盛大な宴が終わり、宴会場は惨憺たる有様だった。酔いつぶれた女たちが派手ないびきをかきながら寝転がり、酒の入った瓶があちこちに散乱している。食事を無駄にしてはいけないという考えから残飯が発生することはなかったが、皿は何枚も重なったものがそのままいくつも放置されている。
これは後々大変そうだと思ったアストルは、ひとり片付けに乗り出した。まずは空になった皿を運ぶところから……と気合を入れたところで、「おい」と声をかけられた。振り返ればそこには酒を何杯も飲んでいたはずの王が普段と寸分違わない顔色でこちらを見ていた。自分を見てくれていることに驚きと喜びを同時に感じながらも、アストルはここでのいつもの姿勢を崩さずに応対する。
「あっ……ガノンドロフ様……」
「そんなものは目を覚ました飲んだくれ共にやらせればいい。お前がやる必要はない」
「よろしいのですか?」
「あぁ。それよりババアどもがお前を呼んでいる。何やら聞きたいことがあるらしい。ハイリア人のお前にな」
「御二方はどちらに」
「こっちだ。付いてこい」
土の壁に挟まれた廊下をぼんやりと松明が照らす中、アストルは黙って王の後ろを歩く。この方向は確か王の私室のはずだ。ではあの二人はそこで自分を待っているのだろうか。王もそれに同席するのか。そう思うと自分は何をしなければならないのか、かなり不安になってくる。かと言って王に何故自分が呼ばれたのかを訊ねるわけにもいかない。未だに王はアストルのことを肯定的に捉えているように思えないからだ。余計なことを言って好感度を下げたくはなかった。
王はやはり自身の私室の扉の前で止まった。入れと促されたアストルは失礼しますと会釈をし、三度扉をくぐる。蝋燭が数本灯っただけの薄暗い部屋の中で二つの小さな影が見えた。
「おや、待ちかねていたよ坊や」
「コウメ様、コタケ様」
「さあさあ、突っ立ってないでこっちにおいで」
ケタケタと笑いながらコウメとコタケがアストルを手招きしていた。こんな夜遅くなのにテンションが高いのを不思議に思ったが、その手元には酒の入った御猪口が見える。まだ酒を飲んでいるのかとその酒豪っぷりにアストルはやや引きつつもそれを隠した。
「し、失礼します」
「正座なんかして真面目な子じゃないか。感心な若い子だねぇ」
「そうでしょうか……?」
「今どきの子たちはすーぐに足を崩すんだよ。呆れたもんだよ、根性が無いのさ」
自分は一万年以上も未来から来た人間で、はっきり言ってこの時代の若者と呼ぶのは間違っている。が、それを言ったところで何になるわけでもない気がしたのでアストルは「どうも……」と軽く頷くだけにした。
「それで、私を呼んでくださった理由は?」
「あぁそうだった。忘れるところだったよ、なぁコウメさん」
「そうだねぇコタケさん」
このやり取りは必須なのだろうか、とアストルは宴会場での二人の様子を思い出す。王の養母に向かって言うことではないが、正直どこか不気味だ。背中から嫌な汗がじっとりと滲み、口の中が乾いたがなんとか堪えなければと握りこぶしを作る。
「坊やはハイリア人なんだってねぇ?」
「はい、そうです」
「じゃあここに来た理由はなんだい?」
アストルは部屋の中に王がいるのをチラリと確認した。気がついたらここにいた、などという話は事実だが通用しない。ならば自分があの国を嫌いになった理由でも話せばいいだろうか。自国の民を蔑ろにする君主がいるという現実を知ったまだ若い王に、自分のことを知ってもらういい機会になるだろう。
「私は……王家の刺客に母を殺されました」
元の時代では彼と共にいることで傷が癒えていったが、自分からそのことを話すとどうしてもそれは開いてしまう。俯きながらの発言だったので、アストルの言葉を聞いた各々の表情はわからない。
「私がまだ十にも満たない頃の話です。その頃あの国では、王家の女以外に不思議な力を持つ女は魔女と仇名されて迫害の対象になっていたのです。母は占いができましたので」
「そうかいそれは辛かったねぇ。だからハイラル王国から離れようと思ったのかい?」
「……いえ、復讐のためです」
とっくに消えたと思っていた感情は、地面に撒き散らした油に引火したが如く燃え広がっていく。このままではまたこの国を滅ぼしたいと思ってしまいそうだ。彼が側にいることでその思いを封じてこられたのだとアストルは自覚する。
