ナスカ
2021-12-06 23:13:31
3844文字
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宿り木の種子①

「ぬるい足音」の続きです。ねきなこさん原案のこちらの先アス(+スパアス)シリーズは不定期で更新しています。

「おいでアストル」
窓から射し込む月明かりが男の豊かで錆びついた金髪を黄金色に照らしていた。今宵の月は冷たい銀色ではなく柔らかな金色に輝き、普段は白い男の肌をあたたかみのあるものに見せる。だがそれは見せかけに過ぎない。男と対峙する夜空色の髪をした少年はそのことに気付かず、ただ男に身を任せる。少年には反抗も、離別も、許されなかった。
ペタペタと裸足で木の床を歩く。少年は男の腕に自身を委ねる。まるで大きな船のようで安心できるはずなのに不安がこびりついて残るのは、この船が態と大荒波に向かって進んでいくからだろうか。
「良い子だ」
男の腕が、指が、少年に絡みつく。獲物を捕えて離さない食虫植物よりも遥かに優雅な男は、一人で生きようとしない。そこは食虫植物よりも劣っていた。男は生きるために、少年を贄として選んだ。

それが吉と出るか凶と出るか。窓の外の星は既に答えを示している。

だが男も少年も、それを目にすることはなかった。

二人の視線は、輝きを失った星に向けられていたのだから。


❋❋


あらゆる人々が行き交う城下町に二人が辿り着いたのは黄昏時のことだった。初めて見る城下町の繁栄と賑わいにアストルは目を皿のようにする。軒を連ねる家々は空に似た青い塗料で染められた屋根。日中はその青さから屋根は天に溶け込んでしまいそうだが、夕暮れ時になると境目が見えてくる。城下の入り口で足る門をくぐると、王家の紋章に形作られた石像の飾られた噴水のある広場へと出る。普段は出店や旅芸人が集まり賑わっているが、日が沈み始めた今の時間は店じまいをして閑散としている。
「ここは村よりもはるかに人が多いからね、私の手をしっかり繋いでいてください」
「は、はい、先生」
齢十五にでもなって大人と手を繋ぐのは少々恥ずかしくなったが、ここには自分を知る人はいない。自分を知る者はあの村にしかいなかったのだから。それに、村が過干渉的だったのに対して城下町は他人への無頓着さを感じる。きっと周囲の人は自分が思っているほど自分に興味はないだろうとアストルは思うことにした。
城下町の中でも、先生の足先は富裕層の邸宅が多いエリアへと向かっていく。着飾った夫人が優雅に散歩し、豪奢な馬車が駆け抜けていく中を二人はひたすらに歩いていく。視界の上の方にはハイリア大聖堂が見え、ここが王家の息がかかった場所なのだということがわかる。
「こんばんは先生」
他人に興味を示さない城下町の住人で、はじめて二人に声をかける者がいた。あちこちを歩いている貴婦人たちと比べればやや質素ではあったが、品を感じる年配の女性だ。先生は彼女と親しくしているのか、にこやかな笑みを浮かべて返事をする。
「こんばんは」
「おや、その子は……?」
小綺麗なその老女に視線を向けられ、アストルは思わず先生の長身の後ろに隠れた。先生は隠れているアストルの頭をそっと撫でつける。
「知人の子でして。唯一の家族を亡くしてしまったので私が引き取ることにしたのです。アストルといいます」
ご挨拶なさい、と先生はアストルを軽く前に突き出す。これまで母と、教会の神父と修道女以外とマトモな会話をしたことのないアストルはどうしたらいいのかわからなかった。見様見真似で、首を軽く曲げるだけの会釈をする。先生は「すみません、恥ずかしがり屋さんなんです」と笑って誤魔化した。
「ふふ、そのようだねぇ。アストル君、そんなに心配しなくてもいいんだよ」
老女は笑ってそう言うと、老いた足取りでアストルたちが歩いてきた道を辿っていった。
……先生、あのお婆さんは?」
「薬売りの方だよ。広い城下の中で出回っている薬はほとんどあの方が作っている。私も時々、あの人の薬には助けられているんだ」
……ごめんなさい、ちゃんと挨拶できなくて」
「大丈夫。気にすることは無いよ。いつかできるようになるさ」
ここだよとアストルが先生に連れてこられたのは、貴族の屋敷とまでは言わないものの特権階級にいることがわかる造りの家だった。周囲の家と比較してみるとやや簡素ではあるが、それは彼が一人で暮らしているからだろう。生活する上で必要なものは最低限でいい、という考えなのだろうか。しかし宮廷仕えがそんな生活をしていては示しがつかない。きっと彼は仕方がなくここに暮らしているのだろう。
先生はアストルから手を離し、家の門の内側に立つ。どうすればいいのかわからないアストルを先生は優しく微笑んで見つめている。震える喉でアストルはようやく声を絞り出し、「お、お邪魔、します」と告げた。
「アストル、ここはもう君の家なんだよ」
ならばどう言えばいいのか。アストルは一瞬迷う様子を見せてから、フッと顔を上げた。
「た、ただいま」
「おかえりなさい」
こうしてアストルの新しい生活は始まった。


