ダベミ
2019-04-15 00:50:34
11968文字
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ちょろっと悪魔な小生意気【松:水陸(?】

R18要素ゼロなので一般公開しておきます。チョロ松がかわいそうな話。

怒号。鳴り響くサイレン、床にべちょりと吐き捨てられた血反吐。

「がは……

「っだこらぁぁ!!まだ終わってねぇぞおらあああ!!」

「べふぅっ!ちょ、やめ……ぎいやあああ?!」

衝撃と、思いっきり殴られるブラザーの腹、断末魔。そして、それをただ見つめることしかできないオレ。何て無力なんだろうと打ちひしがれる。止めに入れば、オレがミンチになることは請け合いだ。それはいくらかわいい弟からの願いとて御免被りたい。
おお、ジーザス。どうしてこうなったんだ?ええと、確か。脳内を何とか揺さぶって、この記憶を何とか掘り返してみる。現実逃避なんて言っちゃあダメだ、ノンノンだ。今から始まるのは、とんでもない仕打ちを今まさに味わっている、それもかなりとばっちりをうけている、そんなチョロ松の悲しい物語である。

さて、どこから話そうか。ああ、そうだ。

ある日、ブラザーがおかしくなった。

……何ですか?私、何かおかしいことをしましたか?」

「いや誰だ」

「はい?」

「お前は誰だ、と聞いているんだ。ブラザーの顔をした別人よ」

家に帰ってきたら、出かけたはずのチョロ松がおかしくなっていた。いいや、違う。罰ゲームで茶髪に染めさせられた時の比などではない。髪の毛をアシンメトリーにして左側だけを異様に伸ばしているし、絶対に開けたこともないピアスをじゃんじゃん開けているし、何か服も見たこと無いような黒のローブみたいなのだし、しかも玄関に見たことのないスクーターを停めている!なになんなの!オレだって可能なことなら、今すぐ暴れ回りたいほどの衝撃を受けている。それでも何とかここに立っていられるのは、他に誰もいないからだ。オレが逃げたら、この家がどうなるか分からない。次男の唯一の防衛本能的なものが働いているのだ。
チョロ松はオレに質問されてから、なにやらこの世のものとは思えないものを見るような、不思議そうな顔でこちらを見ている。……ええ……?オレがなにをしたというのだ神よ!
あまりにも怪しいので、居間でふたりきりで会話中。なのだが。なかなか追求が難しい。一体なんと聞けばいいのか、対処法が全く思いつかない。そうして沈黙を続けていると、それは訪れた。

「ああ、そういうコトですか。見えているようですね、真の姿が」

数分して、謎の結論を出したチョロ松(?)が、手をぽんと叩いて何事か納得したように言った。どうしたブラザー、思春期か?

「ウェイト、だ。待て待てチョロまぁつ?基本的にはしっかり者のお前が、変なことを言い出したら止められる人間がいない」

「そのちょろ……?何とかさん何ですけど」

声色が変わるのを確かに感じた。なんだ、この違和感は?

……チョロ松?」

「今は眠っていただいています。少しその、私の現界に依り代が必要でしたので」

……は?」

「一応いろいろ仕込んだので、普通の人間には見破られないはずなのですが」

……

「申し遅れました。私はベルフェゴール。いわゆる、悪魔。です」

……

あまりの事態に、オレは目の前がブルー、そしてホワイトアウトするのをひしひし感じた。なに?あくま?よりしろ?パードゥン?……ああ、済まない弟よ。兄はこの意味不明の状況について行くことが出来ないぜ。お前達も突然、オレが「サマー!」と言い出したら恐怖するだろう?ンー……え?それはもう見た?

