野獣はアストルを抱え宮殿へ戻るとユガら使用人たちに「湯を沸かしてやれ」と指示を出し、あとは彼らに任せて自分は西の部屋へと引っ込んでしまった。アストルは意志を持ったバスタブや風呂桶にされるがままに世話をされ、冷えを和らげるついでとばかりに脳天からつま先まで全身丸ごと洗われた。そういえば家を飛び出してから水浴びすらしていなかった事をアストルは思い出す。こんな凍えるような場所で温かい風呂に浸かれるとは思ってもみなかった。
「アストルさん、せっかくなので肌のお手入れをしてみませんか?」
「手入れ……?」
アグニムがお決まりのように天鵞絨を腕代わりにして、小さな器を抱えて浴場に姿を現した。土を固めて高温で焼いたものらしく、絵の具で異国情緒ある美しい模様が描かれている。
「えぇ。ここら一帯に住んでいる人々は皆、乾燥対策として肌に精油を塗るのですよ」
アストルはピンとこなかった。こんな大雪に見舞われていれば、乾燥などとは無縁のはずだろうに。アストル自身も湖にほど近い湿度のある村で育ってきたために、乾燥に脅かされたことはなかった。
だがアグニムの勧めが外れだったことは今のところ一度もない。アストルは「ではせっかくなので」とお願いすることにした。
精油を塗ってくれたのはアグニムではなく、これまた自ら動く一対の手袋。アストルは大きな台に寝転がり、ついついヨダレを垂らして寝て入ってしまいそうになる極上のフィンガーテクを受けたのであった。疲れはすっかり取れ、ほぐされた身体は血行が良くなったのか寒い中でもじんわりと汗をかく。
浴場から出る際にバスローブを着させられていたが、アストルはこのままゆっくり過ごすわけにいかないと決めていた。替えの服を用意してもらったが、それは通気性に優れた、気温が低い状態では一番着たくない服。アストルは困りながらも用意された肩当てや鉢金、ズボンを纏い、西の部屋を目指した。
誰かさんが入ってこないよう警戒しているのか、西の部屋の扉は固く閉ざされている。
「ごめんください」
アストルは扉の向こうにいる人物に向かって喋りかけた。だが返事はない。予想通りではあるが、それでもへこたれるわけにいかない。
「先程は、ありがとうございました。それを言いたくて、ここに来たんです」
すると扉がひとりでに開いた。風のせいでも、ましてや野獣が開けたのでもない。ドアノブが勝手に回ったのである。それに気がついた野獣が扉を閉めようとするが、アストルは今こそだと開いた扉の隙間に滑り込んだ。野獣はまた機嫌を損ねたようであるが、そっぽを向いているためにその表情は伺えない。
「……この部屋には来るなと言ったはずだ」
「あの、少しお話をしてもいいですか?」
「我と何を話そうというのだ」
「……外にいた、あの砂になってしまった者たちは誰なのですか?」
そんなことを質問されると思わなかったのか、野獣はギョッとしてアストルの方を見る。初めて会ったときと同じように、黄玉の双眸が自分のことを見つめていた。
ハイリア人など、誰であろうと同じ。そのはずなのに。
「かつてこの街に住んでいた者らだ」
答えてくれた。アストルはそのまま質問を続ける。
「どうしてあんな姿になったのですか?」
野獣はアストルを無視して、部屋の奥へと入っていく。一度は応じてくれたのだから大丈夫なはずだと、アストルは野獣を追って部屋の中へと入っていった。野獣は怒鳴らない。
「なぜあの方たちにあのようなことを言ったのですか?」
アストルに背を向け、野獣は円卓の前に置いてある椅子に座り込む。頬杖をつき、その視線は魔法の薔薇に注がれていた。
自分の言葉に応え、部屋に入ることも許された。きっと、あと一押し。緊張して脚が震えている。呼吸は乱れるし、胸はドクドクと早鐘を打つ。それでもアストルは、野獣の心に踏み込む覚悟で言い放った。
「貴方のことや、この宮殿のことを教えてください」
アストルは野獣が体重をかけている椅子の背もたれを見つめた。黄玉の目をかっ開き、彼の動きを見逃すまいと網膜を全力で働かせる。
