ナスカ
2023-09-13 18:22:50
7111文字
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デザートローズ Ⅲ

前回の続きです。

アストルは無言で野獣のあとを付いて歩いていた。野獣も黙って前に進んでいるだけで、アストルに話しかける気配はない。冷たい土壁の回廊をひたすら歩き続けていると、こちらも凍ってしまいそうだとアストルは思った。ずっと牢の中にいたらそうなっていたかもしれない。部屋を与えてくれるだけでも有り難いものだ。けれど不思議だ。罪人と呼んだ女の身代わりである、自分に対してよくそんな待遇をできたものだと思える。
……あの」
「なんだ」
「何故、私に部屋を用意してくださったのですか?」
「牢に戻りたいのか!?」
「違います!」
野獣の荒っぽい口ぶりにアストルは思わず大きな声で反論していた。また怒鳴られる、と怖くなってアストルは目をつぶるが、当の野獣本人は強く言い返されると思っていなかったのか目を丸くしている。
「感謝は、しています。ここはとても、寒いので。けど、私は母の身代わりです。母が罪人だというのなら、私もそうではないのですか?」
……お前自身は罪人ではない」
そう言うと野獣は再び前を向いて歩き始めた。少なくとも彼はアストルとアストルの母を同一視しているわけではないらしい。
「と思えと、ユガが言ったのだ! 我の意見ではない!」
「ユガ?」
それは誰ですかと聞こうとした瞬間、アストルの前に絵筆が滑り込んできた。どこからか落ちてきたのかと思ったが、その絵筆はなんとひとりでに立ち上がり、アストルに向かって恭しくお辞儀をしたのである。
「ようこそお越し下さりました、お客様。ワタクシめがユガでございます。どうぞお見知りおきを」
アストルは腰を抜かし、尻餅をついた。なんと絵筆が喋ったのだ。
「えっ……、あ、あの……、貴方、は……?」
「ユガ、もう止せ。此奴が動けなくなるのは困る」
「承知いたしましたご主人様、それでは」
ピョンピョンと飛び跳ねて絵筆のユガは去っていった。だがアストルの足には力が入らないままである。
「あの、あの絵筆は……
「あれがユガだ。奴に感謝しろ。そのお陰でお前は部屋を得ることができたのだからな」
何故絵筆が動いて喋っている……『生きている』のかについては教えてくれないらしい。恐ろしい野獣に生きている絵筆。次は何が飛び出すのだろうかとアストルはビクビクした。震える足になんとか言うことを聞かせて、野獣のあとを追う。
が、その後は特に何にも遭遇すること無く、アストルは与えられるという部屋の前まで案内された。
「何か必要なものがあれば召使いに声をかけよ。面倒を見てくれるはずだ。宮殿の中は好きに歩き回って構わぬが、西の部屋には決して入ってはならぬ」
「そこには何が?」
「入ってはならぬのだ!」
また怒鳴られた。どうやら知ることすら許されないらしい。これで彼が声を荒げるのは何度目だろう。アストルは「……わかりました」と静かに答えるだけだった。
与えられた部屋の扉を開けると、そこはアストルと母が住む家の二倍はある大きな客室だった。見たことのない不思議な模様や柄で溢れていて、まるで異国にでも来たようだ。石を削り出して作ったベッドがあり、テーブルや椅子も同様の造りをしている。しかし硬い石がむき出しにはなっておらず、クッションやシーツ、布団で覆われていた。棚や衣装箪笥も一通り揃っていて、母が閉じ込められていた牢とは大違い。アストルは思わず呆けてしまう。
……
「どうした、早く入らんか。我はいつまでお前を見ていれば良いのだ?」
野獣が苛立っているのを背後で感じ、アストルは急いで部屋に飛び込んだ。荒々しく扉が閉ざされ、振り返れば自分がここに一人きり。
部屋はとても過ごしやすいかもしれない。だがやはり自分は『罪人』たる母の身代わりであることに変わりはないのだ。あの猛吹雪の中、母は無事に村へ帰れたのだろうか。知る手立てが何も無い以上、アストルに出来るのは祈ることだけだった。

