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ナスカ
2023-04-21 19:38:45
6016文字
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輪廻に咆える
拙作「黄玉を砕く」でアストルを殺してしまったガノンさんのその後の話。答えの出ない堂々巡りと、なかなか来ない「お迎え」への焦燥感。
あぁ、あぁ何故!
魔王は己を責めた。何故愛する者を手にかけてしまったのかと。
それが此奴の望みだったからだ。
けれどそれが最善だったようには思えない。
仕方なかった。他にどうしようもなかったのだから。
だからといってこんな結末、あまりにも酷すぎる!
生きていた頃の半分以下の重さと細さになってしまったアストルを目の前にして、ガノンドロフは答えの無い堂々巡りをする。何故だと己に問いかけては諦めたのだと答え、その諦めが正しかったのかとまた己を指摘する。
これが我の運命か。ガノンドロフは、かつてアストルを看病するときに使っていた丸椅子に座り、矛盾に憂いたため息を吐き出す。いつまでもこんな問答を続けているわけにもいくまい。物言わぬ死体となった伴侶がこの姿を留めておける時間はそう長くはないのだ。早いところ埋葬場所を決めねばならない。しかしアストルは既に「ハイラル王国の民」という扱いから外れた存在となっていた。ガノンドロフもまた然りである。死しても共同墓地などに葬ることはできない。それには理由があった。
大厄災のあと、二人は城下町から離れたマリッタ馬宿より僅かに北のラーミン平原に小さな家を構えた。誰にも邪魔されない穏やかな日々。しかし厄災とその信奉者という過去はガノンドロフとアストルから自由を奪った。いつまた国家を脅威に晒すかわからぬという疑念の元、王家から監視を受けるようになったのである。だが二人はそれを気にしたことがない。互いだけを見つめて、幸せに過ごしていたからだ。
そんな日々が何年も続き、王家はついに監視の目を解いた。しかしその代わりとして、二人は王家が民に提供する福祉や社会保障といったあらゆる事業の対象外とされた。それは「ハイラル王国という制度」から放逐されたことを意味する。
そういった事情から、アストルをこの地域の共同墓地で眠らせるのは不可能となっていた。どうせ必要ないのだからどうでもいいと感じていた事に、とても大きな意味があったのだとガノンドロフは痛感する。
アストルの墓参りをすることが許されないなんて、花を供えることも許されないなんて、あまりにもつらい。彼に永眠の地を与えることができないなんて可哀想すぎる。
だからといって彼の亡骸をずっとここに置いておくわけにもいかない。こんなところではなく、星がよく見える場所で眠っていてほしい。それがガノンドロフの願いだった。
「
……
あそこが、良いか」
ガノンドロフはアストルの抜け殻を丁寧にシーツで包む。まるで一本の棒のように見えた。抱きかかえればその軽さに涙が出てくる。こんなになるまで彼はよく耐えたものだ。外に出れば深夜の平原は静かで、風もない。庭には馬小屋があり、そこには飼い主の重量を支えられる逞しい黒馬が察しているかのように目を伏せていた。
「ラブラー山だ、行くぞ」
家から少し南東に向かえば、城下町まで続く街道に出る。道を示すように群生している針葉樹を目印に進んでいけば、マリッタ馬宿が見えた。自分たちが国中を混乱に陥れた戦いから数年、すっかり平和を取り戻したハイラルでは旅人や商人が頻繁に行き交うようになっていた。疾風のように走り去るガノンドロフとその愛馬はまるで黒いつむじ風のようで、「今のはなんだ?」と顔を見合わせる。どうやら馬に乗った元厄災だとは気づいていないらしい。
その先街道は左に曲がっていくが、黒いつむじ風はひたすら真っすぐ突き進んだ。愛馬は当然のような顔をして、目の前にある大きな山に挑んでいく。
傾斜の強い岩山だが、ゲルド馬の血を引く巨馬には何のその。軽々と登っていく。そこを乗り越えれば緩やかで松の木が生い茂る山頂付近だ。二つに割れた見上げるほど大きな岩場が山頂に当たるが、二人がよく星を見上げたのはハイラル平原が見渡せ空の広い山の東側だ。この近辺にはシズカボタルが生息しており、その光もよく二人で見つめたものだが
