ナスカ
2023-06-11 19:22:56
6175文字
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Desert Rose Ⅱ

前回のお続きです。
アデヤ鍋の作り方の描写はこちら(https://youtu.be/ayPM6AkWlOo)を参考にさせていただきました。

いつまでもカリカリしたってどうにもならない。帰宅したアストルは市場で買った魚介類の調理に専念することにした。村の名物アデヤ鍋は焼いた魚と香味野菜をたっぷりの水で煮込んで作る、時間と根気の必要な料理だ。その分余計なことを忘れられる。今はそのうち帰ってくるであろう母をもてなす準備が先だ。
魚をまな板の上で捌き、塩を振る。柄杓で水瓶から使う分だけの水を掬い、丁寧にぬめりや内臓、血を落としていった。幼い頃から母の手伝いをする中で手慣れたものである。最初は死んだ魚に触れるのが怖かったが、母はそれを咎めも怒りもしなかった。ただ「そうね、ちょっとびっくりするわよね」と受け止めてくれた。そのお陰で今の自分がいる。
魚をアラと身に切り分け、アラはスープに使うために鉄板に載せて一度竈門で焼いていく。焦がさない程度の火力というものは、やはり難しい。かといって火の通りが不十分だと臭みが出る。何度か一人でのアデヤ鍋作りに挑戦してはいたが、アストル自身が納得できるものに仕上がったことはない。ひとえに、母の作る鍋が極上すぎるのである。
アラを焼いている間、ニンジンやタマネギ、ハイラル草やガンバリ草の鱗茎、トマトを細かく刻んでいく。中には細かくなりきれずに不格好なものもあったが、アストルが気にする様子は無い。竈門の上に鍋を置き、十分に温まったことを確認してから植物油を回し掛ける。そこで刻んだ香味野菜たちを炒めていけば、思わず口角が上がってしまう程のいい香りが台所に漂ってきた。そこにトマトを入れ、鍋底で潰しながら焼いていく。
アラの様子を確認すれば、程よい焦げ目ができている。今が時だと、アストルはアラを取り出した。鼻先を近づけて香りを吸い込むと、ニヤッとしてしまう。悪くない。これならきっと、母をあっと驚かせることができるだろう。
鍋にアラを重ね入れ、水瓶から水を汲んで注ぎ入れた。ここからよく煮込まなければならない。その間に、アストルは居間のテーブルに置かれた本に手を伸ばした。それはプルアが譲ってくれた、焚書逃れの一冊である。
天体観測の参考に、とプルアは渡してくれた。しかしアストルはこの本に対して「天体観測の参考になる」とは感じていなかった。読み進めて思ったことだが、これはどちらかというと歴史的な内容、しかも一般には知られていない「消された歴史」といった印象である。
プルアがアデヤ村から去ってどこにいるかわからない今、彼女が自分にこの本を渡した真意はわからない。彼女はかつて王家から弾圧を受けたシーカー族だが、それに対して恨みを抱いているようには見えないのだ。
「けど、これは……
アストルは挿絵を指先でそっとなぞる。自分や母と似た色をした瞳の男は、このハイラルに生きるどの種族とも似ていない。強いて言うならば自分たちハイリア人のようでもあるが、この男は鳥の嘴のように尖った鼻をしている。彼は一体何者なのだろうか。何故歴史からいない者として扱われているのだろうか。
「女史はどうしてこんなものを……
思索に沈み込もうとした途端、台所からブクブクという音が聞こえた。しまった加熱しすぎたとアストルは急いでそちらに戻る。見れば鍋は煮えたぎり、トマトを使っていたためにさながらマグマのようであった。ミトンを着けてから鍋の取っ手を掴み、慌てて火から上げる。もう少し火加減を弱めなければと、火かき棒を手に取った。