「すみません。行けそうなところが、彼の実家のここしか……ああ、彼というのはこの肉体を貸してくださっている、ええと、貴方の弟さんのことなんですけれど、とにかく分かるところがここしかなく、やむなくこちらに伺った次第です。本来なら先に、悪魔界から人間界へのパスを通しておくべきだったんですが、私としたことが怠ってしまいました」

…………

「すみません、本当に。巻き込むつもりは無かったのです。しかし、私も魔力の不足で消滅しかかってつい焦ってしまい……波長も良く合ったので、好都合でした」

ついでに、やや早口めにつらつらと喋った。顔も声もいつも通りの弟なのに、中身が違うと言われてもあんまり納得はできない。なんでも、本当ならばそのあたりは自分の魔術で元通りに感じるようごまかせるらしいのだが、どう言うわけかオレにだけは効いていないそうである。なぜだ。審美眼を持つオレならではの事態というわけだろうか、それならば仕方がないと諦めも付こうもので。……いや、諦めてはダメなのだった。とにかくこの場を何とかしなければ、あわよくば弟を取り戻さなければ。

「細かいことはもういい、言われてもオレの理解を超えている。それはともかくだ」

問題は、彼がなにをしたいのか。そして、どうやったら弟を取り戻せるのか。それを聞きたいがため、口を開こうとすると、向こうから声がした。

「私の目的、ですか」

「分かっているなら話してくれ」

「はい。人間社会の観察、ならびに婚姻届を燃やすことです」

「はあ?!」

結論がデカすぎる。と言うか意味が分からなさすぎる。何てことに巻き込まれたのだろう、オレ達は。愕然とするオレをよそに、こいつは話し始めた。

「人間社会をのぞき見ることそのものは、いわゆる魔界でも可能です。ですが、私は『怠惰』と『色欲』の悪魔。私が見た、或いは魔力をこぼした女性はすべからく欲情に身を委ね、身を焦がすほどの色欲で、貪ってしまう」

「それとこれとに、何の関係が……

「ですから、知りたいのです、この目で、はっきりと。本当に幸福な家庭とは存在するのか?幸福な結婚とは成立しうるのかを」

そうしてきりりと言い放ってくる。

「男性体であれば、女性不信の私が万一暴走したとて欲情することもない。それに、私が他人にかける欲情の効果は女性に対してのもの、ここならばそう簡単に使うことはない。パスを改めて通すような余力は今私にもありませんし、仮に悪魔界に帰るとしてもある程度回復の必要もあります。そういう訳なので、私の疑問が解決するまでは、こちらでお世話になろうと思います」

再びやや早口で言い切られた。いやです、と言うものなら一体どうされてしまうのだろうか?考えるだけ恐ろしい。悪魔はオレを見て、にやりと笑みを浮かべながら、よろしくお願いしますを呪詛のようにその場に残した。

…………

「私の欲が満たされれば、弟さんはお返ししますよ。勿論、無傷で」

「え、あ、ああ……

もう何にも言い返せない。
その日の夜、家族全員集合しても、彼の異変に気付くものはいない。本当に魔術で誤魔化せているのだろう。誰も、ちょっとグレたようにも見えるブラザーのチェンジ具合に突っ込むことはなかった。や、だ、誰か突っ込んでくれ。オレ一人で背負うにはあまりにも大き過ぎやしないだろうか。

「寝る前にちょっと動画見よーぜ!」

「いいねえ!こないだのYouTuber、新作動画上げてたよ」

「何ソレ見せろトド松!」

楽しそうな空間。

……ぐー」

「十四松、寝るの早すぎ」

「確かに」

「うわっ、寝言で返事するなよ……

いつもの光景。
そんな中、弟の姿をした悪魔は、なにやら不思議そうに本を持っている。その本はなるほど、普段チョロ松が読んでいるライトノベルか。これを読んでいるのが普通だと本人も理解はしているものの、表紙の時点で引いているようである。まあ、とんでもない巨乳の女の子が表紙に描かれた本だからな。女性不信には余りにつらい状況だと察し、助け船を出すつもりでつい声をかけてしまう。

