ナスカ
2021-08-24 20:55:24
5053文字
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A to Z 完結編

スパアス♀の続き。スケベの無い至極真面目な回です。
前の二話と違って今回はスッパさん視点。

あれは彼女の本心でなかった。彼女は泣いていた。

『最期にもうひと働きしてもらおうと、思ったまで!』

今は主を逃がすのが最優先。皆が倒れていった以上、ここで動けるのは自分だけだ。逃げてくれと言ったのに、主はそんなことできるかと返す。ならば命に代えてもお守りしなければ。

だが、

『厄災ガノンに捧げし贄……その役目を、果たすが良い!』

アストルよ、そなたはいつ間違えた。星色に輝いていた瞳は暗く澱み、顔色は悪くなるばかりで、その態度も横柄で不遜なものに変わっていった。

俺はいつ間違えてしまった。そんなアストルを何故止められなかった。変わっていくのに気が付いていながら、何故彼女をそのままにしておいた。

このままでは彼女は手の届かないところに行ってしまう。早く、早く彼女を厄災の怨念から解放しなくては。けれど深手を負った今、アストルを正気に戻すことなどほぼ不可能。贄を取り込んだ厄災は強力で、俺の力を以てしても倒すことはできなかった。
回復に専念し、機会を待つしか無いと思った。しかし主から聞かされた一言に、俺はもうそれは叶わぬことだと悟った。
『ゼルダ姫から聞いたんだ。アストルはガノン様に取り込まれたと』
それも魂だけでなく、体ごとだったという。厄災は討ち果たされたが、アストルによって奪われた部下たちの魂は帰ってきていない。アストルも同じだと考えれば、彼女はもう死んでしまったと思うしかない。
裏切りが露呈したあの時、形振り構わず訴えかけていれば。それよりもっと前に、彼女を厄災への依存から切り離していれば。後悔ばかりが頭を巡る虚ろな日々が続いた。そんなある日のことだった。
「スッパぁ、大変だぞ!」

アストルが、生きている?