……
突然の来訪者に静寂を乱され今は姿を潜めている。
冷たいアストルの遺体を抱え、ガノンドロフは地面に降りた。布にくるまれたアストルを芝生の上にそっと横たわらせると、素手で土を掘り返し始める。冷たい夜の空気が自分を冷静にさせてくれると思っていたが、とんだ間違いであった。
死んだ彼をここに連れてくることになるなど、思ってもみなかった。何故、何故。何故自分は彼を殺さねばならなかったのだろう。こんなことしたくなかった。悔しくて堪らない。
石が見つかったら放り投げ、手を泥だらけにしながらガノンドロフは泣いた。涙など軟弱者が流すものだと思っていた。その考えが変わったのは、過去の痛みに辛い苦しいと泣くアストルを慰め始めた頃だった。アストルの存在は自分の考えをあれこれと変えてしまった。それも彼が積極的に変えようとしたのではない。彼がいることで、ガノンドロフは己が変わらねばならぬと思いを新たにしたのだ。
アストルに愛されて今の自分がいる。それなのに自分は彼の人生を終わらせてしまった。
己が無性に憎くて仕方がない。
穴を掘り終え、眠りやすいようにと底を均していく。そしてアストルの細く軽い体を納めると、両腕を胸で交差させた。脚を、腹を、胸を、掘り起こした土で再度埋めていく。写し絵なら何枚も撮った。アストルの顔を忘れるなど、一生かかってもありえないだろう。けれど顔に土を被せるのはどうしても躊躇われた。この先永遠に、アストルに会えなくなる。それを認めるようで、苦しくてならなかった。
ガノンドロフは黒ずみはじめたアストルの唇にそっと口付ける。これが最後だ。ここで彼は永遠の眠りにつく。星を見つめながら。
顔を土で覆うと、その場にはこんもりとした土の山が出来上がった。ここが彼の墓だ。標は無いが、思い出がここへ導いてくれる。
「アストルよ、ここからは星がよく見えるぞ。いつでも、ここから眺めておれば良い。
……
夜になれば、我は会いに来る」
土の下に眠る伴侶にガノンドロフは話しかけた。本当はずっとここにいたいけれど、自分はまだ生きなければならない。いつ訪れるかもわからぬ、最期の時まで。
❋❋
朝目覚めると隣には誰もいない。少し狭いと感じていたベッドがやけに広く感じる。のそりと起きても、自分以外の人間の気配は無い。誰もいない居間、誰もいないテーブルの向かい側。使う者がいなくなった天球儀が窓辺にコロリと転がっている。ガノンドロフはどう生活すればいいのかわからなかった。
「
……
アストル」
食事を用意する気になれなかった。死んだ伴侶の椅子に座り、彼が愛用していた天球儀を抱きしめる。これを以ってして、彼は自分と共に歩んでくれたのだ。彼の手には大きく高尚に見えた天球儀も、自分の手のひらの上ではまるで安物の玩具のよう。真の持ち主の元でこそ、これは輝いていたのだろう。
「我は、どうすれば良いのだ?」
返事はない。家にいながら、自分は完全に路頭に迷っていた。
「お前がいないこの世界を、どう生きればいい」
生きたくなどない。そう言えたらどんなに楽だろうか。それを口にするなど、ガノンドロフは許したくなどなかった。アストルはどうしようもない痛みを抱えて、どうにもならないから死を望んだ。それさえなければ彼は生きたいと願ったはずなのだ。なのにアストルのあとを追いたいなど、彼に対する侮辱もいいところである。
決して言ってはならない一言だと、ガノンドロフは強く己を戒めていた。
「お前がいない世界はひどく冷たく、退屈極まりない。お前がいたからこそ、我の世界は色鮮やかだったのだ」
今の自分にできるのは思い出を振り返ることだけ。しかしそれでは虚しさが胸に去来するばかり。「ここ」にアストルはいない。思い出ではその現実を補強することしかできないのだ。
「何故我は、あ奴の病に気づけなかった」
思い出の次は後悔に襲われる。ごく普通のハイリア人が厄災の怨念に触れればどうなるのかわかっていたはずだ。ましてや触れるだけでも危険なそれを、アストルは体内に受け入れていた。だがその対処法をガノンドロフは作らなかった。蝕まれたが最期、治す手立ては無い。自分がハイリア人を愛するなど考えてもみなかった。いや、愛も情も忘れて、王国を災禍で包む化け物でしかなかった。
赦しを得てからは二人で生きられる幸せに溺れた。自分が怨念を生み出していたことも忘れていた。何たる愚かしさだろう!
