい、とジャケットを掴んで引っ張られる。
やられたと思った。
「ちょうだい?」
ねえそれどういう意味、と尋ねる余裕すら奪われて、テーブルに手をつくとそのまま甘い甘い唇を彼女に落とした。
負けたらなにか奢んないといけないんだよね。杏は目を閉じてコーヒーの苦い香りに顔をしかめ、椅子の背ごと遥を抱きしめた。
おそらくランチくらいじゃ許してくれない。
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