ナスカ
2023-10-29 23:03:35
5554文字
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デザートローズ Ⅵ

前回の続きです。

不思議なことに、二人の距離が縮まるにつれて外が吹雪に見舞われる時間が減っていった。そのためアストルは外に出て、雪を使って戯れるようになった。彼の育った村は中央ハイラルにあるが、比較的その南に位置し、亜熱帯気候の地方がすぐ側にある。アストルにとって雪は非常に珍しいものであったが、あまりの寒さでそれまで外出すらままならなかった。それがこのごろは、防寒着を着用すれば寒さなど取るに足らないものになっている。
加えてここ数日はキツネや小鳥なども遊びにやって来るようになり、極寒の雪景色は少しずつ生命の息吹に包まれ始めている。アストルはそれが楽しくて堪らなかった。そんな彼の姿を、野獣は少し遠くのバルコニーから見つめている。見ていると気付かれたくないらしく、何度も柵に隠れながらチラチラとではあるが。かえって目立つだろうとユガは思ったが、これは良い兆しである。主人があのハイリア人を愛せば、きっと何もかもが元通りになるのだ。
いや、元通りではない。主人は、たった一人とはいえハイリア人を愛せるようになる。それはこの国と民にとって、とても大きな変化なのだ。
……不思議だ。或れを見つめていると、こんなに心が穏やかになるなど」
「穏やかでございますか」
これは可怪しいとユガは頭の片隅で考える。もしも主人がアストルに対して恋心を抱いているとしたら、苦しいやら切ないやら、甘酸っぱいような気持ちになるはずだ。しかし野獣はどうやらそんな感情に浸っていない様子。
「そうだ、思い出したぞ。かつてここから街の子どもたちが遊ぶ姿を眺めておったが、それに近い気持ちだ」
つまりは保護者のような気分だと、野獣は一人で納得していた。アストルは自分よりも遥かに年下だと知ったためか、野獣は理不尽に過去の出来事を引き合いに出すこともなくなった。犯してもいない罪を、先祖の仕業だからと押し付けられることの歯がゆさを野獣はよく知っていたのである。同じことをする必要はない。その不毛さも、アストルに語ってようやく己の行動へ落とし込むが出来た。
ふと、野獣の方に雪玉が飛んできた。だが投手の腕力が弱いのかバルコニーにすら届かず、ヘニャヘニャの放物線を描きながら地面へ衝突した。投手のアストルは残念そうに口をへの字に曲げて野獣を見上げる。
「ほう、我に攻撃を当てようなど。一万年早いな」
「じゃあ勝負しましょう!」
「望むところだ」
野獣はバルコニーの手摺を片手で掴むと柵をひょいと乗り越え、その巨体を雪野原の上にズシーンと着地させた。あの高さならばかなりの反動が来るはずだが、身体の軸が寸分もブレていない事に彼の体幹の良さを知る。
「さあ、何処からでもかかってくるが良い」
フンと余裕そうに鼻息を鳴らす野獣に、アストルは足元の雪に細っこい白い手を突っ込んで掻き集めはじめた。くしゅくしゅと音を立てて雪玉は作られ、アストルはそれを大きく振りかぶって投げた!
だが野獣はその雪玉を難なく捕まえ、まるでアストルのしていることは手のひらの上だと言わんばかりにニヤニヤ笑っている。アストルは「手の大きさが違いすぎます!」とぎゃいぎゃい言っていたが、それも野獣にとっては子どもの駄々のようなものだ。
「次はこちらからいくぞ」
「えっ、あっ、ちょ、待ってくださいってば!」
野獣は楽々と大きな手で雪玉をギュウギュウに握り、自身の握りこぶしを飛ばす勢いで雪玉をアストルに向かって投げつけた。アストルは逃げる内に足を取られてつんのめり、顔面から雪へダイブ。その後頭部スレスレを雪玉がビュンと飛んでいった。
「なかなか大胆な避け方だな」
「結果的に避けたことになっただけですよ……
アストルはうつ伏せの体勢から立ち上がる。髪から顔から、全身雪まみれの姿はやはり子どものようで可笑しくて思わず野獣の口角がつり上がった。
「っ……、私、逃げますからねッ!」
野獣の笑みを振り切るように、アストルは雪玉攻撃から逃げるという建前ですぐ近くの樹の裏へ隠れた。野獣はというと、それを真に受けたのか腰を据えて巨大な雪玉を作りはじめた。アストルはそれを樹の後ろからチラと見ては顔を逸らす。
室内天球に連れて行ってもらった時と、身体の反応が似ている。不思議と胸が熱くなる。まるっきり想像もしていない事だ。ここ最近の野獣は、出会ったばかりの頃とはまるで違う。彼が自身の民を愛したのと同じような形で、自分は接されているのでは無いかと。そう思えてならない。
期待のし過ぎだろうか。けれど明らかに彼の自分を見る目が変わっている。それは紛れもない事実であった。
「アストル! そろそろ出てこい!」
呼ばれて樹からヒョコリと顔を出せば、思わず笑いが途切れるほどに馬鹿馬鹿しいサイズの雪玉が見えた。野獣の抱えている雪玉はあまりにも巨大で、ともすれば抱えている本人を潰してしまうほどの大きさだ。こんなものを投げつけられた日には無事では済まない。野獣はアストルの非力さをわかっているのかいないのか、どちらなのだろうか。
……雪玉に潰されるのは嫌ですよ」
「お前が逃げきれば良いだけの話だ。さあ、逃げてみよ!」
野獣がボンと投げた雪玉は、ズンと重たく地面を軽く揺さぶった。アストルは逃げる体勢に入ろうとしたが、どうもおかしい。雪玉がいつまで経ってもアストルの方へ転がってこないのだ。
それもそのはず。雪玉はその重心が中心からズレたところにあるようで、アストルではなく野獣の方にゴロゴロと転がっているのであった。
「お、おい! 馬鹿な真似はよせ! お前を作ったのは我だぞ!」
野獣は毛むくじゃらの足を雪に囚われながら、のっしのっしと前に進んだ。だが雪玉は巨大になる一方。ついにはその回転に野獣を巻き込み、まるで地均しするように雪に沈めてしまった。雪玉はそれに対して知らんぷりをして転がり続け、ついに宮殿の庭を囲む壁を突き破って何処へ旅立っていった。
「大丈夫ですか!?」
アストルは雪に埋まった野獣を救出しようと膝を曲げてしっかり地に足をつける。押し花のようになっている野獣の身体を起こすため、アストルは雪に手を突っ込んだ。手袋をはめた手でひらすらに雪を掻き、野獣を発掘していく。さすがの巨躯な野獣も、自身を上回る大きさの雪玉に潰されてはひとたまりもなかったらしく、全く動かない。
「ど、どうしよう……気絶しちゃったのかな……
アストルは野獣の背中を両手のひらで揺すった。服の下に隠れた毛皮は柔らかい。それにしても無反応だ。細っこい自分では毛むくじゃらで骨太な野獣を運べる気がしない。かと言って他の召使いや使用人たちを呼んだところで結果は同じはず。どう手立てを取るべきかとアストルがオロオロしていると、野獣は急に起き上がった。
「ガオーッ!!」
そして言葉になっている咆哮を上げ、牙をむき出しにして爪も強調しながらアストルに顔を向けた。だがアストルは目を点にして数回瞬きをするだけ。野獣は冷静さを取り戻して恥ずかしくなったきたのか、手をおろし、口を閉じた。ヒュウ……と冷たい風が二人の間をすり抜ける。言い訳がましいだろうがと思いつつも、野獣は重々しく口を開いた。
……雪玉が失敗したから、お前を驚かそうと思ったまでで……
「心配したんですよ!」
野獣は何かに包まれている事に気づいた。それの正体は、アストルの痩せっぽちな両腕。先程といい、どうやって彼は自分へ触れることができるようになったのだろうか。怯えてもいるし震えてもいるが、それは野獣が怖いからではない。野獣に『悪いことが起きたから』と感じたからだ。
……悪かったな」
野獣はアストルの線が細い肩に、手を優しく乗せる。アストルは顔を上げ、首を横に振った。
「おふざけされていただけなら、どこも悪くないならいいのです。私では、貴方を室内に戻すことができないので……本当に、心配になっただけなので……
その言葉は野獣にとって、余計に辛いものであった。彼を傷つけることがこんなに苦しいものだと感じたことが無かったからである。己の行いによりアストルが傷つこうとも泣こうとも、平気だったはずなのに。
野獣は初めて、アストルに対して深い罪悪感を抱いた。
「一度中に戻るか?」
野獣が尋ねるとアストルは頷く。二人は隣り合って屋内へと帰っていった。


