ナスカ
2021-10-19 18:54:36
6110文字
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王と客星の幕間劇 2

前回の続きです。

「この子ね、時々不思議なことを言うんですよ」
ベッドの上でスヤスヤと眠るナボールの頭を優しく撫でながら母親……ヘスディはアストルと語らっていた。男の自分はすぐにでも追い出されると思っていたアストルであったが、どうもヘスディはそこまででは無いらしい。これもきっとナボールが「不思議なことを言う」からだろう。アストルは、それはナボールがそう遠くない未来に賢者の一人として覚醒するからだと思ったがそれをヘスディに伝えようとは思わなかった。賢者になることは、現世から隔離された場所で生きていかなければならないことを意味する。まだ年若い母親に、いつか娘とは永遠に会えなくなる、と言えるわけがなかった。
「オアシスのある場所を言い当てたり、砂嵐が来る時間がわかったり……まるで砂漠の神様のように。でもそれだけじゃなくて、ガノンドロフ様の投獄を予言したときはみんなで大騒ぎになったの。でも、本当に辛いのはこの子のはずなんです。知りたくもないことを何故か知ってしまう。そしてそれは皆に伝えなければならないこと。きっと、貴方のこともそうだったのでしょうね」
「ナボールのお陰で命拾いしました。この子には感謝してもしきれません。それでも何かお礼がしたいのですが」
アストルがそう言うと、ヘスディはパッと目を輝かせた。その目の色が死んだ母に似ていて、胸の奥の深い傷が疼いた。金色の瞳はこの時代ゲルド特有のものだったとガノンドロフから聞いていた。もしかすると自分も母も、その身にゲルドの血を流しているのかもしれない。
「それじゃあこの子にしてほしいことがあるのですが……。アストルさん、ゲルド文字はお読みになれる?」
ベッドから離れ、ヘスディは本棚から一冊の本を持ち出す。受け取り、パラパラとめくれば絵と一緒に簡単な文字が描かれている。恐らくこれはゲルドの子どもたちの絵本なのだろう。このくらいならアストルは朝飯前だった。古文書を読み解くために古代文字の習得は必須だからである。
「ええ、このくらいなら簡単に。もう少し難しいものでも大丈夫ですよ」
「まあ嬉しい。それじゃあ頼んじゃおうかしら」
「何をですか?」
アストルが問いかけるとヘスディは困った顔をする。何か変なことなのかと少し不安になったが、困りごとはナボールにあるのだと注がれた視線で気がついた。
「この子ってば、剣の鍛錬ばかりでちっとも学を身に着けていないの。本当困っちゃう。確かに私達ゲルドはそうして生きてきたわけだけど、ハイラルの傘下に入れば剣を納めなければならないことも出てくるわ。その時役に立つのは学問だと私は思うの。ハイリア人でありながらゲルド文字が読めるアストルさんは、きっと学を修めているでしょうから……
「つまり、ナボールの先生になればいいのですね?」
「そういうこと!お願いされてくれるかしら?」
断る理由などアストルには無い。むしろ大歓迎だ。これまで自分のために集めてきたものが初めて人の役に立てると思うとアストルは嬉しくなった。
「もちろん!お願いしてください!」


