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ナスカ
2021-08-28 15:28:37
7477文字
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美しき素顔 第10幕
ガノアスのオペラ座パロの続きです。
「ようこそ陛下。彼の牢獄へ」
恭しく頭を下げるアストルは頭上からスポットライトを浴び、王よりも数段高い場所にいた。上から見下されている、つまりは、自分は下に見られているということ。王は憤慨した。
「アストル!これは一体どういうことじゃ!儂をこんなところに連れてくるなど、何を考えておる!」
「何
……
ですか。陛下こそ、何を考えて私の母を手籠めにしたのです?」
「なんのことだ」
「とぼけるな!!」
穏やかだったアストルの表情が一瞬にして般若のそれに変貌する。王はその表情に見覚えがあった。まだ自分が無礼な若造だった頃、己の怒りを収めようと必死になっていた者の瞳に映る自身の顔だ。
「おぉ
……
おぉ、そうだったのか
……
いやはや驚いた。気が付かなくてすまなかったな」
王は雰囲気を穏やかにしてアストルへ近づく。だがアストルの表情は頑なに変わらない。嫌悪と憎悪に燃える瞳だ。だが王はそんなことをものともしない。単に気にしていないだけなのか、それともアストルの中に渦巻く感情を覆せるだけの何かをこの男は隠し持っているのか。
「息子よ、母の代わりとして我が元へ戻ってきてくれていたのだな。お前の母は思慮深い女だった。儂の寵愛を受けながら、亡き王妃を思えば後妻になるなどとんでもないと言って断りまでしたのだ。ある日城からいなくなり、どうしたものかと思ったが
……
そうか、お前が出来ていたからか。やはり彼女は、慎ましい女だ。儂に迷惑をかけまいとしてくれたのだな」
「母を『寵愛』
……
?」
真っ白な紙にぼっとりと粘度の高い黒のインクを落としたようなアストルの声が響く。お前は何を言っているんだと、怒りを通り越して呆れが黄玉の瞳に浮かぶ。
「あぁそうだ、そうだとも。あんなに美しい女はまたといない。何としてでも側に置いておきたかったのだ」
「どうやら母と陛下の間には、大きな認識の差があるのですね。陛下にとって寵愛とは、権力を振りかざし、抵抗を封じた上で無理矢理モノにするという意味ですか」
「
……
そんな話をどこで聞いた」
「お認めになりますか?」
「どこで聞いた。誰から聞いた。誰一人そのことを知る者はおらぬ」
「えぇ、そうですね。存在する者はそのことを知りません。死んだ母以外は。けれど、存在しない者はどうでしょう」
「存在しない者が出来事を認知できるはずが無かろう。あぁそんなことはどうでも良い。アストルよ、もっとよく顔を見せておくれ。母にも儂にもよく似たその顔を
……
」
王はアストルを抱きしめる。アストルは嫌悪感と憎悪から全身に悪寒が走るのを感じた。今すぐ突き放したい。この手で殺してしまいたい。だがまだだ。まだこの男が全てを白状するまではこちらから危害を加えてはならない。自分とファントムの目的は、この王が自らの罪を公衆の面前で言い放たせることだからだ。
「この国の王位継承権は、女神の血を引く姫と婚姻した男にだけ与えられる。確かに儂に娘はいる。王家としてはそれでよかった。だが儂は男の子もほしかったのだ。お主は儂の望みそのものだ、アストル」
皺の目立つ手で王はアストルの頬を撫でる。アストルは無表情を繕った。お前が見せる偽物の情に流されやしないと、眉一つ動かさない。
「ここにあの恐ろしい怪人
……
いや、魔王はおらぬ。さあ、早く地上に戻ろうではないか。そうすれば先程の狼藉は許そう。お主は我が子なのだから」
「貴方は私を育てましたか」
アストルは王の腕の中からすり抜ける。そしてもう一度距離を取り、暗闇に寄り添った。そこから現れたのはファントムだった。震えるアストルの肩をファントムは優しく抱き寄せる。我が側におる。お前はよくやった。嫌悪する王に抱きすくめられるという役をよく演じた。さあ放て、お前が溜めてきた感情を!