野獣は大きなため息を吐いた。アストルはそれにビクリとして、怯えから思わず視線を下に向けてしまう。服の擦れる音が聞こえ、それが野獣の振り向いた音だと気がついて顔を上げた。
「この長話を寝ずに聞けるならば」
野獣は仕方ないというような、面倒くさそうな顔をしている。だがそれでも自分に対して話してくれるという現実は変わらない。アストルは「ありがとうございます!」と野獣の側へ駆け寄り、膝を床につけて行儀よく彼の話に耳を傾けた。
❋❋
ここはかつて砂漠だった。広大で、何の役にも立たず、ただ強烈な日の光と熱風に晒されるばかりの場所だった。我ら砂漠の民は、常に乾きと飢えと隣り合わせの営みを送っていた。小さなオアシスに授けられる恵みを分け合って生き延び、内輪揉めなどが起きてはすぐに滅びるという危機感があった。強固な結束を以て生きるべしと我らは誓い合っていた。我ら砂漠の民は、ひとつの大きな家族だったのだ。
ここのすぐ隣の国が緑豊かな土地であることはお前もよく知っておろう。お前はそこから来たのだからな。ハイラル王国は我らが欲する何もかもを持っていた。葉が生い茂る木々、飲むのに適した清水、肥沃な土、多彩な食物……。だというのに、そこの奴らは何一つ分け与えてはくれなかった。我らの移住を許してくれなかった。それどころか我らを侵略者だと渾名し、攻撃を仕掛け、何人もの我が民を殺してきた。。我ら砂漠の民が失ったのは兵士だけではない。まだ四つん這いの小さな乳飲み子すら、王国軍にとって惨殺の対象だった。それが、お前が出くわしたあの亡者たちだ。
我らはそれに怒り、向こうが行った非道をそっくりそのまま返してやることにしたのだ。兵士だろうが非戦闘員だろうが、関係無しに殺せと命じた。国境付近の集落を制圧し、あとは少しずつ勢力を拡大するだけ。我らの怒りを買った罪を、その身を以て知るが良い。そう思っていた。
だが、罰は我らの方に訪れた。突如として天から降臨してきた光が我らに語りかけてきたのだ。それは羨んでも羨みきれぬ王国の守護女神だった。
『慈悲と博愛を知らぬ哀れな魂よ。我が民を傷つけた罪により、罰を与えます』
どの口が言うと思った。では貴様らの民が我らの民を傷つけた罪は、誰が贖ってくれるのかと。無性に腹が立ち、我はその傲慢な女神に一発見舞ってやろうとした。だがその途端、我らの故郷である砂漠にあり得ない現象が起こった。砂漠の空が雲に覆われ、たちまち冷たい風が吹き込み、雪が降り始めたのだ。我らはそれに戸惑い、馴れぬ低い気温のために皆倒れていった。
最後に残った我に、女神は吹雪よりも冷たい声で言い放った。
『我が民から弾かれた哀れな者よ。貴方に機会を与えましょう。もしも貴方が、我が民の中から一人でも心の底から愛すことができれば、砂漠の冬は終わります。この砂漠のバラが、砂と化する前に……』
そう言って、女神は我にこの鉱物を渡してきた。気がつけば、黄金の砂漠は銀色の雪原に変わり果てていた。我は理不尽に怒り、不可能に嘆いた。憎んでも憎みきれぬハイリア人を愛せるわけがない。砂漠は雪に埋もれ、民は皆寒さに怯えて生きなければならなくなった。我はこの地も民も救わねばならぬというのに、救うための手段を踏めぬことがひどくもどかしかぅた。そうして何年生きてきたのか、我にも覚えておらぬ。
❋❋
「……どうだ、これで満足か?」
この夜更けに湯浴みや精油を用いたマッサージを受け、眠気も強まっているであろうところにこの長話だ。きっとぐっすり眠っていることだろう。野獣は鼻で笑いながら、背けていた顔を至って静かなアストルに向けた。
だがアストルは野獣の予想を大きく逸れて、ポロポロと涙を零していたのだ。まさかの状況に野獣は思わず後ずさって叫ぶ。
「お、おい! 何を泣いておるのだ!」
淡々と語っていた野獣が急に声を荒げたのでアストルは驚き、涙を両手でぐしぐしと拭った。それでも次から次へとあふれるそれを止めることができない。
「す、すみま、せッ……、あ、あんまりにも、悲しくて、つらく、てッ……!」