❋❋


ナボールがお昼寝をしている間にアストルはヘスディから教えてほしいものを訊ねた。リクエストは幾つかあったが、その中でも自分が満足に教えられそうなものを選んでこの学問はどうかと提案をする。ヘスディはアストルからの提案を受け、それでお願いしますと頭を下げた。
「おにーさん、おはよー……
「おはようナボール」
あれこれ教える準備をしているとナボールがもそりと目を覚ました。ねむけまなこをごしごしと擦る様子が愛らしい。いつか自分とガノンドロフとの間に子ができた時、その子はゲルド特有の赤毛をもった女の子になるのかと思うと少しニヤけてしまう。
「おにーさんなにしてるの?」
「ん?あぁ、君にお礼がしたくてね」
「おれい?」
「そう。君がいなければ私はあの場で君たちの王に殺されていた。ナボールが助けてくれたことに本当に感謝してるんだ。ありがとう」
アストルが優しく微笑みかけるとナボールはその顔つきにドキッとしたのか頬を赤らめている。
「そ、それで、おれいってなーに?」
「君の母上に聞いたんだ。お礼には何がいいかって」
「どんなおれいなの?」
「ナボール、外に行こう」
ナボールはアストルの細くて白い、この砦の中では見たことのない手をじっと見つめてから「うん!」と返事をしてその手を取った。
不思議な力を持ったナボールが強く希望したということで、アストルはゲルドの砦での滞在を許されている。しかしそれも数日だけの話で、それを過ぎれば追い出されることは決まっていた。それでもアストルは深く感謝の意を示し「いつかこの恩は返します」と王に礼を重ねた……が、王の方は不機嫌そうな顔をして「とっとと失せろ」としか言わなかった。あの方はまだ自分の知るガノンドロフではない……だが自分のよく知る彼になるには実に一万年以上も待たねばならないのである。普通のハイリア人であるアストルがそこまでの時間を生きられるはずはないので、今の彼と少しでも良好な関係を築けたらと思っていた。
「ねぇねぇ、おにーさんはガノンドロフさまのこと、すきなの?」
「へっ!?」
「いったでしょ?ガノンドロフさまのこえをきいてうれしそうにしてたって。だからガノンドロフさまのことがすきなのかなーっておもったの!」
外に出ると他のゲルド族から注がれる視線は冷たかった。母親たちは自分の娘を庇うようにしている。わかってはいたが少しばかりショックだった。けれど今の自分は無害であると証明するものを、アストルは何一つ持ち合わせていない。
ふたりあって歩きながらアストルはナボールに答えた。
……そうなのかもしれないね。君たちの王様の声を聞いたり、姿を見たりすると、とても幸せな気持ちになるんだ」
「じゃあアタシたちといっしょね!アタシたちもガノンドロフさまがだーいすきなの!」
「ナボールにとって、ガノンドロフ様はどんな人?」
歩いていた道は登り坂に差し掛かる。この先は若いゲルドの女たちが流鏑馬の訓練のために使う場所だった。テントがあるというのでちょうどいいとアストルはそこを選んだのである。
「んーとね、つよくて、かっこよくて、やさしくて、とにかくすごいの!」
「ははは、そうなんだね。……変わらないんだな、ずっと……
「ん?なにがかわらないの?」
「いや、ただの独り言だよ。……さ、ここに座って?」
アストルは常設されているテントの下にナボールを座らせ、自分はその隣に座った。ナボールは何をするのかがよくわかっていない様子。
「これがおれい?」
「そう。君の母上から、君にお勉強を教えるように言われてきたんだ」
「えーっ!!」
座ったナボールは不満そうな顔をして驚いた。どうやら本当に勉強が嫌いらしい。これは大変だぞとアストルは少しばかり緊張した。
「ナボールはお勉強が嫌いだって、母上から聞きましたよ」
「きらい!だってなんのためにつかうのかわかんないもん!アタシはけんがつかえればいいの!」
「そうだね。じゃあナボールはどうして剣を使いたいと思うんだい?」
「だって、だって、けんがつかえないとアタシたちはいきていけないから!ガノンドロフさまをまもれないから!」
「だからナボールにとって、剣が使えることはとても大事なことなんだね。わかったよ」
アストルは笑ってナボールの頭を撫でた。だがナボールとしては勉強させられるのが気に入らないらしい。そんなものはお礼じゃない、と言いたそうにしている。
「じゃあナボール、君が大きくなってお買い物に行くとする。新しい剣を買うために」
「うん」
「剣を買うためにはとってもお金がかかるんだ。どのくらいお金がかかるか、計算しなくちゃいけない」
「うん」
「計算、できる?一足す一、とか……
ナボールは握った手の指を一本、また一本伸ばして計算をした。
……それならわかる。に、だよ」
「でも剣がニルピーで買えるわけがないよね?もっとたくさんのお金が必要だ。計算ができないと、新しい剣を買うときにどのくらいのお金が必要なのか、自分が持っているお金がどのくらいなのか、足りないお金はどのくらいなのか、わからないんだ」
……
「大丈夫。私がきちんと教えてあげる。ナボールがこれから強くなれるように」
唇を尖らせるナボールにアストルは微笑みかけた。その柔らかな黄玉の瞳に見つめられて、ナボールはもじもじとする。そして決意したように一度空気を飲み込んでから威勢よく声を上げた。
「お……おしえて、ください……。けいさん、おしえてください!」
「うん、いいよ。まずは簡単なものからやっていこうね」
こうして、アストルからナボールへの青空教室が始まった。


