黒竹
2020-07-05 00:00:40
4317文字
Public スタリラ
 

無題

【雪代晶】【夢大路文】
雪代と姉大路その2。その1の後日。

 頼もう、と討ち入りのような雰囲気でやって来た夢大路文の手には使い込まれたエコバッグ。中はお菓子類のようである。事前に連絡は受けていたが、いざ彼女が遊びに来るという光景を目の当たりにするとどこか落ち着かない。
「はいこれ。何がいいか分からないから、とりあえず適当に辛そうなのを買ってきたわ」
「う、うむ」
 それはこれ以上ないほどよく分かっているということではないだろうか、と思いながら雪代晶は頷き、差し出された袋を受け取って彼女を招き入れる。
「お邪魔します」
 お互いにそれぞれ学校を卒業したのが契機だったのか、文の態度に卑屈なものはもう見えない。それはそれで釈然としないものを感じつつ、「適当に座ってくれ」晶は一人暮らしらしい小さめなローテーブルに文を誘導する。
 晶が飲み物を用意している間、文は興味深そうに部屋の中を見回していた。
「意外と綺麗にしてるんだ」
……片付けたんだ。お前が来ると言うから」
「あ、やっぱり普段はもっと散らかってるの? 晶、昔から部屋の整理整頓とか苦手だったものね」
 軽く笑う文に晶は苦虫を噛み潰したような顔。同級生だった頃はよく注意されていたし、なんなら強制的に掃除をされていた。衆目に触れる部分以外はそれほどうるさく言わなかった鳳ミチルとは対照的に、夢大路文はプライペートのだらしなさが目について仕方なかったようだった。それとも、|白金の君<フラウ・プラティーン>には常に完璧でいてほしかったのだろうか。自分が立てない場所に立っている存在に、欠点などあってほしくなかったのかもしれない。
 それを思えば、今こうして彼女が笑っていること、それ自体が変化を表している。
 事前に作っておいたアイスティーをコップに注いで持っていくと、文は「ありがと」と気安く応じて受け取った。季節柄もあり常温である。一口だけ飲んだ文が呟く。
「アールグレイね」
「よく分かるな」
「アイスティー向きだし、香りが強いから分かりやすいのよ。栞のアドバイス?」
「ああ、そうだが」
 まったくもって彼女の推測通りだったので素直にうなずく。アールグレイは香りが強くてアイスにしても飛ばないからと。その色のないうなずきを横目に見て、夢大路文は渋柿を生で食べてしまったような顔をした。あるいは取れば崩れると分かっているジェンガをあえて抜いてしまった直後の顔を。
「うまいな、これ」
 文の表情にまったく思うものなく手土産の激辛チップスを口に入れてご満悦の晶。文のこめかみにうっすら筋が浮かぶ。
……大切な相手に隠し事をされるのがどんなにつらいか、やっと分かったのよ」
「ふむ」
「あなたがそうさせたの?」
「いいや。私は何も言ってはいない。お前に言わなかったのは栞の意思だよ。なあこれうまいな。どこで買ったんだ?」
「大通りの……面倒だから後で教えるわ。ていうか晶、ひとりで全部食べる気? 私も食べたい」
「辛いのはそれほど好きじゃないだろう」
「どれだけ辛いか気にはなるのよ。うわからっ! なんでそんな平気な顔してるの! 大したことないかと思ったじゃない!」
「泣くな泣くな。まず手を洗ってこい。洗面所は向こうの右のドアだ。タオルは横にかかっている」
 洗面所に駆け込んでいく文を見送りながら、相変わらず負けず嫌いだなと息をつく。
 夢大路文は|白金の君<フラウ・プラティーン>になりたかったのだ。たぶん、あの学院にいた中で、雪代晶と同じくらいに強くそれを願っていたのは彼女だけだ。だからこそ逃げ出した。白金になれない自分と、白金になった同級生と、白金になるかもしれない妹が、同じ場所にいることに耐えられなかった。
「そういうところが、好きだったんだがなあ」
 懐古の口調でひとりごち、晶は割れてしまった翡翠のかけらを探すみたいに視線を落とす。コップに口をつける。栞が淹れ方を教えてくれたアイスティーはおいしかった。
 戻ってきた文は名状しがたき表情をしていた。言うべきか言わざるべきか悩んでいる表情。
「あの……晶」
「なんだ」
 とりあえず涙を拭け、とハンカチを差し出すと文は素直に受け取って目元をぬぐった。
……歯ブラシがふたつあったんだけど」
「ミチルだ」
「え?」
「打ち合わせで泊まり込むこともあるからな」
「な、なーんだ! そっかあ、私ってばてっきり」
「なにを心配しているのか知らんが」
 ローテーブルに頬杖をついて文を斜めに見る。
「栞が卒業するまでは何もしないよ。あれはシークフェルトの生徒だぞ」
 それは何よりも守らなければならないものがあるということである。
 王者がいて、それ以外はすべて装置で、しかし王冠をいただくものもまた、舞台を完成させるための役者にすぎない。だから縛られる。
 そういう伝統だ。
 はあ、と文の口からため息が洩れた。それが安堵であるのか不安の吐露であるのかは微妙なところだ。
「知ってる」
「まあつまり、卒業したらお前を『お義姉さん』と呼ぶことになるのかな」
「なるほど決闘ね受けて立つわ」
「冗談だ」
 文が浮かせかけた腰を落とし、気を取り直すためか「だから」と強めに言う。
「今日ここに来たのはそれなのよ。この前はかっこいいこと言っちゃったけど、私が知らない栞がいるの、やっぱりちょっと悔しいわ。エリュシオンの動画あるでしょ? 見せて」
「構わんが、栞も持っているだろう。帰省した時にでも見たらいいではないか」
「頼んだけど断られたの。あの子はあの子で、なんか複雑みたい」
 姉妹間の機微は晶にはうかがい知ることはできない。栞は見せたくないのか、見てほしいけれど何か想いがあるのか、尋ねたら教えてくれるかもしれないが、正直なところ、特に興味はない。
「もちろんタダでとは言わないわ」
 文がバッグから小さめの冊子をいくつか取り出した。晶にも見覚えがあるものだが、このご時世ではもはや懐かしさを感じる。
「タブレットに入れて来ようかと思ったんだけど、あなた機械音痴でしょ? こっちのほうがいいかと思って、良さそうなの選んでプリントしてきたの」
 そう言いながらテーブルに置かれたのは簡易なアルバムだった。写真屋で印刷を頼むともらえるものだ。デジタルカメラで撮った写真を印刷してきたらしい。
「これが小学校の頃ので、こっちがシークフェルトの中等部入学式の時」
「なるほど」
 雪代晶、思わず身を乗り出す。
 冊子を開けば今まで見たことがない夢大路栞がそこにいる。当たり前だが晶が知っている彼女より幼い。笑っていたり泣いていたり真剣な表情だったり。もう過ぎている春と夏と秋と冬の景色。
 シークフェルト音楽学院の門前で、着慣れない制服に身を包み少しおすましして立っている彼女。
 可愛いな。内心で呟く。
「いい写真だ。いい写真だが……文が邪魔だな」
「邪魔とはなによ」
「なんでほとんどお前が一緒に映ってるんだ」
「姉妹なんだから当たり前でしょ?」
 それはまあ、同じ学校に通っている姉がいたら並んで撮るだろう。晴れ舞台だし。家族なんだから。
 分かっているが面白くはない。
「お前、わざと自分が映っているのを選んで印刷しただろう」
「なんのこと?」
「私はお前のプライドが高いところは嫌いではないが、これはどうかと思うぞ」
「いいのよ。これが晶の部屋にあったら、私と晶が仲良さそうに見えるでしょ」
「? どういうことだ?」
「なんでもない」
 どうせこれもそのへんにポイッと置いとくでしょうから。
 写真を眺めながらつまらなそうに文が言う。整理整頓が苦手で、本とか台本とか資料の雑誌とか、そういうものが場所を定めず適当に置かれる晶の部屋に、紙でできた安っぽいアルバムが増える、その意味。
 夢大路文は世話好きなのだ。頼まれなくても放っておけないくらいには。
「あ、これはね、私がシークフェルトの寮に入るから置いてけぼりにされたくなくて泣いてるところ」
「ふっ、この頃から寂しがり屋だな、栞は」
「なんか含みのある言い方だけど聞かないことにしておくわね」
「これは?」
「家族旅行の時。部屋がスイートで広くてね。みんなで一緒に寝たの。楽しかったな」
「旅行か。……ふむ」
「ねえお願いだからもう少し気を使って? お姉ちゃんの前で『今度栞を旅行に誘おうかな』みたいな顔しないで?」
「ミチルとメイファンとやちよが一緒では?」
「そこで私を呼ぼうとしないところがほんと晶よね」
 なんだかんだ、仲の良いふたりだった。

