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ナスカ
2023-03-25 22:25:32
3166文字
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小枝を手折る 弐
前回のお続きですよっと。アっくん視点ですよっと。
死体! 死体だと! 馬鹿にしているのか!?
アストルはそう独り言ちた。ここで大声を出したとて、誰かから苦情が来るわけでもない。暗く狭い木でできた、今にも崩れそうなあばら屋は艷屋の折檻部屋だった。
昨晩の客は大盤振る舞いな客で、お前たちはそれにふさわしいおもてなしをしんさいと遣手婆に皆が言われた。舞を披露するのは一人前の妓女、それを盛り上げる三味線は新造と役割が決まっていた。既にひとりで客を取る年齢のアストルだが、舞が下手くそなものだから「お前は新造たちと並べ」と言われ、まだマシな腕前の三味線を年下の少女たちと並んで披露することになった。かなり悲惨な出来だったが、昨晩のお客である男二人組はあまり音楽に造詣が無かったのかそこを指摘されることもなかった。
しかし遣手婆はそれはそれは厳しい。普段から真面目に稽古もしないからこうなるんだと、アストルはこれで何十回目かもわからぬ折檻部屋へ放り込まれた。だがアストルが憤る理由はそれではない。
昨晩の客
……
の片方。どうやら近くの闘技場で剣闘士をしているらしい巨大ななりの男が、寝転がっていたアストルのことを「死体のよう」だと言ってきたのである。細いし青白い自覚はあるが、他人からそう言われるとなると話は別である。全く腹立たしくてならない。同僚の女たちも、遣手婆や若衆、見世の主もそんなことは言わなかった。
「全く
……
なんだあの男は
……
失礼な奴だ
……
二度と会いたくなどない
……
」
アストルはブツブツ文句を言いながら腐食した板の床に寝転がる。折檻部屋にいれば食いっぱぐれるが嫌な仕事をする必要もない。第一こんな自分に付く客などいるはずが
……
。
と、急に扉が開いて夕暮れ時の日差しが暗い部屋の中を照らす。折檻の時間はまだ残っているはず。アストルは眩しさと疑問から顔をしかめた。
「アストル! アンタにお客だよ!」
扉を開けた遣手婆の言葉にアストルの目が点になる。この私に、客? まさかそんな、有りえない。
最後に自分へ客が来たのはいつだったか。それも閉門時間になれば帰っていく客ばかり。明け方までいてくれた客などもっと前だ。そんな自分に指名が入ったとなると大事件なのではなかろうか。『自分を知る者』がまだ遊郭の外にいることになる。
「そんなすっとぼけた面してねぇで! 早く支度をしんさい! 幸い、お客様は今夜までなら待ってくれるそうだよ!」
客を取らねば稼げぬ。稼げぬのならば自由はない。アストルは仕方なく折檻部屋から出て、客を取る準備を始めることにした。
売れっ子でもない限り、妓女たちが支度をする部屋は複数人の相部屋となっている。紅や白粉などと化粧品類は個人の持ち物だが化粧台は共用、といった具合だ。
女たちは皆各々が客を取っているようで、ガランとしている。アストルは悠々としながら着替えから始める。泥や砂埃のついた着物や打ち掛けを脱ぎ、新しいものに変える。白い肌なので白粉をはたく必要もないが、まぶたに直接紅を乗せるわけにもいかないのでうっすら程度に。反対に、まぶたに乗せる紅はくっきりと。髪結いも出払っているらしく、アストルは自力でじれった結びをする。
ひとつ息を吐き、化粧台の鏡に映る自分を見つめた。
どうせ今日の客も閉門前には帰る。こんなつまらぬ妓女な自分が抱かれるはずがない。そうだろうアストル。そう言い聞かせて、アストルは客が待つという部屋へと向かった。
❋❋
「なっ
……
!」
大変お待たせいたしやしたと言いいながら、丁寧に襖を開けた奥にいた客にアストルは思わず素が出てしまった。そこにいたのは、昨晩自分を「死体のようだ」と言った男だったからである。
