初めて拾ったそれは、見たこともない形をしていた。巻き貝のように渦を巻いた形をしていて、けれどとても細くて伸び縮みする不思議な物体。母にこれは何かと問えば、「こんなもの持ってちゃいけません」と叱られ、それは捨てられてしまった。潮の流れに乗ってどこかへ行ってしまったそれを見つめながら、とても悲しい気持ちになったことを今でも覚えている。海の底に落ちている似たような形のものを見つけると今でも拾って集めてしまう。あの日出会ったあの不思議なものにもう一度出会いたくて。
見たことの無いものをあれこれ集めている内に、大シャコ貝の宝箱の中はいっぱいになってしまった。仕方が無いからもっと広い場所を探した。見つけたのは縦に広い洞窟。おまけに洞窟の真上は海の上に繋がっている。まるで秘密の部屋のようで、これまで集めてきたものを岩壁の凹凸に飾った。こんなに広いところに飾るにはまだまだ少なすぎて殺風景だったけれど、ここが集めたもので埋まる頃はどうなるのだろうと思うとワクワクした。
使い方も、名前も知らないものばかりを集めに集めた。人間はこれを何に使うのか、それを考えるだけでとても楽しい気持ちになる。たくさんのものを集めた頃には集めるだけでは満足できなくなった。集めたもの同士をくっつけたり通したり、異なる性質を持つものを合体させたりした。
海の底に落ちていた細長い筒の先端には透明な石が付いていて、不思議なことにその石は遠くにあるものがとてもハッキリ見えた。両目の分が必要だと思い、同じ程度に見えるものを探して、その石がうまく嵌る輪っかも見つけた。そこにあれこれくっつけてみて、初めて完成したのが今もつけているゴーグルだったりする。
可笑しなものをしていると言われた。周りの人魚たちはみんな陸や人間のことに関心はなく、むしろ語ることすら禁忌としていた。人間は我らの同胞を食う恐ろしい奴らだ、人間は自分の欲望のためならば人魚を狭い水槽に住まわせて見世物にするのだ、そんなことばかり言っている。でもそんな風には思えない。こんなに面白くて楽しいものを作れる人間が恐ろしい存在だとは到底考えられなかった。みんな人間を誤解しているんだと、そう思った。けれどそう思うことで周りとの溝は深くなるばかりで、いつの間にか一人になっていた。
「随分おもしれぇものを作るじゃん、お前」
「えっ……?」
「おっ、こりゃ海のものじゃねぇな。陸から来たもんだ」
「ユーはそれがヒューマンの作ったものだとわかるのですか!?」
「あたりめぇよ。俺様を誰だと思ってる」
出会ったのは、人魚たちの間で人間と同じくらい嫌われている蛸の足を持つ深海の魔女コーガだった。
「ほーん、人間の作るものに興味があるんか」
「イグザクトリー」
コーガはこれは珍しい人魚を見つけたと思い、摩訶不思議な物体で顔上半分を隠したロベリーを自分の住処へと連れてきた。かく言うコーガも、人間が作ったと思われる一つ目の仮面で顔上半分を隠しているのでおあいこではあったが。
「ユーは何故そんなにヒューマンの事を知っているのですか?」
「年の功ってヤツかねぇ。ま、長生きしてると色々あるってことよ」
ロベリーは頷いておくことにした。突然行ったこともない深海の洞窟に連れてこられ、正直不安だった。見たこともない変わった形の魚や、棘だらけの貝、化け物のように見える岩など、自分はとんでもないところに来てしまったのではないかと。この蛸足の魔女……いや恐らくは男なのだろうが……彼の実験台にされてしまうのではないかと思うとロベリーはどうも尾ひれがソワソワしてしまう。しかもこの部屋の奥の方に見える変なものは何なのだろうか。形が歪んでしまった透明な珊瑚に見えるその中には何が入っているのか、聞くのも怖くてなかなか喋ることもできない。
「にしても、人間の作るものを集めるだけじゃ飽き足らず自分でも作り始めるとは、大した奴だな」
「セ、センキュー……。けど、みんなミーを変だと言います」
「まあそりゃ変な奴だよお前は」
隠しもせずストレートに言われてロベリーは少々傷付いた。ガンッと頭の上から重い石を落とされたような、そんな傷付き具合だった。けれどコーガはロベリーを馬鹿にする様子もなく、ロベリーのしていることを全て理解した上でからかっているように見える。
