ナスカ
2021-06-26 14:44:53
6575文字
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美しき素顔 第5幕

ガノアスオペラ座パロの続きです

「こんなところに鏡があったなんて……
部屋の模様替えをしていたアストルは、西側の壁に置かれていた本棚を退かすと壁に備え付けられた木製の全身鏡を見つけた。これまでは顔を映すほどの大きさしかない鏡のみを使ってきたアストルだったが、これならば全身の身だしなみを確認することができると喜んだ。問題は退かした本棚をどこに置くかだ。この狭苦しい部屋の中で唯一の収納家具である本棚は縦にも横にも大きい。
「参ったな……どこに置けば……
ベッドも動かそうとも思ったが、貧弱な自分の腕力ではどうにもならない。本棚だって本を全て取っ払い、ヒィヒィ言いながらやっとの思いで退かすことができたのだ。せっかく全身鏡があるというのにそれを生かさないのは勿体ない。けれど……と部屋を見回してこれは無理だとアストルはため息をつく。如何せん、この部屋は物が多すぎる。もっと広い部屋が欲しいと思ったが贅沢は言っていられない。兵士たちはここよりも狭い相部屋で過ごしているのだ。一人で過ごせるだけ感謝しなければならない。結局アストルは全身鏡を諦め、本棚を元の位置に戻して本を一冊一冊仕舞っていった。
物が多すぎるのは、代々の宮廷占星術師が自分の持ち物をこの部屋に置いていったからである。後代の役に立つかもしれないと、仕事に関するものは殆どここに置いて皆城を後にしたという。中でも本は一番古いものはページが黄ばむどころか茶色くなっており、何代にも亘って読み継がれてきたことがわかる。紙を何枚も使う本は貴重だ。貴重さ故にこうして保管されてきたのだろう。
しかし、ここに先々代の宮廷占星術師であったアストルの母の持ち物はなにも無い。所有物は全て移り住んだアデヤ村に持ってきたのかとも思ったが、生活必需品や仕事に必要な道具以外に母が物を持っていた記憶は無い。ミニマリストというわけではなかったが部屋の中に無駄な物は何一つ無く、そのためかアストルもそこまでモノに執着することはなかった。この部屋に来たときからあったもの物も、アストルにとってはあっても無くてもどちらでもよかった。ただ自分の次に宮廷付きになる人間が自分と同じ考えとは限らない。それに、後代のために残してくれたものを勝手に捨てるのは悪い気がした。一体母は何故この部屋に何も残さなかったのか。息子である自分が城に来ると予知できていたなら、何かしら残してほしかったと思ったところでアストルは「違う」と考え直す。
自分に残されたのはファントムだ。彼の存在が今の自分を支えてくれている。彼は母の置き土産だったのだ。母が死んで寂しくて仕方が無かった頃は星の天使の話を思い出し、いつか天使が代母のように自分を守り導いてくれるのだと自分に言い聞かせていた。今も昔も、自分はファントムに助けられているのだ。
彼の住処に誘われ、そして解放されてから数日が経った。また姿を見せてほしいとは思うが、あれきりファントムは姿を見せない。それどころか声すら聞こえない。彼の存在は幻だったのではないかと思ってしまうほどに音沙汰がない。なんの用事もないのに彼のことを呼ぶのも悪い気がして、壁に呼びかけることもできずにいた。
理由も無いのに会いたいなんておかしい。ファントムのことを考えていると以前にも増して胸が苦しくて堪らないのに、そのことについて聞こうと思っていたことをすっかり忘れてしまった。
「天使様……
次はいつ自分の元へ来てくれるのですか?とアストルは心の中で問いかける。そうしたところで彼には届きはしないと知りながら、そうすることをやめられなかった。この感情にどんな名前を付ければいいのか、アストルにはまだわからない。

