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ナスカ
2023-12-23 20:44:37
9584文字
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巡礼(初年)
うちのダギリン師弟のクリスマス感が無いクリスマス話です。
ハイリアの地の一年は十二の月から成っているが、それは大きく三つの季節に区分されている。
新年最初の四ヶ月はフロルの季節、その次の四ヶ月はディンの季節、最後の四ヶ月はネールの季節、といったところだ。季節と月に合わせ、更に地方ごとに多くの行事や習慣があるが、最大規模を誇りハイリアの地が一体感に包まれるのが『降臨祭』と呼ばれる行事である。
降臨祭とは、ネールの季節第四の月に二週間かけて行われる、巡礼や儀式の総称である。この世界を創り給うた三女神の名を冠する三つの地方を巡り、十三日目にはハイリア神殿に降臨する女神ハイリアへ手を合わせ祈りを捧げる。最後の日は民同士が巡礼の旅を互いに労い、普段よりも豪華な食事や酒を楽しむのだ。
この時期になると各地の宿屋は大忙しの掻き入れ時。また、長旅に耐えられない小さな子どもがいる家庭は、ハイリアの地全土を描いた大きな紙に自身の代わりとなる人形を置き、旅になぞらえてその場所を一日ごとに変えるのが一般的だ。遠くてハイリア神殿へ参拝に行けない場合は、近くの教会へ礼拝に行き女神ハイリアへ祈りを捧げるが、基本的には一年に一度くらいはと多くの人々がハイリア神殿へ訪れていた。
今年も降臨祭の日が近づき、代理権者ダギアニス卿はひとつの悩みを抱えていた。それは今年の春、弟子に取った少年リンクのことである。自分の役職上、降臨祭の二週間は各地を巡るため非常に体力を消耗する日々になる。まだ齢の低いリンクを同行させることはできない。かと言って屋敷で留守番をさせるのも何かが違う。一番なのは彼をフィローネの実家に帰省させることだろうか。色々と考えてしまう。
ひとまずはリンク本人に意思を聞くべきと判断し、ダギアニス卿は弟子の起床を待つことにした。火掻き棒で暖炉の火加減を程よく調節してから台所へ向かう。水瓶は昨晩女中が井戸から汲んできた水で満たされており、柄杓を用いて数杯ほど湯沸かしに移し入れた。再び自室へ戻り、湯沸かしを吊るして暖炉の中にぶら下げた。その間に茶葉をティーポットに数匙落とし、湯が沸くのを待つ。
リンクが起きるまでに朝の紅茶を淹れておくのは、彼を弟子に取ってからできた習慣である。我が子が世話になっているからと、リンクの両親が定期的に良質な茶葉を送ってくれるのだ。それも毎回様々な種類のものを。ごく普通の紅茶であったり、幾種ものスパイスがブレンドされたスッキリ目が覚めるものだったり、様々なハーブを使用した馨しいものであったり
……
すべてフィローネで栽培された植物を使用している。リンクの両親からすれば、それはダギアニス卿への贈り物だったのかもしれない。だが彼はリンクに故郷を忘れないでいてほしい想いから、毎朝淹れた紅茶を二人で飲むことにしていた。師弟の静かな朝は、この芳醇な香りから始まるのである。
暖炉の火を見つめていると、扉をノックする音が聞こえた。リンクが起きてきたのだ。ダギアニス卿は「どうぞお入りなさい」と穏やかに告げる。大きな扉が開き、春と比べて少しばかり背が伸びたリンクが顔を出した。まだ眠たいのか、目元を手で擦っている。その愛らしい姿に思わず頬が緩む。
「先生、おはようございます」
「おはようございますリンク君。今紅茶を淹れますからね」
