ナスカ
2021-12-28 23:08:32
7042文字
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王と客星の幕間劇 その8

前回の続きです。

時の勇者の眠りは七年だとアストルは視た。それまでに勇者に宿った勇気のトライフォースと、どこに行ってしまったのかわからない知恵のトライフォースを宿主が強奪するための準備を整える必要がある。計画は順調に進んだ。だがデクの樹がいなくなったことで妖精の森には魔物が蔓り、火山には邪龍が住み着いた。湖は干上がり、その上流にある泉は凍りついて、城下は焼け落ち荒廃。とてもではないが今のハイラルはハイリア人はおろか、特定の環境に適合した亜人たちですら住むことができない過酷な世界になってしまったのだ。
ガノンドロフが欲しがった、女神に愛された豊かな土地は見る影もない。
何故これは我が手に入らぬのだと嘆く姿に、アストルは彼が厄災への道を辿ったことを理解する。焦燥感と絶望に駆られるばかりの王に、アストルは身を切る思いで寄り添い続けた。彼はいつか自分のことを忘れて、この国を災禍で包み込むか。それが彼の運命だ。できることならば変えたいけれど、変えることは許されない。未来の彼を想えば、できるはずがなかった。
「お前はオレの側にいてくれるのか?」
「貴方のためならば、永遠に」
「オレの欲したものは何もかも、指の間からすり抜けていく。お前もいなくなるのではないかと」
「貴方が私を要らないと言っても、しがみつき続けます」
アストルはガノンドロフが厄災に近づくにつれて愛を忘れてしまうことが怖かった。自分のことを忘れられてもいいと思ってはいたが、それでも「誰かに愛されていた」ことだけは記憶の片隅に存在してほしいと。きっとそれが遠い未来、二人を繋げることになる。そんな淡い想いを抱きながら、アストルはゲルド王の側近として、そしてただ一人の愛妾としての役割を果たしていた。
「魔王の予言書」として集落に繰り出すと、時折出くわすハイリア人たちから「裏切り者」「背教者」と後ろ指を指されたが、その言葉からアストルが何かを感じることはなかった。自分の心は既にガノンドロフの元にある。ハイラルの神々の存在を認めていても、それを崇め奉ることはしなかった。自分が信じるだけの偶像はいらない。思いが繋がる相手がいればそれでよかった。ここにいることが許される限り、それだけは貫いていこうと。


