ナスカ
2021-10-17 19:36:41
5116文字
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王と客星の幕間劇 その1

「やくさいのはなよめ」や「黄玉と焔」などの、ガノンさんとデキてるアスが時オカよりもちょっと前の時代にタイムスリップする話。続きます。


「降伏だ……ゲルドはハイラルの傘下に入る……!」

砂漠の王にとって、屈辱の日々が続いた。城下まで攻め込み町を燃やし、騎士団の長と刃を交えるまでに至ったというのに、自分が得たものは大国からの支配という最も望まないものだった。本当ならば自分があの国をと思っていたのに、その願いは打ち砕かれた。自分以外女しかいない民はどうしているかと考えるだけで背筋が冷たくなる。やはり好機を待つべきだったと思う反面、待っているだけでは大国が勢力を増すばかりだったと言い訳をする。
暗い牢の中で何度堂々巡りをしただろう。時間の流れが止まったかのように変化が感じられない場所で、時間を浪費することしかできなかった。そんな中でも王はいつか自分を呼びかけた声を待った。だがその声が再び聞こえることはなく、あれは幻聴だったのか見たものも幻覚だったのかと思い直すほか無い。
王が釈放を許されたのは、投獄から実に一年が過ぎた頃だった。大人しくしていたことが功を奏し、無害と判断されたらしい。ならば次は王国内に深く入り込むために忠義でも誓ってやろうかと王は考えた。だがその前に故郷へ帰り、民たちを安心させてやらねばならない。一年間王を失ったことは彼女たちにとっても耐え難いことだったはずだ。王が帰還した瞬間民たちはおいおいと泣き叫び、彼の無事をこれでもかと言うほど喜んだ。王もこれには感極まり、自分を慕う者がまだここにいてくれていることに涙腺を緩ませた。
……が、王と民の感動の再会もつかの間のことであった。警備に当たっている兵が、不快な出来事を報告してきたのである。
「ガノンドロフ様、ハイリア人の男が砦に侵入しております!」

