ナスカ
2021-06-30 18:13:47
7143文字
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美しき素顔 第6幕

ガノアスオペラ座パロの続きです

アストルは悩んでいた。宮廷占星術師としての役目を果たさねばならない。星を読み、怪人の居場所を見つけよとの命令を国王から出されてしまった。しかしそれはファントムに対する手酷い裏切りだ。城に知る者が誰一人としていない中、ファントムは母の恩を果たすために自分を教え導いてくれた。そんな彼を、彼が教えてくれたものを使って裏切るわけにはいかない。ゼルダにファントムのことを打ち明けた時点で裏切りだとは思ってしまったが、ゼルダは祖父である国王に「アストルさんは怪人と深い関係にある」という密告をしていないようなので今の所はまだ安全である。ゼルダのあの様子を見るからに、彼女は「こちらがわ」にいてくれそうな雰囲気ではある。その証拠に、ゼルダはあの件以来アストルによく絡むようになった。最もアストルは「天使様が見ている」と思うと、なかなかゼルダと話すことが難しいのだが。それを「殿下と談笑など畏れ多い」という建前で隠してはいた。
彼が聖三角の像を破壊したのには何か理由があるはず。それをアストルは知りたかった。けれど理由を訊ねれば、「お前も我を悪と申すか」などと言い出し始めるに違いない。そんなつもりは無い。ただ貴方の行動理由が知りたいと、アストルは言いたかった。ファントムの有無を言わせない様相にアストルはどうしても言葉を無くしてしまう。どうすれば、彼は自分だけでなく他の人も見てくれるのだろうか。自分だけを見る理由はわかっていた。彼は外の世界にいる者は、自分を育ててくれた女性とその息子であるアストル以外全て敵のように思っている。特に、国王やその孫娘であるゼルダや……王族の者たちに彼が向けている感情は良いものとは言えない。
アストルは自分の部屋の壁に体を押し付け、そっとファントムに呼びかける。
「天使様、天使様。貴方にお会いしたいです。お会いしたいだけなのです。どうか私を、貴方の場所へ連れて行ってください」
自分からもう一度あそこへと、アストルが言ったのは初めてのことだった。何も用が無いのに会いたいなんて変。そう思っていた。けれど会いたいだけでも、きっといいはず。ファントムもそれを望んでくれていることだろうとアストルは思った。
……アストル」
「!天使様……!」
視界を壁いっぱいにしていると声が聞こえた。アストルはフッと声のする方に顔を向ける。いつものように真っ黒な外套、燕尾服、中折れ帽に素顔の半分を仮面で隠した男がそこにいた。
「来てくださって、ありがとうございます」
「お前が呼んでくれれば、いつでも我は現れよう」
……あの、怒っていらっしゃいませんか?」
アストルは伏し目がちにファントムへ質問を投げかけた。しかし彼は前回の逢瀬と比べて、怒っている様子も落胆している様子も見られない。
「確かに、あの時は多少気は立っていたかもしれぬ」
「では……
「ここでは誰が聞いているかわからぬ。下に行くぞ」
目を閉じていなさいと言われてアストルは目を閉じる。バサリと外套が翻る音がして、感じたのはファントムのぬくもり。自分の腰に彼の筋肉質な腕が回され、ぴったりと体側を寄せ合うことになった。アストルは思わず目を開けたくなったが、ぎゅっと目をつぶって堪えた。ふわりと体が浮く感覚がして、落ちてしまわないか不安になったが、強く自分を抱き寄せるファントムの腕があるのだから「きっと大丈夫」と言い聞かせた。
「いいぞ」
……なんか部屋の雰囲気変わりました?」
目を開いたアストルは、これまで澱んだ空気が充満したような息苦しさのある暗い部屋が、仄かではあるものの落ち着けるようなあたたかい部屋に変わっていることに気がついた。家具や調度品の置き場所は変わっていないのに、一体何が変わったのかとアストルはキョロキョロ部屋を眺めた。そしてハッと気がつく。
「あ!もしかして、明かりが多くなりましたか?」
「御名答。お前をここに迎えるのに、あんなに暗くてはほとんど何も見えないだろうと思ってな」
「天使様はあれが普通でしたし、眩しくないのですか?」
「最初は少々目が痛かったが、もう慣れた。問題無い」
それで……と、ファントムが話を変えた。アストルは少し胸が苦しくなるのを感じて、俯いて思わず手をきゅっと握る。
「会いたかっただけなのか?我に」
「いえ……あの……その……
なんと言えばよいのか。ファントムは気が長い方でないのはアストルはわかっている。煮えきらない態度をとっていればまた彼は怒ってしまうかもしれない。けれどかと言って、自分に与えられた仕事の話をするのも怖い。
「天使様……その……
「言いたくないことを無理に言わなくとも良い」
「いえ!言いたい事、ではあるのですが……少し言いづらくて……
……そうか」
ファントムが優しげに目を細める。どうして、どうして彼はそんな顔をできるのだろうか。今に彼は、自分が捕らえられる可能性があるというのに。自分はファントムに世話になっておきながら、その恩を仇で返すようなことを命じられた。アストルの目にじんわりと涙が浮かぶ。ゼルダを庇い、王の命令に従い、自分のなんと弱いことか。
「アストル、どうした」
「ごめ、なさっ…………っ」
「そこまで自分を追い詰めるな。言ったはずだ。我はいつもお前を見ていると」
アストルはハッと顔をあげる。知っていた、この人は知っていたのだ。自分に与えられた選択肢を知っていながら、彼は優しい目で見つめてくれていた。そのことにまた更に涙が溢れてくる。
「お前は悪くない。悪いのはあの男だ。いつだってそうだ。お前の母もあれにひどい目に遭わされた」
「母上が、陛下に?」
……お前の母が何故、お前ができたことで城を離れなければならなかったのか。その理由を話しておらんかったな」
アストルは頷いた。彼は自分の知らない自分のことを、そして母のことを知っている。けれどそれを知るのは怖い。母はきっと生涯をかけてそれを自分に悟られまいとしたはずなのだ。だから自分は何も知らなかった。そしてそのためのファントムだったのだろう。それを背負った彼の心労は如何ばかりか。
「アストル、お前は、」
その真実は、アストルの胸を貫いた。

