「ん~っ! 疲れてきたなぁ」
目の前にある書類の処理が終わり、押印する。
斜め前には、処理が終わった書類の束と、その向かい側には未処理の書類の束
……まだ未処理の方が高い。
朝から書類と格闘しているのだが、薄っぺらい用紙のせいか、いくら完了させても束が崩れてくれない。
執務室には、時計がチクタクと秒針が進む音だけが聞こえていた。
そういえば、いつもそばにいる近侍がいつの間にか部屋からいなくなっていた。
出陣させていたか?と今日の出陣リストを端末で見ても、一覧にはいない。
本丸の仕事にも近侍以外には割り振っていないはずだ。
彼は、真面目でサボろうとするような刀剣男士ではない。
だからこそ、仕事時間中に席を外すのは大変珍しい。
「いけないいけない。ゆっくりしてる場合じゃないや」
「
――主、少し休憩を入れよう」
「長義君」
襖の音がすると同時に、聞き慣れた澄んだ男性の声に視線を向けた。
――山姥切長義。今日の近侍を任せている刀剣男士だ。
それでいて、私の
――とても気になっている人でもある。
彼は、二人分の茶菓子を乗せたお盆を持っている。
美味しそうな匂いが漂う。どうやら、厨に席を外していたようだ。
「急にいなくなるからびっくりしたよ」
「一応、声をかけてはいたんだけどね。主は集中して気づいてなかったんだろう」
「ご、ごめん
……」
仕事
……じゃなくても、集中していると周りのことや自分のことを無視して熱中してしまう癖がある。
それを本丸にやってきてからの彼は、そんな私の癖を知らず頻繁に指摘してくれていた。
だが、我慢の限界が来たのか彼が折れた。それ以来指摘してくることはなくなった。
「とはいえ、休憩は必要だ。燭台切光忠から今日のお八つだと渡されたものだよ。なんだったかな、『ドーナツ』とかいうお菓子だそうだ」
「まさしく、ドーナツです」
ほどよい甘い匂い。今すぐにでも食べたいと思うくらい美味しそうだ。種類も豊富のようだ。
プレーンのものから、チョコレート味、ツイスト状のものなど、現代では普通に見かけるドーナツたちだ。
まるで、某ドーナツ専門店でお持ち帰りしてきたような感じだ。
「政府機関にいた頃は食べたことなかったの?」
「基本、刀剣男士に食事は不要だからね。食べている職員は何人か見たことがあるが
……そういえば、女性職員が売店で食べているのを見たことがあるな」
俺は甘い物はあまり好きではないが、評判はいいらしい、と政府内にある売店のことを話しつつ、お盆から机の上に二人分置いてくれる。
さすが長く近侍をやっているだけある。
「私は、ドーナツは嫌いじゃないけど最近食べてないな。5、6年は食べてないかも?」
「甘い物をよく食べるのに、ドーナツはそんなに食べないんだね」
「学生の頃はよく食べてたと思うんだけど
……食べる機会がなくなると、自然とドーナツを食べなくなったんだよね。食べられないことはないんだけど」
大人になってから、成長したのか所謂いわゆるファーストフード店に食べに行く行為がなくなった。
どちらかというと、自炊の方が安上がりだったし、審神者になる前はサラリーウーマンだった。
働いてばかりで休日は一日中寝ていたり、な毎日だったので、外食とか買い物に甘味ものを購入するという行為が自然と消えてしまった。
審神者になって本丸が与えられ、刀剣男士たちが増えていくと次第に料理が上手な刀剣男士もやってきた。
彼らが作ってくれる甘味で最近食べるようになったくらいだ。
普段は和菓子が多いのだが、今回は珍しく洋菓子だ。
レパートリーを増やしたくて挑戦したのかもしれない。
「いただきます」
手を合わせてお八つの時間兼休憩時間が始まった。
最初に手を取ったのはチョコレート味のドーナツだ。
学生の頃、特に好きだった。
ああ、こんな味だったなぁ
――というか、燭台切の作ったドーナツって某ドーナツ店よりもおいしすぎない!?
いったい何者なんだ
……人間だったなら絶対料理人やパティシエなどになってだろうなぁ。
「まぁ、悪くはないね。『ドーナツ』という菓子も」
長義君は興味深そうに口に含んで感想を述べる。
苦手そうな感じもなく、普段の食事と変わらない表情で食べていく。
それとも、燭台切が作ったドーナツだから食べられたのかも?