❋❋


……お前、この時代の人間じゃねぇな」
「!」
ハイラル城を征服したガノンドロフは住まいを砂漠からそこに移した。魔王の名を城の名としたそこに、アストルも暮らすこととなった。そこに居着いているのはガノンドロフとアストルだけでなく、多くの魔物たちもそうである。だがアストルに声をかけてきた、この口の悪い青年は魔物でも人間でもなかった。
スッとした切れ長の目は燃える炎を閉じ込めた水晶のよう、喪に服しているかのように真っ黒な服、アストルよりもやや青みが強い夜空色の髪。いつかの啓示で見た勇者にそっくりな顔つきは、彼が時の勇者の関係者であることを想起させる。
「君は……
「『勇者の魂の守護者』だ。……まあ、『勇者の影』の方が呼び方が短いし、そっちの方でもいいが」
「何故私が異なる時間から来たと?」
「フォースの流れが違うからだ」
「フォース……?」
アストルがいた時代ではトライフォースどころか、フォースのことすら語り継がれていなかった。フォースとはこのハイラルに生きとし生けるもの全てに流れ溢れるエネルギー、生命力のことである。トライフォースはそれが結晶化、実体化した存在と言えるだろう。青年は少し面倒そうにしながらもそう語ってくれた。
「普通、人間に流れているフォースは後ろから前に流れている。留まることはない。だがお前は違う。後ろから前に流れず、円環状に流れている。俺にはフォースの流れが見えるからな」
「何が言いたいのですか?」
青年は堪えていたものが爆発したのか、目つきを険しくさせてアストルを勢い強く壁際に追い詰めた。アストルもそれには驚き、持っていた本をバラバラと床に落としてしまった。自分よりやや背が低いはずの青年の怒りに気圧されて、やや腰が抜けてしまう。
「お前はどこから来た!過去か!?未来か!?いや違うな……何の目的でここに来た!?あの魔王に付き従い、何をしようとしている!?」
……君も、私がハイリア人でありながらガノンドロフ様のお側にいることが理解できないのですか?」
「違う。俺は女神も魔王も大嫌いだ。勇者の魂を縛り付け、傷つけるだけの連中なんてみんなみんな俺が殺してやる。それなのにお前がいるせいで、それができない」
憎しみのこもった瞳にアストルはかつての自分を見た。彼もきっとこの世で最も大切な存在と引き裂かれたのだ。そしてそれは女神と魔王の仕業であると信じている。
哀れだとは思った。だが同情を寄せて彼に加担することはできない。アストルは青年の青さに冷静さを取り戻し、抜けかけた腰を持ち直す。
……側仕えの前で主人の殺害予告など、よくできたものですね」
「なっ……!」
「君の言いたいことはわかりました。けれど私は自分の成すべきことを止めるわけにはいきません。私にも、大事な人はいるのです」
するりとアストルは壁際から抜け出し、何もなかったかのように本を拾い集めた。青年はギョッとしてアストルに視線を向けるが、当の本人はそれに気付いている様子は無い。アストルは数歩進んでから振り向き、青年に微笑みかけた。
「けどありがとう。どうしてここに来たのか、私にもわからなかったのです」
「わからない……?どういうことだ?お前は自分からここに来たんじゃないのか?」
「私は何も望んでいません。私はただ、あの方の側にいることと未来を変えないようにしたいだけ。だから、何かをしようとして来たわけではないのです」
では失礼、とアストルは青年のもとから去る。
……フォースが円環状に流れて続けている。それが自分が十数年ここで過ごしていても老いない理由であり、この時代に来てしまった原因らしい。勇者の影なる存在と接触してしまったのは少々危険と思ったが、それを知れたのはかなりの収穫だ。自身の中を流れるフォースの動きを変えられれば、帰れるかもしれない。けれど帰れなければ、この時代で年を重ねなければならなくなる。
帰り方を模索するのはこの時代の彼への裏切りのような気がして、アストルは自らそれをすることはできなかった。


❋❋


いよいよ七年が経とうという日の前夜。アストルはいつもと変わらずガノンドロフの寝所に足を運ぶ。勇者の目覚めがこれから自分たちに何をもたらすのか、アストルにはまだ視えていなかった。わかっているのは、彼が厄災への道を歩み始めてしまういうことだけ。魔王が勝とうが勇者が勝とうが、その事実は変わらない。
「ガノンドロフ様、失礼致します」
「ああ、アストルか。入れ」
扉を開けば、既に就寝の準備を終えたらしいガノンドロフが穏やかに笑いながら手招きをする。アストルは軽く揺らした歩調で隣に座り込んだ。二人が座る巨大なベッドの意匠は、ハイラルとゲルドの文化、双方の特徴を取り込んだ特注のもの。その他にも置かれた調度品はそんなものばかりだ。ガノンドロフの故郷を想う感情とハイラルへの憧憬が詰まっているのだろうとアストルは思う。
「こうして過ごすのも、しばらくなくなってしまうのでしょうね」
「勇者などただの小童だ。恐れることはない。トライフォースを揃え、ゲルドに繁栄をもたらすまでの辛抱だアストル」
「はい……
……何故そんな寂しそうな顔をする」
俯いたアストルの顔をガノンドロフは自分の方に向かせる。その視線が床に向けられていたことが気に食わなかった。こちらを見よと言わんばかりに、太い指でアストルの白い頬を掴む。肉が少ないためか、浅く指を沈めればすぐに頬骨に当たった。
……怖いのです。貴方が人ならざる存在になってしまわないか」
「人ならざる存在とは?」
「貴方は魔物たちを従えています。ゲルドの兵士ではなく。貴方が人間でなくなってしまうかもしれないと思うと、とても怖くて」
アストルは黄金の聖三角の宿るガノンドロフの手に自身のそれを重ねる。トライフォースの存在を知ってから、アストルは神の遺産と呼ばれるこの黄金について調べ尽くした。この城は元々ハイラル王家のもの。国家機密とされてきた禁書も、主が変われば読み放題となった。
触れた者の願いを叶えるそれは、時として持ち主の欲望を際限なく膨らませてしまう。正しく扱えるかどうかは触れた者次第。
今はただ民のためと願う一人の王が、何故あんな憎悪と怨念の権化となるのか。それはこのトライフォースの仕業ではないのか。
こんなもの、最初から存在しなければよかったのにとアストルは思う。
……まるでオレがそうなるのを知っているかのような口ぶりだな」
ガノンドロフの言葉にアストルの胸が跳ねる。
「影の小僧との話を聞いていた。お前は、この時代の人間では無いのだと」
「知ってしまったのに、どうして私を問い詰めなかったのですか?」
アストルの声は震えている。
「かつてお前は言った。言わなければいけないことはわかっている、と。いつか伝え方がわかったときに必ず教える、とも」
ヒュッ、とアストルは息を吸い込んだ。もうずっと前のことだったはずなのに、彼は覚えててくれていた。彼は自分を信頼してくれていたのだ。
「最初、オレはそれを、お前がオレを好いてくれている理由だと思っていた。だが、十七年の時が過ぎてもお前は若いままだ。何かあるのだろうと思ったが、お前が話してくれるまで待つことにした。……まあ、それはお前にもわかっていなかったことには驚いたがな」
「本当に、ごめんなさい。あまりにも現実離れしていて、信じてもらえるわけがないと思っていたのです」
「教えてくれ、アストル。お前は一体誰で、どこから来た」
ガノンドロフの請う姿に、アストルは今こそ話そうと決意する。遥かなる一万年の間、そしてその後、この世界に何が起きるのかを。