……

「ンー?眠れないのかブラザー、子守歌でも歌ってやろうか?」

「必要ない」

普通に断られた。中身が違うとか関係なく断られた。

「あれ、昨日ソレ読んでなかったっけ」

物珍しそうな視線を送る悪魔に対し、さすがに何か思うところ合ったのだろうか、不意に一松が口を開いてそう問いかける。

「あれ、そうだったっけ?なんだか毎日本を読んでるから、どれ読んだのか分かんなくなっちゃったよ」

「似たような表紙、たくさんあるからね……

「そうそう。たまには違う感じの本を手に取りたいんだけど、つい買っちゃうんだよなあ」

「行く本屋が悪いんじゃないの。アニ○イトとかばっかり行ってるし」

「馬鹿、ア○メイトはいいとこだぞ?今クールアニメのグッズとかも最速で並ぶし……

本来ならこんな感じの会話をしているように聞こえるらしい。オレからは口調が乱れたようにしか聞こえなかったのだが。

……そう言えば、彼もアニメ○トをオススメしていましたね。一度行かなければいけないようです……そこに幸福な家庭があるのでしょうか」

いや、悪魔がアニメ○トに何しにいくつもりだパードゥン?お前が勘違いをしている恐れもあるので教えてやりたい気持ちに駆られる。そもそもそこに家庭がアイテムとして置かれているわけではないぞ。とてつもなくちゃんと線引き出来ている淑女が集まる場所に違いないのだから……おお、それならばいっそそこで幸せな家庭とやらを持っている女性を見つけてこいベルフェゴール、おーけー?これで一瞬で解決するではないか。
などと思いながらも、しかし眠気に勝つことはどうしても出来なくて、確か今日も16時まで寝ていたはずなのに瞼が落ちてくる。お休みベルフェゴール。

で。

「おはようございます、お兄さん」

「その顔で他人行儀にされると、気持ち悪くなるのだが」

「ああ、済みません。ええと……カラ。そう、カラ、でしたね」

……

翌日、悪魔は誰もいない自室にて、まだ寝ていたオレを見下ろしていた。普段ならばここで「グッモーニン。そうだ、最高にクールなお前のブラザー、カラ松様だ」と言って上げるところなのだが、相手が相手なのでそんなボケをかましている場合でもない。

「おはようございます、カラ」

……ああ、おはよう」

引くほど普通だ。

「なんです、そんなドラゴンが鉄杭打たれたような顔をして」

「どんな顔だ」

「それはともかくカラ、外に出たいのです。私は下界を知りませんから、案内してください」

……ええー……
当然オレに拒否権があるはずもなく、それから30分後には残念ながら悪魔のスクーターに二人乗りだ。冷めた目をした悪魔が街をあちこち見回している後方、オレはまたがるように背中にしがみついてひたすら心を無にしていた。いつもと変わらない平和な我が町だが、悪魔がいるだけで緊迫感は全く違う。それを知っているのがオレだけとは、なんともはや恐ろしい。

「ふ、そうだ。そこが普段、オレ達のいる」

「釣り堀、ですか。魚は釣れますか?」

「ンー?ああ、勿論。お前も魚に興味があるのか」

「ええ、魚は好きです。可愛らしいし、武器になる」

……へえ」

なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする。魚が武器とは。なので、つい薄いリアクションをしてしまった。違うんだブラザー、興味がないわけじゃない。ちょっと、ただちょっと、ぜんぜん想像がつかなかっただけで!
特にそこに突っ込まれることはなく、悪魔はさらにスクーターを走らせていた。何だ、少しだけほっとする自分がいる。何かあればすぐに息の根を止められる等でなくて良かった。

「あれは?」

「ああ、普段からオレ達が集まる公園だな」

「なるほど。ここなら魔法陣を描くスペースも十分か……召喚術も簡単に実行できそうだ」

……あー、それから、夜になると近くにおでんの屋台が来てな。そのおでんがまあ旨いの何のって」

「おでん?」

突然スクーターが止まり、きょとんとした黒目が振り返ってオレを見つめる。いつもとはまた違う漆黒が、一心にオレを観察している。……そうか、理解が及ばなかったのか。それから根ほり葉ほり聞かれたため、オレは懇切丁寧におでんについて説明した。無いなりに頭を捻って必死に、それはそれは必死に説明したのだ。なぜって、ここで何かあろうものならば、オレは命を落とすだろう。それはゴメンだったからだ。

「なるほど。興味深い食べ物ですね。いつか食べてみたいなあ」

しばらくして悪魔がそう言った。ここは危険を回避できたようで、ふうと浅い息を吐く。こいつに機嫌を損ねられたらどうなるのだろうか。恐怖するオレの妄想が具現化したのは、その少し後であった。

……ほう」

街の中心部、そしていつしか駅前を走るスクーター。やや低速で街の景色は流れていく。当然といえるが、そこには女性が多い。誰もが幸福そうに見える。

……

なんなら普段よりもいちゃついているカップルや、のんびりとショッピングしている夫婦、犬を散歩しているご婦人とそれを見守る旦那様、その他諸々が増えているような……とそこまで考えて思い出した。ああ、今日は日曜日か。道理で、オレと同じくらいの時間まで寝ているであろうおそ松が朝から出かけているはずだ。