❋❋

ハイリア人がゲルド族に対して腫れ物に触れるような態度を取り始めたのは、神話の時代からであって今に始まったことではない。しかし政策としてゲルドの弾圧をし始めたのは、今上の国王である。ゲルドはかつて、この国の安寧を脅かした魔王を輩出した一族。一族郎党この地から消し去るべきだと言いながらそれができないのは、その魔王を討ち滅ぼす勇者の手助けとなった賢者の一人もまたゲルドから現れたからだ。そのため、国王はゲルド族を生かすための条件を付けた。
ひとつ。族長の元にに生まれた長女は一生ハイラル王家の王女の側仕えとして結婚せずに働くこと。今それに該当するのは王太子妃に仕えているウルボザだ。ウルボザは王太子妃を女主人と仰いでいるが、王太子妃は自分に最も近い彼女を友のように思っていた。少々ズルいと思われるかもしれないが王太子妃はウルボザに「貴方は私の友達でいて?これは命令よ」とまで言ったという。現族長はウルボザの妹だが、彼女にまだ子はいない。なのでゼルダに仕えるゲルドの姫は未だに存在しないのである。
ふたつ。仮にゲルドに男児が生まれた場合、族長の子でなくともハイラル王家の元に預けなければならない。魔王は百年に一度生まれるゲルド男児であったという。いつかまたハイラルを脅かすとも知れない。そうなる前に王家で預かり教育することで、魔王となる可能性を潰しておく。今の国王の代になってから、ゲルドでは一度だけ男の子が生まれた。しかし預けられた後、その赤子の行方はわかっていない。


「おやおひいさま。いつになく真剣だねえ」
「まあウルボザ。今日は御母様、メーベの村へ視察に行くと……
「王太子妃様から、おひいさまを見ていてくれって言われたのさ」
「もう、御母様ってば……私ももう子どもじゃないのに」
「これは……城で起きた事件についての記録かい?」
城の図書館でゼルダは一冊の記録帳を読み込んでいた。ウルボザはそれを覗き込む。事件の記録には、先日アストルが誘拐されたことも既に書かれていた。
「怪人は、何かを目的としているはずなのです。そうでなければ、この城を標的とするなんて危険すぎますから」
「たしかに、奴のやってることは何百何千といる兵士や騎士を敵に回す行為。政治の中枢たるここであれこれしてくれてるのは、テロ行為と言えなくないからねぇ」
ふとウルボザは最初の事件の日を見つけて指さした。その日は三年前、アストルが初めて登城した日のことだった。登城の日にこんな事件が起きるとはとんだ災難だったね、とアストルに声をかけたことをウルボザは覚えていた。
「なぁおひいさま、この前、前任の占星術師が殺されたのはアストルが宮廷付きに任命された日だったよな」
「えぇ……。でもそれは、当時助手であったアストルさんがたまたまその場に同席していたからですけど……
「アストルを誘拐したのも陛下曰く怪人……
アストルと怪人の間には何かある。二人の意見は一致した。偶然の一致では済まされない出来事があまりにも多すぎる。もしやあの怪人は、アストルを宮廷付きにするためにあらゆる根回しをしていたのでは無かろうか。しかしアストルがそれを知っているようには思えない。怪人の一人芝居、と言えなくない様相だ。
「アストルさんに聞けば、何かわかるかもしれません」
……もし、何も知らなかったらどうするつもりだい?」
「その時は……怪人について調べるのをすっぱりやめようと思います」


