ナスカ
2021-09-08 19:06:48
3503文字
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美しき素顔 overture

本編では言及が無かった二人の出会いについて。
overture(オーバーチュア)とは、英語で序章の意味です。

城を離れることになったと彼女は辛そうに言った。腹の中に子どもができたからだった。それが誰との子どもなのかわかっていた。だから彼女はこのことを重く捉え、城を出ることにした。理屈ではわかっていても、彼女と離れることはとても悲しい。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。できることなら、貴方のそばにずっと付いてあげたかった」
「気にしないでくれ。今は自分を守ることの方が大切だ。それに、またいつか会えるかもしれないだろう?」
……そうね。きっと会えるわ」
ただ生きているだけだった。いや、生きているとすら言えない。生存しているだけで、何も知らず、知らされずただそこにいるだけだった。けれど彼女が全てを変えてくれた。こんな自分に向き合って、あらゆる最善を尽くしてくれた。そのことに、とても感謝している。
……いつか」
「?」
「いつかこの子が大きくなったら城を訪れるわ。けど一人でここにいるのは不安なはず。だから貴方には、この子をどうか見守ってほしいの。お願いできるかしら?」
彼女に手を握られ、じっと見つめられると断ることなどできない。彼女はこんな人生を変えてくれた大恩人。その願いを聞き入れるのは、恩返しに他ならない。
「もちろんだ。しっかり守ってみせる」
我ながら薄っぺらい返事だと思った。苦しい思いをしていた彼女を助けられなかったくせに、こんな大口を叩くなどあまりにも滑稽だった。けれど彼女はこちらを抱きしめて、今にも泣き出しそうな声で「ありがとう」と言った。

彼女が城を去った日から、自学の日々を送った。まだまだ学べていないことが多すぎる。人気が失せた夜の図書館で本を読み漁り知識を身に着けた。そしてそれを基にあらゆる実験を地下の住処で行った。
本当は怖かった。もし彼女の子が憎きあの男に似ていたとしたら、自分はその子を守ることができないのではないかと。彼女との約束を果たせないなんて自分を許せない。だからどんな子が来たとしても必ず彼女の願いを叶えようと決意を改めた。

そして、実に二十年以上の年月が流れた。彼女と約束をしたのはまだ若い青二才だった頃の自分。だが時の流れは自分を変えた。多少老いはしたものの、まだ無茶はできる。何より、もう一度彼女に会うために生き続けなければならなかった。

そろそろ登城してもおかしくない時期になり、祝いの品を用意しようと考えた。だが知らない者から突然何かを渡されても困るだろうとも思い、周囲も巻き込めるようなものに決まった。たくさんの花火を用意して、それを一斉に打上げる。自分が来た日に城から花火が上がれば、歓迎してもらえたと思うに違いない。

……が、花火の打ち上げは失敗してしまった。音も出ず、その散り際の美しい姿も見せず、ただ強い衝撃波だけが残って城を揺るがし、城中のステンドグラスを残さず割ってしまったのだ。

まあ、ステンドグラス全壊程度のことは気にならない。それよりもようやくやって来た彼女の子の姿が、胸を揺るがした。

あれほど覚悟を決めていたというのに、その子は彼女の生き写しのようにそっくりだった。愕然とした。夜空色の髪も、黄玉のような瞳も、少し力を加えれば折れてしまいそうなほっそりした体つきも、全てが、全てが彼女のものだった。最初は娘かと思ったが声で息子だとわかり、これならばあの男に手出しされないだろうとやや安堵した。すぐにでも声をかけたかったが、彼からしてみれば城中のステンドグラスが割れるという謎の事件の後だ。不審に思われたくなくて、しばらく日にちを置くことにした。


❋❋


このお花、形がお星さまみたいでしょう?

