ナスカ
2021-09-03 15:12:24
6915文字
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シンデレラ(2021)感想〜夢を叶えた人〜

アマプラで独占配信中のカミラ・カベロ主演映画「シンデレラ」の初見感想及び考察です。ネタバレざんざかあるよ!

皆さんおはこんばんちは、ナスカです。クルエラぶりに映画の感想といきたいと思います。

今回は本日(2021/09/03)よりアマゾンプライムビデオより独占配信開始の「シンデレラ」について色々アレコレ好き勝手述べさせていただきますね。

本来ならば映画館での上映になるはずだったという本作。昨今の情勢も相まってアマプラでの配信になったそうです。私がこの作品を知ったのは、ディズニーや映画好きのフォロワーさんのツイートでした。現代のエッセンスを取り入れた新しいミュージカル映画の「シンデレラ」まあ、見ないわけにはいきませんよね。1950年のディズニー版シンデレラから始まって、もはやシンデレラという「概念」が好きになってしまっているナスカさん。新解釈で描かれるシンデレラとあらば食いつかないはずがありません。今日の配信をずっと待ちわびていました。

シンデレラことエラを演じるのはカミラ・カベロちゃん。継母役にはあの、あの!イディナ・メンゼル。その他の俳優さん女優さんはあんまり知らないのですスミマセン……

あ、申し訳ないのですが今回はネタバレをじゃんじゃかしていきたいと思います。とりあえずざっとキャラ紹介をば。


まずはシンデレラ。彼女はディズニーの実写版シンデレラ(2015)と同じく、本名はエラ。シンダー(灰)まみれのエラ、という広く知られた説を採用しています。両親に先立たれ継母と継姉たちと生活し、みずぼらしい服を着せられ薄汚い地下室に押しやられています。そんな中でも彼女は自分の店を持ちたいという夢を持ち、様々な布や裁縫道具、書き起こしたデザインに囲まれた生活を送っています。そんな中でもやはり継母や継姉にお茶を出したりそのお茶に文句を言われたりと、その扱いはシンデレラの名に違わず。しかし私がよく知るシンデレラと違うのは、彼女は決して家事に追われているわけではないということです。むしろ継母と継姉はシンデレラにさせず、普通に自分たちで洗濯物を干しています。今作のシンデレラは「結婚」を邪魔されるのではなく、「自分の店を持ちたい」という夢を妨害する人や出来事を跳ね除けていかなければならないのです。シンデレラについては、また後ほど。

お次はイディナ・メンゼル演じる継母。彼女は古い慣習に縛られた人間です。女は金持ちと結婚して手にしたいものを手にすることが幸せだと言っています。それを自分の実の娘だけに言うのならまだわかります。継母はエラにもそう言うのです。これまでの継母ならばシンデレラが「女の幸せ」で満たされることを邪魔してくるはず。私はこの時点で継母が従来型と違うということに気が付きました。あくまで継母の目的はエラの夢を諦めさせることなのです。
そんな継母にも夢がありました。独学でピアノを学び、才能溢れついに名門校に招かれるほどになりました。しかしそこでピアノを学び始めたのは最初の結婚のあと。すでに二人の娘がいました。理由は定かではありませんが学校に通う内に最初の夫が亡くなり、彼女はシングルマザーに。その後エラの父親と再婚するわけですが、「夢見る女は望まれない」とプロの道を諦めます。そして同じように二人目の夫の連れ子であり、夢見るエラに言うのです。「叶わないとわかっている夢を諦めさせないほうが残酷だ」と。
……とここまで書けば、若者に忠告をする中年代ということにはなりますが、美人のエラを金持ちと結婚させ、自分と実の娘たちに楽をさせてもらおうと画策しているので悪いことを考えていたとも言えますね。

さて次は継姉二人。痩せているのと太っているのが一人ずつ。彼女たちは決して意地悪な姉というわけではありません。前述のように家事をエラに押し付けているわけでなく、そして継母がエラの作ったドレスを黒いインクで汚した時は「なんてことを!」といった表情を見せています。また、痩せている方は金持ちと結婚することが肝要と言う母に「ロマンスは?」と聞いたり、決して母の言うことに従っているだけではない様子。そして母に同調してエラの夢を馬鹿にすることも無く、味方でもなければ敵でもない、というポジションでした。