「同情でもしているつもりか」
野獣が唸るように低い声で問いかけるとアストルは「いいえ! いいえ!」と強く首を横に振った。
「私も、同じだったのです。私と母は、同じ村に住む人々から疎まれ、距離を置かれてきました。だから、弾き者にされる気持ちは、よくわかるのです」
野獣はアストルの話を聞きながら、それでもお前はハイラル王国の豊かな土地で生まれ育ったのではないかと冷たい視線を注ぐ。そうしていると、アストルは再び言葉を紡ぎ始めた。
「けれど、貴方がたの受けた仕打ちはそれよりも酷い……! 民族単位で、こんな……こんな事を……!」
「お前は、誰のために泣いておるのだ」
野獣の問いかけに、アストルは必死で涙を堪らえようと瞬きを繰り返した。目尻がピクピクと痙攣し、垂れそうになる鼻水を何度もすすっている音がする。色白な肌は耳先まで真っ赤になり、話すために呼吸を整えていた。結局、鼻声になっていたが。
「……わかりません。たぶん、たくさんの人達のためだと思います。自分も、含めて」
「そうか」
アストルは自分の着ている服を、次に壁や天井、そして家具の類への順番に見ていく。ここは元々砂漠だった。だから通気性の良い服ばかりがあるし、宮殿も土を固めて作られたそれなのだろう。アグニムが『乾燥対策』と精油を塗るのを勧めてくれたのも納得だ。吹き荒れる吹雪が砂漠とハイラル王国を隔て、誰も近づくことができない。寒くともそれまでの文化とやり方で生きるしかなかったのだろう。むしろ正反対の環境下でここまで生き延びた事は賞賛に値するのではなかろうか。
「……ごめんなさい」
「何がだ」
「『ハイリア人は少し減れば良い』と言った貴方へ、『何を根拠に』なんて言ってしまって」
「お前の齢は幾つだ」
アストルが自分の年齢を答えると、野獣は何かしら得心したのか頷く。
「あの女神から呪いを受けたのは、お前が生まれるよりも遥か昔の話だ。知らずとも、仕方あるまい」
「でもどうして……こんな大きな出来事なら歴史書にも載ってるはず……」
野獣の脳裏には『隠蔽』やら『でっち上げ』やらの言葉が浮かんだ。だがアストルが大真面目な顔をしているので、言うのが憚られてしまう。野獣は話題を変えようと、主題を同じとする別の話を切り出した。
「ユガやギラヒムやアグニムも、元は人間だ。奴らだけじゃない。この宮殿にいる大抵の動く無機物は、元々ここで働く人々だった」
「貴方も人間なのですか?」
アストルの黄玉色をした瞳が、ジッと野獣を見つめる。なんと答えるべきか。
ここで嗚呼そうだと答えれば、自分の中に彼の足を踏み込ませたような気分がする。それに対しどんな気分になるかと聞かれれば、以前ならば『不快』と言いきっただろう。だがアストルはこの砂漠の窮状に涙し、それが単なる同情で無さそうなのも察しがついた。彼もまた、排斥という憂き目に遭ってきたというならば尚更。
かといって己の心に彼を受け入れるのは憚られた。まるで『自分を愛してくれ』と請うているように思えてしまう。野獣はそれを誤魔化そうと、またも話を変えた。
「我ばかりが話をするのはフェアではない。お前の話を聞かせろ」
アストルの目が丸くなる。だがそれも納得だとアストルは思った。彼に長話をさせてしまったのだから、自分もなにか話をしなければ不公平というものである。アストルは「わかりました」と答えたが、何を話したら良いのか悩んでしまった。うーんうーんと唸るばかりで、なかなか話が始まらない。
「すみません、何をどうお話すれば良いのか……」
「お前の話したいことで良い」
野獣がそう言うと、アストルの表情がパッと明るくなった。何やら話す内容が決まったらしい。
「ここが元々砂漠だったなら、星については詳しいはずですよね?」
「? あぁ、方角や季節を確かめるのに星は重宝した」
彼が突然星の話を始めたので、野獣は少々困惑した。陳腐な表現になるが、アストルの瞳がまるで彼の語る星のように輝いていると……そんな風に見える。しかし思想の大半を占める考えは、その思いを即座に霧散させてしまった。