❋❋


予想外のことだったから、と先生はアストルのための個室を用意できていなかった事を詫びた。アストルは生まれてこの方自分のための部屋など持ったことが無かったので「それを考えてくれているだけでもありがたいです」と慌てた様子で感謝した。家の中には空き部屋がひとつだけあり、そこがアストルとして与えられることとなった。村を出るときに持ち出した荷物をそこに置いたが、それ以外は何もないがらんどうの部屋。ベッドや机などの家具を購入して運び込むまでの間は私の部屋で一緒に寝ましょうね、と先生はさも当然のことのように言う。それに従うと、先生は最初の夜のようにアストルの身体をまさぐった。薄い唇が自身の皮膚を食み、腕は蔓のように巻き付いて逃げ出せない。甘くて優しい行いは、その中に遅効性の毒を含んでいるようだった。いい子だねと耳元で囁かれる度に自分の何かが蝕まれるような気がしたが、アストルにはそれが何なのかまだ理解することはできない。
それを除けば生活は順調だった。先生は宮廷仕えであるものの、毎日登城しなければいけないわけではなかった。そのため日中アストルは星読みとなるための指南を先生から受けることができた。それも午前中だけで、午後は先生は自室に籠もってひたすら文献とにらめっこをしているためアストルは自由の身だった。社会勉強にと先生はアストルに幾らか小遣いを与え、それで自分に必要なものや経験を積みなさいと言った。アストルは素直にそれを聞き入れ、古書店に行くことが多かった。アストルの部屋には黄ばんだ本が何冊も増え、それは特に古代遺物に関するものだった。アストルが家から持ってきた荷物の中には、夜空の星星を映し出す不思議なキカイがあった。母の形見であるそれを先生はあまり好ましい目で見なかった。占星術師となるならば直接星を見なさいと。それでもこれが何なのか知りたいと、アストルはこっそり研究資料を集めていた。
夜は家の屋上で天体観測を行う。そろそろ冷える時期になってきたので温かい服を着ることは大前提。観測した星の名前や位置は星図に書き込まれ、膨大なデータの一つとして先生の書斎へ仕舞われる。アストルの仕事は夜の暗闇を照らすランタンを灯すことで、それ以外はひたすら先生のすることを観察している。時折「やってごらん」と先生の席を借りて、観測や書き込みを行った。アストルは先生のもとで少しずつ、着々と占星術師としての能力を培っていった。
その反面、先生は緩やかながらもアストルに厳しくなり始めた。自分が後見人となっているアストルは、周囲から見たら後継者となるのが当たり前だろう。自分を継ぐ者としてアストルを教育しなければ、という感情が生まれたことで以前のように優しく接することも少なくなってしまった。しかしニヶ月足らずでも先生から優しくされた記憶はアストルの中に信頼感として残り、「これは僕のためなんだ」と先生の厳しさを受け入れていた。もちろん、あまりにも辛い物言いには涙を浮かべることもあったが。
その日の夜に久しぶりの登城を終えて帰ってきた先生はかなり憔悴した様子だった。
……ただいまアストル」
「おかえりなさい先生。……お疲れですか?」
「あぁ、ちょっとね。……嫌なものを見てしまったから」
「嫌なもの?未来ですか?」
商売道具の入った鞄を投げ捨て、先生はヨロヨロしながらアストルに抱きつく。いつものようにおかしなことをされるのかと思ったが、そんな元気も無いらしい。ただただアストルのぬくもりを欲しがるように無我夢中で抱きしめてきた。
先生が震えてることにアストルは気がつく。未来を予知しそれを王に伝えるのが彼の役目だが、必ずしも未来は良いものばかりではない。むしろこれから起こりうる悲劇を予見することで、それを回避するための材料となるのだ。だがそれを理解していなければ、先生はただの恐ろしい未来を呼ぶ男になってしまう。アストルは未来予見の本質を理解していたので、力がまだ弱くともその重さを知ってるつもりだった。
「誤魔化しはした。どうせ虚言だなんてわかりやしない。だがじきにそれが起きれば、私は御役御免になるかもしれない」
「御役御免……!?それって、宮廷付きを辞めさせられるってことですか?」
「そういうことになるね……だが、あんなことを口にするのはとてもではないが悲しすぎた」
「先生、何を見たんですか?」
先生は一息吐いてから、そっとアストルに耳打ちする。
王妃様の死だよ、と。


続く