湯沸かしの注ぎ口からは、もう耐えられないとばかりに蒸気が吹き出していた。頃合いだろう。暖炉の火から湯沸かしを救出し、沸騰した湯をティーポットに注いでいく。ふんわりとした、しかし気高い薔薇の香りが部屋の中に広がった。ダギアニス卿がポットとカップを載せた盆をローテーブルへ運ぶと、リンクは既にローテーブルとセットになっているソファに座って脚をぶらぶらさせていた。
「今日はローズティーですか?」
「えぇ。少しばかりお待ち下さいね。蒸らしていますから」
ダギアニス卿はリンクの横に座る。リンクは師の身体にギュッと抱きつき、ダギアニス卿はそんな愛らしい弟子の頭をそっと撫ぜた。出会ったばかりの頃は互いに距離感を掴めていなかったが、今では触れ合うのが二人の日常だ。やわらかな朝焼けの陽射しのような金色の髪を指に通しながら、ダギアニス卿は「ところで
……
」と相談事を切り出す。
「そろそろ降臨祭ですね。君はどのように過ごしたいと思っていますか?」
「先生は、お仕事なんですよね?」
リンクの瞳は寂しさを感じながらも、それを隠そうとしていた。師に迷惑をかけたくはないが、置いていかれるのは悲しいのだろう。そんなリンクの表情に、ダギアニス卿の胸はクッと締め付けられた。
「はい、残念ながら君と過ごすことはできないのです。巡礼も儀式も、代理権者として欠かせない職務ですから」
「
……
一緒には、行けないですよね
……
」
リンクが項垂れる。ダギアニス卿は驚きのあまり目を見開いた。帰りたいと言うかと思いきや、まさか付いていきたいと思っていたなんて。
両親と本人に許可を得たものの、半ば拐うように弟子に取ったという自覚はあった。彼の家に押しかけ、この子こそ我が生涯唯一の弟子に相応しいと、ほとんど無茶な形で連れて行ったのである。リンクの夢がハイリアの騎士でなければ、弟子となることに同意しなかっただろう。だがリンクは家や両親、フィローネの友人たちが恋しいとは一切口にしなかった。ダギアニス卿はこれまでそれを我慢だと捉えていた。
「フィローネに帰りたいとは思いませんか? 私はそのつもりだったのですが
……
」
「もちろん、父さんや母さんに会いたいです。でもおれは、先生の弟子になってから先生のことも大好きで
……
先生と離れたくありません」
むぎゅうとリンクがより強く抱きついてくる。寝起きの子どもの体温は温かく、冬の朝に冷やされた大人の体にじんわりと沁み渡った。
その一方で『大好き』という言葉がダギアニス卿の胸の中で反芻する。これまであらゆる人々から感謝や尊敬
……
時に不満や怒りといった感情を向けられてきたが、『大好き』などと言われたことは一度もない。未知の出来事のせいで動揺し、心臓がドクドクと早鐘を打つ。顔が赤くなり、ダギアニス卿は照れ隠しに口元を手で覆った。
「巡礼は過酷な旅路になります。まだ小さな君を連れ回したくないのですよ」
「でも女神様にお祈りするんですよね? ならおれも行きたいです」
ぐりぐりと頭を脇腹に押し付けてくる。これは可愛すぎやしないかと、思わず天井を仰ぎ見た。この挙動はまるで自分を置いて出かける飼い主にひっつく小動物のよう。動物など飼ったことが無いので想像でしかないが、それに匹敵する愛らしさだ。
「
……
わかりました、担当の者に掛け合ってみましょう」
「本当ですか!」
「わざわざ君を落胆させるような事はしませんよ」
「やったぁ! ありがとう先生!」
リンクはソファに座ったままピョンピョンと跳ね回った。そんなに嬉しそうにしてくれるとこちらも嬉しくなる。はしゃぐ弟子を横目で見つつ、そろそろだろうとティーポットを傾けカップに茶を注いだ。カップに満たされていくローズティーは、朝日のような金色をしていた。