 エリュシオンの映像が入ったディスクは、使い方が分からず放置されているプレーヤーの隣で埃を被っていた。文が配線と初期設定を文句を言いつつ済ませて電源を入れる。テレビの前に並んだふたりが見守る中、やや荒い映像が画面に映し出される。
 ぼんやりと映像を眺めながら、文は紅茶を口にした。
……あの頃は、本当にこれが世界で一番大切だったのよ」
「私もだ。あの学院の生徒全員がそうだろう」
「──栞、すごいわね。この頃はまだ中等部だったのに」
「ああ」
 晶が横目で文を盗み見る。泣くかな、と思ったけれど、彼女の瞳に涙の気配は生まれなかった。
「栞が羨ましかった」
 ポツリと、夢大路文は言う。たぶん最もそれを伝えるのに相応しくない相手とふたりきりなのに、それを、言う。
「ふわふわの髪と、可愛い顔と、華奢だけど体幹が強い身体と、演技の勘の良さと、なにより役者としての才能。あの子のぜーんぶ羨ましかったの」
「そうか」
「私があの子だったら、きっとあなたにだって負けなかった」
 悔しそうに眉を寄せて不機嫌な文の隣で、晶はふんぞり返りながら腕を組む。
「そんなわけがあるか。私が負けるわけないだろう」
……もおおぉぉぉ、なんで晶ってそうなの?」
 倦み疲れたように天を仰ぐ文。ちょっとくらい慰めてくれてもいいじゃない、と涙を流さないまま泣き言を吐く文に晶が愉快そうに笑う。
「私はお前のプライドの高さが好きだからなあ」
……凛明館の子たちって優しかったな」
「プライドを捨てられなくて舞台に戻ってきたのだろう。それはお前の強さだ、誇っていい」
 プライドのために舞台を去って、プライドのために戻ってきて、守るものを見つけた夢大路文は、強い。
 雪代晶は王様なので強者が好きなのだ。
「舞台にいろ、夢大路文。お前は舞台少女だよ」
「晶に言われなくてもいるわよ。仲間のためにね」
 おや、と晶が小さく笑う。
 文も言ってやったという顔で誇らしげに笑った。