ナスカ
2021-12-19 21:09:00
3410文字
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ねきなこさん供物 先アスアス♀

ねきなこさん宅の「先生」とアストル君とアストルちゃんの話


僕は王子様でも何でもない。彼女もお姫様ではない。僕はただの人間で、彼女もただの人魚だった。僕の恋の成就を阻むのは種族という、高い高い切り立った崖。僕は自分がその崖を登ることを選ばず、彼女を崖から引き摺り降ろす道を選んだ。結果、彼女は死んでしまった。僕の想いの丈をこの世に遺して。
最初は水槽の中で過ごさせた。人魚は海に住まなければ弱ってしまうことは彼女の時に理解した。しかしこの子達はまだ小さいためか、そこを狭いと思うこともなかったようで、彼女にそっくりな夜空色の髪を水の中で靡かせながら泳いでいた。
「パパはおよがないの?」
「おみずのなか、きもちいいよ?」
「パパは二人みたいに泳げないんだ。尾鰭が無いからね」
そう言って僕は二本の足を見せた。双子はどうして自分たちは人魚なのに父親の僕は人間なのかと尋ねた。僕は赤子だった君たちを浜辺で拾っただけだよと教えた。だから僕は君たちの本当の親では無いんだよ、とも。二人は「ふぅん……」と特に重く捉えることもなく、「でもぼくはパパがすき!」「わたしも!」無邪気な笑顔で言った。パパも二人が大好きだよと、僕は双子を可愛がった。そうしなければ、僕の命が危ないから。


❋❋


「アストル?アストル?」
ある日妹が目を覚まさなかった。生きているけれど、目を開けてくれない。そういえば最近あまり元気じゃなかった。どうすれば元気になるのかわからない。その日父さんは仕事で、まだ帰ってくるような時間じゃなかった。僕一人ではどうにもできない。妹が弱っていくのを見ているだけなのは嫌なのに、それ以外をすることができない。
「どうしよう、なんで、なんで」
ふと僕は父さんの書斎にたくさんの本があることに気づく。人間の父さんは僕達を育てるために、あちこちから人魚に関する本を集めていた。あれを読めば、妹を助けられるかもしれない。
僕は水槽の底から思い切り助泳をつけて、水面に向かって飛び出した。ほとんど吸ったことのない「外」の空気。水の中ではよくわからない「匂い」を感じて少し気持ち悪くなったけど、なんとか床を這いながら本棚まで向かう。人魚の僕は人間のように立てない。手を伸ばしても届く高さには限りがある。背表紙を見て、人魚のことについて載っている本は片っ端から読んでいった。が、どれもこれも人間の間での伝承について書かれているものばかりで根本的な解決にはならない。おかしい。父さんは僕らを育てるために必ず本を参考にしていた。こんな本じゃ、僕らを育てられるはずがない。
まるで僕らがそれを読まないように、知られないように、隠しているみたいだ。
……おにい、ちゃ……
「アストル!」
意識のなかった妹が目を覚ました。けどやっぱり具合が悪そうだ。これまでなんともなかったのに、どうして急に。
「お兄ちゃん、どうして外にいるの?」
「アストルの具合が悪そうだから、父さんの本を読んで何かわからないかなって思って」
「そっ、か」
「何かしてほしいこととかあるか?」
僕がそう問いかけると妹は首を横に振る。そんなはずないのに、どうして。
「私は大丈夫だよお兄ちゃん。心配しないで」
「でも……
「ほら、もうパパは帰ってくるわ」
どうしてわかるのかと言おうとしたが、たしかに父さんの足音が聞こえてきた。妹はすっかり元気になって、帰ってきた父さんにおかえりなさいとニコニコしながらお迎えをする。
僕は、それがとても引っかかってならなかった。


