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ナスカ
2023-02-21 10:10:39
3137文字
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宿木の種子⑨
前回のお続きです。これにて過去編は終わりです。次の現代編がラストになります。
「これ、本じゃない
……
。先生の
……
日記?」
人の日記を盗み読みしていいものなのだろうか。けれど厄災が読めと促してくるのだから、仕方がない。
随分と古い日記帳だ。先生はこれを売り払わなかったのではない、売り払えなかったのだ。個人の所持する日記など、未使用品でもなければ中古としては買い取ってもらえない。
丁寧に捲ると、そこには一人の女性との出会いが書かれていた。それまでは星の運行に関するメモや座標ばかりを乱雑に書き記したものであったが、その女性との出会いから確実に日記の内容は変わっていた。
『詳しくはわからないけれど、星の輝きを見つめていると救われる気持ちがする。彼女はそう言った。そんな彼女の瞳こそ、星のように美しくてならない。だが初対面の男にそんなことを言われても気持ち悪がられるだろう。良ければお教えしますと、それだけを告げて私は彼女に接近することにした』
これが初対面のときと思われる記述。先生が書き記した日記の内容は女性を表現するときは豊かで繊細であらゆるこの世の至言を使い尽くしても足りないほどであった。そしてあまりにも具体的なものなので、アストルは気づいてしまった。
「この女の人
……
もしかして、母さん?」
先生は母と知り合いだと言った。親しい仲だったようであるし、この日記の中に書かれている女性は自分の母親で間違いないだろう。二人の出会いはやはり星だったのだと、母と先生らしいなとアストルは思わず笑みがこぼれた。
日記の中で二人は逢瀬を重ね、いつしか一緒に暮らすようになった。まるで結婚したかのように思えた。けれど先生は幸せな日々の終わりをこう書き綴っていた。
『彼女は堕ろさないと言って聞かない。なぜだ。僕は彼女とだけ居られればいいのに。僕だけの星を奪わないでくれ』
「『僕の子どもなんて、冗談じゃない。』
……
?」
アストルはゾッとした。もしかすると、先生と母の間にできた子どもというのは
……
。
日記の内容に呼応するように、アストルの胸はトントンと早めの脈を打つ。怖いけれど読み進めるしかなかった。
先生は、僕の父さんなの?先生はそれを知っていたの?知っていて隠していたの?
だとしたらそんなのひどすぎる!
今よりもっと幼い頃、アストルは父親がいないことを気にしたことはなかった。「父親」という概念すら知らないのだから、寂しさもなかった。しかし村の子どもたちが母親と「大人の男」に挟まれているのを見て、アストルは初めて寂しさを覚えた。そしてある日母に問うた。
『村のみんなにいる、男の人はだれ?どうしてぼくにはいないの?』
母は悲しそうな顔をしてアストルをひしと抱きしめた。母はごめんなさいごめんなさいと謝るばかりで、あの大人の男が何というのか、自分にはいない理由も話してはくれなかった。きっと母は自分以上に寂しい思いをしたのだろう。アストルはそう思うことで忘れることにした。
やがてアストルは知識を得て、生き物は雌雄が共同体を成すことで子孫を残せるようになると知った。自分の父親は一体誰なのだろう。そんな疑問をふわりと抱いたが、それはすぐに消えてしまった。普段からそんなことを考えていては苦しむばかりで、今を生きることを阻害することになる。
だから先生を初めて見た時、自分の父親だなんて思いもしなかったのだ。
「アストル、どうしたんだい?」
アストルはそこまで考え至ってハッとする。先生はどこに行っていたのか。髪が濡れた様子を見ると、恐らく水浴びだろう。それを見て、昨晩先生と何をしたのかを一気に思い出す。