雪まみれの二人を温めるべく、使用人たちはそれぞれを別の浴室へ通した。アストルは客人用のそれに、野獣は主人のために作られた方へ。湯浴みを終えたアストルにアグニムが「軽食のご用意があります」と教えに来て、食堂まで案内された。既に野獣はいつも食事をする席に着き、アストルを待っていた。
「お待たせしましたか?」
「いや、そうでもない」
「では失礼します」
アストルは普段の席……野獣に対面する席に座った。アストルが座ったのを見計らい、サービングカートが入室してくる。まずは客人であるアストルへ、その次に野獣へ給仕がなされた。だが野獣はその皿に盛られた料理を見てギョッとする。アストルはその表情を不思議に思った。不味そうには到底見えない。薄桃色のスープは恐らくラディッシュとミルクを使ったものだろうし、そのユメカワな水面にゆらゆら浮かんでいる具もここで何度も見た果実ばかりだ。何をそんなに嫌な顔をする必要があるのだろう。
「おい、誰だこれを出せと言った者はッ」
しまいにはサービングカートに文句を言い出した。アストルはその理由が本気で理解できず「どうかされましたか?」と問い掛ける。
「とても美味しそうに見えますけど」
……あぁ、これは旨いものだ」
「なら頂きましょうよ。せっかく用意してくださったんですし」
そう言ってアストルはスプーンを手に取り、淡い色をしたスープを掬って口まで運んだ。
野獣は黙っていたが、アストルがスープを飲んだことに対してかなり緊張しているように見える。まるで、彼がそれを口にしたことで起きる『何か』を恐れているようだ。
アストルはスプーンをカトラリーレストに置き、何度かまばたきをする。そして朗らかに笑った。
「甘くて温かいものって、私ココアくらいしか知らなかったので、ちょっと驚きました。温かい果物って、こんなに美味しいんですね!」
「あ、あぁ……そうだな……。そうかもしれぬ……
アストルがあまりにも嬉しそうに美味しそうにしているので、野獣はその表情に折れた。アストルからすれば此処の料理は『野獣の食べ慣れたもの』である。それなのに野獣自身が口にしないわけにはいかないのだ。
仕方なく、野獣はスープを口へと運んでいく。アストルは野獣がどんな反応をするのだろうかと、自身のスープを啜りながらもチラチラと視線を送ってくる。
スープを啜った途端、こっくりと温かくまろやかな果実の甘みが一度芯まで冷えた身体に沁みていった。心の尖りがゆるゆると溶けて丸みを帯びていくような、そんな穏やかな気持ちになれる。
「ね? 美味しいですよね?」
自分はそんな顔をしていたのだろうか。再び問いかけてくるアストルに、野獣は思わず微笑みかける。
「あぁ、そうだな。やはり、これは美味いな」
『何か』が起きている。『何か』が、少しずつ芽生えていた。それは有りえないと互いが思いながらも、ごく自然に、太陽が東から昇るように、訪れようとしている。
夜も冬も、永遠に続くわけではないのだ。