❋❋
降臨祭担当者にリンクの件を相談したところ「お弟子さんはよほど閣下のことをお気に召しているようですね」と笑いながらあっさり許可を出してくれた。降臨祭をはじめとする神事を取り仕切るのは主にシーカー族であり、代理権者は彼らの指示に従うのが通例。ほとんど代理権者側から意見するということはなく、珍しいことであった。だが女神のしもべであるシーカー族としては、信仰心厚きハイリアの子がいるのは有り難いことなのだろう。許可が下りたのは、そういった理由もありそうだ。
その事をリンクに伝えると彼は甚く喜び、修行に励みながらも降臨祭が始まる日を指折り数えて待つようになった。
二週間をかけてハイリアの地を巡る旅は、徒歩か馬での移動が一般的である。若き日のダギアニス卿もそうしていた。しかし代理権者に就任してからは、各地方の権力者や視察も兼ねるため、専ら馬車での移動である。公務の合間に荷物を詰め、リンクのそれも確認し、初日の夜明け前に出発する運びとなった。
この日は稀に見る低気温日。息を吐けば真っ白になり、何枚も服を着込まなければ骨まで震えてくる。お寝坊さんなリンクを起こせるように、前の日の晩は同じベッドで眠りについた。既に荷物は馬車に詰め込まれ、あとは代理権者殿のその弟子が乗ればいいだけである。
「リンク君、寒くないですか?」
半分眠った状態のリンクに問いかけると、目をとろんとさせながら首を振る。
「
……
ちょっと、ねむいです
……
」
「馬車に乗ったら眠ってもいいですからね。ラネールの時の神殿までは長くかかりますから」
「はい
……
」
二人は馬車に乗り込み、リンクは座ると同時にクタリと座席に溶けるように寝転がった。ダギアニス卿はそれを予想してか、持ち込んだブランケットをリンクにかけてやった。
「出してください」
御者に声をかけると、パチィンと鞭を打つ音が響いて馬が嘶き馬車は動き出した。まだ日も出ておらず真っ暗な街道を、馬と御者は灯したカンテラを頼りに進んでいく。丸まって眠るリンクを見つめていると、自分までうつらうつらとしてきた。眠気で占められた意識の片隅で、ダギアニス卿は向かう先へと思いを馳せる。
ラネール。かつて自分が育った場所。視察のために度々足を運び、騎士時代も降臨祭の巡礼で一年に一度は必ず訪れていた。だがそれがこんなにも心苦しいのは久方ぶりの二度目である。一度目は使い物にならなくなった片腕と失意を抱え、呆然としながら救いを求めて幼少期の思い出の場所へ向かったのだ。あの時は絶望しかなかった。
今となっては自分の送ってきた人生に満足している。そろそろ人生も折り返し地点。目の前で眠りこけている幼気な少年を立派な騎士に育て上げることが、人生の後半で成すべきことだとダギアニス卿ははっきり理解していた。それなのに何故ラネールへ向かうことに、抵抗感を覚えているのだろう。
わからない、わからない
……
自分でもとても不思議だ。温かいココアを混ぜるように思考を回していると、まぶたが重くなり、弟子と同じように目を閉じた。ここ最近多忙な日々が続き、あまり寝れていなかったからだろうか。時間があるならば眠ってしまえばいいだろうと、ダギアニス卿は意識を手放した。
ゆっさゆっさと身体を揺さぶられる。小さな温かい手のひらが体側に押し付けられ、それが身体を揺すっているのだ。あぁ、まだ寝ていたい
……
起こさないでほしい
……
放っておいてくれないものか。そう思いながら頑なに目をつぶっていると、微かに聞こえてきたのは愛弟子の声。
「先生、先生ってば! 起きてください、先生!」
