祈るという行為は誰に向けての行いなのだろうか。人々は口を揃えて女神様へのものだと言うだろうが、その祈りとは自分の望みを叶えるために全知全能の女神に捧げているものであって女神様そのものへの祈りではない。祈りとは、結局の所自分の安寧のために自分に向けられるものなのだ。
ということに気が付いてから、どうしようもないことを変えてくれと人知を超えた存在に縋り祈るよりも、自分にできる最善を心がけようと考えるようになった。
今の私にできることは、いつか彼と並び立てるようになること。そう考えると、私の取るべき行動はただ一つだった。
「えっ、旅?」
「そうだ。私は修行の旅に出ようと思う」
夜も更けて、日が変わるであろうという時間。ある日私は無二の親友に打ち明けた。彼と彼の妻の間に生まれた子も生まれてから一年になる。これまで色々と彼の夫婦を手伝ってきたが、そろそろ大丈夫だろうと思って話をしたのだ。
「そんな急に……」
「急じゃないさ。ずっと前から考えていた。国のためになりたいならば、井の中の蛙ではいられない。それは君だってわかるだろう?」
「確かにわかる……けど……」
「私が不在で不都合が出たり、するのか?」
なんて、試すように言ってみる。すると彼から放たれたのは思いもよらない言葉だった。
「君がいなくなるのは、とても寂しいよ」
私は心臓が止まりそうになった。彼の瞳が寂寞に彩られたことに、彼の声が少し掠れていたことに、彼が涙を流していることに……。やっとまともに呼吸ができた私は戯けてみせた。
「お……、おいおい!そんなに泣くことか?!」
「当たり前じゃないか!君とは長年一緒にいたんだ!君はおれの一部も同然だ!」
彼のそんな言い方に私はまたも胸を貫かれる。ずっと聞きたかった言葉ばかりが彼の口から紡がれた。私と離れるのが嫌だと、私は自分自身も同然だと。堪らえようとしていたのに、私まで泣いてしまいそうだ。
「……そんなに言ってもらえて、とても嬉しいよ」
「どうしても行くのか?」
彼は零れた涙を皮膚の厚い手で拭う。私と違う、鍛え上げられた剣士の手。強く勇気に溢れた彼にも、こんなに柔らかで繊細な一面があったとは。
「行くよ。私は今のままではまだまだ駄目なんだ。君の隣に立つことすらできない」
「そんなこと……」
「無いとは言い切れまい。……けれどありがとう、引き止めてくれて」
私は椅子から立ち上がり、彼に背を向ける。彼が私に対して、誰にも抱かない思いを持っていることが知れただけでも幸せだ。
「出発はいつ?」
「夜明けには発つよ。本当にすまない、急な話で」
「君がこんなこと考えてるなんて、思いもよらなかった。君とはずっと共にいれると思っていたから」
「なに、永遠の別れではないさ。私は帰ってくる」
彼の様子が気になって、私は振り返る。彼は項垂れていた。君が結婚すると知ったときの私はこんな心持ちだったのだと言ってやりたくなったが、そんなこと言ったら二度と顔を合わせられない気がしてやめておく。
「リンクの成長を見れないのが少々残念だ」
「なら行かないでくれアグニム。修行なら旅に出ずともできるじゃないか」
彼の言葉に私は首を横に振る。なんで、と彼は悲しみで顔を歪めた。
「……これは私にとって必要なことなんだ。だから、行かせてほしい」
そう、これは必要なこと。純粋に修行せねばならないが、何よりも私は彼と離れることに慣れなければいけない。そして後者は彼に伝えることはできない。その理由も話す必要があるからだ。理由を語れるほど、私は強くなかった。
「君が、そこまで言うのなら、」
「ありがとう。私は必ず戻る。だから、君も王家の騎士になって待っていてほしい」
待っている、と彼は涙ぐみながら笑う。清らかでまばゆいと感じてきた彼が、ここまで人間くさいことに私は安堵した。
❋❋
僕の家族は両親と父さんの弟の叔父さんの三人だ。父さんは王家に仕える騎士で、叔父さんは林檎の農家。母さんは家事に専念している。僕は叔父さんや母さんの手伝いをしながら、父さんのような騎士になるために空いた時間を剣の練習に費やしていた。
けれど父さんと母さんが言うには、もうひとり家族と言える人がいるらしい。その人は僕の名付け親で、僕が一歳になるかならないかの頃に魔術の修行のため国を出ていった……と聞いている。父さんの無二の親友で、お互い国のためになろうと昔から意気投合していたとか。
僕はもうじき齢十四になる。その人が出ていってからもう十三年が過ぎていた。父さんはずっとその人のことを待っている。父さんがよく見せてくれる写し絵の中のその人は銀髪を短く切り揃えていて、肌も白くて、本ばかり読んでいそうな顔をしていて、実際そのとおりだったとか。少し内気そうで、でも綺麗な人だと思った。
ある日僕は叔父さんの手伝いをしに林檎園に来ていた。けれどここ数年は実りが悪い。林檎だけじゃない。国中で作物が不作状態。穀物が作れないから家畜も育たない。なんとか生きることはできていたけれど、こんな状況があと数年も続くのははっきり言って苦しい。どうしてこんなことになっているのか、誰にもわからなかった。
「……これは今年も駄目だな」
「叔父さん……」
まだまだ青い林檎を見て叔父さんは溜息をついた。加工するのはどう?ジャムとか……と言おうと思ったけれど、あまりにも落ち込んでいる顔を見てそんなことは言えなかった。
「おや、どうかしましたか」
二人して落ち込んでいると、男の人が話しかけてきた。背の高い人で、旅の途中なのかあれこれ荷物をぶら下げている。
