ナスカ
2021-06-17 19:41:44
6017文字
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美しき素顔 第4幕

ガノアスオペラ座パロの続きです

「怪、人?天使様が?」
「そうだ。お前を王の元から攫い、ここに連れてきたのはハイラル城の地下に住む怪人。つまり我のことだ」
「で、でも貴方は天使なのでしょう?母が言ってましたし、貴方だって自分は星の天使だと……
アストルは動揺していた。自分の前任者は目の前で首を吊られて死んだ。それをゼルダ王女は怪人の仕業なのではないかと憶測していた。二つのことが本当だとすれば、彼を殺したのは目の前にいる自分を導いてくれた優しい天使だということになる。何故天使は、ファントムは彼を殺したのか。そして自分をここに連れてきた理由は。アストルの頭の中で嫌な憶測が次々と溢れ出てくる。まるで石鹸を泡立てているかのようにそれはボコボコと膨れ上がっていた。アストルは青ざめた顔で言う。
「私を、殺すのですか?」
「馬鹿なことを言うな。何故我がお前を殺さねばならぬ」
「ではどうして、城を恐怖に陥れるのですか?皆怖がっていると、姫殿下が仰っていました。怪人を恐れて、何人も宮仕えを辞めたと」
さっきまで自分の心を満たしていたときめきは何だったのかと思うほど、アストルは恐怖に支配されていた。体が震えて、うまく喋れているかどうかもわからない。何よりも大切でずっと会いたかったはずのファントムの元から、今すぐにでも逃げ出したいとすら思ってしまう。思わず後ずされば、待て!とファントムに腕を掴まれる。アストルはヒッと小さく悲鳴を上げて足から力が抜けたのかその場にふにゃりと座り込んでしまった。
「アストル、行くな。ここならば安全だ。誰もお前に手出ししない」
「城を恐怖で陥れている人の事を信じろというのですか?貴方は私を殺すかもしれない」
アストルはワッと泣き出した。それはそうだ。誰だって死が目の前にあると思えばこうなるだろう。ファントムはそれを誰よりも理解しているはずだった。アストルの腕から手を離す。アストルはグスグスと啜り泣きながらファントムを見上げた。
「誰が殺すものか。恩人の子を」
……恩人?」
「お前の母親だ」
「母上が、恩人?」
「約束したのだ。お前の母親と。お前を見守り導くと。それが我の出来る、ささやかな恩返しだと」
こちらに来いと言えばアストルは涙を袖で拭き、ヨロヨロと立ち上がる。ファントムはアストルの肩を支えようと思ったが、今のアストルは自分を恐れている。不要な手出しをすればまた怯えさせてしまうだろう。もう一度警戒を解いてもらうためには何もせず、側で見守るだけなのが一番だ。
二人して綻びたクッションの海に背中を預ける。天蓋付きのベッドなので人工の星は見えない。けれど今の二人にはそれでよかった。そこまでロマンチックな雰囲気になることはできなかったからだ。
「我はお前の母親と出会うまでのことをよく覚えていない。ただこの場所で、言葉も礼儀作法も知らない野生児のように『生きているだけ』だった」
ファントムは自虐的に過去を語る。少し危ない側面もあるが紳士的な振る舞いをする彼が野生児のようだったなど、アストルには信じられなかった。母が城に出入りしていたのは自分が生まれる前、つまり三十年は前のことである。彼の風貌から考えて恐らく年齢は五十手前ほど。二十歳になるかならないかの頃までまだ言葉すら知らなかったことになる。そんなことがあり得るのかとアストルは目を丸くした。
「何故自分がそうだったのかはわからぬ……だが過去などどうでもよかった。手の施しようがなかった我をマトモな人間に教育してくれる人がいるだけで有り難いものだった。いや、教育などしなくても我に愛情を注いでくれただけでも嬉しかった。お前の母親は我の希望だった」
……それで、どうして私を見守ってくださるなんて話になったのですか?私が将来城に来るかどうかなんて、わからないはずなのに」
「お前の母親は占星術師だろう。息子の未来すらお見通しだったということではないのか?」
なるほど、とアストルは頷いた。あまりにもファントムが自分の過去を淡々と語るものだから言えなかったが、恐らく彼は捨て子だったのだろう。しかし問題は何故誰も入れそうにないこの城の地下で彼が生活しているのかということだ。わざわざ王族の住まう城に侵入して我が子を捨てるなど危険にも程がある。言葉を知らないというのならば捨てられたのは物心がつく前……赤子の時と考えるのが妥当だ。だが自分の足で立つこともできない赤子だった彼がこの地下でどうやって育ったのか、アストルには理解できなかった。自分の母とファントムが出会ったのが三十年ほど前ならば、その間の二十年余はどのように過ごしていたのだろう。ファントム本人に記憶がない以上、尋ねる事もできない。尋ねても意味は無い。