それが、すべての始まりだった。


❋❋


ここはどこだとアストルは顔をあげた。昨夜もいつもと変わらず伴侶に深く愛され、充足感を抱いて眠りについたはず。それなのに自分がいる場所は星の数よりも多い細かい砂粒が浅く広がった、屋内でありながら屋外のような場所。しかし自分たちの家があるマリッタ馬宿の近辺は草原が広がり、こんな手触りの良い砂とは無縁だ。ではここはどこだという最初の疑問がもう一度浮かび上がる。このような質をした砂に覆われた場所など、この国では一箇所しかない。
「ここは……ゲル、ド……?」
自分はいつどうやってゲルドまで来たのか、全く覚えていなかった。確かに伴侶はゲルドの生まれだが、明日そちらへ共に行こうなどと言われた記憶もない。何より自分の側に伴侶がいないのが一番気になった。彼はいつでも一緒にいてくれると誓ってくれた。それなのに彼の姿は近くに見当たらない。彼はどこに行ってしまったのかと胸が冷たいもので満たされていく。
ふと、ガチャガチャと金属が揺れてぶつかり合う音と複数人の足音が聞こえた。しまった、ここがゲルドならば男子禁制のはず。ゲルドはハイラルの一領土と言えども王家を擁しており、これでは他国の罪を犯したも同然だ。だが自分がなぜここにいるのかさえわからない。どうすればと迷っている内に、見慣れない姿のゲルド兵たちに囲まれてしまった。
……何かがおかしい。確かに彼女たちはゲルドの兵士だ。そして自分は男で、この町に入ってはいけない存在。自分は禁忌を犯した。だがそれだけでここまで殺気を漲らせるような人間だっただろうか。
「無礼なハイリア人め……捕えろ!」
「ハッ!」
隊長と思われる兵が命令を出し、部下たちが一斉にアストルに飛びかかってくる。アストルは痩せっぽっちの自分がこの屈強な女戦士たちに敵うはずがないとわかっていたので抵抗しなかった。大人しくしていればきっと弁解の余地を与えてもらえるだろうとも。
アストルは両の手首を背中に回され、下腕を紐で縛り上げられた。声を上げず暴れもしないアストルに兵士たちは違和感を覚えたが、あまりの恐ろしさに喉が凍りついたのだろうと流す。
「こっちだ、付いてこい」
数名の兵士たちに囲まれて逃げる隙もない。きっと牢にでも連れて行かれるのだろうと思いながらアストルは下を向いて黙々と兵士たちと共に歩き続けた。だが、とある一角に入った途端に聞こえてきたのは、自分がよく知る淡く美しい音色。アストルははたと顔を上げた。あの人がいる。近くにいる。理由はわからないけど、この付近にいるのだと胸が踊った。
「どうした、さっさと歩け!」
思わず足を止めてしまっていたのか、乱暴に背中を叩かれた。かなり痛かったが、そこまで気にならない。アストルはあの音に近づきたいとだけ考えていた。と同時に、連れて行ってもらえるはずがない……とも。だが兵士たちはアストルの考えとは正反対にどんどん音のする方へと自分を連れて行く。自分が歩いている場所が砂に冒された乾いた回廊ではなく、いつもの自分たちの家の廊下のように思えてきた。この先にある扉を開けば、あの人は演奏を止めて自分を迎えてくれるはず。
一際豪華な造りの扉の前で兵士たちは止まる。隊長格が低めの音階で声を張り上げた。
「ガノンドロフ様、ハイリア人の男をお連れしました」
「入れ」
隊長格よりも更に数オクターブ低い男の声が入室を了承する。演奏は止まったが、アストルの胸の高鳴りは相変わらず激しいままだ。確かにこれはあの人の声。けれどアストルが知る声よりも若く、覇気と自信に溢れている。アストルがよく知るそれは頑健さがありながらも高貴さや老練されたしなやかさを感じるものだった。今の彼の声には若さだけで突っ走る鋭さがあり、既にアストルはその鋭さで心を串刺しにされていた。あの人に何が起きたのか。それとも、何か起きたのは「自分」だったのか。
扉が開く。アストルは俯かず正面を向こうとした。だが部屋に入った瞬間兵士によって体を無理矢理床に這いつくばらされた。これまでの回廊や部屋と異なり、この部屋の床には赤い絨毯が敷かれていた。他のものは視界に入れる余裕すら与えられなかった。目の前が真っ赤な毛で埋め尽くされたアストルは、その隙間へ自分に纏わりついていた砂粒が幾つも落ちていくのを見る。
間違いない。ここは、まだ彼が王として砂漠に座していた時代。そしてこれから、彼は厄災と化する道へ最初の一歩を踏み出してしまう。
「よくぞ我らの領域に土足で踏み込めたものだな、ハイリア人」
その声のみでアストルの細い体は潰されそうになった。見なくてもすぐに理解する。相対する者に威圧と畏怖を与える強者の気。悠久の中でその気は削られ丸くなったとは言え、何故自分はこんな人と共に過ごせているのかと疑問が湧いた。
「女ばかりの部族だとわかっていたのだろう?それも、王の不在を狙って侵入したな?だが一足遅かったなハイリア人。王は帰ってきた、居るべき場所にな」
アストルは押し黙る。きっと今何を言っても信じてもらえるはずがない。この時代、ゲルドはハイラル王家及びハイリア人に猜疑心しか抱いていないはずだからだ。