では次はファビュラス・ゴットマザーについて。
今作のゴットマザーはエラが育てた蝶が変身した姿です。その名に恥じないファビュラスっぷりは見事なもの。エラが「何故私を助けるの?」と聞けば「貴方が育ててくれたから」と答えます。うん、実に簡潔でよろしい。自分が芋虫だった頃から匿って育ててくれ、ついに羽化したのち、その恩返しにエラの願いを叶えてくれる。唐突感も無くとても自然です。彼がエラにかけた魔法はいつもどおり、ドレス(エラのデザインを元に)にガラスの靴に、ネズミのお付きの者、それに馬車。0時で解けるのも同じ。しかしこれは現代のエッセンスが入ったシンデレラ。ガラスの靴は歩きづらいと言うエラにガラスの靴が履きやすく歩きやすくなる魔法をかけました。これで魔法が解けてもガラスの靴は無くならない理論の完成です。その後ナレーションで声は出るものの、彼の登場はここのシーンのみでした。

それでは王子に移りましょう。今作の王子にはロバートという名前があります。バカ王子と民は噂し、噂の中の彼をモチーフにした舞台劇が庶民の間で楽しまれるほど。しかし彼はそこまでダメな王子というわけではありません。確かにお見合いの場に何故か友人を連れてきていたりしますが、彼は伝統と慣習に縛られる生活を嫌っています。愛の冷めた両親を見てきたせいか結婚には否定的で、愛していない女性と結婚など御免だと王位を継承する気がありながらも結婚という条件を飲めずにいます。そんな彼の気を変える出来事があります。王族が揃って民の前に顔を出す行事……まあ日本で言う一般参賀ってやつですね。それの際、先王の石像によじ登ってそれを見ている女の子がいました。エラです。「我が父の像から降りろ」と言う父王に対し、「背が低い人のための特等席を作ったらどうなの?」と言います。度胸があって型破りなエラこそ自分の理想だと思ったのでしょう。今は慣習に縛られている自分だけれど、本当の自分を彼女の前でなら見せられると。そして彼は名前も知らないエラを探しに、変装して市場に向かいます。ロバートについてはエラと共に後ほど。

最後にロバートの家族である国王夫婦と妹の王女を。
ロバートの妹である王女は非常に頭の切れる才女であり、自分が王になりたいと思っています。民のことを最優先に考え、多くの政策を考えており「投石機はたくさんあるのにこれ以上作る理由は?」「貧困層に対する支援策について」「エネルギー生産には石炭よりも風力の方が」など様々な問題の解決に乗り出そうとしています。が、伝統と慣習に縛られた父王は「これが慣習だ」と言って娘を政治の場に出そうとしません。
そんな王も、王位という立場を気にして自分の名誉を守るために変わってしまった「伝統と慣習」の被害者の一人でした。王になるからには逆らう者にも権力で人を従わせ、結婚など愛がなくてもしなければならないと息子のロバートに言います。王妃はそんな夫の言葉にショックを受け、「貴方は私を愛してくれていたのに、王位についてから変わってしまった」と言及。シンデレラ(2015)でも王家の内情について語られてましたが、今回はかなり切り込んでいました。王位継承の問題だけでなく、その立場にのしかかるプレッシャーや責任感。それに伴って起こりうる家族崩壊という最悪のシナリオ。どこかお伽噺調に語られがちな王族の姿を、どこにでもいる家族として描いたことは私にとって目新しく映りました。


何故エラとロバートは恋に落ちた?

