それはアストルがゲルドとハイラルの行方を占ったときのことだった。ゲルドの悲願を妨害する者がいると告げたアストルを連れて一旦室内に戻り、暖炉に薪を焚べ、冷たくなっているアストルを毛布でくるみ、温かい飲み物を王自らが用意した。ガタガタと震えながらアストルは「すみません、王にこんなことをさせてしまって」と申し訳無さそうにしていたが「民を慮るのは王の役目だ」と至極当然の事のように返事をした。
「……それで、誰がオレたちの悲願を妨害すると?」
アストルは与えられたホットミルクを啜りながらポツリポツリと話す。コウメとコタケもそれを黙って聞いていた。
「一人は、おそらくハイラルの姫でしょう。あの国の王女は代々女神の力を宿して生まれてくると言います」
「ふむ」
「もうひとりは、あの国の伽話に度々登場する勇者であると思われます。勇者は姫に導かれ、ハイラル王国の安寧と……それから『何か』を貴方から守らんとするため戦いを挑むのです」
「『何か』とは?」
アストルは首を横に振った。そこまではわからなかったのだろう。と、ここでコウメが話を繋げた。
「その『何か』っていうのは、トライフォースじゃないかねぇ」
「トライフォース?なんだそれは」
「ちょいとあの国の城に潜り込んでいる時に聞いたのさ。ハイラルのどこかに、どんな願いでも叶えてくれる神々の黄金が存在するとね」
コウメの言葉に王は馬鹿馬鹿しい!とその話を蹴飛ばした。
「そんなものをオレが求めるとでも?神々に頼るなど、力無き者がやること。オレにそんなものは必要ない」
「だが持っておいて損は無いはずさ」
コタケの援護射撃に王は「……まあそうだな」と認めざるを得なかった。だがそこまで王はその万能の力を持つものに興味を示していない。トライフォースという言葉そのものが初耳だったアストルは、それについての詳細を双子の老婆に訊ねた。
「あの国に伝わる神話に登場する神々が残し置いた、まあ神器ってところだろうね。王国の紋章にある、あの三角形だよ」
「三つのね」
「坊やはハイリア人なのに、それを知らなかったのかい?」
アストルが生きた時代にトライフォースを知る人間など、周りには一人もいなかった。それこそ、王家の者たちでさえも。長い歴史の中で忘れ去られていったと考えるのが妥当なのかもしれない。
「……はい、それについては何も……」
「そうかい……。あぁ、話が逸れちまったね。続けておくれ」
「そのトライフォースを手に入れるためには大きな『扉』を開くための『鍵』が必要で、『鍵』は三つあるらしいのです。いや、四つ、違う、五つ、なのかな……」
「随分と幅があるな」
「『鍵』は三つで間違いありません。勇者はその『鍵』を三つ集めていました。残りの二つは姫が持っていて、姫が勇者に託す……ようでした」
もっと明確に見えていればとアストルは思ったが、あれは自分が占って見えた結果ではない。何者かが……たとえるなら神のような存在がこれから起きる出来事を透視していて、それをアストルに啓示として伝えてきたように思える。
「そうだな、あの国の連中にとってオレは国の安寧を脅かす一族の首領。ならばあの国の守護女神の力を宿す姫も、それに導かれる勇者も、オレを退けようとするわけか」
面白い、と王は嗤う。
「お前の見た未来のとおりにしてやろうじゃないかアストル。トライフォースを手にしたところでする願いなど、皆が灼熱と乾燥に怯えずとも暮らせるように……といった程度のものだ。世界を震撼させるようはものにはなるまい。まずはあの王家に忠義を誓うフリをするところからだな」
手伝えるな、と王は毛布の中にいるアストルをしっかりと見つめる。すっかり温まり、震えもなくなったアストルはコクリと頷いた。
❋❋
「アストル?」
「ガノンドロフ様!……いつからそこに?」
「先程から声をかけていたのだが」
「すみません、少しだけ物思いに耽っていて」
アストルは厚手のブランケットを羽織って夜空を見上げていた。あの日からアストルは毎夜毎夜空を見上げて星座が動き出すのを待っていた。星が語りかけてくるとアストルは出来事をそのまま言うが、ガノンドロフはそれを占星術師独特の感性だと捉えており、それが文字通りなのだとわかってくれない。