アストルは古い時代の話をガノンドロフによくせがんだ。アストルは王家が故意に漂白した歴史より、闇と血に塗れていても正しい歴史を知りたがったのである。ガノンドロフは「歴史の善悪などその時の立ち位置で変わる」と大前提をアストルに伝えた上で、自分が知る限りのことを語った。しかし自分自身のことはあまり話したがらなかった。
そんな昔の彼が、ずっと知りたかった姿の彼が今ここにいる。そう思うと王がこちらを萎縮せんと放ってくるもの全てが愛しく感じられてしまった。
……何も言わぬのか」
王の声に不可解さが混じる。こういう場面ならばあれこれ言って許してもらうために必死になるはず。それを一切しないアストルへ王は理解し難そうな視線を注ぐ。
……何か喋ろ、気味が悪い」
ため息混じりに王は言った。発言を許されたと思いアストルは顔を上げる。アストルの体を押さえつけていた兵士も、王を前にしても堂々としている様子に驚きを隠せなかった。怯え、嘲笑、媚び……これまで王に向けられた感情を、このハイリア人は何一つ持ち合わせていなかったのである。
「私はアストルと申します。何も言い訳は致しませぬ。すべて、黒き砂漠の王の処断のままに」
そう言ってアストルはもう一度自ら額を絨毯に擦りつけた。自分の身を擁護することを言っても効果は無い。ならば示すべきは敵意の無さと服従心だけだ。悪意など持っていないと、磨き上げられたガラスのように透明な態度を見せるのみ。
……そうか。ならば望み通りにしてやろう」
王が玉座から立ち上がる音がした。ゴトリと何かを動かす音も。この場で自分は処されるのだろう。怖くないと言えば嘘になるけれど、彼にこの命を絶たれるならばそれはそれで幸せだ。
自分が見つめる絨毯の毛に影が落ちる。凶器が振り上げられた瞬間、覚悟を決めた。
「まってーっ!」
あどけない声にその場の全員が動きを止めた。王でさえも。アストルも思わぬ出来事にその声がする方向に顔を向けた。
「ガノンドロフさま!まってください!そのひと、なんにもわるいことしてませんよ!」
「ナボール、お前いつからそこに」
大きな壺の中からゲルドの少女……いやほぼ幼児と言って差し支えのない小さな子どもが飛び出した。ナボールという名前にアストルはハッとする。自分がいた時代に掘り出された神獣の一角の名の由来である賢者がこの子どもだという事実は、ここが「過去」であることを補強していた。
「だめです!わるいことしてないひとにそんなことしちゃ!」
「こらナボール!ガノンドロフ様の私室に勝手に入るとは何事だ!」
兵士の一人がナボールを怒鳴りつけたが、ナボールは負けじと反論する。
「なんにもしてないひとをいじめるなんておかしいです!そんなガノンドロフさまはいやです!」
そう言うとナボールはテチテチとアストルの方に駆け寄る。アストルはまさかここで助け舟が来ると思わず、呆然としていた。
「おにーさん、だいじょうぶ?」
「ぁ……
ぺたりとナボールのもみじの手がアストルの頬に触れる。その温かさがじわりじわりと染みて、アストルは思わず涙を流した。怖くないはずがない。誰も知る人のいないところで一人きりで不安なはずがなかった。アストルはこんな小さな子の前で情けないと思いながらも涙を止められなかった。
「ね!おにーさんこわがってるでしょ!いじめちゃだめ!」
プンプンと足元で怒るナボールを見て、兵士たちも王も互いに顔を見合わせた。その隣ではアストルがわんわんと泣いているし、完全に死刑といった雰囲気ではなくなってしまった。
「ナボール!何してるのこんなところで!」
かくれんぼをしていた娘を見つけた母は王の部屋に飛び込む。ハイリア人を庇いたてているのを見て母はすぐにナボールを引き離そうとした。
「ダメでしょまたガノンドロフ様のお部屋に勝手に入って!」
「いやーっ!アタシがいなくなったらまたおにーさんがいじめられちゃう!」
「いや、いい」
王はアストルの腕を縛り付けていた紐を引き千切る。突然のことにアストルは戸惑い泣き止んだ。ナボールは母の腕のなかでポカンとしている。
「子どもの目は騙せない。ナボールがやるなと言うならばやらぬ。……それに」
……?」
王の目の中にアストルの瞳が映る。
「これほどの黄玉を砕くなど、少々勿体無いからな」
王はフンと鼻を鳴らしてから踵を返し、私室の更に奥にある部屋へと入って内側から鍵をかけてしまった。アストルはもう何が起きたのかわからず、絨毯の上にへたり込むことしかできていない。
「よかったー!おにーさんまもれた!」
ピョンとナボールは母の元から飛び降りてアストルに抱きつく。一体どうして自分がここまで幼い子どもに慕われているのかアストルはわからなかった。しかしここまでナボールが懐いているとあらば、王の言葉通りアストルを「いじめては」ならないだろう。アストルは涙を拭いながら何とか笑顔を見せた。
「ありがとうナボール。私を助けてくれて」
「えへへ!おにーさん、わるいひとじゃないもん!」
「でもどうして私が悪い人でないとわかったんだい?」
「だっておにーさん、ガノンドロフさまのこえをきいて、すっごくうれしそうにしていたから!」
ナボールの言葉に兵士たちはざわめく。余計なことを言うんじゃありません、とナボールの母は娘と娘が懐いたハイリア人を回収して王の私室から出ていった。

自分の気持ちをわかってくれる人はここにいる。そう思うとアストルは胸の内に星屑が積もるのを感じた。


続く