❋❋


「アストル……
目の前にいるアストルは病人用の寝台で眠っていた。かつて我らの先祖が生み出した技術を応用して作られた機械に繋げられ、ただ眠るだけの彼女が生きていることを証明してくれる。ここはハイラル城の中の一部屋。イーガの者は王国軍に加わったことで、普段の戦闘服姿でも剣先を向けられなくなった。俺はこの先もイーガの者であると決めていた。だからこうして、変わらぬ姿でアストルの元を訪れた。
彼女は決戦の場所である、城の地下で発見されたという。姫と勇者と、そして執政補佐官の三人で調査に向かったところ発見されたという。アストルの扱いは揉めに揉めたが最終的に王の意向により、適切な処置を行って健康体になってから尋問をすることになった……とコーガ様から伝えられた。総長の側近と言えど、組織の一幹部という身分の俺が今こうしてアストルの顔を見ることができているのは、ひとえにコーガ様の御威光の賜物であった。
「『奴を一番側で見ていながら凶行に走るのを止められなかったと後悔してるのがうちの団にいてな……何とか会わせてやれねぇか?』ってゼルダ姫に聞いたのさ。そしたら結構すんなりいってよ!姫の信頼も勝ち取って、俺様の未来は明るいってカンジ?」
いつもの調子でガハハと笑う主に、頭が上がらなかった。有難う御座いますコーガ様、と膝と額を地面に付けて俺はしてもしきれぬ感謝をした。
「お前が罪の意識を感じることは無いんだぞスッパ。あれは奴が選んだ道だ。こう言うのはガラでもないが、ああなるのが奴の運命だったんだよ。だが奴とお前の道が今度こそ重なるかは……お前たち次第だ」
コーガ様は俺とアストルの関係を知っていた。それこそ、団員全員が知っていたと言っても過言ではない。交際を初めてからアストルは「私はスッパの女だ」というような顔をするようになった。女扱いされるのをことごとく拒んできたアストルの劇的な変化にコーガ様までもが驚き、俺はそうした振る舞いを許容してきた。彼女は決して横暴な行いはせず、ただ私に手を出すのならスッパが黙ってはいないぞといたずらっぽく笑うだけだった。
それが少しずつ変貌した原因は言うまでもない。厄災の力がアストルの魂を蝕んでいたのだ。厄災はアストルの心の弱い部分につけ込み、依存させた。だがあの頃の俺は、それを厄災復活のために必要なことだと認識していた。たとえ行動がおかしくなり始めても、言動が様変わりしても、これは我らの悲願のためなのだと思っていた。それが全てを瓦解させることなるなどと、知りもしないで。
強い依存状態に陥っても、アストルは最後まで葛藤しているように見えた。部下たちを厄災の生贄に捧げた時、こちらに刃向かってきた時、彼女は泣いていた。彼女は葛藤の末に、自分を守るために我らを裏切った。強がっていたが、彼女はとても弱かった。それを支えてやるのが俺の役目だったろうに。俺はアストルに何もしてやれなかった。彼女が死んだと知らされたとき、叶わなかったことを考え続けた。
いつか夫婦の契りを交わし、団のアジトでずっと共に暮らしたいと。孕んでもいいと言ったアストルとの間にやや子がほしいと。何より、彼女を愛し続けたいと。それはもう幻に終わったのだと、そう思っていた。
アストルがしたことは許されることではない。だが厄災が封印された今、彼女は正気に返っているはず。深く傷ついているなら、その傷を癒やしたい。もう離れたくない。機会は与えられた。それを活かすも殺すも、自分次第。
「アストル……
もう一度名前を呼ぶ。ほとんど骨と皮だけになった手を握った。脈は全くと言っていいほど感じ取れない。
「どうか、目を覚ましてくれ」
何故目を覚ましてくれない。眠りに落ちたままならば誰にも糾弾されないからか。厄災によって穢された精神と肉体をもとに戻すには長い時間がかかるからか。呼吸はある、心臓も動いている。それなのにどうしてそなたは目を開けてくれない。
…………
「!アストル!?起きよ、目を覚ませ、アストル!」
僅かに聞こえた小さな声を希望に、俺はアストルの名を呼ぶ。ほんの少し上がった瞼の奥にある瞳はまだ濁っている。彼女を穢した怨念はまだその内側に残っているのだ。
「すっ、ぱ……?」
「あぁ、あぁそうだアストル。俺がわかるか」
……わか、る……
よかった。このような状況にありがちな記憶の欠如も退行も無いらしい。
……して?」
「如何された?」
……どうして」
あの時の続きのように、アストルの瞳からは涙が溢れる。疑問の意味がわからずに俺が戸惑っていると、アストルは自分の口と鼻を覆っている半透明のマスクを外し、俺を見つめながらボロボロと泣いた。
「どうして、私の、側にいる」
「そなたが生きていると聞いて」
「私は、お前たちを、裏切った」
「百も承知でござるよ」
「殺せ、私を、殺せ。私は、それだけのことをした」
「そんなことできるはずがない」
俺が首を横に振ると、アストルは自分の手を握りしめていた俺の手を掴み、己の頸部へと導いた。何をする、と手を振りほどくとアストルは更に涙を流す。まくし立てようとしているが、呼吸が安定しないせいで喘鳴を混ぜながら言葉を紡ぐ。
「お前は、私を恨んでいるはずだ、憎んでいるはずだ。裏切りを、許せないはずだ。己を優先した私を、嫌いになったはずだ。殺せ、いや、殺してくれ。私はもう、生きられない覚悟を決めた」
「アストル、確かにそなたのしたことは許されないとは思う。だがそなたを嫌いになったことなどない」
「うそ、だ」
「偽りなどではない。俺がそなたを恨み、憎み、脅威と見なしているならば、俺はとっくにそなたを殺している」
うそだうそだとアストルは泣きながら首を横に振る。とうとうくるりと背を向けられてしまった。彼女は今何も信じられない。心の支えになっていた厄災が封印されたことで、情緒が不安定になっているのだろう。
「アストル」
「イヤ、話しかけないで。黙って私を殺して」
「言ったろう。そんなことはできぬ」
「どうして。あんなにひどいことしたのに、貴方を裏切ったのに」
「それは俺の落ち度でもある。そなたの心を厄災から守れなかった」
肩を震わせて泣いているアストルを、背後から優しく抱きしめる。驚いたのかアストルは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。最後に彼女を抱きしめたのはいつだったか。記憶は曖昧だが、はっきりとわかるのはその身が異様なほどに痩せ細ってしまったということ。これで生きているというのが不思議で堪らない。
「そのまま全身を砕いて。お願いスッパ」
「そなたを心身共に痛めつけるつもりなどない。そうすれば今度こそそなたは壊れてしまう」
「壊れたいの、もう、何もしたくない」
「俺がそなたを永遠に愛すると言ってもか」
アストルの震えが止まる。恐る恐るこちらを振り返る姿が憐れで愛しくて、バサバサになった前髪で隠れた額を揃えた指先で撫でた。アストルは一瞬頬を染め、濁った瞳に光が差す。けれどすぐに視線を逸してしまった。
「無理、よ。私は、貴方を愛せない。私は、自分も愛せない。いつかきっと、貴方は私を嫌う」
アストルの頭の中は、きっと今ごちゃごちゃになっているはずだ。振り向いてくれたということは、きっと彼女は心の何処かで愛されることを望んでいる。けれど自分はそんなことをさせてもらえるような人間ではないとも思っている。俺から愛されるなんて有り得ないと思いながら、嫌われることを恐れている。その矛盾すら俺は受け入れたい。
「時間をかければ良い。そなたが自身を愛することができるよう、俺が愛し続ける。もう厄災に依存する必要も無い。今度は俺が、そなたの側にいる」
「私に、そんな資格は、」
「いらぬ。俺はただ、もう一度、」
負の感情の中で生きてきた。幼き頃より先祖の恨み辛みをその身に受け、コーガ様に忠義を誓い従うのも結局は復讐という一族の目的を果たすため。
アストルの護衛もコーガ様のご命令だったからだ。だが彼女と言葉を交わしたのも、片目を犠牲にして彼女を守ったのも、全て俺の意志。その内に芽生えた感情はそれまでの人生では知り得なかったものばかりだった。温かで、優しさに満ちた、言葉にすれば陳腐だけれど、それで良いのだと言える想い。
「もう一度、アストルの笑った顔が見たい」
背を向けていたアストルが体の正面をこちらに戻してくれた。俺は仮面を外し、解けかけている三編みの房を手をするとそこへ口付ける。そして微笑みかけた。アストルは俺の胸に顔を埋めると、号泣した。泣き止ませる必要は無い。全て吐き出せば良いのだ。そして最初からやり直そう。