「あれ」は本来ならば男女の間で交わされるはずのものだと知ったのはいつだったか。先生は「愛し合っていればそんなことは関係ない」と言った。けどそれは他人同士だから許されるものではないのか?彼が父親だとわかった途端、込み上げてくる嫌悪感にアストルは吐きそうになった。
「ねぇ、先生」
「ん?どうしたのかな?」
「先生は、僕の母さんと仲がよかったんだよね?」
「あぁ、そうだよ。君のお母さんはとても素敵な人だった。今でも夢に見るよ」
「
……
なら、先生?僕の父さんが誰だか、知ってる?」
先生の顔色が変わった。無論、悪い方向に。普段色白な顔が青ざめる。
「
……
いや、それは、その
……
」
「父さんがいなくなった母さんを、心配だと思わなかったの?どうして母さんが死んでから現れたの?」
「アストル、何が言いたいんだい」
「何って
……
どうして母さんを見捨てたのか、どうしてそんなに僕がいらなかったのかってことを、聞きたかったんです。先生、いえ、お父さん」
父の喉がヒュッと鳴った。図星だ。アストルは確信した。この人が僕の父親。子どもの存在に背を向け、妻を置き去りにし、成長した我が子を己が手の中で歪んだ慈しみ方をした、最低の男。
それが、僕の父親。
「ア、アストル、落ち着いて。話を聞いておくれ」
「話?先生はいつも僕の話を聞いてくれなかった。少しくらい聞いてくれたっていいでしょう?」
「アストルッ!」
「どうして!?どうして今更僕の前に現れたの!?だったら最初からちゃんと、父さんとして側にいてよ!」
「私にとって、君は弟子だ。子どもではない」
「僕を認めてよ。僕を、貴方の子だって」
「認めてどうする?そうすればアストル、君は一層苦しむことになるだけだ。君は父親に抱かれた哀れな子になってしまう。なら私の弟子でいた方が遥かにマシのはずだよ」
「抱くことをやめるっていう選択肢は無いんですか
……
」
アストルは怒りを通り越して呆れてしまった。けれどこの嫌悪感は抱えておくには重すぎる。
足元に熱源を感じたと思えば、それはガーディアンの姿をした厄災だった。
アストルの中にひとつのアイデアが浮かぶ。
「ガノン様
……
お願い申し上げます」
ベッドサイドテーブルに置かれた天球儀をふわりと手のひらに浮かせる。ぽう、と穏やかに不気味な光が天球儀に宿った。それに応えるように厄災は橙のモノアイを爛々と光らせる。
「この人を、苦しめて」
アストルがそう命令すると、厄災は父親に飛びかかった。ギチギチと蛇腹の足が父の身体に食い込んでいく。
「なっ、ア、アス、トルッ
……
!」
「苦しめばいいんです。僕や母さんみたいに」
父の苦しむ姿にアストルは高揚感を抱いていた。心臓がドクドクと興奮で高鳴り、こめかみは汗ばんだ。ふふ、ふふふ、と笑いが漏れるのを止められない。
「もっと、もっと苦しめてガノン様」
「アストル、やめさせてくれ、私が、私が悪かった。だから命だけは、どうか」
「喋れる余裕があるんですね。ならまだ平気なはず」
厄災の体から溢れ出たどろどろとした怨念の塊が父の身体を覆い、鋭く尖った爪が美しい白い肌に傷をつけていく。そこから流れ出る血に、アストルは正気に返った。
「待ってガノン様!このままじゃ、先生死んじゃう、かも
……
」
だが厄災は拷問の手を止めない。いや、これは処刑だった。自分が選んだ者を苦しめていた。それに対する厄災からの罰であった。
「アストル、助けて、たすけて、くれ」
父はもがいていた。けれどどうにもならなくて、アストルも厄災に制止されて、どちらも苦しみの中にいた。
死んで欲しいわけじゃない。ただ僕らの苦しみを少しでもいいから知ってほしかった。それなのに僕はなんてことをしてしまったんだ。
呻いて抵抗していた父は、厄災の中で息絶えた。厄災は信奉者の父を床に放り捨てる。アストルは父の亡骸に触れる。
死んだ彼の体温はぬるかった。春は、終わってしまった。
「さようなら、先生」
アストルは天球儀と厄災を抱え、脱兎のごとく逃げ出した。
続く
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