原題が『頼むから静かに死んでくれ』らしいんですが、なるほどというのがわかる。
でも誰も静かにさせてない。
生者が死者を語らせる。
たまたまあったイスマイルの死体は、勝手に誰かに重ねられ、勝手に何かを見出され、勝手に埋葬場所を決められ、勝手に何かを託される。
すべての父で、すべての亡霊で、すべての誰かの依代だった。
そしてイスマイルの台詞は最初から最後まで『手紙以上の事は何も教えられない』ものだった。
だからあの言葉達はすべて誰かが勝手に妄想した言葉。
あの人ならこう言うだろう、自分は世間にこう言われるだろう、自分は自分に言い聞かせなければならない、自分はこう他人に言われたい、誰かに言葉を投げかけられたい。
だから夢や妄想と死者が『何も変わらない』同一のものだというような台詞があったんだろう。
イスマイルの言動はすべて誰かの心の発露で、想像だったから。
目を背けたくなるような死も、当然であるべきなのにおおきな奇跡に感じられてしまう事実も。
既に彼岸へ旅立った人に連れ去って導いてほしいという願望を祈りという言葉で飾って、忘れる事と忘れられない事と覚えていたい事といつまでも覚えていられない事を宛て処のない手紙に託すみたいに抱えて。
岸を目指して前を向いて歩いていくのかな。
2018/03/20追記。
岸リトラルの公演が終わって今更ようやく理解できたことが一つ。
あれはミスチルの『タガタメ』って曲と同じだ。
【
http://j-lyric.net/artist/a001c7a/l0025d7.html】
視点や主題が動きすぎるから拒絶反応を起こすんだ
……(個人的な感覚の話です)。
「父親を埋葬して自分の子供時代に終わりを告げる青年の話」レベルの自分の内側の話だけに留めときゃ分かりやすくて良かったのに「戦争による第二世代(若者)への影響という俯瞰の視点の話」を同時進行で絡めるから、なんか分からなくなるっていうか
……。
まぁ、リトラルは広義のエディプス・コンプレックスの話なので、乗り越えないと行けないから父を殺し母と交わるの逆をするために「ギロムラン(自分を都合よく肯定するもの)を殺し、イスマイルの人生と交わる(自分の死角や背後で起こっていた真実と向き合う)」をしなくてはいけないんだけど
……。
岸リトラルという物語単体であれば別に戦争というテーマは省いちゃっても成立するんだろうな、と。
戦争を絡めなければいけない理由としては、炎アンサンディと連作であるという理由もあるのか。
アンサンディは見てないから、やっぱり不完全燃焼だなぁ。
もっとなにか感慨のようなものを得たかった。惜しい事をした。