「入りますか?」
ふわりとブランケットを広げ、隣へどうぞとアストルは笑う。お誘いのように思えるそれが無自覚なのだから、嬉しいことは嬉しいのだがガノンドロフは毎回参ってしまう。
「あぁ、邪魔するとしよう」
ブランケットはアストルには大きいが、ガノンドロフにはやや小さい。アストルの左側に座ったガノンドロフだったが、左肩にブランケットの隅が届いていなかった。
ガノンドロフの筋肉質な身体には体温がこもっており、温かい。痩せっぽっちのアストルはすぐ冷たくなってしまうことを知ってから、ガノンドロフはその身体によくよく触れるようになった。アストルはおずおずと隣に座るガノンドロフに体重を預ける。白くて細い手は氷のように冷たい。ブランケットを羽織っているはずなのにこんなに冷たいなんてと眉を寄せるが、アストルは自分の冷たさを気にしている様子もなく、「ガノンドロフ様の手、あったかいです」と綿のような笑みを浮かべた。照れたのか、ガノンドロフはふいっと顔を逸らす。
「お前はよくやってくれている。おかげであの小僧をうまく利用できそうだ」
「そうですか。それはよかったです」
最初の啓示のあと、アストルは数回に分けてお告げを見た。
近い内に王妃が亡くなり、王が憔悴することを告げられたアストルはそれをガノンドロフに伝え、ガノンドロフは王に取り入ることに成功した。
勇者となる少年が逃れたのはコキリの森と呼ばれる、森の妖精以外が侵入すれば永遠に出られなくなる場所だと告げられ、それを見守る大木のデクの樹の命を断つためにガノンドロフは巨大な寄生虫を刺客として放った。表向き失敗したと思われたが、長い目で見てみればこのお告げは良い結果をもたらした。
三つの精霊石を揃えても、王家の秘宝「時のオカリナ」が無ければ意味を成さないこと知ったアストルは、ガノンドロフにそれを告げる。時のオカリナを持っているらしい姫を常に監視したが、姫は隙を見せない。
そんな時にアストルが国をひっくり返しすなら今だと予見し、ガノンドロフはアストルを連れてハイラル王に謁見。その場でハイラル王を殺害し、クーデターを起こした。
目論見通り、少年は集めた精霊石を鍵とし、姫から託された時のオカリナで時の歌を奏で、大きな扉を開いた。その背後からガノンドロフが迫っていることを知らないで。
ガノンドロフはトライフォースに触れた。退魔の剣を少年が抜いたことで、聖地への扉が開かれたのだ。だがトライフォースはガノンドロフの願いを聞き入れることはなく、三つのうちのひとつがガノンドロフに宿ったのみで他の二つはどこかへと飛び去ってしまった。何故願いを叶えてくれないのか。この世の理の象徴は我らが幸福を得ることすら許してくれないのか。その憎しみが湧き上がった瞬間、聖地は悍ましい闇の世界へと変貌した。
「これが、トライフォースなのですね」
黄金色の三角形が宿った手の甲をアストルはそっと撫でる。コウメとコタケが城に潜入している間に聞いた伝承によるとトライフォースは、力と知恵と勇気の三つの素養をバランス良く兼ね備えた人間にしか宿らないとのことだった。誰でも願いを叶えることはできるが、それにはトライフォースを揃えなければいけないらしい。ガノンドロフに残ったのは、力を象徴するトライフォースだけだった。
「何故トライフォースはオレたちの望みすら叶えてくなかったのだ……」
「ガノンドロフ様……」
「命を脅かされることもなく、生きていたいだけなのだ。それすら理解されないのなら、全て薙ぎ払うまで」
「そうですね。私もできる限りの力を尽くします」
「お前には助けられてばかりだ」
自分一人ではここまで来れなかったとガノンドロフは自嘲しながら笑う。かつてアストルに「一人で何かを成し遂げようと思わなかったのか」と問いかけた。だが一人でやり遂げるには、何事にも限界があった。現に自分は幼い頃から一族の王になる者として守られてきた。祀り上げられてきたのに「一人でやってきた」などと言い張るのは間違っていると、アストルと深く繋がってから気がついた。