舞台となっている国が「古い伝統と慣習に縛られた」というのは最初のナレーションで示唆されています。そしてそれを当然のように受け入れている人が殆どというのはストーリーの中でもわかります。そしてエラとロバートはそんな現状に不満を抱き、何かを変えたいと思っています。エラの場合は自分の店を持ちたいという夢を馬鹿にされる状況に、ロバートの場合はあらゆることを自分で決められない人生に。
ロバートは前述の通り型破りな行動をしたエラに惹かれ、変装をして町まで探しに行きます。そしてエラは時を同じくして自分が作った自信作のドレスを売りに町に行きます。そこでエラを待っていたのは「女に商売ができるわけがない」という嘲笑でした。エラを見つけたロバートは「値を落とせば良い」とアドバイスしますが、現れた男を王子だということを知らないエラは「中傷ならお断り」とバッサリ。しかしロバートは諦めず、このドレスを買うと食い下がります。エラが売り出していた三倍の値段で。そこに王の号令を伝える者が現れ、人々に「王子の花嫁探しのための舞踏会を開く」と伝えます。エラは王子の花嫁になることも、舞踏会に行くことにも興味はありません。ドレスを買ってくれた男に礼を言って去ろうとしますが、ロバートは「舞踏会に来れば、偏見のない金持ちが君のドレスを好評してくれる。君は夢の一歩を掴める」と告げます。何がなんでも舞踏会に来てもらうためです。エラはそれならばと支払ってもらった金で上等な布を買い、ドレス作りに乗り出します。

ここで「エラは王子の誘いに乗っただけ、運が良かっただけ」と思った人、お待ち下さい。

エラは自分が作ったものに自信と誇りを持ち、嗤われることも承知の上で声を上げ、それを売り出そうとしました。与えられた地下室で不平不満を言うだけでなく、彼女は自らの足で外に出たのです。あらゆる意見が渦巻く現実へ。
外に出なければロバートと出会うこともなかったはずです。またロバートもエラと同じで、変装して町に出なければエラとは出会えなかったはずです。両者が求めているものは相手とは違いましたが、二人は似た感情を持つ者同士として「運命の出会い」ではなく「最良の相手」として相手を見たのです。お互いが行動を起こしたからこそ出会えた、これは運ではなく、必然だと私は思います。

それからなんやかんやあって、完成したドレスを継母に汚されたりファビュラス・ゴットマザーに魔法をかけてもらったり舞踏会で出会ったり、シンデレラのお決まりの展開が続きます。二人は惹かれ合いながらも、ここで「相手の求めている姿にはなれない」ことですれ違います。
ロバートは「自分は王族だから王になるのは仕方ない。エラには王妃になってもらわないと」と思いますがエラは「私の夢は?」と問いかけます。王城での生活も、地下室での生活も嫌だ。自分の店を開ける人生が欲しいと。ロバートは無理矢理エラを王妃にしようとしませんでした。無論、愛しているからこそです。エラの夢を尊重したのです。
ロバートはフラれてしまいましたが、エラには収穫がありました。なんと舞踏会に招かれた異国の女王がエラのデザインしたドレスを気に入り、「他のデザインも見せてちょうだい」と言われたのです。後日の約束を取り付け、魔法が解ける前にエラは城を後にしました。歩きにくくなったガラスの靴を放り投げて……

しかしロバートは王妃という地位に靡かなかったエラを、エラは自分の夢を尊重してくれたロバートを、より一層好きになったことは言うまでもありません。似た悩みを持ち、それを共有できる相手だったことを別れを決意した途端により強く感じたのは何とも辛かったことでしょう。だからこそ、この二人が恋に落ちたことに納得がいくし、それが輝くのです。

その後ガラスの靴を手がかりにロバートはエラを探します。しかしエラは継母によって別の金持ちの男のところへ嫁がされることになってしまいます。しかしそれに黙って従うエラではありませんでした。友達のネズミたちの協力を得て、エラは馬車から脱出します。自分のデザインを気に入ってくれたという異国の女王に会うためです。エラを探すロバートと夢を追うエラがここで偶然の再会を果たします。偶然とは言うものの、二人とも同じ町に向かっていましたから町中ではなくその向かう道中で出会ったというだけなので再会できたことの説明がつきます。
そしてそこでロバートは「自分」を優先することを決めたとエラに宣言。王になるのではなく、愛する人と共にいたい自分を選んだとのこと。そこでようやく二人の恋は成就。ここでやっとキス!イエーイ!!!
その後エラは異国の女王と落ち合い、その才能を認められ女王の国へ旅立つことになります。もちろん、ロバートも共に。