「母は大変な苦労をしました。故郷とは違う田舎に逃れ、私を女手一つで育てながら占いで身銭を稼ぎ、その上私に知識を捧げてくれました。貴方は何をしましたか。貴方が母と関係を持たなければ私は生まれなかった。けれどそれは貴方の横暴の結果です。貴方は母を寵愛なんてしていない。美しかったから手を出しただけだ!」
最後の方はほとんど涙混じりの声で、言い終わったアストルはゴシゴシと袖で溢れた涙を拭った。よく頑張ったとファントムはアストルを抱きしめた。その様子を見た王は沸き立つ怒りに身を任せ、常に懐に忍ばせている短剣をファントムの顔めがけて投げつけた。だがファントムは動じず、上から自分の顔の横に垂れている紐を引っ張った。すると二人を守るように分厚い木の壁が現れ、短剣は壁に突き刺さって終わった。もう一度紐を引っ張ると木の壁は床へ格納されていった。
「おのれ魔王め。いつまでこの国を脅かすつもりだ」
「我は国を脅かしてなどおらぬ。あくまで標的は貴様だ。我は女神の血を憎んでなどいない。むしろ感謝している。特に貴様の妻にはな」
「儂の妻だと
……
?」
ファントムは王の目の前に糸で綴じられた紙の束を数束投げつける。王は見覚えのある筆跡に、紙を捲り始めた。そこに書かれていたのは、亡き王妃によるファントムの育児録だった。毎月の身長や体重、その日の様子に食べたもの、後半になってくると発した言語や分化してきたと思われる感情についての記述もある。王が知る限り、亡き王妃は公務に追われていたはず。そしてその疲労で亡くなったと、そう思っていた。
「認めたくなかった。この世で最も嫌う男の、その妻に育てられたなど、屈辱もいいところだった。だがそれを読む内、貴様の妻の慈悲深き心を知った。同時に、貴様がどれほどの愚か者であったかもな」
「儂を愚か者呼びするとは、随分と威勢がいい」
「我もアストルも、貴様によって翻弄された女が母だ。だが貴様は我らの父ではない。名乗る資格もない」
「あれも余計なことをしおって
……
せっかくこの先百年この国に平穏をもたらそうと此奴の顔を焼き、この地下に閉じ込めたというのに
……
」
そう言った途端、王の足元の床が上昇を始めた。何が起きたのかわからない王は降ろせと慌てふためき叫ぶが、ファントムはそれを見て飄々とした顔をして返事をする。
「望み通り、地上に返してやる。だがそこはもう貴様の支配する場所ではない」
ファントムの言葉に、何を適当なことを抜かすかと王はほくそ笑む。ここにいたのは自分たちの三人。他の誰もここにはいなかった。自ら返してくるとは、何とも馬鹿な男よ。もし二人が上に戻れば、怪人は捕らえ処刑し、アストルは妾として側に置いてやる。逆らうことなどできまい、儂はこの国の支配者なのだから。
「
……
行きましたね」
「あぁ。
……
うまく作動してくれているといいのだが」
「大丈夫ですよ天使様。貴方の技術を信じています」
「これが見つからなければ、我もどうしたものかと思った」
ファントムは物陰に仕掛けられた小さな薄い板を手に取る。板には何やら目立つマークが彫られている。大きな一つ目が涙を流しているように見えるそのマークは、王家の影の守護者であるシーカー族のものであった。その反対側には、目の前の景色がそっくりそのまま映っている。
「今この瞬間も向こうに映ってますかね?」
「いや、通信はさっき我があやつに向かって話した直後に切っておる。大丈夫だ、心配いらない」
「それにしても、すごいですねシーカー族の技術って。それを応用できちゃう天使様はもっとすごいですけど!」
「そう褒めても何も出せんぞ」
満更でもなさそうに笑うファントムと、そんな彼にぴったりと寄り添うアストル。上で起きているであろう騒ぎが収まるまで、二人はこの静かに広がる闇の中で時を過ごすことにした。
謁見の間に戻された王は質問攻めに遭っていた。中には質問とは言えない言葉も混ざっていたが。それらは全て、先程のやり取りに関するものであった。地下で行われていたそれをここにいる者たちが知るはずはない。なのに何故こんなことに。
「陛下、あの地下の惨状は一体!?あんなところに幼い子どもを閉じ込めたのですか!?」
「子どもを作らせておきながら何にもしないなんて、ひどすぎます!」
「とても立派な方だと思っていたのに幻滅です!」
「陛下、さすがにこれはあんまりなのでは
……
!」
わらわらぎゅうぎゅうと玉座に人が集まっておしくらまんじゅう状態のところに、王太子妃が人波を文字通り割って入ってきた。王太子妃は言葉にできない思いを胸にしているのか、悲しみとも怒りともとれる表情を浮かべていた。
「御父様、あれは一体どういうことなのですか?」
「ゼルダ
……
」
「エストレリータを愛人にしていたなんて
……
しかも無理矢理
……