「ん
……
?」
重々しくまぶたを開くと、そこには昼間の日差しに輝くリンクの瞳がこちらを心配そうに見つめていた。それと同時に腰や首周りが痛むことに気づく。馬車の座席の寝心地などたかが知れたもの。体を痛めたのだろう。
「あぁ、おはようございますリンク君
……
」
上体を起こすと頭が痛い。手で軽く額を押さえ、鈍い痛みをかき消すように首をゆっくり振った。
「先生、ご加減が悪いのですか?」
「リンク君は平気なのですか?」
「おれはなんとも
……
ちょっと腰が痛いですけど」
これが若さかとダギアニス卿は自分の加齢を突きつけられた気になった。だが馬車が止まっているようであるし、堂々巡りよりも動くのが先だろう。
「時の神殿に着いたのですね?」
「そのようです。おれ、ラネールなんて初めて来ましたよ!」
リンクが目をキラキラさせながら馬車の窓から外を見る。フィローネから出たことがないリンクにとって、他の地方に行くなど夢のまた夢だった。それがついに叶ったとなれば身を乗り出したくなる気持ちもわかる。
「さあリンク君、行きましょうか」
「はい!」
馬車が着いていたのは時の神殿の裏口であった。裏口であろうとも神殿の一部。白亜を切り出した美しい建物は、決して派手ではないがその佇まいは女神像に似て優美だ。そこでは時の神殿に従事している神官が快く出迎えてくれ、今日を入れて三日ほど過ごす部屋へ案内してもらう。その間、神官と師で交わされているのは『難しい話』で、リンクは一割も理解できていなかった。ただその表情から察するにかなり深刻な話題らしく、『砂漠』について語っていることを辛うじて聞き取った。
馬車で移動している途中、リンクは目を覚まし窓からラネールの景色を眺めていた。フィローネでは考えられないほどに高い建物が幾つも並び、太陽の光でピカピカと光る様は磨きたてのスプーンのよう。たくさんの人々が行き交い、ロボットたちが働き、リンクにとっては未来を見ている気分だった。しかしその背後から不毛な砂の大地が迫っていることも知る。それに対し、人々は背を向けているように思えた。誰も彼も、砂漠を食い止めようとは思っていないのだ。誰も気にかけぬことに、師は真っ向から挑もうとしている。リンクはそれが誇らしかった。
泊まる部屋に着いたらしく、神官は両の袖口をぴったり合わせてから恭しく深々とお辞儀をした。
「では閣下、これにて失礼致します。御用の際は近くの者に何なりとお申し付けを。儀式の準備までごゆっくりお過ごしください」
「えぇ。ご案内ありがとうございました」
師が会釈をしたのを見て、リンクもしっかり頭を下げる。神官はニコリと微笑んで「閣下をよろしくお願いしますね」と言ってから、来た道を引き返していった。神官の言葉にリンクは首を傾げる。
「
……
なんでおれが先生をよろしくされたんですか?」
「君はしっかりしていると知られているようですね」
「先生の方がしっかりしてますよ」
「君は私を起こしてくれたではありませんか」
師はくすくす笑いながら部屋の扉を開ける。そこはダギアニス邸にてリンクに与えられている部屋と同じくらいの広さ。ベッドはツインで、くつろぐためのソファやローテーブルもあり、それとは別で高さのあるデスクも完備。棚には退屈しのぎに本が何冊か置かれている。既に二人の荷物は到着しており、部屋の真ん中に置かれていた。
神殿に滞在する者のための施設といった様相だが、リンクは『初めての遠出とお泊り』を目の当たりにして目を輝かせた。思わず駆け出し、わぁわぁすごいすごいとあちこちを眺めて回る。ついには窓にまでたどり着き、その盛り上がりは頂点に達した!