……あー、チョロま……

ブラザー、いや本当はブラザーでもないけれど、かと言って家の外で「ベルフェゴール」と呼ぶわけにも行かないしで、悩んだ果てにその名を呼ぼうとした時。

「くくっ」

……ん?」

突然止まったスクーター。そして、彼は気味悪い笑みを浮かべた。
両手から力が抜け、いつの間にかしがみついていた手を離していた。瞬間、じとり、革ジャンが肌に吸い付いてくるような湿気を全身に纏った……突然だったが、体が本能に従いこの力を拒絶しているような感覚だ。例えるなら世界の終わりのような笑顔。その辺を飛んでいた鳩が、何かに当てられたようにびくんと震え、それから地面に墜落する。何だってんだ?

「これが幸福だと、これが人間世界の幸福な婚姻関係だと言うのか?馬鹿馬鹿しい」

びきっ、という何かがひび割れたような音に驚いて視線を少し上にズラせば、見覚えしかない頭に見覚えのない捻れた角が一対生えているのが目に留まる。いつの間に、背には小さいが確かに見えるコウモリのような羽根もあり、座席の下あたりからはにょろりと細く鋭い尻尾が突きだしている、あ、悪魔だ。喉がすっかり萎縮して、オレは既に声の出せない状態だった。しっかりと目に映るそれは、間違いなく悪魔の姿だった。

「それならば人間、これを耐えるが良い!その上で、幸福を俺に見せて見ろ!」

言い放った悪魔の目は妙な光を放ち、周囲を歩いていた女性達を照らす。程なくして数名が苦しんだようにうめいたり、その場にしゃがみ込んだりし始めた。何だ、何が起きた、と質問するよりも早く、眼前ではそれが始まっている。

「はぁ……はぁ……ねえ、たく君、あたし……体が火照って……!」

「おいばか、こんなところで脱ぐな!」

「ねえ、私のことを誰か襲ってーっ!ほら、いつでも来なさいよ!」

「おほ、おほほほ、おじいさんのでは満足出来ないわぁ」

「ひいいっ、助け……ああーっ!」

「どうしよう……したい、したくてたまんない……いつもは我慢してるのに、おっ、おおっ……!」

悪夢?地獄?そのテの作品が好きな人ならば一瞬くらいは喜べるだろうが、永遠にも続きそうな恐ろしい発情の宴が突然開幕した。相変わらず言葉が出てこない。脳が思考を拒否したくなるような恐ろしい環境を作り出してしまった。怠惰と色欲の悪魔、ベルフェゴール───その力は本物だった、というわけだ。おお、ジーザス。ブッダは寝ているのか?!この状況、一体どうしろと言うんだ?!

「ははは、やはりこの程度か。発情し、手当たり次第に貪るだけ……やれやれ。これが幸福なはずがない」

「あ、ああ……

「ああ、貴方もこの彼も、童貞、でしたね?ちょっと刺激が強すぎましたか?」

強いなんてものじゃない。トラウマになったらどうしてくれるのだろう、とすら思えてしまう。少なくとも、しばらくの間はこういうシチュエーションの作品を視聴することはないだろうなとうすぼんやりそう考えていた。別なことに思考して逃げたい。しかしそうも出来ないのは、再びスクーターのエンジンがかかったからだった。

「行きますよ、カラ。ここに本物の幸福な婚姻関係は存在しないようですから」

……はい」

もはや子猫のように小さく震えるしかないオレは、小さくうなずいてからその背に再びしがみつく。いつの間にか、冷めた視線はそのまま、角も羽根も尻尾も消えて無くなっている。あまり外に出せるようなものではないのだろう、力を操作する時にはあの姿になる必要があるのだろう、色々な憶測を積み重ねる作業を続けた。そうしなければ、何だかこの場で意識だけが沈んでいきそうだったからだ。
やがてオレの道案内で、街の中に入っていく。先程までの地獄とは似ても似つかぬ喧噪、人が生きているにぎわいがそこには広がっている。昭和の雰囲気を残したままの、人情味がうっすら浮かぶ人間の営み───ここになら、一つくらいは彼の気に入る縁が転がっていそうな気もするのだが、さてどうだろうか?ちらりと視線を送った時には、何に反応しているとも思えない薄い表情を浮かべていた。