そう言って彼女が見せてくれた青い花を、城の中庭の小さなスペースで育てていた。もちろん誰かに見られてはならないので、夜にこっそりそこへ出て水やりや肥料を与えるなどをする。ちょうどその花が咲いてくれたので、この花もあの子の登城を祝ってくれたのかもしれない。
そんなことを考えながら花壇を見つめていると、そこにあの子が……アストルが現れた。もしかすると彼女は逃れた先でもあの花を育てていたのかもしれない。そして今、あの子は故郷を懐かしんでいるのだろう。あれの花言葉は複数あるが、その中の一つは「望郷」
故郷や母から離れて一人。きっと不安に思っているはずだ。今が好機だと、アストルに声をかける。

「先日新しく助手についたという占星術師というのはお前だな。エステラの子であろう。よく似たものだ……

姿の見えない者から声をかけられ、アストルは顔を上げて周囲を見回した。当然、我の姿を見ることはできない。だが母の名を聞いて怪しむように、しかしどこか縋り付くような表情で返事をする。
「何者だ?何故母の名を……、姿を見せてくれ」
初めてアストルと会話をした。やっと声を届けることができた。そのことを喜んだが、ここは威厳を感じさせるべきだろう。一息置いてから冷静になり、再度アストルに話しかけた。
「星の名を冠する者よ。お前に我の姿はまだ見えぬ。母を継ぎ、星を見るに相応しき名をもつ者。我は長きに亘りお前が現れるのを待ちわびていた……母に並ぶ占星術師になりたいのなら、我が力を貸そう」
するとアストルは何かに気が付いたのか、見えないはずの我のいる方を見て瞳を輝かせた。彼女はもしかすると、我のことを予め息子に伝えていたのだろうか。
「母がいつも言っていました!私が死んだら、私の代わりに星の天使を貴方の元に使わすと。母を喪った今、私は一人です。私にはまだまだ学び続けますと、ここに来る前にしっかり母の墓に誓ってきました。あぁ、貴方がその、天使様、なのですね……

死んだ?彼女が?

そんなまさか。

約束したはずだ。もう一度会うと。それを信じて今の今まで生きてきた。

我は彼女に何もできなかったということになるではないか。何一つ返せなかった。

詫びることすら、できなかった。

けれどアストルは嬉しそうにしている。我と出会えたことは彼にとって余程のことなのだろう。それならば我にできることは、その喜びを続けさせてやることだ。お前の側には我がいると、いつでも見守っていると。そしてそれは彼女への恩返しであり、守らなければいけない約束なのだ。
……天使様、天使様と、お呼びしても?」
「お前の好きなように呼ぶがいい………。我がすべき事は、亡きお前の母に代わってお前の学ぶべきことを全て与えるだけだ。だが教えることは多い。道は険しく、教えも厳しいものになるだろう。お前は着いてこられるか」
占星術師を目指す道は楽ではなかったはずだ。そしてその道はこれからも続いていく。恐らく、学び続ける一生になることだろう。その覚悟はお前にあるのかと、そう問うた。アストルから返ってきたのは、威勢のいい決意に満ちた言葉だった。その顔つきも真剣だ。星の天使としての我の存在を信じ、我に着いてくる決心はついているのだろう。
「姿は見えずとも、我はどんなときもお前の側に居る。我はいつでもお前を見ている。お前が欲するとき必ず現れよう……
伝えることはこれで終わった。だがアストルはまだ花壇の前で祈るように手を組み、それを自身の額に擦りつけている。祈りの対象になるほど、我は聖なる存在ではないのに。けれどその純真さを、とても美しいと思った。この年齢なら何かしらの世間の悪意を知ってるだろうに、彼からはあどけなさを感じる。
「アストル」
「は、はい!」

お前の母はどう生きた、幸せそうであったか。

己の望みと関係なく子を孕み、夢を手放して田舎に逃れて子を育てることになった。我が彼女について知っているのはそこまでだ。その後どう過ごしたのかはわからない。だが願わくば幸せであってほしかったと思う。
だがそれを知って何になろう。過去は戻らない。彼女の人生を知って不幸であれ幸福であれ、それを変えることはできない。できることなど、何もありはしないのだ。今の我にできるのは、アストルを彼女の望み通り見守り立派に育てることだけ。
突然黙ってしまった我を不思議に思ったのか、アストルは天使様?と呼びかけてきた。
……いや、また星の見える夜、この庭園で会おう。我のことは決して人には話さず、一人で来るがいい」
我は誤魔化すように再会の約束を取り付ける。しかしアストルは誤魔化したことにも気が付かなかったようで、必ずそういたします!と興奮気味に言った。


これまでの出来事は、全て序章にすぎない。



さあ始めよう、幕を上がる時が来た。