「往々にして、周りと違うことする奴は変わっていると言われる、思われる。けど自分のすることが面白くて堪らない、そうだろ?」
ニヤリとコーガは笑う。何故この蛸足はこうも自分の思っていることを見透かすことができるのだろう。もしかすると彼もまた自分と同じようにどこかで変わり者扱いされたのかもしれない。ならばきっと、素直に感情を吐露してもいいはず。ロベリーは自分の思いを語る。
「オフコース!とても、ベリーエキサイティングです。けど、どんなに楽しくてもミーひとりでは、少し寂しいのです……」
誰かと人間の作ったものについて分かち合いたい。それがロベリーの欲求なのだろう。けれどこれが他の人魚たち相手に満たされることは、恐らく永遠に無い。可哀想になぁと思う傍ら、コーガはそんな彼に若い頃の自分を重ねる。
「……俺様なら、お前の話聞いてやれるぞ」
「!リアリー!?」
「あぁ。お前の知りたいこと、俺様が知ってる限り教えてもやれる。どうだ?」
この人は悪い人ではないのかもしれない。ロベリーはそう思った。それに自分で調べるには限界があることをそろそろ感じ始めていたところである。
「じ、じゃあ……よろしくお願いします……」
「おう。ま、仲良くやろうぜ」
二人はまだ、隠した顔を見せ合っていない。
❋❋
ロベリーは毎日のようにコーガの住処に通った。使い方や名前を知りたいと常々思っていた不思議なものを腕いっぱいに幾つも抱えて、それらがどんなものなのかを教えてもらった。通い始めの頃はウツボの尾ひれを持った怪しい人魚に取り囲まれることもあったが、その現場を通りかかったコーガによって助けられた。どうやらコーガはこの海域の元締めらしく、近辺に住む人魚たちからは慕われているとのことだった。ロベリーが住んでいる海域に生きる人魚はコーガのことを恐れ嫌っていたが、ここでは信頼されている。それが何故なのか気になったがまだそれを聞くべきではないとロベリーは思っていたし、いつかコーガが自分から教えてくれるだろうと思っていた。
そして今日もまた、ロベリーは宝物を抱えて深海へと急ぐ。もう慣れたものだった。暗い海中は提灯鮟鱇の光を頼りに泳げばいいし、ひんやりとした水の温度がどこか心地良い。最初は自分を何者かと疑っていたウツボ尾の人魚たちも出迎えてくれる。
「おっ、来たか」
「どうも。……それはなんですか?」
「ん?こいつか?」
コーガは巨大な貝殻で作られたベッドで横になりながら奇妙な形のものを咥えていた。一見楽器のようにも見える小さなそれをロベリーはまじまじと見つめる。これまでに拾ったことがなかったからだ。
「これはパイプって言ってな、人間はこれの中に刻み煙草を入れて火を付けて使うんだ」
「火……?あの、バーンするっていう、火ですか?」
「そうだ。ま、海の中じゃ火なんて使えねぇから気分で咥えてるだけだけどな」
「コーガは火を見たことがあるのです?」
「もちろんあるぞ。熱くて、明るくて、海の中にいては絶対に理解できない感覚を得られる」
ただ俺様達は下半身を焦がさないように注意な、とコーガは笑う。人間は海に住む生物を食べるというのは本当らしい。ロベリーはそのことにややショックを受けたが、生物はみんなそうやって生きているのだと諭される。
「例えば鮫だって魚を食うだろう?」
「けどそれは食物連鎖だと」
「人間だって食物連鎖の中に組み込まれてるさ。たまたま奴らが今その頂点にいるってだけの話。それに人間以外の陸の生物だって海の生物を食べるぜ?」
「そんなこと、誰もミーに教えてくれなかった……」
「知らねぇことは教えられねぇからなぁ」
つまりロベリーの周りにいる者たちは何も知らなかったのだとコーガは言いたいようであった。海で生きていくのに陸での知識は、はっきりと言ってしまえば不要だ。けれど陸と海は繋がっている。どちらも無関係ではいられないはずなのだ。コーガはロベリーの鼻をふっくらとした指先でツンと突っつく。
「けどお前は今、新しい世界を知ろうとしている。それでいいじゃねぇか。それを周知させる必要なんて無い。お前と、お前をわかってくれる奴とだけ共有してればいいさ」