❋❋

三十年ほど前──

「いやはや、お主には本当に感謝せねばならぬなエストレリータ。あれほど結婚を嫌がった娘が、まさか近衛師団の者と恋に落ちるとは」
「恐らく、姫様は自由な恋、自由な結婚を望んでいたのです。自分の相手ぐらい自分で選びたかったのでしょうね」
「やれやれ、全く親を心配させおって……。まあ相手は『大剣使いのローム』と渾名さされる、強く聡明な男だということだからな。もう心配は無い」
ハイラル王は上機嫌にエストレリータを見つめた。若くして宮廷付きとなった彼女は才能あふれる、しかし努力を怠らない天才的な占星術師だった。まるで星々を天上から見つめているが如く、あらゆる吉兆を言い当て、ついにこの国の王女の結婚を後押しした。王国に吉事をもたらしたエストレリータに、ハイラル王は感謝していた。
「ところでエストレリータ、お主はまだ身を固めぬのか?」
「はい。私はまだここで働きたいので。ここで、国のために、民の安寧のために星のお告げを陛下にお伝えし続けたいのです」
「そうか。それは有難きことだ。お主のような能力を持った者など、そうそうおらんからのう」
「お褒めにあずかり、光栄でございます」
持っているグラスを傾け、国王直々に注いでくれたワインを一口。エストレリータはあまり酒が得意な方ではなかったが、せっかくの饗応を受けないのも王に悪い。そのために自分は呼ばれたのに、飲まないのは無礼であるようなので気がしてならなかったのだ。
彼女は美しい。白磁のような肌は日焼けを知らず、濡羽色の髪は腰まで届く。儚げな印象を与える目と、長いまつ毛。微笑を浮かべる薄い唇に、無駄な肉が一切付いていない痩躯は黒いドレスに隠されている。
それを引き裂いたとき、彼女はどんな顔をするのだろうか。
「どうしたエストレリータ、顔が赤いぞ」
「すみません陛下……如何せん、私は酒に弱いものでして。醜態を晒すわけにもいきませんので、ここで失礼させていただきたいのですが……
……それは許すわけにはいかぬな」
「え……?」
王はソファから立ち上がると、向かいのソファに座っているエストレリータの体を軽く押した。酔って体がいう事をきかないエストレリータはあっさりと倒れ込んだ。ぼんやりとする視界、アルコールが回った体は熱を孕む。王はそんな彼女の上に乗り上がった。
「へ、陛下、なに、を……?」
「その身はまだ乙女なのか?お主の歳とその美しさならば、男の一人や二人いてもおかしくないはずだが」
「で、ですから、私はまだ結婚など、んっ……!」
彼女の唇からは、ワインの苦い味がした。抵抗しようとエストレリータは手を上げかけたが、相手は一国の王だ。もしも取り返しのつかない事となれば責められるのは自分だと思うと、反抗の意思は揺らいで消えてしまう。彼女に出来るのは、これは同意などでは無いと体を強張らせることだけだった。しかし王が与えてくる行為は悪化して、戸惑いよりも恐怖が先行する。長く深い口付けは呼吸を奪い、脈を早めた。
「やはり、お主は美しい」
口を離した王は満足げにそう言う。王がエストレリータの容姿を褒めるのはこれが初めてではなかった。これまでの宮廷占星術師は熟練の老人ばかりで、彼女のように若いの盛りに美しい者はいなかったのである。物珍しさから王は度々彼女の容姿を褒め称えた。エストレリータもそう言われて悪い気はしなかった。
けれど今は違う。国王は最初から私を情欲の目で見ていたのだと、失望した。
確かにこの王には時代遅れな側面がある。それは傍から見ていてもわかった。けれど亡き王妃を愛し、妾など一人として持ったことがない王がよもや自分に手を出すなど思ってもみなかったのだ。
「陛下……お、お戯れはっ……!」
「戯れなどではない。妃になりたくはないのか?この国で最も位の高い女になれるのだぞ」
「これは亡き王妃様への、冒涜です」
「死者を尊んで何になる。何にもならぬよ」
最低だ。王としても、人間としても。こんな人間に仕えていたのかと思うとエストレリータは泣きたくなった。娘や王家の先行きを気にかけていた者の正体がこれか。もしかすると、娘の結婚を早く早くと望んでいたのはこのためだったのかもしれない。
「王の命令だ。逆らえば、お主から宮廷占星術師の地位を剥奪する」
「っ……!」
卑怯だ、卑怯だこんなこと。こんな条件を出されては逆らうことなどできない。星の見える田舎生まれの小娘だった自分がようやく手にした、星のように遠かった名誉ある地位を手放すことなどできるはずもなく。
……よい子だ」
ただ、屈辱にまみれた。