❋❋

「まさかハイリア人を街に入れるなんてねぇ。アンタもとうとう呪いを解く気になったのかい?」
「黙れ。お前が言えたことでは無かろう」
あまりにも着飾りすぎてギトギトになった女の声を、野獣は唸りながら牽制した。だが女が野獣を恐れる様子はなく、「まあ怖い怖い」とクスクス笑いながら受け流す。
「あれは罪人の身代わりだ。何の感情も抱いておらぬ」
「勇敢な子よねぇ。母親の代わりに自分を囚われに、なぁんて」
「気に入ったならお前にやらんこともないぞ。我には必要ない」
「まぁ! あんなに若けりゃ赤子も同然だわ。もう少し大人になってもらわないと、アタシは男として見れないわね」
野獣以上に大柄なその女はクスクス笑いを響かせながら野獣の部屋から出ていった。「部屋」というが、ここは部屋と呼ぶにはあまりにも荒れ果てている。カーペットやベッドシーツなど布の類は破れ、本来の役目を果たせそうにない。調度品も彼の暴力的な衝動性の餌食になったのか壊れてしまっている。唯一無事なのは小さな円卓で、その上にはキラキラと輝く薔薇の形をした石がシャンと背を伸ばして咲いていた。だがその薔薇の足元には、花びら数枚分と思われる砂が小さく山を作っていた。このままでは、この薔薇の形をした石は崩壊してただの砂になってしまうことだろう。野獣はそれを一瞥し、また視線を逸した。
「くだらぬ。我がハイリア人を愛するだと!? ……できるわけが無かろう」
突然吹雪が強まり、窓から吹き込んできた。寒さに苛ついた野獣は、手近にある壊れた小さめのキャビネットを剛毛に覆われた鉤爪のある手で掴んで窓穴に押し込む。隙間風が控えめに入ってくるも、吹雪は断たれた。
「傲慢不遜なハイリア人など……愛せたものではないわ」
野獣は何度も首を振る。だが目を閉じれば、あのハイリア人の姿が瞼に浮かんだ。振り切ろうと首を振り続けるが、彼の姿が鮮明になるばかり。ここら一帯を覆う雪のように白い肌、夜闇のように美しい黒髪、かつて愛用した宝石と同じ色をした瞳……それが強い意志を以て輝き、こちらを見つめてきた。
……下らん!」
心の中でそのハイリア人を蹴飛ばす。だがもう時間はない。他の誰でもない、野獣がそれを理解していた。仮に……百歩譲って仮にの話。自分があの青年を愛せたとしても、彼がお返しに自分を愛してくれるとは思えない。醜く、すぐに怒り、周りを怖がらせるばかりの野獣など、誰が愛そうか。
「ご主人様」
……ユガか」
落胆しているところに姿を現したのは、珍しく恭しい様子を見せているユガだった。彼の助言が無ければ、自分はあのハイリア人をずっと牢に閉じ込めていただろう。ユガは「ご夕食の支度が出来ております」と告げお辞儀をしたが、チラチラと野獣の顔を窺っていた。
「なんだ、何が言いたいユガ」
「その……あの青年は寒い中を此処へやって来たはずなので、食堂で温かな暖炉にあたりながらのお食事をと思いまして」
「我にあのハイリア人と食事をせよと言うのか!?」
ユガはガーッと吠えられ、その頭の毛束から真っ赤な絵の具が血飛沫のように飛び散った。しかし彼は直立不動で、主人である野獣の心持ちを変えようと必死なようである。
「ご主人様、もうあまり刻が残っておりません。その石の薔薇がただの砂になってしまってはご主人様が……
「そんな事はわかっておる!」
野獣本人だけではない。ユガもアグニムも、ギラヒムもそうだ。彼らが人に戻ることはなくなる。この宮殿も、この街も、この砂漠も──雪に覆われたままになってしまうのだ。それがプレッシャーとして、重くのしかかってくる。
「このゲルドにハイリア人が訪れるのは、もうきっと無いでしょう。ご主人様は、あのハイリア人の青年を愛さなければなりません」
「だが我があのハイリア人を愛したとて、奴の方から我を愛してくれるとは限らぬだろう。こんな! 醜い化け物を!」
半ば自暴自棄である。こんな風にすぐ怒鳴り散らす短気な御方では無かったのに、とユガは思い返した。野獣という動物に近い存在にされたことで理性が薄れ、自身の感情をぶちまける事しかできないのだろう。きっと、主人も苦しんでいるのだ。
「内面に訴えかけるのです、ご主人様。そうすればきっと、あの青年はご主人様を愛してくださるでしょう」
……随分と自信のある言い方をするのだな」
「ワタクシは芸術家でございます故、恋や愛については詳しいつもりです」
ユガが描く絵画には独特のものがある。人によって評価が大きく分かれるような絵だ。そんな彼に助言を請うのは、これまた大きな賭けのような気がしてならない。
……お前に、頼んでもいいだろうか」
「えぇ! 勿論喜んで! 光栄にございます! ではまずはあの方をご夕食に招待致しましょう」
ユガは上機嫌になり、コツコツ音を立てながら床を跳ねて主人の部屋から出ていく。野獣はのそのそとした様子で、ひとまず食堂の方へと向かうのであった。