わかってくれる奴、と言われてロベリーはコーガをじっと見つめた。ゴーグルの奥から覗く瞳に射られたようで、コーガは少したじろいで咥えていたパイプを口から離す。
「今のところは、ユーだけです。ミーをアンダースタンディングしてくれる方は」
「ま、なんてったってこの俺様だからな!」
ワハハとコーガは腰に手をあてて高笑いをする。その様子を見てロベリーはほんのりと笑みを浮かべた。彼と一緒にいると心地がいい。肩身の狭い思いなどせずに済むし、それどころか自分の家よりも寛ぐことができた。ここにずっといることができたらいいのにとふと思うが、それではきっと満足できなくなる日が来る。自分の夢は、自分の作ったものを多くに認めてもらえることだ。コーガだけでなく、他の人魚たちもあっと驚くようなものを作りたい。夢というよりかは、少々野望に近いかもしれなかったが。
「そ、そうでした。今日はユーに教えてもらいたいものが」
「おう、そうか。んじゃ見せてくれ」
ロベリーは開閉式の長方形の箱を取り出す。開くとその中には小さな人形が二体並んでおり、その人形は手を取り合って踊っているように見えた。人形の足元には回転する土台があり、無理やり回してみると、透き通るような音が幽かに聞こえる。コーガはこれを見つめたり動かしたりして、ほうほうと頷く。
「これは何なのですか?」
「こいつはオルゴールだな。機械仕掛けで自動的に音楽を演奏してくれる楽器だよ」
「ホワット!?これが楽器……」
「解体してみるか?」
「ど、どうやって……」
ロベリーの抱えてきた荷物の中に、細い棒状の物体を見つけたコーガはそれを借りるとオルゴールに棒を突き立ててクルクルと器用に回した。すると人形が立っていた長方形の土台部分が外れ、その中にはより複雑に金属が入り組んでいた。それはピンを付けた円筒と、その下に長さの異なる金属板から成り立っている。ロベリーが指先で金属板を弾くと、「キィン……」と小さな音がした。それを聞いて構造を理解する。
「なるほど!この外側にあるゼンマイを回して……離すとこの筒がムーブする。そしたらこれを押し上げ弾くことでサウンドが鳴るということですね!」
「お前は頭がいいなぁ。このタイプのオルゴールは、シリンダーオルゴールって言ってな、筒を使っているからそういう名前なんだ。円盤を使ったディスクオルゴールってのもあるが、それはもっと大型になるな」
「こんなに細かいものが作れるなんて、ヒューマンは本当にすごいです。アメイジングです」
ついさっき自分を射るように見つめてきたロベリーの瞳は、今度はキラキラと輝いている。同一人物の目とは思えないと感じつつ、コーガはロベリーの抱く人間への憧れは本物なのだと思い知った。いつか彼は尾びれを捨てて、自分の元から離れてしまうかもしれない。そんな冷たい不安がコーガの中を過る。
(その時は、どう止めるべきか)
引き止め方を考える。「理解のない人」と、思われないようにな引き止め方を。
❋❋
「わかりましたコーガ!わかったんです!」
「落ち着け。何、どうした、何がわかったんだ?」
「ミーがヒューマンになればよいのです!」
ロベリーの言い放った言葉にコーガはギョッとした。今までどうして気が付かなかったんだろうとウキウキしているロベリーを見て、ついにこの時が来たかとため息を吐く。永遠に聞きたくなかったその言葉。賢い彼を見ていれば、この保守的な海の世界に彼を留めておくのは鬼畜の所業だとわかっていた。それでも奨めることはできなかった。自分がその方法を伝えてしまえば、その分だけ早く彼は海から去ってしまう。
コーガはロベリーに、何にも代えがたい感情を抱いていた。
「けどどうやって人間になる?そんな方法どこにも無いだろう」
「ユーならばできるのではないのですか?」
彼を誤魔化そうとした自分をコーガは軽く恨んだ。誤魔化しなどきくはずがない。ちょっとなら使えるんだぜと教えた魔法の才はロベリーには全く無かったが、コーガが振るう魔法には強い興味を抱いた。それが間違いだったと今では思う。魔法なんて見せなければよかったと。
「……確かに俺様の術を持ってすれば、お前を人間にしてやることはできる」