その途端、抑えてきた疑問が湧き上がる。どうして母はこんなに帰りが遅いのだろう。
アデヤ村から城下までは確かに遠いが、三日もあれば着く距離だ。それに母が城下へ出張に行ったのは、国で最も重要とされる祝日「降臨祭」の真っ只中だからである。しかし降臨祭から既に数日が過ぎ、とっくに帰ってきていいはずだ。
(母さんはどこへ行ってしまったんだ)
家の中でのうのうと鍋を作っている場合では無いのかもしれない。そう思うとアストルは居ても立っても居られなくなった。母を探しに行かねば。その衝動に駆られるがまま、アストルは竈門でパチパチと音を立てる火に水をぶっかける。突然の冷水でシュウシュウと狼狽える炭の鳴き声を尻目に、窓や裏口の鍵を閉めて回った。防寒着を纏い、読んでいた一冊はベッドに置かれた枕の下に隠す。手にしたバスケットにリンゴを幾つか放り込み、扉に鍵をかけてアストルは家を出た。
日は既に沈み始めており、代わりに凍てつくような寒さが顔を覗かせている。季節柄、太陽が空を支配する時間は短い。あっという間に夜闇が訪れて、冷えた空気の中を彷徨うことになるだろう。それでもアストルが引き返すことはなかった。雪が振っていないだけまだマシだと、そう自分に言い聞かせた。

❋❋

「あぁ、あの女性は実に美しかった! それなのにご主人様は、なんと勿体ないことを!」
描きかけの油絵やら絵の具が散乱する、実に芸術的な汚部屋に甲高い男の声が響き渡る。が、それらしき人物の姿は見当たらない。それどころか、筆がひとりでに動いてイーゼルに掛けられたキャンバスに絵を描いているのである。何とも不思議なことに、その筆には顔があった。描かれたものではない。目はまばたきするし、そのおしゃべりな口からは描きながらのひとりごとが五秒もたずに飛び出す。その絵筆はピョンと宙返りをし、今の彼には大きすぎる椅子にその一本足を立たせた。髪であり手である毛の部分で顎らしき部位を掴んで、制作中の絵画をしげしげと眺める。
「ふーむ……こっちの方にもう少し白を足したほうが……? いやそうすると光が強めになってしまう……彼女を儚げで可憐で美しく魅せるにはもう少し青を……
「ユガ! キサマはこんなところで何をしている!」
絵筆はこの上なく迷惑そうな顔で扉の方を見た。その瞬間、木でできた扉に幾つもの白い線が走り、扉は木片になってバラバラと床に落ちてしまった。その向こうには、絵筆と同じくひとりでに立つ黒い剣が一振り。絵筆は呆れのため息を吐きつつ、椅子から飛び降りた。
「ギラヒム、アナタは何枚扉を薪にすれば気が済むんです?」
「そんなことはどうでもいいだろう!? 問題はキサマがのうのうと絵を描いていることだ!」
剣はその刀身の先端をザッと絵筆に向ける。しかし絵筆は飄々としており、それの何が悪いのかと剣に背を向けた。
「焦ったってどうにもなりませんからね。自分の好きなことをして過ごすのが一番ですよ」
「キサマそれでもマスターにお仕えする者の一人か!? 全く情けない……
「情けないのはどちらですか。アナタ、あの美しい女性を捕えたばかりか、ご主人様に報告をするなんて!」
負けじと言い返す絵筆に剣は「何をぅ!?」と詰め寄る。
「不法侵入は捕えて然るべきだ! 放置しておけばマスターは絶対お怒りになる。キサマは何年ここに仕えているのだ!」
「ワタシはあの美しい女性が、ご主人様やこの砂漠の呪いを解いてくれると思ったまでですが」
「既婚者はやめておいたほうがいいですよ」
絵筆でも剣でもない、第三者の声がした。気どってもいない、癇癪を起こしているわけでもない、この場で最も落ち着いた声だった。そしてその声は赤い天鵞絨を被った大きな水晶玉のものであった。
「アグニム」
「可哀想にあの御婦人、故郷に息子さんがいるみたいだ。そんな方がご主人様に真実の愛を捧げられるはずがないでしょう?」