その頃、アストルは与えられた部屋で一人シクシクと泣いていた。母に会いたい。話す相手もおらず一人きり。寒さが余計に心細くさせてくる。
するとコンコンと扉を優しくノックする音がした。音の様子からして、あの乱暴で怒りっぽい野獣ではないはず。アストルは膝に埋めていた顔を上げ、「どうぞ」と返事をした。
「失礼致します、お客様」
扉が開き、声もした。だが肝心の声の主の姿が見えない。アストルがキョロキョロ見回していると、「こちら、こちらですよ」と足元から声がした。なんと、絵筆に続いて今度は喋る水晶玉が現れたのだ。台座に真っ赤な天鵞絨を敷いた上に置かれたその水晶玉に、もちろん目も口も鼻もあった。
「お会いできて光栄です、私はアグニムと申します。どうぞお見知り置きを」
「あ、アストル、です……どうも……
アグニムと名乗った水晶玉は、天鵞絨の縁でサービングカートを引いていた。その上には、お茶のポッドとカップが置かれている。
「今夜は一層吹雪が強いですからね。冷えるだろうと思って、お茶をお持ちしました」
「けど貴方は、貴方はッ……
「まあ、細かいことは気にせずに」
そう言うとアグニムはサービングカートを引っ張った天鵞絨の縁で、今度はポッドを持つ。そしてカップにお茶を注ぐと、アストルに差し出した。
「スパイスやハーブが効いたお茶です。温まりますよ」
アストルはスンスンと香りを嗅ぐ。ほんのりとスパイシーで、目が醒めるような香りだ。悪くないどころか、好みの香りだ。アストルは「いただきます」と言ってからカップに口をつけた。
その風味の豊かなこと。ジンジャー、シナモン、カルダモン、ブラックペッパーにフェンネル、クローブ、ナツメグ……それぞれが香りも味も主張しているのに互いを引き立て合っていた。
「美味しい! もう少しいただいてもいいですか?」
「はい、もちろん」
アグニムはやわらかな声色で応えると、馴れた様子で再びカップにお茶を注いだ。そしてアストルに差し出しながら、客人の行動を讃える。
「お母様を逃されたこと、非常に立派な行いだったと思います」
「でももう二度と会えなくなってしまった。父が失くなってから、母は一人で私を育ててくれたのに……
アストルは項垂れる。アグニムはそんなアストルの手を、自身の手の代わりである天鵞絨で包みこんだ。お茶で少しは温まったとはいえ、冷たい手だ。だが人の心の温かさが手の冷たさに比例するわけではない。アグニムはそれを知っている。
「大丈夫です。きっと最後には何もかもうまくいきますから」
さて! とアグニムはアストルから手を離し、『湿っぽいのは性に合わない』と言うかのように赤い天鵞絨をヒラヒラ振る。
「アストルさん、夕食の支度ができています。食堂へご案内致しますよ」
……貴方たちのご主人も、いらっしゃるんですよね?」
アストルが視線を右に逸らしつつ、顎で軽く空気を掬うように首を傾げた。その反応にアグニムは、客人が我らが主人との会食を望んでいないと理解する。だが嘘を言うわけにはいかない。
「えぇ、もちろん。……行きたくないのですよね?」
アストルは頷いて答える。
「空腹ではないと伝えてください。理由が何であろうと、行かないと言ったら怒るでしょうけど。……ごめんなさい」
頷いたまま俯き、アストルは申し訳無さそうに縮こまる。
……アストルさん、ご主人様は決して悪い方ではないです。少し怒りっぽいけど、それでも……
アグニムはそう言ってはみたものの、頑なに寄せられた眉頭はアストルの心の扉そのものだと感じた。第三者が無理やりこじ開けることはできない。やはりこの二人が互いに手を取り合わねば。
「空腹ではないとお伝えしてきますね」
「はい……お願いします」
アグニムはサービングカートを押して、アストルに与えられた部屋から出ていった。再び部屋は一人きり。
……母さん」
冷たい空気はアストルの吐き出した孤独を凍らせ、重々しく床に落下した。