「たぶん国や種族によって星の名前が違うと思うんですけど、貴方の国ではどういった風に呼ばれているのですか?」
「そんな事に関心があるのか」
「はい! 色んな場所の、色んな知識が欲しいんです! とても……狭い村だったので」
アストルは目を伏せがちにしながら言った。忌むべきハイリア人であるはずの彼の中に、自分は何を見出そうとしているのだろう。野獣はその輪郭に触れつつあったが、それを受け入れるには少々時間を要すると結論付けた。今は、まだ。
「もう夜も遅い。部屋に戻れ」
「また、お話しても良いですか?」
促され、扉の前まで来てからアストルは振り返る。だが野獣はそっぽを向いていた。
「……好きにしろ」
「! ありがとうございます! では、おやすみなさい」
廊下に出たアストルは大きく会釈をして、扉を静かに閉めた。ドアノブが『ナイス!』と言いたげにその取っ手をグインと曲げる。アストルは「ありがとう」と小さく囁き、与えられた部屋へと戻っていった。
❋❋
それから二人の距離は縮まる一方だった。最初の険悪さは何処へやら。西の部屋侵入と宮殿脱走はアストルに対する野獣への嫌悪感を募らせたが、結果的に近づく要因にもなった。まさに『雨降って地固まる』である。
食事を共にし、時に野獣はアストルへ砂漠の文化を話したり実践して見せた。その内、アストルは野獣が銀世界と化した砂漠に対して並々ならぬ愛情を持っていることに気がついた。彼らの民は肥沃な土地を求めてハイラルへ向かったらしいが、それでも彼の心には郷土愛があった。永劫の冬が訪れる前にはスナザラシという砂中を水のように泳ぎ回る生き物がいたこと、それを用いたレースが盛んだったこと。岩山から発掘される鉱物を加工した宝石業が発達していたこと、過酷な砂漠を生き抜けていたのはその宝石の不思議な力を引き出す職人の技術があっての事だということ。かつて存在したオアシスで採れる貴重なフルーツを用いたスープにはある不思議なジンクスがあるということ……これに関して野獣は途中で口を噤んでしまったので詳しい言い伝えは知らないままだ。
野獣は自国のあらゆる文化に精通し、それをアストルに臨場感たっぷりに語ってみせた。アストルがもっともっとと話をねだるので、ついつい話しすぎてしまい食後の何気ない会話が気がつけば深夜にまで及ぶこともあった。
国と民を愛していなれば、思いのこもった長話などできるはずがない。アストルは野獣が統治者の器だと、知らず知らずのうちに感じ取っていた。
そしてアストルの方からも、育った村の風景や郷土料理の話をした。小高い山に囲まれた盆地と呼べる土地の造りをしていること。すぐ近くに湖があり、村の子どもたちはそこで泳いで遊ぶこと。それが大人になってから漁業に活かされること。湖から捕れる魚介類を使った美味しい鍋があること、母はその料理がとても上手だということ……。小さな村故に人々の視野も狭く、村の中だけで一生を終える者が多いということ。村にやって来た余所者の手伝いをし始めたことを機に、自分と母は村の者たちから疎まれるようになったこと。
「すみません、なんだか愚痴っぽくなってしまって」
「同じ種族でありながら排斥し合うのか……」
「貴方の一族は、その点ではとても素晴らしいと思います。苦しい環境だったとは思いますが、皆で仲良く出来るのは良いことですし」
二人が穏やかに会話を弾ませる姿を、絵筆と剣と水晶玉の三人は少し離れたところから見守っていた。ユガはキャンバスを持ち出して興奮気味に二人の後ろ姿をスケッチしていたし、ギラヒムはややむくれていたが主人を元に戻せるのはアストルだと認めつつあった。アグニムは何も言わなかったが、ようやっとアストルが主人の良いところを知ってくれたと安堵しているようであった。
そんな日が続いたある夜、野獣がアストルの部屋を訪れるとアストルはぼんやりと窓から外を見上げていた。どうも野獣が来たことにアストルは気づいていないらしい。冷たい風と雪が部屋の中へ入り込んでいる。野獣は椅子に掛けられているストールを手に取り、声をかけながら彼の背中にストールを被せた。