「母を殺した王家が憎くなりましたが、長らく生きることすらやっとだったのです。私は母から手ほどきを受けた占いで身銭を稼ぎながら、復讐の時を窺っていました。そして戦争と此度のハイラル統一……傘下に入らざるを得なくなったゲルドの皆さんとなら、いつかハイラルを滅ぼせるのではないかと」
同族で争うなとまた王に指摘されそうだと思ったが、これは一部を除いて本当のことだ。母が殺され、生きながらえながら復讐を誓い、そんな時に厄災と出会った。その事実を、この時代に沿うように脚色を加えただけである。
「つまりお前は一人で何かを成し遂げようとは思わなかったのか」
部屋の角から投げつけられた言葉にアストルは思わず顔を顰めた。けれど一人と一体ではなにもできないからとイーガ団に身を寄せたのは事実だった。あのころの自分は上から偉そうに命令を下すだけ。もしも手足になる者がいなければ何も成せなかっただろう。
「そう、ですね。ガノンドロフ様の仰る通りです。私は人任せにしようとしていました」
けれど、と付け加える。王がまた何か言う前に。
「ここに置いていただく内に、その気持ちは少しずつ薄れていったのです。あの国には戻りたくないけれど、ここに置いていただけるなら復讐なんてしなくてもいいのかもしれないと。復讐だけが生きる意味ではないと」
それはまだ厄災がからくりの中にいた頃の想いだった。彼の側にいられればそれでいいと、自分の心の安寧が保たれるのであればそれでいいと、彼を愛せるならばそれでいいと──。
「最初は復讐目的でしたが、今はただここにいたいからいるだけです。もちろん、そのために私が出来ることはしてきた……と、思いたいですけど」
声が震えていないかとアストルは心配になった。言い切ったあと、まだ胸の奥がジクジクと熱い。
「ほぉ、随分と我らの場所に思い入れを持ってくれたようだねぇ」
「ということは、もうハイラル王家への復讐の気持ちは無いんだね?」
「……何故そんなことをお聞きになるのですか?」
アストルは息を呑む。これから自分が予想だにせぬことに巻き込まれていくのを、第六感が感じ取ったのだ。宴席で迫られたときのように瞳孔が開き、汗が滲む。喉が苦しくなって頭が痛くなった。
「そりゃあ決まってるよ」
「お前に、その力と復讐心で我々の手伝いをしてほしいのさ」
なっ、と王は驚いて養母を見る。そして部屋の隅からツカツカと迫ってきた。
「どういうつもりだ!こいつはハイリア人じゃないか!」
「けど坊やはあの国に対して不満を抱いている。私たちと同じさね」
「だがハイリア人であることに変わりはない!奴らの力を借りるなど御免被る!」
王はアストルの腕を掴む。細い腕だった。以前はそんなことを意識したことなどなかったのに。そんな自分に驚いた王はそれを誤魔化すようにアストルに言う。
「オレは王としてお前を認めるわけにはいかない。たとえこいつらの言うことでもな。教師としての滞在までは赦すが、内政に関わられては困る」
アストルは何も返事をしない。ただ俯いて、王を見ようとしなかった。いつもならこちらをまっすぐ曇りのない黄玉二粒が見つめてくるというのに。不快だったはずのそれが向けられないことに、何故自分は苛立ちを感じるのか。王にはそれがわからない。更に苛立って王はアストルの腕から手を離すと、今度は胸ぐらを掴み上げた。
それでもアストルは何も言わず、抵抗もしない。
王の料簡は、限界を迎えた。
❋❋
何故だ。何故そんな顔をする。何故そんな目をしてオレを見る。
お前はオレの何を知っているのだ。
「あっ……ぁ、あ"っ……!」
オレにはわかるぞ。その声は偽りのものだと。オレの支配欲を満たすために、態と、出しているものだと。心の底から出ているものではないのだろう。
「がの、どろ、ふ、様っ……」
「真実を吐け、ハイリア人」
首を横に振られる。何度言っても拒絶された。何度脅しても、何度奥を刺突しても。オレに従順な姿勢ばかり見せていたはずなのに、何故今更ここまで頑ななのか。
理解できない。
「お前は何者だ。何故ここに来た。何故拒まない。教えろ」
おかしい。何故オレはこいつのことを知りたがっているのか。こいつはハイリア人だ。やることも目的も、わかりきっている。こうして屈辱を与えながら聞く必要など無いはずのに。
細いのは腕だけではなかった。首も、腰も、脚も、何もかもが細く頼りない。そんなこいつはどこにあんな度胸を隠し持っているのか。