❋❋


その後、アストルは時間をかけて少しずつ回復した。時々発作的に「私を殺して」と泣きながら訴えたが、「そんなことしない。共に生きよう」と根気強く言い続けた。それが功を奏したと言うのは傲慢なので断言できないが、アストルは出会ったばかりの頃の性格に戻りつつあった。
健康状態に問題が無いと診断が下ったのは、アストルと再会してから一年が経とうとした頃だった。その日から一週間、アストルは周辺人物との接触を一切禁じられた。王の意向通り、尋問が行われることになったからだ。アストルが言うに尋問では悪質な誘導や自白を強要されることもなく、ただ事実を淡々と述べていったという。王家も腐っていたわけではないと俺は安堵した。彼女の身柄は国家直属組織となったイーガ団の中に置かれ、保護という名目の監視が行われることになった。牢獄行きにならなかったことは互いにとって大きな救いだった。
当初はアストルが団の中に戻ることを不満に思う者もいた。当たり前だ。彼女は我らを裏切り、仲間たちを厄災の生贄として捧げた。だがアストルは厄災復活に関して相当猛省しているらしく、自分が視界に入っては不快だろうとあまり他の団員と顔を合わせないようにしている。意味のあることと思えなかったが、アストルは自分にできることを必死に考えて何とか成そうとしている。彼女はまだ重い病から立ち直ったばかりも同然。段階を踏んで行くべきだと俺は考え、彼女にできそうな事ならいつでも頼むようにしていた。
「スッパ」
「む?」
「その……ありがとう、私なんかの側にいてくれて」
彼女は笑う。だがそれは自虐を交えた笑み。心からの微笑みを見せてくれるのは、いつになるのだろう。


時間をかけて団員たちの信頼を取り戻したアストルに、俺が偕老同穴の仲になることを願い出るのはまだ少し、先の話。


終わり