「そんなに窓の近くにいたら冷える」
「あ、ありがとうございます……」
アストルはかけられたストールの端をきゅっと握り、もう一度視線を外へ向けた。野獣はアストルの見ているものを探そうとしたが、何を見ているかまるでわからない。
「何を見ているのだ?」
一面の銀世界に、特筆するようなものはない。空を見てみてもどんよりとした重たげな雲が垂れ込めているばかりだ。アストルは視線を動かさぬまま、けれど落胆した声で言う。
「星が見たかったのです」
「星など見えぬではないか。ここは永劫の冬に飛ばされておる」
「えぇ……。けど、どうにかして雲の切れ目から見えないかなと」
諦めず懸命に外を見つめるアストルは美しかったが、雪風に誘われて消えてしまいそうだった。ここに引き留めておきたい。そんな想いに駆られ、野獣はアストルのほっそりとした手首を掴んだ。アストルは吃驚して、言葉になり損ねた吐息を漏らす。
「こっちに来い」
「えっ、あ、あの……」
「お前を、連れていきたいところがある」
アストルは黙って野獣のされるがままにすることにした。一瞬強引に感じたが、無理に引っ張っているわけではない。むしろ手首から伝わる彼の温度に、グンと体温が高くなる。こんな胸の高鳴りは、二度目に西の部屋を訪れた時以来だ。あれから何度か触れ合う機会はあったものの、こんなに強く握られるのもそれに対して自分がどきまぎするのも初めてだった。
(どうして……急にこんな……)
強まっていく鼓動を悟られないよう、アストルは下を向いたまま野獣のあとに従って歩く。そのためにアストルは自分が何処へ連れて行かれているのか、どの回廊を歩いているのかも知らないままだった。
「ここだ」
野獣はそう言って歩みを止める。ようやく手を離されたが、火傷の跡のようにそこがジクジクと熱を持ったままだ。アストルはもう片手で手首をさすりながら、野獣が示した扉に目を向ける。
「先に入るがよい」
「……? わかりました」
アストルは扉を開けて中へ入る。だが部屋の中は真っ暗で、何があるのかもわからない。扉を閉められるのかと怖くなったが、野獣が入る気配を感じた。
「ここには、何が?」
「上を見てみよ」
一体何があるのか。不思議に思いながらもアストルは天井の方を仰ぎ見た。暗闇に目が慣れたのか、それとも何かしらの仕掛けが働いたのか、天井にポツリポツリと小さな灯りが見え始める。
「……! これ……!」
アストルは息を呑んだ。その反応に野獣は思わず微笑む。
天井には、見たことがないほどの満天の星空が広がっていたのだ。天の川がくっきりと見える、夏の夜空だった。暑さで空気が澱みがちな夏に、これほど美しい夜空は見れない。輝く星ぼしに包まれ、アストルは無意識に天球を見回していた。
「凄いです! こんな……こんなに綺麗な星を見れるなんて!」
「その昔、我らの祖先が作ったものだと聞いている。どういう仕組みかはわからぬが、他の季節も再現できると聞いている」
野獣はこの場所を知ってはいたが、わざわざ足を運ぶ気にはなれなかった。星を見たとして、何にもなるはずがないと思っていたのだ。だがこうしてアストルが喜びはしゃいでいる姿を見るだけで、こうも心が安らぐ。
「気に入ったか?」
「はい、もちろん! とっても素敵なところですね!」
「お前の行きたい時にここへ来れば良い。場所はあとで教えよう」
野獣の言葉にアストルの喜びは最高潮に達した。興奮して声が裏返っていたが、それすら愛らしいと思えてしまう。
「本当ですか!? こんなに綺麗な星空を見れるなんて、すごく嬉しいです! ありがとうございます!」
彼の瞳ばかりを星のように感じていた。だが今は違う。彼そのものが、自らを照らす一等星のように思い始めていた。
続く
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