「し、しかし……
「しかしもカカシもありません! とにかく、御婦人を早く息子さんの元へ返して差し上げなければ!」
水晶玉はズイと剣に迫る。こっそりと逃げようとする絵筆を水晶玉は手代わりの天鵞絨で巻き取り引き寄せた。一本と一振りは観念して、やれやれといった顔をしつつ水晶玉の言うことを聞くことにした。
「あぁ、古株はおっかないですねぇ」
「何か言いました?」
「いーえ、なんでも」
冷えきった土壁の回廊は「道具」である彼らにはあまりにも長く広い。ヒョコヒョコと跳ねながら三人は例の女性が幽閉されている地下牢へと向かっていた。
と、その時である。
「あの、すみません。誰かいらっしゃいませんか?」
玄関ホールの方から声が聞こえた。三人とも聞き覚えのない声だった。また侵入者かと剣が頭を抱えたい気分になっていると、その声はまた聞こえてきた。
「こちらに母がいるはずです。迎えに来ました」
それを聞いた水晶玉は暗い中でもその身をピカリと光らせる。
「きっとあの御婦人の息子さんだ! なんて勇気のある子だろう。あんな雪だらけのところをここまで……
……? こっちから声がする」
人間の足音が三人の方に近づく。動く「モノ」を見られるわけにはいかないと、一度扉の陰に隠れてやり過ごした。絵筆は暗がりの中で、囚われになっている女性の息子の顔を見た。
きっと彼は母親似なのだろう。青ざめた肌はきっと寒さのせいだ。本来は色白のはず。儚げで可憐で美しいと言えるが、彼にあるのはそれだけではないような気がした。絵筆にはそれがまだ何かはわからない。
「とりあえず後を付けるぞ」
剣がカンカンと音を立てて彼を追いかける。もっと静かに行きなさいと水晶玉が言うが、この体でどうしろってんだと剣が小声で反論した。
「母さん、母さん、いる?」
「アストルなの?」
どうやら親子は互いの存在を認識できたらしい。三人はまたも陰からその様子を覗き込んだ。親子は「親子」というよりかはきょうだいに見えた。息子が母をそう呼ばなければ、いっそ息子が兄だと勘違いしたことだろう。
母は牢の鉄格子から手を伸ばし、息子はその手を握る。その冷たさに驚いて、ここから出る方法は無いかと周囲を見回した。
「母さん、手が氷みたいだ。早く村に帰ろう」
「アストル、母さんの事はいいから一人で帰りなさい。ここは危険よ」
「じゃあどうしてこんなところに……
息子が問いかけると、すぐ背後で獣の咆哮が聞こえた。息子は全身をビクリと震わせ、牢の中の母は我が子を守るため二の腕までもを鉄格子から出して息子を抱きしめた。
「ここで何をしている」
肉食獣の唸りに混ざって聞こえたのは、明らかに人間の言語であった。アストルは驚きながらも、声のする暗闇の方に顔を向ける。顔は見えない。それでも毅然と、目的だけを述べようと思って喉と気を引き締めた。
「母を迎えに来ました。ただそれだけです」
「母だと? その女は罪人だ。ここから出すことは許さぬ」
「母がそんな事をするはずがない!」
「黙れ!」
激しく怒鳴りつけられてアストルはすっかり気圧されてしまった。なんだ、「これ」は。獣なのか、人間なのか、魔物か、化け物か。答えは出ないが、明白なのは「これ」が母を閉じ込めていたということ。声が震えてたどたどしくなり、うまく喋れない。自分でも何を言っているのか、アストルはわからなくなっていた。
「母の手が冷たいのです。このままでは死んでしまうかもしれません。村に帰らせてください」
「そのまま死ねば良い。ハイリア人は少し減るべきなのだ」
「そんな、どうしてそんなひどい事を……!」
「ひどいのはどちらだ? 自分たちだけが神に選ばれたと宣い、その他大勢を従えて少数の民を擂り潰すお前たちハイリア人こそ、酷いのではないか?」