❋❋


アストルの教えが良かったのか、ナボールは三日ほどで一桁の計算をこなせるようになった。ありがとうございますと頭を下げるヘスディにアストルは「ナボールの覚えがいいんです」と生徒の出来を褒めた。ナボールはよく褒めてくれるアストルからもっともっと勉強を教わりたいと言い、アストルの滞在を伸ばすよう王に伝えてほしいと母にせがんだ。ヘスディが王にそれを進言すると、アストルをここに呼べとだけ言ってきた。今アストルは、王とふたりきりになっている。扉の外に兵士が待機してはいるが、細っこいハイリア人一人など王だけで捻り潰せると思ってあまり事を重く捉えていなかった。アストルは相変わらず、王の御前においては額を絨毯に擦りつけている。
……どういうつもりだ、ハイリア人」
「私は命を助けてくれたナボールにお礼がしたかっただけです。そしてその母であるヘスディさんにも」
「幼い子どもと若い母親に取り入って、何をするつもりだと聞いている」
語気を強めた王の様子にアストルはまだ自分という存在が誤解されていることに気付く。ここに来てから三日が経ち、彼とふたりきりで話すのは初めてだった。たったの三日で話す機会ができるなんてとアストルは嬉しく思ったが、どうやら王の目的はアストルの予想と全く違うらしい。
「私は決して取り入ってなどおりません」
「お前とヘスディは年も近い。手籠めにしようと思っているのでは無かろうな」
「どうしてそんなことを」
「お前がハイリア人だからだ」
王はアストルの髪を掴み、無理矢理立たせた。だがアストルは髪を引っ張られた痛みで顔を顰めたとして、恐怖することも無ければ泣くこともなく、静かに王を見つめているだけだ。王は自分を真っ直ぐ見つめる二粒の黄玉の輝きにほんの少し威圧感を覚え、アストルを絨毯の敷かれた床に放り投げる。
……ハイリア人はいつだって同じだ。我々を見下し、女神の名の下に制裁を強行する。国家単位であろうが、個人であろうが」
王の言葉にアストルはハイリア人がなんの進歩も遂げていないと知った。古代兵器を生み出したシーカー族に謀反の疑いをかけ弾圧したように、不思議な力を持つ女は王家の姫以外に必要無いと魔女狩り政策を行ったように。一万年以上前から何も変わっていなかった。その成長の無さに、乾いた笑いのほうが先に出てきてしまう。それが王の琴線に触れたのか、怒気を孕んだ声で威嚇された。
「何がおかしい」
「あの国はずっと変わらないのだと、呆れただけです」
アストルは瞳に侮蔑を浮かべて言った。自分がいた時代のハイラル王は対厄災のためとはいえシーカー族と和解の道を選んだ。そして自分に対しては先王の愚策を詫び、ガノンドロフと共に生きることを許してくれた。それは良いことであったとアストルは思う。だが謝罪があったからといって王家の行いすべてを許したわけではない。あんな政策が無ければ母は死なずに済んだと今でも時折憎しみと悲しみが顔を覗かせる。あの国に対する重苦しい感情は互いに同じはずだと、アストルは知ってほしかった。
「ここがあの国にあらゆるものを奪われたように、私も大切なものをあの国に奪われたのです」
「自国民を傷つける国があるものか。信じられん」
これだからハイリア人は、と王は吐き捨てる。王の責務から来る猜疑心だとわかっていても、母の死因を否定されたように思えてアストルは目を伏せた。ここで泣き喚いてもこの人は理解してくれないだろう。まだまだ時間をかけていかなければなるまい。
「それで、私をお呼びした理由については」
「もういい下がれ。すぐに失せろ」
やはり王は以前のように私室の奥へと消え、内側から鍵をかけた。その音は分厚い壁のように、アストルの目の前に立ちはだかっている。


❋❋


勉強嫌いのナボールがアストルから学び賢くなったのを知って、他の子どもたちもアストルから勉強を教わりたいと言い始めた。当初アストルを疑念の目で見ていた母親たちだったが、彼が自分たちを見下すこともせず欲を向けている訳でもないとわかると安心して話しかけるようになった。だがアストルの滞在許可日数はもう残り僅かとなり、とてもではないが一人ひとりの子どもに勉強を教えるには時間が足りなくなってしまった。ヘスディだけでなく、アストルを信用した子どもを持つ母親たちは揃って王に請願した。彼はそんなに悪い人ではない、子どもたちにも自分たちにも優しくしてくれる、あんなハイリア人は見たことがないしきっと他にいない、どうか彼の長期滞在を許してほしいと。
集団になった母親たちに頼まれては流石の王もこれを退けるわけにもいかず、アストルの長期滞在が許された。あくまで母親たちの頼みを聞いたのであって、アストルを信用したわけではないと釘を刺しはしたが。
子どもたちはそれに喜び、アストルに「先生」を付けて呼ぶようになった。子どものいない若い女たちはそれを白い目で見ていたがアストルはそれを気にかけず、自分を慕ってくれる者たちのために行動した。そうすればきっといつか、自分を疎んでいる者たちもわかってくれる。若い女たちや老女も、そして疑り深い王だって……
青空教室の規模は大きくなったが、子どもたちは知識の豊富なアストルの話をよく聞いた。読み書き計算や座学だけでなく、夜に外へ出て天体観測を行ったり、砂漠でも育つ植物を一人ひとりで育ててみようと提案したり、とにかく本物に触れる授業をした。いつかこの子達が大きくなったとき、生きることに困らないように。
「アストル先生、私達も何かさせてください」
「一人では大変でしょう?」
別け隔てなく子どもたちに接するアストルの姿を見た母親たちは自ら手伝いを申し出た。遠慮するアストルにナボールが「ひとのぜんいはうけるべきです!」と覚えたての言葉を巧みに使ってみせた。これは一本取られたなとアストルは笑う。
有志でゲルドの砦に学校ができるまで、そう時間はかからなかった。王も子どもたちのためになっているならと了承し、一ヶ月ほどでアストルはゲルドの中に居場所を作ることができたのである。


続く