自身の未来を知ったガノンドロフは動揺こそしたが、「ならば勇者も姫も葬るまでよ」と強気の姿勢を見せた。アストルはその姿に安堵しながらも、それは虚勢ではないのかとも思えてしまう。自分が自我も失って、憧れた場所を破壊することしかできないと知ったらおかしくなってしまうはず。それなのに彼は「今までずっと言えず辛かっただろう。耐えてきたのだな」とアストルを抱きしめて労った。それが嬉しくもあり申し訳なくもあり、アストルはごめんなさいと泣いた。
「お前は今のオレだけでなく、未来のオレも救ってくれるのだな。お前には助けられてばかりだ」
「先に助けられたのは私です。ここにいる貴方のことは大好きです。でも元の時代の貴方のことも大好きです。結局私はどっちつかずなのです」
……いつか、未来に帰らねばならぬのか」
こくりと頷くアストルに、ガノンドロフはなんと声をかけたらよいのかわからなかった。帰るなとは言えない。アストルを永遠に「過去」で過ごさせることは、自分が未来を孤独に過ごすことと同義だからだ。彼が異なる時間にいる二人の自分を愛しているならば、そういうことになる。
「だが帰り方がわからぬのだろう?」
「はい……。勇者の影の言葉を参考にするならば、円環状にフォースが流れている動きを変えれば出来るかとは思うのですが」
指でくるくると円を描きながらアストルは言う。普通フォースは見えないし、触り方もわからない。川底に石を積み上げて流れを変える……ということと同じようにもいかない。
「いつかわかるときが来る。それまでは、オレの側にいてくれると約束してくれ」
「止めないでくださって、ありがとうございます」
アストルは、自分に自由をくれたガノンドロフなら大丈夫だろうと思った。


❋❋


勇者は目覚めるとすぐ、三つの神殿で助けを求めている賢者を救出しその覚醒を促した。詳しいことをアストルは知らなかったが、城の中から勇者の影がいなくなったのを見るに、彼は勇者に会いに行ったのだろう。だがそうなった以上彼は敵だ。あれきり一度も話をしていなかったが、もう少しちゃんと向き合えばよかったとアストルは後悔していた。

ガノンドロフが送った刺客を勇者は返り討ちにし、確実に強さを身に着けている。アストルは不安がったが、「それくらい歯ごたえがないと面白くなかろう?」とガノンドロフは笑った。

残り二つの神殿も乗り越え、とうとうナボールとは何も話さずに永遠の別れとなった。賢者たちが集う場所はあの世では無いにせよ、この世界とはまた別の空間に存在している。そしてそこはアストルが立ち入れる所ではなかった。これから賢者としての彼女の名はゲルドでもハイラルでも語り継がれていくが、無邪気な少女だったことを知る者は後の歴史でも自分だけになるのだろうもアストルは思った。