❋❋

彼女は、嵐のように突然やって来た。
「久しぶりね〜ガノンドロフ! 元気にしていたかしら?!」
唐突なのは窓を突き破る大風のよう。
「あらあら、こんなに可愛い坊やを置いてるの?」
甲高い声は落雷の如き激しさ。
「アンタも変わったもんねぇ」
その怪しさは、遠くの空に垂れ込める黒雲の様相である。


……がのんどろふ?」
アストルは突然現れた妖艶な美女が口にした名前らしきものに首を傾げた。美女はどちらかと言うと美魔女といった風貌で、濃く塗られたアイシャドウに口紅が鮮烈的。出るところが出て締まるところは締まった、『イイ女』というやつだ。
アストルはその女性を自分の母とは正反対だと思った。母は肌の手入れをすれども化粧はほとんどしないし、何より身体の線がストンとしている。
「まあッ、可愛い坊やはアタシの息子の名前も知らないのね!」
「む、むす、こ?」
「おい待てツインローバ。アストルが困惑しておる」
頭がこんがらがっている客人と、それが気に食わない息子を見て、ツインローバはニヤニヤと笑った。悪だくみをしていると指摘されても反論できなさそうな、露骨な笑い方である。
「坊やはアストル君、っていうのね。仲良くなれそうな気がするわ。これからヨロシクッ」
ツインローバはアストルに投げキッスをする。アストルはなんと返事をしたら良いのかわからず、ぽかんとするばかり。それに対して野獣は特に何も注意しなかったが、とりあえず会釈だけはすることにした。
ツインローバはその後、当然のようにギラヒムを呼びつけ荷物を持たせると『アタシの部屋まで持っていきなさい』と命令した。
……あの、あの方は」
「関わると碌な事にならん。お前も、あれには気をつけろ」
「けど貴方を息子だと……
「見かけはな」
見かけ、と言われてもアストルは野獣とツインローバのどの辺りが親子なのか検討もつかない。しかし女神の呪いのことを思い出し、頷こうとして……アストルはそれをやめた。
何故野獣は母だというツインローバを嫌っているのだろう。
アストルは、この宮殿と砂漠には自分の知らないことがまだまだ溢れていると感じていた。


続く