❋❋

……うそ」
「嘘ではない。我は見てきた。お前の母親が受けてきた屈辱を、辱めを、何もかも」
「見てたならどうして止めてくれなかったのですか!じゃあ私は、私は、望まれてなんかいなかったって事じゃないですか!」
アストルはファントムの胸ぐらを掴んだ。ファントムに対してこんな行為に出るのは初めてだった。ファントムはアストルにされるがままで、抵抗をする様子も見られない。
「どうして、どうして止めてくれなかったんですか!母上に恩を感じておきながら、どうして!」
「『表に姿を見せてはいけない』そう言われていた。それは、お前の母親からも言われていたのだ」
「そんなこと、無視すればいいじゃないですか」
「そうすればよかったと今では思っている。お前の母を連れて、どこかへ逃げればよかったと。だがあの頃、我を受け入れてくれる者などお前の母以外にはいなかったのだ」
「そこまで言う必要は……
……ならば見てみるがいい。お前の手で、この仮面を取るがよい」
ずっと知りたかった仮面の奥の素顔。アストルは胸ぐらから手を離し、顔半分を覆っている白い仮面に手を伸ばした。その素顔を見た瞬間、ヒッと思わず息を飲む。
勇ましくも美しい右半分とは比べ物にならないほど、隠されていた左半分は醜かった。肌の色は火傷を放置されていたのか変色し、表面は爛れている。左目は潰れており、瞼や目の周辺に大きな傷跡が残っている。アストルはファントムの素顔に嫌悪感と恐怖を感じた。まるで化け物だと。そんなアストルの目を見て、ファントムはやはりそうだと納得していた。落胆すらしなかった。怖がられるとわかっていたからだ。アストルだけでなく、外に住む者全てから。
「ぁ…………
「わかっただろう?我は城の外では生きてゆけぬのだ。お前の母も、彼女も、それをわかっていた。だからこうして、我はここにいる」
アストルが震えているのを見て、ファントムはそっと仮面を取り戻し再度装着した。必要以上に怖がらせる必要はないと。
「お前も、我を嫌いになったか?」
言葉こそ失っていたが、アストルの首は横に振られる。怖いが嫌いにはなっていない。ファントムはその仕草に安堵した。それが嘘だとしても、今のファントムには救いだった。
「そうか、ありがとう」
「ぁ…………
「ん?」
「す、すみません……その……情報量が多すぎて……。えっと、私は母上と……陛下の子で、天使様はその姿では外で暮らせないから母上と……えっと、それから誰に言われて?」
「わからぬ」
ファントムは言い切った。アストルの母以外にもファントムの元を訪れていた人がいたとは初耳だ。しかしそれが誰なのかはわからないという。
「如何せん、お前の母と入れ替わるように彼女はいなくなった。お前の母と出会う前の記憶は無いと言ったが、厳密にはお前の母と出会ったことで、その少し前の記憶ならばぼんやりと思い出せた。だがそれは個人や特定のモノや場所を特定できるものでは無い」
「そう、でしたか……
ごめんなさい、とアストルは謝る。悪いのは自分だとファントムも謝った。自分の知られざる出生を話された挙げ句、慕っている相手のおぞましい素顔を見せられたのだ。気が動転しない方がおかしい。ファントムは仮面に触れながら自身の事を語る。
