宮廷占星術師ではなくなった以上、いつまでもこんな地価の高い場所には住んでいられない。アストルは先生に連れられ、この家から出なければならなかった。あらかじめ売り払えるものは売り払って、荷物は最小限にまとめる。先生はただの一冊を残して、悔しそうにたくさんの古書や文献を古本屋に買い取らせた。その一冊がどれほど大事なのかアストルにはわからなかったが、片手はアストルの腕を引き、もう片方でその本を抱えているのを見るに、かなり大切なものなのだと判断した。
「アストル」
「はっ、はい!なんですか、先生」
「……君のお母さんの形見だが」
アストルはドキリとした。まさかあれを売り払えと言うのだろうか。確かにあれは今のハイラルの科学力ではありえない機能を持っている。火をつけたわけでもないのに発光し、吊るしているわけでもないのに浮くことができる。恐らく百万ルピーを出しても本来の価値とは言えないだろう。
「……それは後生大事にしなさい。君とお母さんをつなぐ大切なものだ。売ってはいけないよ」
先生の思わぬ言葉にアストルはあっけにとられる。まさかそれを大切にしなさいと言われるとは思わなかった。占星術師なら直接星を見なさいと、何度も没収されてきたのに。
「ありがとうございます……ありがとうございます、先生!」
新生活のための資金を作った先生は「城下を離れるよ」と言った。町中は王妃の死を悼み、喪に服している。そしてそれを予言できなかったとして、先生は冷ややかな目で見られていた。城下にいられるはずもない。
「……おや、先生じゃないですか」
誰も彼もがアストルと先生を避ける中、声をかけてきたのは薬屋の老女だった。
「……此度のことは残念でしたわねぇ」
「私が不出来だったのがいけないのです。陛下やまだ幼い姫様に、お辛い思いをさせてしまった」
「貴方もアストル君を連れて大変でしょうに」
「この子を育てるのが、今の私の最優先事項ですから」
先生はそう言ってにこやかに笑う。これがアストル以外の第三者に向けるものだと、アストルはよく知っていた。
と、老女は先生に何か紙切れのようなものを手渡した。
「何かあったらこちらへ身を寄せなされ。私の古い知り合いがいる。きっと力になってくれるはずだよ」
「ありがとうございます。最後の手段として選ばせていただきますね」
きっと連絡先か何かなのだろうとアストルは思うことにした。城下で流通している薬は全てこの老女が関わっているそうだが、どうやら彼女にとって先生の失敗など気にするほどのことでも無いらしい。
「アストル君も達者でね」
「はい、お世話になりました」
アストルは一礼し、先生に腕を引かれながらもう一度歩き出した。これから自分がどこに行くのかもわからない。自分にできるのはこの人に付いていくことだけ。それを露ほどにも不思議に思わなかった。
❋❋
幾つかの町の幾つかの宿を泊まり歩き、先生は森の近くにある小さな家を買った。主だった家具付きだが、居間と台所ともうひとつ部屋があるだけの質素な家だった。けれど外には井戸もあり厠もあるので、生活する上での問題は無さそうである。少し距離を置いて小川に繋がる泉もある。隠れ暮らすにはこれ以上の好条件は無い。
ただ問題は、居間と台所以外に部屋がひとつしか無いことであった。プライベート空間などというものは存在しない。アストルは少々それに困っていた。
もしも毎晩一緒に眠ることになったらどうなるか。大方予想はつくが、あまり気の進まない予想だ。
「アストル、君は荷物を整理していてくれるかい?私は近くの町で買い物をしてくるから」
「はい、先生」
先生が出ていき、その背中が見えなくなるのを確認したアストルは荷ほどきを……する振りをして、自分の身の上を裏付けるようなものが無いかと探し始め。先生は母の知り合いだというから、何か自分のことを知っていてもおかしくないと思ったのだ。
畳まれた服の隙間や鍋の中、紙切れならば籠の編み目にうまいことくぐらせていないか。けれどこれといったものは見つからず、出てきたのはアデヤ村を出たときに神父様に書いてもらった身元引受人の証明書だけ。
「……考えすぎなのかな」
チラとでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。もしかすると先生は母の死を予知していたのかもしれないだとか、都合よくアデヤ村に現れたのは何故なのかだとか。
どうして自分は先生と同じ色の目をしているのか、だとか。
アストルは首を横に振る。やはり考え過ぎなのだ。言われた通り荷物を整理しよう。そう思い直して、ひとまず炊事道具を台所に仕舞うことから始めた。
「……そうか。君の奥方がそんなものを持っていたのか」
「彼女が私の妻であったことは一度もありません」
「そうだったな。お前は身重の彼女を捨てて逃げ出したのだから」
「ッ……!」
先生は反論できず、内臓が軋む思いだった。目の前にいる、怪しさと胡散臭さが満点の彼らを睨みつけながら拳を握る。
皆は同じ服を着て同じ装飾品を纏う。何かしらの宗教の信者のようにも見えた。
「話を戻そう。それで、君の連れているその子が今はそれを所有しているのだな」
「母の形見故、大事にしなさいと言ったのは私です」
「子どもには過ぎた玩具だ、回収しなさい。そして我々の元へ持ってくるのだ」
「ですがっ……!」
「君らの身の安全は我々が確保していることを忘れるでないぞ」
先生は口を噤み、渋々頷いた。彼らに背を向け、『買い物に行った』と信じてもらうために今度こそ町へと向かった。
先生は予てより、偉大な力を持つという厄災に惹かれていた。遥かなる過去にいたとされる伝説の存在。それを封じた古代の民は天体の運行に精通していたというところから、先生は厄災に興味を抱いた。
しかしそれを自身が御せるとは思っておらず、その力を制御するために何人かの仲間と連絡を取り合っていた。薬屋の老女もその一人である。どうも彼女は厄災を輩出した一族の古の術を知っているらしい。城下外にいる仲間との連絡を彼女が取ってくれていた。
王妃の死は避けられないが、それは好機だということを先生は理解していた。
そしてアストルの天球儀を押収して調べるうちに、それが厄災の力を宿すことができることに気がついた。なぜアストルの母親がそれを所持していたのかはわからない。だがこれは運命だと先生は狂喜した。
だというのに、アストルが大事そうに抱えているそれをあの子から取り上げなくてはならないと思うとため息が漏れた。あの子に情を寄せる必要など無いのに。
先生は持ち前の顔の良さで店主のおばさんにサービスしてもらい、そのことで少々憂いが晴れた。きっと空腹だからこんなに気分が優れないし堂々巡りしてしまうのだろう。そう考えながら家路につき、ようやく新たな我が家が見えてきた……。
「魔物!?」
玄関に青ボコブリンが陣取っているではないか。
まさか奴らがここに魔物を送り込んだのだろうか。自分の煮え切らない態度を見て、力づくでも天球儀を取り上げようとしているのだろうか。
先生は慌てて駆け出した。アストルに何かあったら、自分はどうにかなってしまう。
「アストル!」
途端、カッ!と激しい光が家の中から放たれた。先生はあまりの眩しさに思わず目を瞑る。たった一瞬の輝きであったが、目を開けても視界が白んで何がどうなったのかわからない。
「アストル!無事なのか!?」
「せ……せん、せい……」
玄関に飛び込めば、アストルも這う這うのていになっていた。先程までそこにいた青ボコブリンはその場に倒れ、少しずつ透明になっていった。そしてそれは天球儀に吸い込まれていく。
「アストルどうした?!何があった!」
「わ、わかりません!突然魔物が来て、怖くて、そしたら天球儀が急に光って……」
恐らく無自覚だが、アストルには天球儀を操ることができる。これならばこの子から天球儀を取り上げずに済む。先生はアストルを抱きしめるが、アストルの顔には困惑が広がる。
「アストル、君は選ばれたんだ」
「選ばれた……?だ、誰にです……?」
何の話をされているのか、アストルにはさっぱりわからなかった。ただ先生が興奮していることだけが伝わってくる。
「厄災ガノンにだよ」
続く
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