アストルはかつて天の川の物語を話してくれた。織女と牽牛。勤勉だった二人。結ばれた幸せに酔ったがために、天帝の怒りを買って引き裂かれ、天の川の対岸で生きることになってしまった。
彼らのほうがまだマシだ。一年に一度会うことができるのだから。自分とアストルはもう二度と会えない。
「アストル、アストル
……
」
こんな自分を見たら、過去の己はどう思うだろう。弱くなった、馬鹿馬鹿しい、誰か一人にうつつを抜かすなど愚かの極み。そう一蹴するだろう。しかし今のガノンドロフは反論できた。誰か一人のために生きようと思えたことの素晴らしさ、愛を貫くことの尊さと大切さ、それ故の難しさ辛さ苦しさ。お前はそれを知らないのだと、過去の自身に言ってやれる。
「我はお前に出会えて幸せだった。だがお前はどうだったのだ? 我がお前を不幸にしたのではなかろうか」
自分の側で彼はよく笑っていた。けれどその笑顔の裏側の真意はどうだったのだろう。愛していると言ってくれていたが、自分と出会ってしまったせいで早すぎる死を賜る結果になった。考えても考えても答えは出ない。
「こんな、こんなことしか出来なかった我を許せ
……
いや、許すな
……
憎め
……
我を嫌いだと言うてくれ
……
」
天球儀に語りかける。これがアストルに自分の声を届けてくれるように思えた。
「もし
……
もしもう一度、お前に生きて会えたら
……
その時は
……
お前を、我の手から解放しよう」
彼は本当は強い。醜い姿だった自分を強い愛を以て救ってくれたのだ。心根はとても強い。彼ならば、一人でも生きていけるはずだ。
❋❋
ガノンドロフは輪廻に咆え続けた。いつになっても迎えはやってこない。まるで自分を嘲笑うかのように、死はガノンドロフを無視していた。自分の年も忘れてしまった。正気を保ったまま長く生きるというのは、何とも辛く惨い。
国の様子が変わり始めたことに気がついたのはいつだっただろうか。父王の跡を継ぎ女王として即位した元姫は、古代の技術を応用して人々の生活に役立てる政策を打ち出した。これまで兵器にしか使われてこなかった技術が自分たちの生活を豊かにしてくれると知り、民は喜んで女王の考えを受け入れた。かつての大昔、王家から弾圧されたシーカー族は今上の女王に感謝し、王国の繁栄のために技術の向上に勤しんだ。
ガノンドロフが詳しく知っているのはそのくらいで、後のことはよくわからない。昔であれば、王家の動きを逐一確認し変化を見逃さなかったはずだ。常に目を光らせ、隙があればそこに食らいついたことだろう。
今の自分にそんな気力などなかった。
民の生活を刷新するきっかけを作り出したとして、その女王は立派な墓に葬られた。現在はその女王の孫が統治者として即位している。大厄災から百年が過ぎていた。あの時代を生きていた者はハイリア人にはほんの一部しか残っていないだろう。それなのに、自分はまだ生きている。
こんなに苦しむなら、厄災として国を狙う化け物に戻ったほうがよかったのかもしれない。けれどアストルの事を忘れ、彼の命を奪った厄災にもう一度なるなど許されない。自分で自分を許せない。厄災ガノンなど、もはや自分ではないのだ。
「
……
死ぬならば、お前の側が良い」
いつものように答えの出ぬ思索を続けていたガノンドロフはおもむろに立ち上がった。老いてなおその足取りはしっかりしており、とても百年以上を人間の姿で過ごしていたようには思えない。可愛がっていた馬もずっと前に寿命を迎え、それを境に家から出歩く時はもっぱら徒歩となった。
家とラブラー山の往復は毎日のことだった。だがそれも今日で終わる。ガノンドロフは己の死期を悟っていた。
常人では有りえぬ人生を送ってきたと思う。生まれながらの王であり、民のために生きてきたはずだった。それがいつの間にか我欲にすり替わり、我欲は憎悪と怨念に腐敗してしまった。
そんな分厚い腐った表面に出来た、ほんの小さな隙間から、アストルは自分を見つけ出してくれたのである。お陰で自分は人間に戻ることができた。王として居ることを求められることもなく、ただの「ガノンドロフ」でいられる。それがとても幸せだった。今更こんな幸せを手にすることができるなんて、夢のようだと思った。
しかし過去の行いによって、夢は覚めた。何もかもが手遅れで、自業自得であった。それでもガノンドロフにとって、アストルとともに過ごした時間は何にも代えがたいもの。愛用していた黄玉よりも、貴重で壊れやすく、繊細な、幸福そのものだった。
じきに夜が明けるという頃、ガノンドロフはアストルの墓にたどり着いた。彼が眠る土の山に寄り添う。もっとも、とっくに肉体も骨も大地に還っているはずなので、もうここにはいないのかもしれない。だがここ以外に、ガノンドロフはアストルの居場所の見当がつかなかった。
「少しは褒めてくれぬか、アストルよ
……
。我はついぞ厄災に戻ることはなかった
……
。お前を喪った悲しみも、苦しみも、痛みも、我は抱えたまま、今際におる
……
」
静かになりつつ己の鼓動にも、ガノンドロフは気がついていなかった。待ち続けた「漸く」が訪れようとしていることにしか、ガノンドロフの意識は向いていない。死んだとて、来世がある保証もない。死後の世界が存在するかもわからない。アストルに会えるかもわからない。もし再会したとしても、自分が彼を縛ってはいけない。逃げる、離れる
……
、そういった選択をさせるつもりだ。
それが自分の役目だとガノンドロフは思っていた。
万が一、彼が自分の側にいたいと言ってくれるなら喜んで迎え入れよう。一生守ると誓おう。今度こそ、王にも魔王にも厄災にもなれずに済むのなら。
離れたいと願うなら、その背中を見送ろう。自分が彼を不幸にしてしまうのは実証済みだ。彼がひとりで幸せを見つけられるのなら、それでもいいではないか。
自分は、アストルを愛しているのだから。
「願うなら、もう一度
……
一度だけでも、お前に
……
」
遥か東から、陽が昇る。長い長い夜は、終わりを告げた。
❋❋
髪に隠れる自信無さ気な黄玉の双眸を見て、ガノンドロフは思わず呟く。
「
……
見つけた」
魂は惹かれ合う。どれほど離れても、どれほど時が過ぎても。
それが、運命だ。
終わり
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