「いやね、あんまりにも不作続きなもんだから、さすがにちょいと参ってたんですよ。あんた旅の人かい?このご時世にこの国に立ち寄るなんて、運がありませんな……」
「……いえ、だからこそ私は戻ってきたのです」
そう言うとその人はずんずん林檎の森の中へ入っていく。何をするつもりだと叔父さんはその人を追いかけた。彼が地面に手を当てて、何かしら呟く。その数秒後のことだった。
それまでヒョロヒョロだった木々の幹がたちまち太くなっていき、緑の葉っぱがわさわさと生い茂る。数えるほどしか生っていなかった林檎はポンポンと実を結び、こんな光景は久しぶりだった。僕も叔父さんも、そのことで呆気にとられる。
「あぁよかった、無事成功して。あなた方のところで最初に起こそうと決めていたのですよ」
「……!お前さん、まさか……!」
叔父さんはその人の正体に気が付き、その人は気が付かれたことに気が付いたのか口元を覆う布を外した。
僕はその顔を見たことがある。
「あなたのお兄さんの元へ、案内してくれませんか?」
❋❋
「アグニム……?本当に君なのか……?」
「あぁ、帰ってきたよ」
彼は自宅の玄関で出迎えてくれた人が私だったことに呆然としていた。十三年前に旅に出たきりだった彼の息子の名付け親で、彼の親友を名乗ることがまだ許されている……私。
「いつ?」
「今日だ」
「今まで何処へ?」
「世界中のあちこちに」
「ずっと会いたかった」
「私もさ」
十年以上ぶりの彼は、確実に年を重ねていた。けれどそれは私も同じ。多少は老けたけれどそんなことは関係ない。私たちの前に、年齢など意味を成さないのだ。抱きしめようか迷った。けれど彼の方から私を抱きしめてきた。彼の気持ちが嬉しくて、今までの渇きが潤いで満たされていく。
「……本当に私に会いたかったんだな」
「当たり前だ!君が発ってからずっと、君を想わない日はなかった」
「それは嬉しいな」
「あーのー……」
私と彼の二人だけの世界になっていたところに、リンクが居づらそうに割って入ってきた。
「感動の再会のところ悪いんだけど、ご飯できてるよ、父さん、アグニムさん」
「あぁすまないリンク、ただいま。久しぶりだったものだから、つい」
彼はリンクの前ではしっかり父親をしていた。私の知らない彼の一面があるのは少し寂しいけれど、昔よりはその姿を受け入れられるようになった。
「おかえりなさいあなた。よかったわね、アグニムさんが戻ってきて」
……奥様のことも。
「あぁただいま。なあ、今夜アグニムを泊まらせてもいいか?」
「もちろんそのつもりですよ。お酒も用意してありますから、遅くまで語らってくださいな」
「ありがとう!なんだかまだ夢を見ているみたいだ」
私は彼のその言葉に、夢心地だった。
「弟の林檎園を救ってくれたようで感謝する。だが、ここ数年ハイラルの食糧難は悪化するばかりだ」
「やはり不作は国全体で、か」
私は彼とふたりきり、いつかのように居間で酒の飲み交わしながら話をしていた。先程までの夕食の席では、これまでの旅で私が見たもの聞いたものをたくさん語らせてもらい、愉快な時間にさせてもらった。が、今はそこまで明るい話題ではない。現在、ハイラルは窮地に立たされているのだ。
「陛下も王女殿下も、どうしようもない状況に心を痛めておられる。おれはただの騎士だし、何をすればいいのかわからなくて」
「長年王国を離れていた人間が、いきなり国王陛下に謁見などできるはずがないな」
「……厳しいと思う」
「ならすることはひとつだ」
「一体何を?」
私は一呼吸置いてから答えた。
「実績を積む」
翌日から、私は彼と共に国中を歩いて回った。皆疲れ果てた顔をして、実りのない畑にため息を吹きかけている。畑の主に許可をもらい、大地に魔法を施す。するとたちまち豊かな実りがもたらされた。畑の主も、その近くの畑の持ち主もその場を通りかかった全く関係のない人達も、私の魔法の結果に喜んでくれた。人のためになるということは、なんと良いことなのだろう。
それに、肥沃の魔法が安定して行えるようになったことに私は心底安心した。少しでも失敗すれば後ろ指をさされることになる。旅から戻った私一人ではなく、王国騎士である彼が側にいてくれたのは心強かった。彼がいなければ私への信頼の土台は出来上がらなかっただろう。
「ありがとうございます、あなたは私たちの命の恩人だ」
「いえ、私はただ私にできることをしたまでですから」
そういった活動を私は何日も、何週間も、何ヶ月も続けた。ときにはリンクも一緒に。騎士の仕事で私に同行できない彼の代わりがしたい、ということで。
「私は昔、国のためになりたいと思っていたんだ」
「知ってる!父さんから聞いたよ」
「けれど、国というものは人々がたくさん集まって成り立っている。国を幸せにするためには、まず人々を一人ひとり幸せにしなければならないんだとね」
「なんかアグニムさんって、神父様みたい」
川岸に腰をおろし、奥様から持たされた林檎を二人並んでかじりながらそんな話をする。神父様。そんな聖人のようになど、私はなれやしない。私がこうして人々のために行動しているのは、彼の隣にいるためなのだから。私は結局私欲を捨てきれていない。
「色んな人のためにお祈りをするって、なんだか司祭様って感じがするね」
「ははは、そんな御大層な肩書は少々荷が重いなぁ」
自分のための祈りを自分に捧げてきた私は、いつの間にか他者への祈りを他者に捧げているように見られていた。思いがけないことだった。
そうしている内、私のもとに王家から召喚状が届いた。
続く
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