……というわけで、私の元へ来てくださったのですね」
わざわざ来てくださらなくともこちらから出向いたのに、とアストルは笑った。物が散乱していた部屋はようやく綺麗に片付き、客人を招けるほどにはなっていた。と言っても、まあ、なかなかに狭い部屋ではあるのだが。ゼルダはアストルと向かい合う形でソファに座り、ウルボザはそんなゼルダの後ろに立っている。
「こちらを御覧ください」
ゼルダは怪人が起こしたと思われる事件について書かれた記録帳をアストルに見せる。まずアストルが初めて城に来た三年前のあの日、城中のステンドグラスが一枚残さず割れるという事件が起きた。あの事件についてはアストルもよく覚えていた。城に来た日にこんな事件に直面することになるなんてと思ったが、やっと母と同じく宮仕えできるようになったのだからと小さく芽生えた恐怖を押さえつけたものである。
幸いその事件の被害者はステンドグラスのみであり、割れた破片が飛び散ったことで怪我をした人間はいなかった。事件の捜査は行われたものの、この時は誰が犯人なのか突き止めることはできなかった。
「確かに、この日は私が初めて城に来た日ですね。あんなことがあったのですから、忘れられるはずがありませんでした」
「ではこちらの事件は?」
促されてアストルは記録帳を読む。だがアストルの記憶に残っているのは、最初の事件とこの前の前任者殺害事件、それに自分が誘拐されたものくらいであった。他の事件についてはほとんど知らないという。
「私は非常に周囲に無頓着なので……申し訳ありませんが、あれ以外の事件については何も……
……そうですか。では怪人について、何か覚えていることは?」
……何故そのようなことを私に尋ねるのですか?」
アストルは不敬とわかっていながら、軽くゼルダを睨んだ。彼女が城に勤める者の安寧を守りたいという気持ちは知っている。だが怪人がファントムだと知ってしまった以上、アストルはそれを口外することは許されないと思っていた。もし自分が彼のことを話せば、数々の事件を起こしてきた彼は罪人となって牢に繋がれることになるだろう。アストルはそうなることを望んでいない。ならば自分にできることは、しらを切ることだけだ。
「怪人と最も近い距離にいたと思われるのが、貴方だからです」
負けじとゼルダも食い下がる。だがここで彼のことを話してしまうわけにもいかない。
……殿下、私はあのとき意識を失っていました。確かに接触はしたのでしょうが、私は怪人の顔も姿も、見ておりません。気がついたときには、天使様に助けられていましたから」
……そう、ですか」
「殿下が城の者たちのために動いてくださっているのは存じております。申し訳ないですが、怪人のことは、何も」
アストルは首を横に振った。その様子を見てゼルダもウルボザも、アストルはシロだと悟る。これ以上聞くのも不毛だ。
……アストル、悪かったね押しかけちゃって。それも、あんたが被害者だってことを忘れて……
「いえ、お力になれず申し訳ございません」
怪人があらゆる事件を起こしたのはアストルもわかっていた。それでも彼を庇いたいと思ってしまう。王女に対して嘘を吐くのは憚られたが、それでファントムを守れるならば安いものだ。自分の命と引き換えても、お釣りが戻ってくる。
……もう怪人探しはやめます、アストルさん。やはり、神出鬼没の者を、それも手がかりが殆ど無い者を探そうとした時点で可笑しかったのです。私は、私の務めを果たします」
「!それは……
「大人しく、王家の女として生きることにします」
ゼルダの一見悟っているような、けれど苦しそうな表情にアストルは胸を痛ませた。ダメだ、嘘を吐いてはいけない。きっとゼルダならば大丈夫だ。わかってくれる。席を立とうとしたゼルダに、アストルはお待ち下さいと声をかける。
……アストルさん?」
……天使様、どうか私の前に姿をお見せください。貴方には、私以外に理解してくれる方が必要です。どうか」
アストルは祈るように両手を組み、壁に向かって喋った。それを見てウルボザは怪訝そうな顔をする。一体彼は何をしているのかと。しかしその表情も、姿の見えない声だけの存在を認知した途端に打ち砕かれた。
『アストルよ、どういうつもりだ?』
「貴方は今、私しか知りません。けれど生きていく以上、私以外の誰かも必要です。殿下はきっと、貴方の力になってくださります」
