私と彼と、その仲間とともにハイラル城の前に来たときには、既に操られているらしい兵士たちが城の中庭を彷徨いている状況だった。彼の仲間たちは、巡回を続ける兵士たちは同僚であると口々に言ったが、私にはそうでないことがお見通し。あれは鎧を纏った虚無に過ぎず、言ってしまえば人ならざる者だ。心のない奴らは、こちらを攻撃することに何の躊躇いもない。そう指摘すると彼は「抜け道がある」と、城の東側にある隠し通路に案内してくれた。大人ひとりがやっと通れる程度の階段を下ると、その先は下水道になっていた。鼻が曲がりそう……な程ではないが、あまり心地のいい場所ではない。早いところ城の中へと突入しなくては。
「……おい、どこに行く?城への道はこっちだろう?」
二又に分かれた道の反対側に向かおうとする騎士たちに、彼が声をかけた。騎士たちは「こっちが近道なんですよ」と言って先へと進んでいく。彼は訝しげな顔をしつつも、私に「こっちだってさアグニム」と私の手首を掴んで仲間たちの方へ引っ張った。
……あいつら、何かが怪しい。
「そういえば、君はどうやって姫様の危機を知ったんだい?」
「彼らが教えてくれたんだ。今日……いや、もう昨日か。昨日おれは非番だったからそこの四人がうちに来て……」
と、そこまで言って彼も何か違和感があることに気がついたのか足を止めた。私も同じように足を止める。彼が口を開いて言った。
「お前たちは誰だ」
「誰って……嫌だなぁ隊長どうしたんですか?」
「おれが昨日非番だったということは、お前たちも非番だったということではないか。その中隊全体が休みになるからな。なのに何故お前たちは城の中の様子を知っていた?」
どうやら私の勘も当たったようだ。だが、城を『守っている』兵士たちには感じた虚無を彼らからは感じ取れなかった。どうして。
「お前たち……いや、貴様らはおれの仲間ではないな!正体見せろ!」
得物に食らいつく獣のように彼は叫んだ。すると道の先を行っていた四人は、そこだけ空間が歪んだようにぐにゃりと曲がりマーブル模様へと変化する。彼らは『彼ら』ではなかった。マーブル模様が収束すると、似てもつかない化け物が姿を現した。彼はそれに動揺することもなく、私に声をかける。
「アグニム、戦えるな?」
「一人旅は危険続きさ。自分の身くらい自分で守れなきゃ」
「それを聞いて安心した」
彼と一瞬だけ視線を重ね、頷いてから前を向き、一斉に敵方へと攻撃にかかる。彼は仕事道具の得物を、私は護身用の短剣を鞘から抜いて、その流れのまま化け物を斬りつけた。
❋❋
複数の足跡が城の東側へ向かっているのを見つけた僕は、それに導かれて抜け穴に足を踏み入れた。少し怖くはあったけど、誰かがここを通ったのだと思うと少しだけ安心できた。その階段を降りれば下水道に続いていて、石で整備された地下空間に足跡は無い。とりあえず進むしかないと思い、僕は階段を降り終わった正面に向かって歩くことにした。
カンテラで道を照らしながら進む。と、下水の嫌な臭いに混ざってじっとりとした鉄の香りが嗅覚をくすぐった。顔をしかめながら、恐る恐る前進する。少しずつ血の匂いが濃くなっていった。下を見てみると血痕がこびりついている。誰かがここで怪我をしたのか、それと死んだのか。もしもそれを見つけたら、僕はどうすればいいのか。胸につっかえる嫌な違和感をそのままにして、何かと出くわしてもいいように覚悟を決めながら城の内部を目指す。
灯りが見えた。その縁に影がひとつしゃがみこんでいる。逆光になっていてよく見えなかったが、もしかすると血痕の主なのかもしれない。
「そこにいるのは誰だ!」
張り上げられたのは聞き覚えのある声。僕は思わず影に駆け寄った。
「アグニムさん!?」
「……?!リンクじゃないか!どうしてこんなところに」
「それより……どうしたんですか、これ!」