「あれ?カラ松君と、チョロ松君?どうしたの、そんなものに乗っちゃって」

悪魔が驚いた様子で慌てて手を操作した。そこまで速度の乗っていなかったスクーターは、見知った人物に声をかけられて不意に停止する。会いたかったが、何も今じゃなくても。オレの心境を今すぐにでも語りたいくらいだった。そう、出会ってしまった。この最悪のタイミングで、我らがヒロインである、トト子ちゃんが……見慣れない乗り物に驚いている彼女がそこにいた。

「とっ、トト子ちゃん?!」

思わず声がうわずる。一方で悪魔も、その人物が顔見知りであることを知識として理解しているようだ。ぴくんと一瞬背中が跳ねたが、それでも平静を装って声を上げる。

「ああ、トト子ちゃん。今日もやっぱり可愛いね」

そう言う悪魔の顔色が完全に土気色だ。……無理もない、彼は極度の女性不信だ。そう言う意味ではもっともチョロ松とは相性が悪いとも思えるのだが。それに、相手はあのトト子ちゃんだ。少しでもオレ達に異変があれば気が付いてしまう。なぜなら、この世界の絶対的ヒロインで、オレ達の幼なじみで、なによりも彼女が弱井トト子だからだ。

……うん、そんな当たり前のこと、言わなくても知ってる!」

「あはは、でも改めて言葉にしたくなったんだ。トト子ちゃんは可愛いなって」

「そっかぁ!」

あはははは、朗らかに笑うトト子ちゃんの顔がチョロ松に近づき、

「ねえ、チョロ松君?」

数秒して豹変する。

「今日、何かおかしくない?」

「?!」

悪魔なのだ、こいつは、今。言えたならどれだけ楽か。しかし、言えない。言ってしまえば、チョロ松に明日はない。というわけでオレはたっぷり汗を流しながら、詰め寄ってくるトト子ちゃんを見ている。当然だが、助け船も出せない。悪魔が視線で「何とかしろ」と言っているような気もするが、これも当然無視する。
そして悪魔は増援が見込めないことに落胆していたが、距離の近さに思わず息が止まりそうなほど顔を曇らせ、じっと見つめられて目を泳がせていた。お前、隠し事とか苦手だろ、絶対に。

……なーんか怪しいなあ」

「うっ、な、何が……

「何て言うか、チョロ松君らしくないよ。どうしたの?いつもの雰囲気でもないし」

「いいや、それはその」

「それに、なに?この乗り物。スクーター?免許、持ってたっけ?」

いよいよ、その体が触れてしまいそうな距離感。さあ、どうする?緊張と興奮で生唾を飲み込むオレの前で、ついに悪魔は誤魔化すことを諦めたのか、真の姿をその場に解放し始めた。めきめきと体が軋む音がその場に小さく響く。周りの空気が濁り始め、その辺を歩いている街の人達が次第に恐れてこの場を離れていく。

「貴方のような勘の良い方は苦手です」

「なに、これ?」

「なぜ分かったのか、理解が出来ませんが───」

「うそ……チョロ松君?」

「私を疑ったのが運の尽き。お前には」

「え?」

ここで死んでもらう。そういうつもりだったのだろう。
だが、彼はトト子ちゃんを知らないからそんなことをしたのだ。オレ達ブラザーがトト子ちゃんにそんなこと言ってみろ、どうなるか体で知ることになる。
なぜなら、既にトト子ちゃんはめちゃくちゃに怒っていたからだ。普段は自分にへこへこし、買い物の手伝いをさせ、いくらでも可愛いとほめそやし、人生の全てを捧げても良いととさえ思っているはずの六つ子のひとりが、突然叛乱を起こしたかのように自分を「お前」呼ばわりである。そんなの、怒りに触れないはずがない。