要約すると、自分を理解してくれる人が見つからない中で出会った人は自分と似た悩みを持っていた。だからこそ二人は互いを理解し合い、それが愛へと昇華していったのだと、私は思います。


イディナ・メンゼルが保守的な女性を演じるということ

イディナ・メンゼルって誰?という方のためにめちゃくちゃわかりやすい説明を。アナ雪のエルサの原語版声優です。レリゴー大本家がこの方。
エルサと言えば配偶者を必要としなかったアレンデールの女王。ディズニープリンセスの新機軸を打ち出した新世代のヒロインです。ところが今回演じたのは古い伝統や慣習に縛られ、女の幸せは金持ちとの結婚だと言い張る女性です。エルサとはかなり違いますね。また、イディナは過去に「魔法にかけられて」という作品でバリバリのキャリアウーマンのナンシーを演じています。ナンシーは結婚を考えてはいましたが、それも恋という情熱的なものを発端とするものではなくあくまで理性的な面から考えてそれが最適だったからというだけの話です。メインは仕事なのです。
ナンシーは好きな仕事に専念し、エルサは結婚せずという立場。女だからといって必ず結婚しなければいけないわけではない、夢を持ってそれに向かえばいいという、言わば新しい価値観を体現した存在であると言えます。そんな彼女たちを演じたイディナは、新時代の先端をいく女性のように思われたことでしょう。自立した女性というアイコニックな存在のように思う人も中にはいると思います。
しかしこの継母は夢を追いかけ、掴みかけたところで諦めざるを得なかった悲しい経緯の持ち主です。女が夢見ることは周りに迷惑をかけるとすら思っています。エルサやナンシーと違って、古い考え方に囚われているのです。何故先進的な考えを持つキャラクターを演じた人が、保守的な考えを持つキャラクターを演じるのでしょう。
今回のシンデレラはミュージカル映画であり、イディナはブロードウェイの演者。高い実力を持った彼女がキャスティングされた、というのは当然のことと思われます。
若さは同時に恐れ知らず。失敗や現実を知らない者として描かれます。反対に失敗や現実を見てきた者は若い者の忠告者として現れたり、「こんなことしなければよかった」と後悔して現状を変えることを拒むキャラクターとして描かれがちです。継母は自分が好きなことに没頭している最中に最初の夫を亡くしており、娘たちを養わなくてはならなくなりました。そういった人生経験を積んでいるのです。イディナもまた年齢を重ねたことでそういった、恐れ知らずな若者だけでなく、人生の酸いも甘いもを知ったキャラクターを演じることができるようになったのではないのでしょうか。
最終的に継母はエラから「夢を諦める必要なんて無い」と言われ、「夢見る女は望まれない」という呪いから解き放たれたと……思いたいですね。


これは「シンデレラ」なのか?

自分の店を持つことを夢見る女性が周囲からの嘲笑にも負けず持ち前の行動力で王子を魅了。二人は恋に落ちるも互いの尊重のため一度別れを決意。しかし再会を経て二人はいつまでも幸せに暮らしました。

これが今回のシンデレラの要約ですかね。従来型のシンデレラとは全く異なります。そうなるとこれはシンデレラをモチーフにするべきだったのか、シンデレラの名を冠する必要があったのか、そういう疑問も出てくるかと思います。

しかしシンデレラという言葉には、他にも意味があります。それは「夢を叶えた人」という意味。

この映画には夢を叶えた人が多く出てきます。夢を叶える足がかりを手にしたエラはもちろん、そんなエラと共にいるという夢を手にしたロバートも、王位につきたいと願っていたロバートの妹である王女も、そして一度夢を捨てざるを得なかった継母も……。今回のタイトル「シンデレラ」はエラ個人のことだけではなく、彼女を取り巻く人々も夢を手にするまでのことも含めたタイトルだったのではないでしょうか。

今回語ったのはストーリーやキャラクター、演者とキャラクターの関係までで多くのミュージカルナンバーにまで言及はできませんでした。語ること多すぎるこの映画……

というわけで、このくらいで締めておこうと思います!また何か映画を見たらこういうの書きたいですね。それでは〜!