座り込んでいるアグニムさんの腕には応急手当が施されていた。包帯代わりに使われていた布を僕は見たことがある。父さんの服だ。母さんの繕い物を手伝っていた僕にはわかる。かなり深い傷なのか、締め付けるように巻かれているのに血が滲んでいた。
「あぁ、少し失念してしまって。けど大丈夫だ。そこまでひどい傷じゃ……、っ!」
「動いちゃダメです!……なんでこんなことに」
「リンクこそどうしてこんなところにいるんだ。早く家に帰りなさい」
「……ゼルダ姫に何かあったんでしょう?」
僕はアグニムさんをじっと見つめながらそう問いかけた。アグニムさんのたじろぐ姿に僕の疑問は確信に変わる。
「聞こえたんです!ゼルダ姫の声が!」
「君に、殿下の声が?」
「助けを求めてるんです!お城の地下牢に閉じ込められてるって!」
僕は必死になって訴えた。アグニムさんは数回頷くと、もう一度立とうとした。けれどやっぱり傷が痛むのか、崩れるように膝をついてしまう。脂汗がひどく滲んでいて、それでも前に進もうとしていた。
「伝えなければ……彼に……」
「彼?父さんも一緒だったんですね。父さんは、もしかしてこの先に?」
「そうだ。情けないことに負傷した私は、君のお父さんに『ここで待っていてくれ』と言われてしまった。けれど彼は、殿下が地下牢にいるとは思っていない」
「どうして?」
「それを伝えてきた仲間たちは、偽物だったんだ。だからそいつらが言ってきたことを彼は信じていない。けど君が言うなら間違いないだろう」
「……僕が偽物だとは、思わないの?」
「私がお父さんの子である君を間違えるはずがない」
今度はアグニムさんが僕を真剣な眼差しで見つめてきた。そんなに見つめられたら照れちゃう……って、そんな場合じゃない!
「僕、父さんを見つけてきます。アグニムさんはここで待っていてください」
「何を馬鹿なことを言うんだ。君はまだ子どもなんだから、ここはお父さんや私に任せて、早く家に……」
「嫌です!」
思わず叫んでしまった。どうしよう、僕の声を聞きつけた人たちがここに来てしまうかもしれない。そう不安になったけれど、遠くまで僕の声が木霊するだけで誰も来なかった。それに安心しながら、僕は小声でアグニムさんに言う。
「……だって、僕は姫様の声を聞いたんだ。助けてって言ってるのに、無視なんてできないよ」
「君は、本当に優しい子だね」
アグニムさんはそう言って、無事な方の手で僕の頭を撫でてきた。やめてよ僕もう14歳なんだよと言ったけど、本当はちょっと嬉しかったりする。
「わかった、君が殿下の元に行くのを許可しよう。けれど一人では行かせられない。私も一緒に行かせてもらう。ここで待っているだけなんて、したくないからね」
「でもアグニムさん、怪我が……」
「大丈夫だ。少しは良くなった気がする」
「じゃあ僕が肩を貸しますから、どうしても辛いときは言ってください」
アグニムさんは困り笑いを浮かべつつも、了承してくれた。
❋❋
休息をとっていた場所のその先は、すぐに城の中に続いていた。見張りの兵士たちに見つからないように、けれどふらつく足を補助するために、壁伝いに私とリンクは地下牢へと向かった。私がよろめくたびにリンクは私を支えようとする。まだ年寄りでもないのになんだか情けなく思えたが、それがリンクの優しさだと私はわかっていた。
なんとか発見されずに広間や大きな廊下を抜け、螺旋階段が続く狭い通路にたどり着いた。この時点で正直なところ視界がぼやけてリンクの声もよく聞こえず、たぶん頭に空気が回っていないのだろうと私は自分の現状を他人事のように考えていた。
確かに痛いし苦しいけれど、この程度の物理的な痛みなどどうということはない。身体が嫌がっているだけで、精神に何らダメージは無いからだ。
「……そろそろ地下牢かなぁ」
「そのはずだが……見当たらないな……」
二人してキョロキョロと周囲を見回す。私はほとんど何も見えていなかったが、それをリンクに悟られまいと振る舞った。肌に触れる空気の流れが変わったことから開けた空間に出たと感じ取り、リンクの肩を借りながら平坦な床を踏みしめる……力もないので靴底を擦らせながら歩く。