「鳴けぬなら、殺してしまうぞ」
誠を歌わぬならば、歌わせることも歌うまで待つこともしたくはない。オレはそこまで気は回らぬし長くない。徒に囀るばかりで歌えないのならば、始末するしかない。そんな鳥を飼育する余裕はこの地には無いからだ。
「……貴方になら」
「……なに?」
「貴方になら、構いません」
あぁ、よく似ている。いや、同じなんだ。貴方と彼は。
でも、私は彼のそんな顔を知らなかった。
「あっ……ぁ、あ"っ……!」
わかってます。こんなもので貴方は満足なんてしないんでしょう?貴方が求めるのは心の底から来るもの。うわべだけのものに興味なんてない。
「がの、どろ、ふ、様っ……」
「真実を吐け、ハイリア人」
首を横に振る。答えられない。答えても意味はない。信じてもらえない。何かを告げて未来を変えるのは怖い。貴方に偽りの姿を見せたくないけど、彼のことも大事だから。
わかってもらえなくてもいい。
「お前は何者だ。何故ここに来た。何故拒まない。教えろ」
彼を愛しているから。彼と同じな貴方を知りたいから。彼は自分のことを教えてくれなかったから。たぶんここに来てしまったのは、そんな自分の好奇心のせいだったんだ。
貴方の逞しいことと言ったら、この頃からだったんですね。でも鋭すぎて、引き裂かれてしまいそう。でも決まっていたとしたら、この痛みすらも運命?
「鳴けぬなら、殺してしまうぞ」
脅し文句を聞いて興奮してしまうのは何故だろう。力強い貴方に捻じ伏せられるのに快を覚えてしまうから?貴方の記憶に残れることを喜んでいるから?
「……貴方になら」
「……なに?」
「貴方になら、構いません」
王は動きを止めた。アストルは骨の目立つ肩と薄い胸を上下させつつ荒い息を整えている。貧弱な肋骨の内側で暴れていた肺をようやく落ち着け、自分の視界を覆っている王を見つめた。
「……どうされたのですか?」
「……お前が理解できぬ。お前は何者だ。何故オレをここまで受け入れる。何故だ、何故だ」
王は困惑している。彼のこんな姿は見たことなかった。いつも自分を包み込んでくれる「彼」は……こんな姿を見せなかった。知らなかった一面を見れたことで、アストルは目を細める。冬の日の小枝のような手指を、そっと王の頬に伸ばした。
「理由がわからないのは、恐ろしいことですよね」
「……お前に何がわかる」
「幼い頃、母が殺された理由がわかりませんでした」
「あれは魔女狩りのようなものだったと言ったではないか」
「ある程度大人になってから知ったのです。それまでは理由もわからず、自分もどんな理由で殺されるかわからない恐怖に駆られていました」
「……」
「……あっ、ごめんなさい、差し出がましい真似を……」
紡ぐ言葉を失った王を見てアストルは手を引っ込めようとした。だが王はその手を掴む。そしてアストルの手のひらを自分の頬に押し付けた。思わぬ動作でアストルの胸は締め付けられたように苦しくなる。
「あ、あの……」
「オレは、お前を恐れていたようだ」
王は言葉を一つひとつ吟味して口にしていた。アストルに誤解を与えないように。
「オレに恐れるものがあるなど許されぬ。だからお前への恐れを、警戒心で塗り固めた。これは王としての責務だと言い逃れをしていた」
「そんなことありません。貴方はご立派です。私は、私を簡単に受け入れる貴方よりも、民を守るために私を疎む貴方のほうが、好きです」
アストルは言い切ってしまってハッと気がつく。好きだと言ってしまった。好意を伝えてしまった。そういう意味で捉えられていないかと不安になる。
「そ、その、その、先程の好きというのは、王として素晴らしいなと思ったという意味で。け、決してやましい感情では……!」
「どうすれば好意を疚しいものと捉える?」
この王は本当にまだ若い。偽りの善意や好意を寄せられたことがあるはずなのに、好意は良いものだと信じている。彼はなんて純粋なのだろう。自分が若い彼を汚してしまったのではないかとすら思えてしまう。
「……いえ、貴方がやましいものだと思っていないのならばそれで良いのです」
「……そうか」
王は再び動き出す。アストルはその感触に息を詰まらせた。
想いは伝えられても、真実を告げることはまだできない。
続く
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