あの頃の子どもたちが育てていたナツメヤシの木は立派な大樹となり、ゲルドの砦から少し離れた場所にあるオアシスに移植させられた。これがずっとゲルドに生きる者たちの命を繋いでいくと思うと、自分のしたことは決して無駄ではなかったのだろうとアストルは思えるのだった。

ガノンドロフは時の神殿で勇者の前に姿を現した姫を攫い、こちらへ来いと勇者を挑発した。攫われた姫は泣きもせずこちらを恐れるような様子も見せない。一貫して毅然としており、女神の力を継ぐ者としての器を感じた。その姿は封印の力に目覚めたあの姫巫女を思わせる。いつしか国の統治者となる人間に相応しい振る舞いであり、そこはガノンドロフとよく似ていた。

勇者は六つの塔から展開される結界を解き、いよいよ聖三角の所持者三人が対峙する。アストルはそれを少し離れたところから見守っていた。勇者の側には一匹の妖精と、もうひとり……勇者の影がいる。妖精はガノンドロフの放つ闇の波動に勝てず、勇者の帽子の中に逃げ込む。だがそれでもこの状況は二対一だ。小童二人で何ができようとガノンドロフは余裕そうに笑うが、アストルは戦力になれない自分を恨んだ。勇者と魔王が相対するならば、あの影と向き合うのは魔王の側にいることを選んだ自分なのではないかと。だがここでしゃしゃり出て、ガノンドロフの足を引っ張るわけにはいかないとアストルは諦めていた。
宙に浮いたガノンドロフの手から放たれる電気を帯びた魔弾を勇者が退魔の剣で弾き返す。それをまたガノンドロフが弾き返し、延々その繰り返し。しかしタイミングを見誤ったのかガノンドロフはその魔弾を食らい、床へと崩れ落ちる。
勇者が取り出したのは、聖なる輝きに包まれた弓矢。あんなものを喰らえばひとたまりもない。倒れて動けないガノンドロフに致命傷を与えるには十分すぎる。
自分には特別な力など何もない。武器も防具も構えられない。もしもあの光の矢からガノンドロフを守れば、自分が死ぬかもしれない。そうすれば未来に帰ることはできず、彼を独りにさせてしまう。それでも。
「いや、だ」
アストルはもたつく足で物陰から駆け出した。
彼がいなくなってしまえば、幼い自分は厄災と出会わずに終わるだろう。それは最早「アストル」ではない、他の何かだ。そして厄災は「アストル」によって救われなければならない。
アストルは、未来を変えるわけにはいかなかった。

光の矢はアストルの細い肢体を貫いて、背後の壁へ磔にした。

「アストルっ!!!」

ガノンドロフは身体を起き上がらせ、吹っ飛んだアストルの元へ突っ込んでいく。壁にアストルを釘売った光の矢は光の粒になって霧散し、その身は力なく床に落ちた。ガノンドロフは倒れたアストルを抱き起こす。それを見た勇者も、勇者の影も、水晶に閉じ込められた姫も目を見張った。悪逆の限りを尽くしていたはずの男が、たった一人のために必死になっている。今は勇者との戦いの最中であり、背中を見せては斬りかかられる恐れすらあるはずなのに。
「アストル、何をしているんだ!お前は……お前は帰らねばならぬのだろう……!?」
「そう……そう、です、ね。でも、私、貴方を守りたかった。過去の私と、未来の貴方のために」
その時、アストルは耳元で時計の針の音を聞いた。意識も視界もぼんやりとしていく中、ガノンドロフの声に混じってカチコチと針の音が聞こえる。
「今の私が死んでも、貴方は未来でまた私に出会います。だから、貴方は大丈夫です」
「何を言う。お前が残してきた、未来のオレはどうなる!一人で生きろというのか!今のオレですら、お前を失うことがこんなに恐ろしいというのに!」
「ごめんなさい」
アストルの胸に空いた穴はその縁から黄金色の輝きを放つ。その穴はどんどん広がって、アストルは少しずつ消えていた。
「こんなことしかできなかった私を許してください」
「許せるものか。だから、いなくなるな。トライフォースを揃えてゲルドを繁栄に導いても、オレはお前がいなくてはやっていけない」
握っていた手すらも、消滅した。残っているのはアストルの顔だけ。
「ありがとう、ガノンドロフ様。お会いできて幸せでした。一万年後に、またお会いしましょう」


アストルは、その姿かたちを何一つ残さずにいなくなった。



続く