。何故何も責任を取らなかったのですか?アストルの言う通り、彼女は大変な思いをしたのではないのですか?」
「彼女は勝手に出ていった。儂は悪くなどない」
「そもそも愛人になどしなければ!」
「妃よ、もうよい」
王太子妃の肩を軽く叩いて背後から現れたのは彼女の夫
……
次代の国王となる王太子であった。その後ろには私兵と思われる騎士たちを数名連れている。
「あなた
……
」
ズイと妻の先に立ち、義理の父親である王を王太子は哀れみの目で見つめた。
「義父上、このような手段に出なければならないことを誠に残念に思います。そして、自分は此度の事で学びました。種族の弾圧は国の不和を招くと」
「ロ、ローム
……
」
「貴方はこの国の王。なのでそれを忘れない扱いには致します。しかしこれだけは言わせてください。貴方は王としては有能でしたが、人間としては失格であります」
お連れせよ、と王太子が言うと私兵の中でも一回り小柄な金髪の近衛兵が王に手錠をかけた。王は「儂は何も悪くなどない!」と負け犬の遠吠えを周囲に撒き散らしながら連行されていった。
❋❋
ローム王太子の私兵たちは城中をくまなく捜索し、ファントムの住処や王の書斎からあらゆる証拠を持ち帰った。特にどこを探しても見つからなかったファントムの住処の入り口はこれまでのことが嘘のようにあっさりと見つかり、その先で私兵たちはファントムとアストルが共にいるのを発見した。彼らを見たアストルは「やっと始まりますね」とファントムに語りかけ、そうだなとファントムは頷いた。
私兵の一員である小柄な金髪の騎士は、主君があなた方を待っていると二人に伝え、二人はそれに従って王太子夫妻の元へ向かうことにした。
騎士数人が見守る中、二人は王太子夫妻の前に跪く。
「アストル殿、そして
……
そなたのことは何と呼べば?怪人と呼ぶわけにもいかぬからな
……
」
「私に名はありませぬ、王太子殿下。どうぞ、お好きなようにお呼びくださいませ」
「そ、そうか
……
。では
……
天使殿」
まさかそう呼ばれるとは思わず、ファントムは軽く笑ってしまった。アストル以外に自分を天使だと呼ぶ者がいるということが、これまでを考えるとあり得ないことだった。
「国王の過剰な行動と思想により、そなたの人生の大半をこの城の地下で過ごすことになってしまったこと
……
そしてその顔の傷も、許せることでは無かろう。言い訳はせぬ。本当にすまなかった」
深々と頭を下げる夫妻にファントムは思わず床を見つめていた視点を上げ、そんなことをしないでほしいと首を横に振る。
「いえ王太子殿下。これらの出来事は殿下の所為ではございませぬ。私は殿下を責めるつもりはございません」
「では私は」
王太子妃が一歩前へ進み出る。
「私は貴方を苦しめた男の娘です。それに母から貴方のことを頼まれておきながら、私は何もできなかった。貴方を助けられなかった」
「王太子妃殿下。王の血を理由に貴方を恨めば、それはアストルを恨むのと同じこと。私にそれはできませぬ。私が憎むのは、貴方の父君だけで充分。それに、貴方はアストルの母と私を引き合わせてくれた。それで私の人生は変わった。だから、良いのです」
王太子妃はワッと泣き出し、ファントムに抱きついた。ファントムは少々驚いたが、もういない二人の代わりに感謝を告げる。ありがとう、貴方がいなければ私はこうなれなかった。
「アストル殿」
「は、はい!王太子殿下!」
未来の国王に声をかけられ、アストルはやや緊張して声が裏返った。その様子がまだ若さを感じるなと思いながら、王太子はにこやかに語りかける。
「そなたにとってここで宮廷占星術師を続けるのは、心苦しいものがあると思うが
……
どうだ、占星術師として他の場所で働けるよう口利きすることができる」
「え
……
」
「それとも、亡き母君の思いを継ぎ、ここでまだ働いてくれるか?」
道を与えられたとアストルは思った。城は確かに、自分の出生を巡っては悍ましい場所だ。城から出て自分が求められる場所に行くこともできる。それに、いつかファントムと共に外で暮らしたいと思っていた。
けれどここは悍ましい場所であると同時に、母が誇りを持って仕事をした場所であり、ファントムとの出会いの場所でもある。良い思い出も悪い思い出の両方がここにあるのだ。
そしてこれからは、良い思い出をたくさん作りたいとアストルは思っていた。
「是非ここで、母のように国と民のために、星を読ませてください」
「続けてくれるか、そうか。これほど心強いことはない。期待しておるぞ、アストル殿」
そのあとは四人の間で和やかな時間となった。向かい合うようにソファに座り、女中が出した茶を飲み菓子をつまみながら会話が弾んだ。王太子はファントムが王の自白を人々に伝えるため用いた、暗闇に投影された動く写し絵のことが大層気になったらしくそれの方法についての話に花が咲いた。