❋❋

「あのハイリア人、マスターの御慈悲をシカトするつもりか!?」
今にも晩餐のテーブルをザクザクに斬り裂いてしまいそうな勢いでギラヒムは暴れまわっている。あの主人にしてこの従者ありと言えば、自然に納得してしまうだろう。だが剣の横に立つ絵筆は冷静だ。
「落ち着きなさいギラヒム。あの青年は一度に御母堂も自由も失ったのですよ。彼の心がパステルカラーを取り戻すにはそれなりの時間が要ります」
「ケッ、またわけのわかんねぇ喩えしやがって」
「芸術に造詣の無い者はこれだから」
「あぁ!? やるってのかッ、このラクガキ野郎!」
「薄っぺら金属にできるものであれば」
「黙れ!!」
主人の珍しく真っ当な怒号にギラヒムとユガは黙りこくった。野獣は今、食堂の四隅を四足歩行でぐるぐると周っている。湧き上がる苛立ちを減らしていくには、身体を動かしてそれを発散する必要があった。
「しかし遅い……我を待たせるなど、あのハイリア人は何を考えているのだ……!」
「確か彼のもとにはアグニムが行ったはずですね」
「アイツを手こずらせてるとなると、あのハイリア人は余程な頑固者ですねマスター」
猫なで声でギラヒムは言うが、野獣はフンと鼻から息を吐くだけだ。その時、天鵞絨を引きずる音が聞こえてきた。野獣はそれに四足歩行を止め、「ヤツはどうした!?」と荒々しく扉を開ける。
「ご主人様、その……
「お前ひとりか、アグニム」
「はい。……大変申し上げにくいのですが」
アグニムの言葉に野獣の剛毛な眉毛が吊り上がる。アグニムは天鵞絨を縮こませながら、視線を泳がせるように水晶玉を右に左と回転させた。
「お客様は、空腹ではないと……
途端に野獣は食堂を飛び出した。アグニムたちは急いでその後を追う。きっとアストルを怒鳴りつけに行ったに違いない。案の定、野獣は使用中の客間の扉を叩き割るほど強く叩いている。三人が追いついた時、アストルはぶっきらぼうに返事をしているところであった。
「お腹が空いていないだけです!」
「お前の腹の具合など関係ない! 食堂に出てきてともに食事をしろ!」
「それが人にものを頼む態度ですか!? それに、怒鳴られたあとに食事をしても、不味く感じるだけですよ!」
自分の怒鳴り声に負けじと声を張り上げる客人に、野獣は先程よりも困惑の色を強める。だがここで引き下がるのも謙るのも野獣には我慢ならない。息を吸い込んで再び怒鳴ろうとした……途端、アグニムが転がって進み出てきた。
「ご主人様、どうか心を落ち着けて彼をお許しください。紳士的に、どうか……
野獣の眉が躊躇いにピクリとした。扉の向こうは変わらず沈黙したままで、アストルが出てくる気配は無い。野獣は今持っているありったけの丁寧さをかき集め、ゆっくりと客人に話しかけた。
……少しくらい、食べに来ぬか」
「結構です」
強気な返事をされ、神経が逆立つ。だがアグニムとユガが「紳士的に、紳士的に」と手綱を握ってくるので再度深呼吸をして仕切り直した。
……そこは冷えるだろう。食堂は温かいぞ」
「そんなことありませんけど」
アストルのツンとした返答は火に油を注ぐ結果になった。野獣は我慢ならなくなり、扉に向かって吼える。
「ではそこで寒さに震えておれ! 我と食事を共にせぬなら、何一つ食わせぬぞ!」
野獣は言葉になっていない獣の咆哮をひとつ置き土産にして、四足歩行で床を踏み鳴らし爆音を立てながら暗い廊下の向こうへ消えていった。あっという間なその出来事を三人は呆然と見ているばかり。数秒してからギラヒムが「はぁああぁ……」とため息をついて床にへばりつく。
「なんと頑固なヤツだ……せっかくマスターが御慈悲を与えてくれたというのに……
「あれでは慈悲とは言えませんよ。ただ私たちの小言に従おうとしただけですから」
水晶玉の姿でありながら剣である自分以上にバッサリ物を言ってきたアグニムにギラヒムは叫んだ。
「アグニムお前ッ! それでもマスターにお仕えする者の一人か!?」
「であればこそ、です。そうでなければ、ご主人様は人間に戻ることができないのですよ?」
「そりゃ……そうだけどよ……
……私たちが、あの暴虐を止めることができていれば……
三人は俯く。どうにもできない過去を悔やみ過ごすことしかできぬ日々がようやく終わる。それは思い違いだったと突きつけられたのだ。


続く