「先生すごいです! 窓から景色が見えますよ!」
「おやおや、そんなに楽しいですか?」
「はい!」
どれどれと師がリンクと共に窓から外を覗き込む。そこからは巡礼に来た人々が厳かな面持ちで次から次へと果てしなくやって来る様子が見られた。大荷物を抱えて一人で歩く者もいれば、年老いた夫婦とその子ども夫婦が道中を共にしている。ほぼ二週間歩き通しになるためか、子供連れはあまり見られなかった。
「いろんな人が来てますね」
「皆女神様のご降臨に心から感謝し、足を運ぶのですよ」
「そういえば先生、どうして女神様はこの月にご降臨されるのですか?」
リンクの疑問に師はニコリと笑い、「こちらへ」と軽く背中を押しつつソファへ導いた。リンクを座らせると、二台のベッドの間に設えてある棚から本を一冊取り出す。リンクが手渡されたそれは、彩り豊かな絵本であった。ステンドグラスを思わせる表紙は、ハイリア神殿を背景とした女神ハイリアの御姿と、それを崇め奉り手を合わせる人々の姿が描かれている。
「『めがみさまとこうりんさい』
……
?」
「これに詳しいお話が書いてあるはずです。読んで差し上げましょう」
リンクは師の膝に乗り、絵本を開く。リンクはページをめくる係、師は読み上げる係だ。
リンクは物語を飲み込もうとジッと目を凝らし、師の声をよく聞いた。なるほど女神様がネールの季節第四の月に御降臨されるのは、民たち一年分の苦労を労うためのものだったそう。元々女神様が各地方へ自ら赴いていたが、ある年女神様へ不敬を働いた男がいた。あまりの過ぎたる不敬に男は極刑に処されるところであったが、女神様の御慈悲によりラネール湾からの流刑に留まった。しかし、帰ることは許されなかったという。シーカー族たちはその被害を鑑み、女神様の降臨はハイリア神殿のみということになった。女神様の心の傷に民は寄り添い、これからは自ら各地方へ足を運ぶようになった
……
という。
「みんなの女神様を想う気持ちが、今の降臨祭を作ったのですね」
「そう思ってくれて嬉しいです」
師がよしよしとリンクの頭を撫でた。
「さて、リンク君は時の神殿は初めてでしたね」
「はい」
「それでは
……
ちょっと探検に行きましょうか」
意味ありげに溜めてから、師は愉快なお誘いをしてきた。探検! とても楽しそう!けれど儀式の準備まではここにいるべきではなかろうかとリンクは思う。もしも呼ばれたタイミングで自分たちが不在だったら
……
。案じるリンクに師は無邪気に笑う。
「大丈夫ですよ。私は昔ここで働いていたのです。秘密の抜け道がいくつかあるのも知っています」
『秘密の抜け道』という言葉にリンクの心が傾く。じゃあ少しだけ
……
と言ったリンクの小さな声を師は聞き逃さなかった。
「では参りましょうか。ちゃんとこんなものも用意していたんですよ」
師は荷物から、大きな白いポンチョを取り出した。巡礼者用の装束だ。これで大量の巡礼者に紛れるのだろう。
「リンク君、こういうのはなんて言うんでしたか?」
「『木を隠すなら森の中』です!」
「よくできました」
コソコソしないこと、堂々と、しかし静かに歩くこと。端から見ればリンクも師も、どこからかやって来た巡礼者にしか見えなかった。リンクはチラと師の顔を横目で見上げる。だがフードで覆われた彼の顔はわからない。多くの大人の中から師を判別したのは言うまでもなく『背の高さ』だった。二百センチの背丈は群を抜く。間違えようが無かった。
「リンク君、こっちです」
「あっ、はい!」
師の手招きにその後を追っていく。この数ヶ月で少しは彼の歩幅についていけるようになったはずだ。追いつこうと歩調を早めると、手を掴まれた。それは触れ慣れた、師の手。リンクは驚いて上を見る。
「ここからはもっと密度が高くなります。はぐれないように」
師の言った通り、敷地内でも屋外から屋内へ向かうにつれてどんどん隙間が無くなっていった。大人たちは肩が触れ合い、リンクは整然と歩き続ける彼らの足しか見えない。きっと手を繋いでいなければ、この人混みで迷子になっていただろう。寒かった外とは打って変わって、息苦しいほど温かい。お清めのために焚かれたお香は嗅ぎ慣れない独特の匂いが入り交ざり、リンクは思わず鼻を摘んだ。
やがて少しずつ、歩みが遅くなっていく。更に狭い場所へ入ったのだろう。なかなか前に進まない。巡礼者たちの熱気でリンクは頭がクラクラし始めた。そういえば、今日はまだ何も食べていない。初めて訪れる場所に興奮して空腹を忘れていた。