「じゃあ……!」
「だが、俺様はお前を人間にしたいとは思ってねぇのさ」
目を逸らしてからチラリとロベリーを視界の端に入れる。彼は悲しそうに項垂れていた。そういう反応するよな、やっぱり、とコーガは罪悪感が胸中に滞留するのを感じた。自分の夢を知っていて、それを叶える力を持っているのに、何故協力してくれないのか。ロベリーの中にあるのはそんな疑問なのだろう。
「……お前が人間になりたい夢を否定してる訳じゃないぜ」
「では何故、ミーをヒューマンにしてくれないのですか!」
「だから言ったろ?俺様はお前を人間にしたくねぇだけなんだ」
「同じじゃないですか」
「お前がそう思ってるなら、それでいいさ」
きっとこれでは売り言葉に買い言葉になってしまう。これまで築いてきた関係が水の泡になることを恐れ、コーガはそれ以上何も言わなかった。
「……何故、反対するのです」
「俺様の魔法は代償付きだからだ。お前が人間になるためには、何かを失わなきゃならねぇ。俺様としちゃ、お前から何かを奪うなんて事はしたくねぇけど、それが魔法ってもんだ。俺様は、お前の何かを自分のものにしなければならないのさ」
何かが自分の中から無くなる。それが何なのかと尋ねたが、無くなるものは完全に運次第らしい。それに無くなるものは、形あるものとは限らない。心かもしれないし、人間になりたいという感情そのものかもしれない。それを考えれば、コーガが自分を人間にするのに反対するのがわかる気がした。
「けど、ミーは……ミーはヒューマンになりたいです……」
「人間になって?どうするつもりだ」
「ミーを認めてくれる方のサイドに行きます」
それは俺様じゃダメなのか、とコーガは喉まで出かかった言葉を飲み込む。ロベリーはどうにもならない環境から抜け出したいのだ。新しい世界に行きたいと。それを叶えられるのは、人間になることなのだと。
「……わかったよ。お前の意思が固いのはよーくわかった。けどこれも魔法を使う上での決まり事だ、自分の中の何かを失う覚悟はしていてくれ」
「ノープロブレム。ヒューマンになれれば、ミーはそれでいいのです」
人間になれれば。そう自分も思ったのはいつのことだったか。遠い過去を思い出してコーガは下唇を噛む。可愛い子には旅をさせよと言うが、こんな命がけの旅などさせたくはない。自分の側で笑って、怒って、泣いて、喜んでくれればそれでいいと思ってしまう。ただの束縛だとわかっていた。だからこそ、今自分と彼は距離を置かなければならないのだ。
「これから、お前を人間にしてやる。目を閉じて、その尾びれが二つに裂けて足に変わると考えるんだ。もう海で呼吸はできない。海の上でしか、お前は生きられない」
まるで暗示のようだとロベリーは思う。ふと目を半開きにすると自分の周りを蛸の墨のようなものが漂っているのが見えた。それは一定周期でチカチカと光を放ち、これが自分を人間へ変えるものなのかと思った、その瞬間だった。
「っ……!?ぐっ、うっ、ぁああああっ!!!」
光る墨が体の中へと染み込んでいく。それと同時に体が爆発して散り散りになるような痛みに襲われ、ロベリーは叫んだ。それでもコーガは暗示を続けろと言うだけ。苦しみに絶叫しながらひたすらロベリーは考え続けた。この煩わしい尾びれが、足になる。海の中での呼吸を捨てる。
藻掻いていると光る墨はロベリーから出ていった。何かを一つ、ロベリーの体から奪って。
「……これが」
「ぁ……コー、ガ……」
手のひらの上で収縮するそれを見ていると、ロベリーは真っ青な顔をして浮いていた。こんなところは人間が生きれる場所ではない。転移術をロベリーにかけ、さよならも言えずにそのまま送り出した。きっと海面に出て、どこかの浜辺に漂着することだろう。
「これが俺様の手の中に……か」
コーガは大きめの瓶にそれを詰め、ジッと見つめた。これが無事な限り、ロベリーはどこにいても生きることができるだろう。
それでもコーガは願う。彼が人間世界に絶望して、自分の元に戻ってくることを。
続く
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