「この仮面は自分で作った。顔を見せてはいけないのならば、隠せば良いと思ってな。作ったのはお前の母が城から去った後だ」
「だから外に出られなかったのですね」
「あぁ。それまでずっと、この顔のまま生きてきた」
「そんな酷いこと、誰が」
ファントムの表情が曇ったのを見て、アストルは察する。わからないのだ。きっと自分の母と出会った頃よりも、もっともっと昔のことなのだろう。或いは生まれつきなのかもしれない。
「お前の母親を助けに出ればこの醜さ故に化け物と言われ殺されるかもしれない。そう思うと、とてもではないが、恐ろしくて」
「わかりました天使様。もうご自分を責めないでください」
アストルはファントムを強く抱きしめる。そして仮面を外し、背伸びをすると火傷の一層ひどいところにキスを落とした。そしてもう一度抱きしめる。嫌ってなどいない。貴方の存在を否定などしない。貴方の側にいたい。アストルは無言の愛を静かに、ひたすらに伝えた。
それに驚いたのはファントムだ。さっき見せたものを、彼は本当に理解したのかと疑ってしまうほどだった。今自分は何をされたのか、何をされているのか、思考が追いついていない。体から力が抜けて、立っているのも覚束ない。
「アス、トル」
「私が自分は悪い子だと泣いたとき、母上はこうしてくれました。だからきっと、天使様も母上にそうしてもらったかと思いまして」
そうかこれは好意ではないのかとファントムは軽くショックだったが、それでもアストルは自分へ嫌悪を感じていないとわかっただけでもよかった。見せかけの返事ではなく、行いで彼は伝えてくれた。
「それで……陛下は母上が城を去ったのは自分のせいだと知っているのでしょうか?」
「そこまではわからぬな。恐らく、彼女はあの男に何も言わずに城を離れたはずだ。お前という息子がいたことも、お前が宮廷付きに任命された時に初めて知っただろうな」
母が城下町へ行きたがらなかった理由がこれでわかった。城下町には警備の兵士だけでなく、王直属の者も紛れ込んでいるはずだ。逃げ出した自分を捕まえようとする者がいると思えば行きたいわけがない。そして後ろめたさを感じながら暮らしていたのは、ファントムを一人城の地下へ置いていってしまったことや誇りを持っていた職務を放棄して逃げ出してしまったからだろう。自分が望まない不義の子であるにも関わらず、母はよく女手一つで育ててくれたと思う。その真実を知っているファントムに自分を守らせるよう伝えたのも納得だ。
「天使様、ずっとこのことを一人で背負ってくださってありがとうございます。私も知った以上、このことは貴方と共に背負います。これからもずっとお側にいてくださいね」
「お前が望んでくれるなら」
アストルはまだ、己の内側に渦巻く想いが何なのかわかっていない。けれどファントムの笑った顔を見ると自分も幸せになれるとアストルは思った。
「話を戻すが、お前はあの愚王の命令をどうするつもりだ?」
「天使様、今考えたのですが……差し当たってお願いしたいことが」
城の内部を駆け巡り、あらゆる仕掛けをも作り出すファントムならばきっとできるはずだと、アストルは思わずニヤリと笑った。

続く