「リンク君? 大丈夫ですか?」
狭い中で師が振り向く。その安心感からリンクの膝ががっくりと曲がり
……
床につく前にヒョイと抱き上げられていた。そして途中退出口を見つけると人波をかき分け外へ出た。ひんやりとした冬の空気は、暑苦しい屋内にいたおかげで心地よい涼しさ。冷たい空気を吸い込むとフッと目が覚める。
「ごめんなさい、ちょっと暑かったのと、あとお腹がすいちゃったんです」
「たしかに、食事を摂っていませんでしたね。私としたことが気づかずに
……
すみませんでしたリンク君」
何かいただいてきましょう、とリンクを抱えたまま師は歩きだす。少し恥ずかしかったのか、リンクはバタバタと足を振って「降ろしてください先生!」と一言。そんな抵抗は可愛らしいものだと、師はニコニコしながら引き続きリンクを運んでいく。
「閣下! そちらにいらっしゃいましたか!」
師の敬称を叫びながら数人の神官が大慌てで駆けつけてきた。降臨祭の担当を任されている者だろう。ゼーゼーと息を切らして、あちこち走り回って自分たちを探していたに違いない。
「急いでお戻りください!」
「おや、もう時間ですか?」
「ギリギリです!」
「これは参りましたね」
師は苦笑いする。だがリンクを降ろす気配は無い。
「ではすぐにでも戻りましょう」
「あっ、ちょっと閣下!」
師はリンクをしっかりと抱えたまま走り出した。リンクはギュッと師の腕にしがみつく。多少揺れはするものの、かえってそれは噂に聞く『造船場トロッコ』のようだと楽しさが勝った。ビュンビュン風を切っていく様は、自分が走った時の何倍も早く感じる。顔に当たる風は心地よい。どこだかわからない扉を師が開けると、そこはちょうど自分たちに与えられた部屋の前だった。秘密の抜け道があるというのは本当だったのだ。待機していた他の神官たちは、ダギアニス卿の顔を見るなり「どこに行かれてたのですか!」と詰め寄る。すると師はやや険しい顔をして彼らを見た。
「なかなかに神殿内が混んでいるに感じました。この時の神殿は、ハイリア神殿よりも歴史のある場所です。手を加えるのは難しいのかもしれませんが、ならば人の流れを工夫せねばなりません。事故が起きてからは遅いのですよ」
騎士になることの厳しさを伝える時の、真剣な声。リンクがこの数ヶ月で聞いた回数は少ないが、だからこそ印象に残っていた。師はいつだって、この地のために本気で生きている。代理権者の言葉に神官たちは「ははっ!」と跪いた。
「儀式ののちすぐ、参拝者の動線について話し合いましょう。頼みましたよ」
「畏まりました!」
師は己の腕からリンクを降ろすと「そしてこの子に何か軽食を」と、いつもどおりの穏やかな口調に戻って言った。巡礼者に奉仕として配っているパンを、と神官の一人が駆ける。そして儀式用の礼服を抱えた神官見習いらしい、リンクよりも小さな少年がそれを差し出す。小さな体に対して重い布地をよく運んだものだ。ありがとうと微笑んで、師は服を受け取る。
「では、着替えてきますね」
❋❋
代理権者が各地方の巡礼の儀に参列する際は、その地方を表す色の布や糸を使い、文様や紋章が織り込まれ縫われた専用の礼服を身につける。ラネールの色は、美しい海と時空石を表す青色。ネールの名を冠する地方なため、その紋章やそれを文様化した刺繍が施されている。礼服は布がたっぷりと使われ、しっかりした作りの普段の仕事着が簡素に見えてくるほどだ。いつもは橙色や黄色ばかりを身に着けている師が青色の服を召していることに、リンクは新鮮味を感じていた。
「あのう先生、もしかして」
「どうかしましたか?」
「探検、って
……
その
……
」
「わかっていただけましたか」
全身鏡の前でベルトや飾り紐の位置を確認していた師は、鏡の中にいる自分を放りだしてリンクに近づく。礼服が少々窮屈なのか、立ったままではあったが。
「おれ、絶対に先生みたいになります! いつでも民に寄り添える、立派な騎士になってみせます!」
師が見ているものを見えるようになるまで、まだ時間はかかるかもしれない。それでもこの人と同じ景色が見たいと、リンクはかかとを上げて背伸びをした。
「これからも、よろしくお願いします!」
「えぇ、喜んで」
この先の二週間と十年間に比べれば、巡礼の旅も、師弟関係も、始まったばかり。その行く末は、神も知らない。
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