二度と会いたくないと思った矢先に、こんなことがあるのだろうか。しかし来てくれた客を逃すわけにはいかない。アストルは憤りを飲み込んだ。
「旦那様、本日はお越し下さりありがとうございます」
三つ指を畳につけ、アストルはゆっくりと頭を下げた。そして姿勢を元に戻しながら、客である男の容姿を観察する。昨晩はそんな気などなかったはずだが、わざわざ自分を指名した男がどんな奴なのかは気になるものだ。
鍛え抜かれた体躯だ。褐色の肌がそれを更に力強く印象付けている。彼は剣闘士らしいが、どちらかというと武人と呼ぶ方が相応しいように思えてならない。黒髪は真ん中分けされた前髪、頭頂部に結われた後ろ髪、鎖骨まで伸びたもみあげに大別できた。赤い襟の白い着流しは着古されたものらしく、彼の色彩に馴染んで見える。精悍ながらも男臭い顔つきは、見る者を魅了する美男と言って差し支えない。彼は座布団の上で正座をして、じっとアストルを見つめている。目は切れ長で、朱色の瞳はまるでこちらを探っているかのようだ。
「急に呼びつけて申し訳ない」
「いえ、そんなことはございません。旦那様のおかげで、あの狭くて暗い折檻部屋から出ることができましから」
客の正面に座ると、アストルは「それで」と話を続ける。
「遣手婆に会ったなら、私を指名したときに驚かれたことでしょう? 何故私を?」
「
……
謝らねばと思って」
男はそう言うと、袖を畳に滑らせ拳にした両手を畳にガツンとつけてバッと頭を下げた。結われた黒髪はテロンと小馬の尻尾に似て、彼の頭はさながら子馬の尻のように見える。突然の謝罪の姿勢にアストルは思わず「は?」と再び素が出た。
「昨日は、そなたに酷いことを言ってしまった。本来ならばあの場で謝るべきだった。本当に、すまなかった」
律儀な男だとアストルは思った。恐らくこの男は昨晩、自分のことを本気で死体だと思ったのだろう。闘技場という生と死のやり取りが日常の場所で生きているのだ。死体など見慣れていように、見慣れているからこそ男はアストルを気にかけた。そしてそれが間違いだったと知って、謝罪のために会いに来た。金を払って、わざわざ。
「
……
そんなことを言うために?」
「死体のようだと言われて、快くなる者などおらぬだろう」
男は頑として頭を上げる様子を見せない。律儀を通り越して、これはただの阿呆な気もしてきた。
アストルの中で奇策が閃く。この男を、自分のために使い倒してやろうと。
「あぁ、そうだ。私は大層傷ついた」
先程とは打って変わって、アストルの口調が高慢で不遜なそれになる。男はそれに驚きはしたらしいが、肩を軽くビクつかせただけで、変わらず頭を上げない。何だコイツはと思いつつ、それだけ生真面目が過ぎるならばやはり利用価値はあるのだろう。
「だから私だけを買え。他の女にうつつを抜かすことは許さぬ」
アストルは雪の日の枯れ枝のような指で男の顎を持ち上げ、不敵にニヤリと笑った。廓をよく知らぬ男ならば、搾り取れるだけ搾り取ってやる。自由になる手立てはそれしかない。
「あいわかった。それでそなたの思いが癒やされるのであれば、そうしよう」
男は力強く自分を見つめ返す。よし、乗ってきた。絶対に勝ってやる。ただ、ここからオサラバするためにはこの男に抱かれねばならぬと思うと少々怖くはある。自分とはまるで違う体に押しつぶされてしまわぬかと。それだけが懸念だ。だがここは強く振る舞わねば。アストルは思い切って男を押し倒し、彼の腰に跨った。
「なっ、なにを!?」
「それで? 買ってくれる以上お前は私を好きにできる。今夜はどんなことをお望みだ?」
男の焦る姿にアストルの優越感が満たされる。何を要求されても、自分はそれに従うしかない。抱かれようが叩かれようが絞められようが、すべて自分の運命。そう思うことで生きてきた。
男は首を曲げ、視線を逸らす。やはり初なやつだと思った。その瞬間だった。
「
……
話を、しようと」
アストルは、呆気にとられた。
続く
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