❋❋


「おいでアストル」
ある日の夜中、私はパパにそう言われた。同じ水槽の中にはお兄ちゃんが寝ている。どうして私だけ?と思いながら、私は水面から頭を出す。パパは私を水槽の中から引き揚げると、バスタオルで濡れている私の身体を丁寧に拭いてくれた。
「パパと楽しいことをしよう」
「楽しいこと?遊ぶの?」
「あぁ、そうだよ」
……お兄ちゃんは?」
「一人としかできない遊びなんだ。まずは君から」
そう言われてされたことを、私はよく覚えていない。暗かったせいと、眠かったせいかもしれない。パパが優しく頭を撫でてくれたことだけはよく覚えている。どんな遊びだったのかパパは話してくれない。終わったあとにぐっすり寝れてるならたくさん遊んだ証拠だよとパパは言った。
何回かそんなことをして少し経ってから、私はあまり具合が良くなかった。お兄ちゃんはそんな私を見てすごく心配してくれた。今まで水槽から出たことなかったのに、そこから飛び出してパパの本の中から私を助けるためのものを探してくれた。けど何も見つからなかったみたいで、自力でなんとかしようとした。その頃には私は元気になっていて、パパも帰ってきた。お兄ちゃんはパパが何かしたんじゃないかと思っているみたいで、パパのことを少し睨んでいた。こんなに優しいパパがひどい事するはずが無いのに。
「ほら二人とも、食事にしよう」
そう言ってパパは私達の水槽に生きた魚をそっと放流する。小さなバケツから水槽の中に移された魚たちは活き活きと泳ぎ始める。まだ私の具合を心配しているのか、お兄ちゃんは「アストルはここにいて」と言って私を岩に座らせて魚を獲りに行った。
「アストル、どうしたいんだい?具合でも良くないのかな」
「父さんがアストルに何かしたんじゃないの?」
「もう!お兄ちゃんやめて!ううん、大丈夫よパパ。何ともないわ」
「そうか、ならよかった」
パパは笑った。水の中から見上げる、揺らめく水面のように優しく。


❋❋


「アストル、やはり具合が良くないように見えるよ」
アストル……妹の方のアストルは毎日水槽の底で横たわっている。その様子を僕は以前も見たことがあった。
彼女が、この子たちを孕んだときと同じ。
妹のアストルは兄のアストルと比べて彼女によく似ていた。まるで彼女がまたこの世に顕れてくれたように思えてしまう。だから、思わずこちらのアストルを水の外に招いてしまったわけで。その結果が実を結んでしまったのだ。
それはそれで、まあ悪くないとは思うけれど。
「パパ……食べたいものがあるの」
「なんだい?何が食べたいんだい?」
……わからないの。食べたことのないものかもしれない」
人間の肉だ、と直感した。彼女も腹が膨らんできた頃に「人の肉を食べたい」と泣いて頼んできた。その時僕は自分の細い腕を削いで彼女に与えた。けれどそれで彼女が満足することはなく、僕は……
……ということは魚以外ということだね。大丈夫、見つけてくるよ」
「うん、ありがとうパパ」


アストルは父さんの背中を見送った。それを見ていると胸の奥がグラグラと煮えてくる。アストルは僕の妹なのに、あの人はまるで彼女を自分の物だと思っているように見える。
「アストル、あの人は別に僕らの本当の親じゃないんだぞ」
「でもパパは、私達を拾って育ててくれたのよ?」
あくまでアストルは父さんを庇う。けれどそれでも覆せないものがあるだろう。
「僕らだってもう子どもじゃない。だったら海に戻してくれるはずだ」
「お兄ちゃん……
「僕らが子どもじゃないってことは、父さんが一番わかってる。そうじゃなきゃ、お前がこんなことになるはずないだろ?」
許さない。僕の可愛い妹に手を出して。父親ヅラして、碌でもない奴だ。いつ知ったのか、どこでそんな知識を得たのか、自分でもよく覚えていない。記憶にあるのは嫌悪感と興奮を同時に感じて気持ち悪くなったことだけだ。
「アストル、僕らは目を覚ますときが来たんだ。この水槽を出よう。怖くない、僕がいる」
困惑する瞳が堪らなく綺麗だと感じた。アストルの側にずっといるのは父さんじゃない、僕だ。


❋❋


どうしてこの子達が、僕にこんなことを?
「パパってこんなに美味しいのね。知らなかった」
「アス、トル」
「そうよ、ずっと食べたかったのはパパだったのよ」
あんなに可愛がってきたのに。この子たちに、彼女にしたことを知られないように。誤魔化すように愛してきたのに。
「ありがとうお兄ちゃん」
「お前のためなら私はなんでもするさ、アストル」
兄の方のアストルは、妹に微笑まれて満足そうに笑う。慈悲深さすら感じる笑みを浮かべたあと、僕の方を見る。勝ち誇ったような笑顔を最後に、僕の目は何も映さなくなった。