「政府に顔を出すことがあったら、その購買部(?)でドーナツを食べてみてもいいかもね。私も興味あるなぁ、政府機関の購買」
審神者間で噂で聞いたことがある。
たまに審神者は政府に呼ばれ、定期的な報告だったり、任務の説明会だったりで、機関に足を運ぶことがある。
とある同期の審神者が購買を利用したことがあったらしい。
評判は大好評だったそうな。
癖になりそうなくらい美味しくて、現代の飲食店じゃ満足できないくらいだ、とのことだ。
「政府の購買と、外の飲食店とそう変わらないと思うけど?」
「そうなの?」
「ああ。強いていうなら、政府が運営しているから、飲食店と違って少し安いくらいかな」
「ああ、大学とかの学食もそんな感じだもんね」
といっても、大学に進学した兄から聞いたことがある。
私は勉強は嫌いだったし、専門職の道に行きたかったから。(まぁ最終的には専門職の道も辞めちゃったのだけど)
兄曰く「コンビニやスーパーで買うより学食の方が得だ」と言っていた。(しかも手作りで、できたてだからお得だとか)
ドーナツ二個目を口に運ぶ。こっちはチュロだ。
じつはドーナツのなかでチュロが好きだったりする。
ああ、懐かしい味だなぁ。甘くて美味しい。
「ふふ。美味しい
……」
「本当に美味しそうに食べるね、主は」
「ドーナツの中でもこれが好きだからね。これだけは譲れない」
「へぇ
……そんなに美味しいのか」
そう言って手に持っているチュロに視線を向けている。食べてみたいんだろうか。
しかし、もうドーナツは残っていない。
一人二個ずつで、チュロは一つのみ。
最初にどれがいいか尋ねたけど、彼は「どれでもいいよ。主が好きなものを選んで」と言われたので、チョコレート味のドーナツとチュロを取ったのだ。
「これが食べたいなら、今度買って帰ろうか?そういえば近いうちに政府の所に行かなきゃいけないから」
端末を操作してスケジュールを確認する。ちょうど一週間後だ。
この書類の束を提出しないといけないのだが、その帰りに寄り道する時間はありそうだ。
この時、誰か最低一振、護衛として刀剣男士をつけないといけない。
しかし、誰を護衛に連れて行くかを考えていた。
「そうだね
……そこまで主が好むドーナツなら、一度は食してみようかな。今度の政府への訪問は誰を連れて行くかもう決めたのかな?」
「それがまだなんだよね。まぁ、書類を提出して終わりだから私一人でもいいんだけど」
「それだと、
刀剣男士に通達が来てしまうだろう
……なら、主がよければ俺が付き添おうか」
ついでに、政府の購買も案内できるし、ドーナツも売っているからそこで食べれば効率よく事が終われる。
「うーん、いつも近侍で手伝ってもらってるから、この時くらい休ませようと思ってたんだけど」
「別に俺は、嫌々で近侍を務めているわけではないよ。まぁ、少し無我夢中で周囲を見失う癖には呆れてしまうが」
「うっ、すいません
……」
いつも迷惑ばかりかけているので、外出時とかは別の刀剣男士にお願いしたりしている。
でも珍しく長義君から願い出るとは思わなかった。少し嬉しいな。
「じゃ、じゃあ今度の政府機関への護衛、よろしくお願いします」
「任せておけ
……そうだ、報酬は用意しておいてくれるかな?」
「えっ?」
普段、欲しいものなど言わない彼なので、報酬が欲しいという彼の発言に驚いてしまった。
彼が満足できるような報酬なんてあるだろうか。
(高い物とかじゃありませんように)
そう心の中で唱えていると、彼は小さく笑う。
「そんなに強張らなくても。政府へ書類の提出が終わった後の時間を俺のために割いてほしいかな。ドーナツを食べに行くのもそうだし、まぁ
……ブラブラと歩くのも悪くないね」
「へ?」
「主と二人で出かけたい。それが俺が求める報酬だ」
そう言って、最後のドーナツを食すと珍しくコーヒーを一口飲む。
政府機関にいた彼は人間とより近く生活をしていたのだから、洋菓子にはコーヒーや紅茶があうことくらいは知っているのかもしれない。
「そ、そういうことでいいなら
……はい」
高い物でも要求されるんだろうなと思っていたので、びっくりした。
正直そんなに大金を持っていないのでほっとした。
それに、一生ないだろうなと諦めていた、彼と出かけること
――。
これを世間でいう『デート』というやつでは!?
いや、付き合ってるわけでもないし
……でもでも、嬉しいかも。
ドーナツを通じて、約束ができるなんて思ってもなかった。
私はにやけてしまいそうな表情を必死に隠し、最後の一口のチュロを食べた。
口の中に広がるシュガーの味が、今のこの空間の甘さを表しているように思えた。
「ドーナツのような甘い一休み」 完
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