「アストル、何か欲しいものはないか?」
「えっ……?」
「お前はよくやってくれている。褒美がなければいけないと思ってな」
「ほうび……」
「そうだ。今のオレにできること、与えられるものであるならば」
アストルはしゃがんだ姿勢から膝を地面につけ、ガノンドロフと同じ視点になる。するりとブランケットが地面に落ち、アストルの首を冷気がくすぐった。そっとアストルは唇をガノンドロフの耳元に近づけ、ぽそりと一言口にする。欲しいものを聞いたガノンドロフは、困ったように笑った。
「欲の無いやつだ」
「私は既に貴方の側にいられるだけで幸せなのです。それ以上のものなどいらないのですから」
「ありえないと思うが、オレがもしも勇者になる小僧に負けたら?」
「そんな未来、私には見えませんよ」
「そうか」
ガノンドロフはアストルの言葉を信じ、彼がほしいと言ったものを与える。月光が作り出す、重なった二人の影がその答えだった。
❋❋
「先生、どうしてなの?」
「ナボール……」
アストルがこの時代に来てから十年が過ぎようとしていた。幼かったナボールは今ではもう立派なゲルド族の一員となり、二振りの湾刀を振り回すようになった。だが彼女が今のゲルドの現実に納得がいっていないことはよくわかっていた。そしてその中にアストルがいることも。
「ガノンドロフ様、すっかり変わっちゃった。あんな人じゃなかったはずなのに、みんなガノンドロフ様を素晴らしい王だと崇め奉ってる!そりゃあハイラルの地で生きれるのなら、砂漠での生活よりずっとマシだとは思うさ!でも、あんなことをしてまでアタシは移り住みたくなんかないよ!」
「ナボール、この世は盛者必衰なんだ。栄えた者はいつか衰える。あの方は……ガノンドロフ様はそれをご自身の手でハイラルにもたらしただけの話なんだよ」
「だからって!……アイツらがしたことと同じことをしなくても」
ガノンドロフはかつて王家がゲルドを蹂躙したように、ハイラル王国を滅ぼす勢いで指揮を取っていた。ゲルドの兵士たちに指示を出し、或いは何故従うかわからぬ魔物たちを利用して、性別も老いも若いも関係なく襲わせる。かつては女子供は殺したところでなんの利益にもならないと逃していたのに、とナボールは述懐した。それがあの方のやり方であり、道義的な部分だったはずなのに、今ではそれを忘れてしまったかのようだと。他のゲルド族たちもガノンドロフの方針に賛同して、その昔の気高さと誇り高さを兼ね備えた部族はどこに消えてしまったのかとナボールは嘆いた。
「先生なら、ガノンドロフ様を止めてくださると思っていたのに」
「私はあの方を止められないよナボール。私はあの方に従うことしかできない。それが私の運命だから」
そう言い終えると同時に、ナボールのしなやかな手が力強くアストルの頬を引っ叩いた。軽く身体が仰け反るほどの威力で、思わず足が一歩下がってしまう。目の前の彼女を見やると、ナボールは泣いていた。
「先生も変わっちゃった!アナタも、こんな人じゃなかったのに!」
「……変わらないでいてくれてありがとう、ナボール」
アストルが微笑みかけると、ナボールは何処かへ走り去っていってしまった。アストルはその背中を追いかけることはできない。本当は追いかけたいけれど、彼女をこちら側に引き入れることは許されない。彼女はこれより七年後に賢者として覚醒し、その名を一万年以上未来にまで残すのだから。
「ほう、なかなかいい平手打ちをするようになったな」
「……よろしかったのですか、ガノンドロフ様。貴方にとってあの子は裏切り者になってしまったのですよ?」
「あれは昔から一筋縄ではいかない、不可思議な子どもだった。他者と同じ道は歩まぬことは想定済みだ」
「……そうですか」
ガノンドロフはアストルの小さな肩を、自身の浅黒い大きな手で抱き寄せる。十年経ってもアストルは来たばかりの頃と容貌が変わらない。まるで不老の魔術師だとガノンドロフは思った。
続く
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