「何を根拠にして」
「それ以前にだ、その女は罪人だと言っただろう。 帰るならお前ひとりで帰るがよい!」
帰るなら、ひとりで。ということは、ひとりは帰される。ならば取るべき手段はひとつと、アストルは怖気づく脚で立ち上がり、声の主を探った。不気味に爛々と光る目がこちらを見据えている。ひとつ息を吸い込み、固まってしまった声帯を懸命に動かした。
「ならば、私を母の身代わりに」
「なんだと?」
声の主はアストルの言葉に驚いたようで、目の動きが明らかに動揺していた。突けたと思い、アストルは更に続ける。
「母を村へ返してください。代わりに私がここに残ります」
「お前は自分の言っていることの意味がわかっているのか? ここから永遠に出てはならぬのだぞ」
「私がそうなることで、母が助かるのなら。けれどひとつお願いがあります」
……聞いてやらんこともない」
「顔を見せてください」
アストルは声の主が動くのを待った。ジッと見つめていると、闇の中でズルリと何かが蠢き出す。そしてそれは一歩ずつこちらに近づいてきて、灯りがその素顔を照らした途端アストルは我が目を疑った。
全身が毛皮に覆われ、鋭い牙を持ち鼻は豚のよう。人間で言うこめかみの辺りからは凶々しい角が一本ずつ生えている。それに見下されているという恐怖に、アストルは今更気がついた。けれど言い出したのは自分だ、引き返すことはできない。俯きながら恐ろしい野獣の前に進み出る。
「それで、お前は誓うのか?」
……誓います」
……認めよう」
アストルが膝から崩れ落ちるのと同時に、ガチャリと牢の鍵が開く音がした。母が飛び出し、アストルの背中から抱き締めながら野獣に向かって叫ぶ。
「この子が誓おうとも、私が認めないわ!お願いだからこの子を返して、私はこのままでいいから!」
「母さん、僕が約束したんだ。大丈夫だから、母さんは村で元気に」
「ダメよアストル、お父さんもあなたもいないだなんて、私は!」
抱き合う親子を野獣は乱暴に引き剥がし、母の方を引きずりながらアストルから離れていく。アストルは立ち上がれなかった。であれば、追いかけることもできなかった。闇の中へ遠ざかっていく母の顔と野獣の背中を見て、「母さんに乱暴するな!」と言うことしかできなかった。
ここがどこなのかわからない。途中猛吹雪に遭い、気がついたら地平線まで雪で覆われた場所にいた。どんよりとした雲が空に垂れ込め、これでは星を見て自分の位置を確認できそうもない。
一面銀世界の奥の方に見えたのは、どうやら集落のようであった。そこに行けば何かわかるかもと思い必死で足を運んだが、やっとの思いでたどり着くも人っ子ひとりいない。その更に奥には集落の長のものと思われる宮殿があり、入り口に母のショールが落ちていたものだから「きっとここにいる」と感じたのだ。
まさかこんな恐ろしい場所がハイラルにあったなんて、とアストルは牢の隅で縮こまりながら思っていた。豪雪地帯といえばヘブラだが、集落や宮殿の造りからここがヘブラ地方でないのは明らか。その上人間の言葉を喋る獣がいるなんて聞いたこともない。
ふと、野獣の足音が近づいてくるのが聞こえてアストルは更に小さくなる。だが先程よりも穏やかだ。本当に、わずかながら、ではあるが。
……おい」
「さよならも言わせてくれないなんてあんまりじゃないか。どうして、どうして!」
「お前に、部屋を用意する」
「部屋? ここが私の部屋なのではないのか?」
「ずっと牢にいたいか!?」
すぐに怒鳴られ、やはりほんの少し穏やかになったのは勘違いだったのだとアストルは思い直した。この野獣の手に乗りたくもない。けれどこんな寒いところにはいたくもなかった。
……いいえ」
「ならば来るのだ」
アストルは静かに、野獣のあとを歩き始めた。

続く