「あ“?」

「欲情して、そして死ん───え?」

強烈なボディブロー。
目に見えないのではないかと思われる速度の拳が、迷い無くその腹に叩き込まれる。衝撃でチョロ松の体が吹っ飛んで、その背を捕まえていたオレごと運転席から離脱する。背中が堅いものにぶつかり、ごろごろ、地面を転がって、それで初めて自分が吹っ飛ばされたのだという事実を理解した。で、チョロ松は……いや、あの悪魔は。何とかその場で俯せの体勢になり、ごろっと転がって視線をあちこち向ける。自分よりも遠くに行ったはずだ、後方を見る。やっと見つけた悪魔は腹を押さえた状態で体を起こしていた。何とか受け身をとってそこまでのダメージを受けていないようだったが、明らかに動揺の色が顔に現れていた。

「え、なんで、何でこの人間、なんで」

と言うか言動が既にめちゃくちゃ動揺していた。角も尻尾も全開で、魔力とやらも放出しているようだが、眼前にいる存在が余りにも理解できなかった様子で額に大粒の汗を垂らし、雷に怯える子猫のようにバイブレーションしており、いっそ哀れだ。

「聞き間違いじゃなきゃ、「お前」って言われたと思うんだけど」

だんだん近付いてくる。その影が次第に大きくなる。

「ねえ、チョロ松君。今の、本気で言ったの?」

だんだん語気も荒くなってくる。

「本気だったらちょっと、トト子怒っちゃうんだけどなぁ」

「ば、バカな、何故俺を殴れる!」

恐れをなした悪魔が、その背の羽根を全力で伸ばし、距離を離すために羽ばたこうとした。しかしそれを許すトト子ちゃんではない。怒りのダッシュは、悪魔をも上回ったようだ。その両羽根を両手に掴まれた悪魔が悲鳴を小さく上げている。あの悪魔がだ。

「い、ぎぃっ?!」

「なぁに逃げようとしてんだぁぁぁ!」

背中からびりっ、と言う音が聞こえた気がした。続けて、甲高い悲鳴。羽根の付け根が一部背中から取れて、血のようなものまで流れているではないか。あれでは羽根を使って逃げることも出来ないだろう。観念した悪魔は、その目をギラリと光らせ───

「く……これで、欲情し」

「ちぇりゃぁあああいっ!」

「な、がはあああっ?!」

再びボディブローが悪魔の腹をえぐった。その目の魔力も、一切合切トト子ちゃんには通用していないようだ。怒りが何者をも凌駕しているという事なのだろうか。うわあ、恐ろしいなあ、口から出てくるのは本当にそんな、感情をどっかに置いてきてしまったような棒読み気味の乾いた言葉だった。絶対トト子ちゃんを怒らせるのはやめよう、オレはそう心に誓う。三発目のブローが深く腹を抉った頃、遂にこの痛みに悪魔が耐えかねたのだろうか、チョロ松の体が鋭い光に包まれた。

『ええい、こんなの付き合っていられるか!自壊するよりも早く死んでしまう!』

体から抜け落ちたように、光は宙に浮かんでから人魂のように塊になり、それから一瞬飛び跳ねた後にぴゅううとどこかに飛んでいく。もしや、他のブラザーのところに?しかしそれを今考えるにはあまりにも時間が足りない。それ以上に、トト子ちゃんにはこの光が見えていないらしく、未だ眼前のチョロ松の胸ぐらを掴んでブチ切れているのだ。

「と、トト子ちゃん!もういいんだ、もうそいつは……

やっと喉に生気が戻ってきた。オレも必死に声を出し、トト子ちゃんを一度は止めようとする。が、

「あ“あん?!」

睨まれた。すまない、ブラザー。オレは自分の命が、惜しい。

……あれ……ここは……僕、っていたたたた?!何かすっごいお腹いた……トト子ちゃん?!」

悪魔の支配から逃れたチョロ松が目を覚ました。既に何発も打ち込まれたボディが痛い事に驚いているが、それ以上に眼前の少女の怒りの理由が全く分からずに困惑のままであたふたしている。汗をとばして、この状況を理解しようと努力はしているようだが、これは多分無理だろう。