その静まり返った空間に、突然、ガァン!と鉄の塊がぶつかり合う音が響いた。それを聴いたリンクは「アグニムさんはここにいて」と私を置いて、音のする方に向かっていった。
私は何もできていない。いくら魔術の腕を磨いたところで、リンクや彼のように剣を持って戦えなければダメなのだ。ある程度に戦えるとは言っても、結局は付け焼き刃。
(そうだ、お前は何もできておらぬ)
「──っ!!」
背後から聞こえた声に、私は身体を震わせる。気配もした。自分の首の後ろあたりから、手が伸びてくるのが見える。
見たことのある手だった。
(お前は何もできない。だからこそ、お前は従わなければならぬ。お前自身の欲望に……)
声の主の手のひらが、私の視界の正面に現れる。どんどんと手のひらが近くなる。世界が覆われてしまう。抵抗ができない。体力がほとんど無いからだ。
「アグニム殿!」
凛とした、少女の声に掻き消されるように手も声も気配もいなくなった。顔を上げれば、リンクと彼で左右を守られた質素な身なりだが気高い少女が立っている。
ゼルダ姫だった。
「で、殿下……!」
「よかった、間に合って。貴方が邪悪なる気配に搦め捕られるのを感じたのです。かのものは貴方の優れた魔術の才を狙っています」
「殿下、アグニムは負傷しています。一度安全な場所へ向かいましょう。話はそれから」
彼はゼルダ姫にそう言い、私を……私を……。
私を、おぶさった……!
「リンクを連れてきてくれてありがとうアグニム。おかげで殿下を救うことができた」
「わ、私は何も……」
私は彼の背中に甘えながら、一時の至福を味わった。
❋❋
下水道を通ってたどり着いたのは教会だった。神父が私達を快く迎えてくれ、負傷している私に的確な治療を施してくれた。その間に、ゼルダ姫は何が起こったのかを彼とリンクと、そして横になって治療を受ける私に語った。
「私は先日、病床の父に呼んでいると家令から聞いて父の部屋へ参りました。もしかすると、父はもう長くないのかもしれないと……最期の挨拶を私にするために呼んだのかもしれないと……。けれど違ったのです。父の部屋に入った途端、私は正体の掴めない『闇そのもの』に捕らえられました。そして父はそれを見て見ぬふりをした……。私は地下牢に閉じ込められたのです」
「では殿下、陛下がご乱心なされたというのは偽りの情報なのですか?」
「恐らくそうでしょう。他の何者かが病床の父に取って代わり、成りすましているのかもしれません」
彼と殿下が静かに語り合う。リンクは二人の話に入れず、何をすればいいのかわからない様子だった。が、私のことをチラと見て「それでゼルダ姫、アグニムさんを狙ってる奴って?」と言う。殿下は横たわっている私に近づき、座り込み、私の心の奥を見つめるような目をしていた。何時ぞやか、殿下の瞳は真実を見抜く目、いっぺんの誤魔化しも通用しないと風のうわさで聞いた。どうやらそれは本当らしい。
「アグニム殿、どうか心して聞いてほしいのです。貴方を狙う邪悪とは……」
殿下が一呼吸置いたときだった。影の巨大な塊が、突然何もないところからヌッと現れ、体の一部を手のように広げて殿下の体を掴んだ。恐らくこいつが、殿下を捕らえたという『闇そのもの』なのだろう。
ところが奴は殿下だけでは物足りなかったらしく、彼とリンクの方を手を伸ばした。私はリンクが危ない!と思った。それは彼も同じで、彼は息子を守ろうとした。しかし奴は彼をその手に収めると満足したのか、あっという間にその姿をくらませた。
「父さん!」
リンクの叫びが、灯りの乏しい教会に響く。
私はどうしたらいいのか何が起きたのかわからず、殿下と彼が消えた場所を見つめることしかできなかった。
続く
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