……我はお前以外に必要としていない』
「でもっ……!」
『お前以外の人間など、我には不要だ。お前さえいれば、我はそれでいい。それに……
ゼルダは誰かの視線を感じた。こちらを睨んできて、纏わりつくような嫌な視線だ。しかしそれの持ち主を探そうにも見えなかった。姿を見せないこの声の主が、どこからか自分を見てきているに違いない。
『この小娘は、あの愚王の孫娘ではないか。信用できるはずがなかろう』
「けれど殿下は陛下とは違った考えの持ち主です。天使様、どうか、殿下を信じてください。貴方もこの城に住む者の一人ではありませんか!彼女は、ここに住む全ての者のために……
『アストル!』
言葉を並べ立てるアストルに、天使の声は怒号を放つ。声のみの威圧感に思わずその場にいる三人は身震いした。アストルはこれまで感じたことの無い天使の怒りに怯える。しかしその怒りの声の直後に聞こえたのは落胆の言葉だった。
……お前は、我を信じられぬのか。その小娘の方が、信用できると言うのか』
「違います、決してそういうわけでは」
『では二度とこのような戯言を言い出すな。我にはお前さえいればいいのだ。……他の者など、必要ない』
ファントムはどこかへ去っていったのか、アストルが呼びかけても返事をしなかった。その様子を、ゼルダとウルボザは呆けながら見つめている。アストルはため息を一つつき、申し訳さそうに眉尻を下げた。
……殿下、先程申し上げたのは虚言、嘘でございます」
「あの声が、貴方の仰っていた星の天使様、なのですか?」
「はい。彼が星の天使……そして、ハイラル城の地下に住まう怪人なのです」
アストルがそう告げると、ゼルダは目を見開いた。あれが、怪人の声。恐ろしくも美しく魅惑的な声。アストルはいつもその声に導かれていたというのか。彼は怪人に陶酔してしまっているのではないかと疑った。アストルが星の天使について語る時、その表情は恋する少女のよう。心を奪われて、いつか彼は天使の物になってしまうのではないかとすら思えてしまう。
「天使様が怪人……なるほど、合点がいきました。そして彼は祖父を愚王と評して……
自分の祖父を酷評されれば怒るだろうとアストルは思った。いくら考えの違いはあれど、家族は家族だ。しかしゼルダの言葉は、アストルの想像を超えていた。
「全くの同感です!」
……え?」
「天使様!アストルさんの天使様!聞こえていますか!」
ゼルダは両手を口元に持ってきて大きく叫ぶ。ギョッとしたウルボザは慌てて扉を開けて誰も近くにいないことを確認する。アストルは開けていた窓を勢いよく閉めた。部屋の中にゼルダの声が反響する。
「御祖父様に対してあのような評価をしてくださる方を、私は身内以外で初めて見ました!信用してくださらなくても、構いません!私はアストルさんを貴方から奪うつもりもありませんし、貴方に無理に近づこうとも思いません!」
アストルはゼルダの言葉にポカンとしている。いくら呼びかけても答えてもらえないだろうに。それでも尚声をかけ続けるゼルダに、アストルは誠実さを感じた。
「貴方がしたことは、許されることではありません!けれど、何か事情があったと言うならば私も王家の人間として手立てを考えます!どうか、これ以上の凶行を、やめていただくことはできますでしょうか!」
当然ながらファントムからの返事はなかった。彼はアストルのみを必要としている。他の人間はいらないと。きっと自分は彼に必要とされていないのだろうとゼルダは思ったが、それでもよかった。
……聞こえ、ましたかね?」
「わかりません。けれど、いつか話してみます。今はまだ、天使様の怒りと悲しみを刺激したくはないので」
アストルは少し不安そうな顔をしていた。自分をあれほど慕う人にあんな顔をさせるなんて、とゼルダは少しだけファントムに不満を抱いた。彼女もアストルと相手は異なれど、恋する一人だったからだ。恋心をわかっちゃいない殿方はこれだから困ってしまう、と。


次の日の朝。謁見の間に飾られている聖三角の巨大な彫像が破壊され、倒されているのが見つかった。国王はまたもこれは怪人の仕業だと言い放ち、怪人の捜索を兵士たちに命じた。そしてアストルは、怪人の居場所を探るよう国王から勅命を受けてしまったのである。


続く