「つまりこの古代シーカー族の遺物は現代のハイラルの文明を凌駕しており、私はそれに少々手を加えて映る像
……
映像とでも言いましょうか、それを離れたところにも出力することができたのです」
「ハイラル中の学者を募っても解明できなかったシーカーの遺物を使うのみならず応用できるとは
……
なんと素晴らしい」
「解明するのにかなり手こずりました。しかしこれは必ずや、この国の役に立つはずです」
一方アストルは母の友人である王太子妃と、以前話せなかったことについて話し合った。主に、二人を繋ぐアストルの母に関して。
「この前、お母様の名前はエストレリータじゃないって言ってたけど
……
どういうことなのかしら?」
「私が知る母の名はエステラです。きっと名前を変えたのでしょうね、調べがつかないように」
「名前を変えなければならない状態にしてしまって
……
本当にごめんなさいアストルさん。私が彼女にファントムを紹介してしまったばかりに
……
」
「気にしないでください殿下。それに、貴方が天使様を母に紹介してくださらなかったら今頃私はここにいませんから。彼と会えたのも全て運命
……
私は今その運命に感謝しているのですよ」
アストルは愛しげにファントムを見つめた。
❋❋
その後調査が進み、王の非人道的な行為が次々と明らかになった。そのことを民に詫びたのは王の血を引く娘の王太子妃だった。王家の威信が失われては王国が崩壊しかねない。そのためにも王太子妃が民に頭を下げ、これからは一般階級から近衛騎士となり、自分と婚約したことで王位継承権を得ている夫が王位に着き国を良き方に向かわせていくと宣言があった。かくして女神に愛でられし王国は崩壊を免れ、それまで弾圧されていたゲルドの民たちは新しい王権の誕生と共に自由を手にし、ハイリア人の中で不当な扱いを受けていた者たちにもあらゆる権利が与えられた。
アストルはこれまでと変わらず宮廷で占星術師を続けていた。即位した国王に告げた未来は、明るいものばかりではなかった。しかし未来を知ったことでそれは乗り越えられるとも告げ、国を未曾有の危機から救うことになる。
ではファントムはどうしているかと言うと、新国王によって集められたハイラルの技術者たちと共に王立技術開発機関に所属することになった。これまで古代シーカーの技術は解明がほぼ不可能とまで言われ、あらゆる遺物が発掘されていながらそれを活かすことができなかった。しかしそれを部分的に理解しているファントムがいることで技術の解析や開発が進み、ハイラルは一万年前以上の栄華を極めることとなる。共に研究を重ねた技術者たちはファントムの顔のことなど気にせず、その卓越した頭脳と確かな技術に惹かれて多くの者たちが弟子入りを望んだ。しかし弟子はただ一人でいいと言って、ファントムは技術者たちと対等の立場でいた。弟子が誰のことなのか、技術者たちはサッパリわからなかったという。
信仰と科学。決して交わることのないと思われたそれぞれの分野の最先端で活躍している二人が仲睦まじいことを知っている者は、本当に僅かしかいない。
時は新国王の即位よりも少し前に遡り、まだ二人がアストルに与えられている小さな部屋で過ごしてる頃。
「天使様」
「どうしたアストル」
「王妃様から伺ったのですが
……
その、亡き王太后様が天使様の本当の名を存じていると」
「あぁ、我も例の産着は確認済みだ。我の本当の名も、もう知っておる」
「で、では教えていただけますか?もう貴方はファントムと名乗る必要も無くなって
……
その名前でも生きていけるはずです」
そうだな、とファントムはアストルの言葉に笑って答える。
「どうやら我の名は、ガノンドロフというらしい」
「ガノンドロフ
……
!なんて天使様にお似合いの、逞しい素敵な名前でしょう!」
アストルは目を輝かせ、何度もファントム
……
否、ガノンドロフの名前を呼んだ。これまで知らなくて、彼をそう呼べる立場に無くて呼べなかった分だけ、何度も呼んだ。さすがのガノンドロフをそれに恥ずかしくなってしまったのか顔を両手で隠している。
「ふふっ、ガノンドロフ様!」
「なんだアストル
……
照れるから少しやめてくれんか
……
」
「さあ、貴方は光の世界の名前を取り戻しました。行きましょう、貴方がこれまで見れなかった世界を見に!本物の星を見に!」
世界はこんなにも美しいんだと、それを初めて見て感動に震えるであろう貴方の素顔が見たいと、アストルは立ち上がる。ガノンドロフは自分に差し伸べられた手を握り、自身も立ち上がった。
これから始まるのだ、本当の人生が。
閉幕
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