「なに?そんなんで……私から逃れられると思ってんの?!」

「え、ちょっと待って、僕本当に」

「うるさいんじゃボケぇぇぇ!!」

怒号。鳴り響くサイレン、床にべちょりと吐き捨てられた血反吐。

「がは……

「っだこらぁぁ!!まだ終わってねぇぞおらあああ!!」

「べふぅっ!ちょ、やめ……ぎいやあああ?!」

衝撃と、思いっきり殴られるブラザーの腹、断末魔。そして、それをただ見つめることしかできないオレ。何て無力なんだろうと打ちひしがれる。
ああ、そうだ、そうだった。そう言う話なんだった。これは、なんともはや、とばっちりでチョロ松がこてんぱんにされる話だ。最初こそ、悪魔は格好を付けていたんだろうが、それにしてもたった一人の逆鱗に触れただけでこうである。チョロ松には悪いが、オレがなにもされないだけマシだ。このことはちゃんと心に刻んでおきたいと思う。そして、そこまで考えて、思った。

「ん?ベルフェゴールは結局何をしに来たんだ……?」

悲しいかな、彼の目標はちっとも達成されていない。そしてどこかに消え去った奴が、いつまた現れるとも限らない。今はただ、この嵐のような暴力が過ぎるのを待とう───そうオレが誓い、それから10分ほど経ってから、トト子ちゃんはすっきりした笑顔でオレに向いた。

「あー、すっきりした!……あれ?カラ松君、どうしたの?」

「へ、ぇ?!、あ、いやー……はは、散歩だ散歩」

すっかりオレの存在を忘れていたらしい。オーケー、むしろ好都合だ。いまやぼろ切れのようになり、生きているのも奇跡的なブラザーのところに駆け寄った。

「あー……、帰ろう、ブラザー?」

「帰るの?またねー」

「あ、ああ、またな、トト子ちゃん」

「どうして……どうして……

悲しみのどうしてを聞きながら、オレ達は家に帰ることとなったのだった。
───さて、帰宅してもまだ誰も家にはいなかった。好都合だ。今回の件をチョロ松にフィードバックし、まあ落ち込むな、お前は悪くないとちゃんと説明してやろうと思ったのだ。居間に向かい、すっかり弱ったブラザーをその辺に寝かせてやる。とんだ災難だったな、と話しかけながら。

「ねえ、カラ松兄さん」

「何だ?」

「俺、何かしちゃったのかなぁあ……

その目が泣きそうになっているのが分かる。現時点での彼の視点からは、突然幼なじみにキレられ殴られボコボコにされぼろ切れのような状態にさせられている。過程も理由も分かったものではない。故に、落ち込むのは当たり前だった。オレにもっと力があれば、こんなことにはならなかったのだろうか。ガラスのハートの奥底がちくりと僅かに痛む。

「チョロ松、実は……

言おう。ちゃんと説明しよう。そう思った矢先、それは再びそこに現れた。
先程どこかに行ったはずの光だ。

「あれ?何これ……、何か前にも見たような気がするんだけど」

「ベルフェゴール?」

「なにそれ、悪魔かなんかの名前?」

「ああ、ついさっきまでお前に取り付いていた悪魔だ」

「へー。……ええ?!」

驚愕の顔をしたチョロ松の体に、その光が吸い込まれていく。おい、声をかけるタイミングを失ったオレは、それをただ呆然と眺めていた。数秒して、数回瞬きをしたブラザーは、再びおかしくなっていた。そう、またしても悪魔にその身を奪われたというわけだ。

「危なかった……肉体が崩壊していなくて助かりました」

「ベルフェゴール!お前、何をしにきた!」

オレもつい、声に苛立ちが混じっていた。今やこいつはオレ達とトト子ちゃん、共通の敵である。以前と同じようにチョロ松の体を人質にするつもりなのだろうが、そうあってくれては困る。このままでは平穏無事なニートライフに絶対的な問題が生じると思った。オレの安寧を、オレ達の世界をぶち壊されてはマズい。なによりそうなれば、こいつが見たかったはずの幸福な家庭など観察する以前の話である。

「初めてですよ、この私をコケにした人間は」

「あん?」

「カラ、それからチョロ。私は決めました」

そうしてベルフェゴールは体を起こすと、いわゆる土下座の体勢になってから大声を張り上げてオレ達に懇願してきたのだった。

「あの女に勝てるようになるまで、力を貸してください!!」

「「……えぇー……?」」

ああ、ジーザス。これから先も、しばらくオレ達に安息の日は訪れないらしい。