「ある日腹の中に子がいると打ち明けられ、城を離れなればならないと言われた。自分はもう戻れないかもしれないが、いつか腹の中の子が城を訪れるからその時はこの子を守ってほしいと」
「母上が、貴方に私を託した?」
「そういうことになるな」
……ごめんなさい、貴方に殺されるだなんて、ひどいこと言って」
「気にすることはない」
落ち着き払ったファントムの姿を見たアストルの怯えはどこかに去り、その目はファントムの方を穏やかに見つめていた。
「つまり私は、生まれる前から貴方に出会っていたのですね」
「たったの一度だけだったがな。本当に大きくなったのもよ」
アストルは体を転がしてファントムの懐に入り込む。やはり彼は自分を守ってくれる天使なのだ。本物の天使というわけではないけれど、母と約束を交わした彼は間違いなく自分のために動いてくれている。殺しや城内を脅かす凶行に出る理由はわからない。けれど少なくとも自分に刃が向けられることは無いのだ。ひょっとしたら、自分が説得すればこの恐ろしい行為を止めてくれるかもしれない。だがそれを提案すれば、まだ自分は信用されていないと思われてしまうだろう。彼を止めることができるのはきっと自分だけ。時間をかけてファントムともっと親しくなれば……アストルはそう思った。
「あの、どうすればここに来れるのですか?」
「戻るつもりか?戻ればお前は危険なのだぞ」
「私は宮廷占星術師です。戻らなければ自分の役目を全うすることはできません。それに、天使様も私が立派な占星術師になることを望んでいらしたのでしょう?」
「それは……そうだが……
ファントムな口ごもる。この城でアストルにとって最も危険なのはあの愚かなる国王。だがアストルを取り立て、正式な宮廷付きにしたのもあの王だ。アストルは国王に恩がある。人のいいアストルが国王の命令や誘いを断れるとは思えない。何より、アストルはあの男を信用しているのだ。母のことを知る数少ない一人として。
「私、また貴方に会いに来ます。何度だって来ます。だって、ずっと会いたかったんですから……ねぇ、いいでしょう?教えて下さい」
「城の地下は迷宮だ。慣れなければ迷子になってどこにも出られなくなる。我はいつでもお前を見守っておる。会いたいと思ったならば、壁に向かって我のことを呼ぶがよい。迎えに行く」
アストルはファントムの胸に顔を埋めなからその言葉を聞いてパッと顔を明るくした。そうだ、自分はこの城の隠された通路を幾つも知っている。アストルの身に危険が迫れば、自分が助けに行けばいいのだ。ファントムはそれで納得することにした。
「ありがとうございます天使様。私、これからももっと頑張りますね」
ファントムは笑うアストルの頭を愛しげにそっと撫でる。まるで仔猫でも飼い始めたかのような気分だ。けれど自分の中に渦巻くアストルへの思いはそんな可愛らしいものではないと知っている。もっと暗くて、生暖かなドロッとした気持ちの悪いものに胸を締め付けられるような感情。それを人は好意や恋だと言うらしい。こんな欲望にまみれた感情を恋と言うならば、アストルが自分に向けてくれるものは何なのか。輝くばかりの純粋な感情。それを向けてもらえて嬉しいと思うが、きっとそれは今だけだとファントムはわかっていた。この顔を見れば、きっと彼は離れるだろうと。

❋❋

「ええい、まだ占星術師は見つからぬのか!」
「申し訳ございません陛下、城内あちこち隈無く探しましたが未だに……
苛立って怒鳴り散らす国王に兵士長は震えながら頭を下げる。アストルが雲隠れしてから一日が過ぎた。城中を隅から隅まで捜索したが、アストルは見つからなかった。しかし国王が宮廷付きとは言え、一介の占星術師に執着しているとも言える様子は城に勤める者たちに疑問を抱かせた。何故そこまでして彼を探し出そうとしているのかと。前任者が死んだ時、その死を悼む様子は無かった。しかしアストルが行方不明になったというだけでこの荒れよう。誰もが疑問に思うのも当たり前だった。そしてそれは城で働く者だけでなく、他の王族にも広がっていた。
「御父様、一体どうしたのかしら……。確かに御父様は短気なところはあるけど、あんな風に怒ってるなんて……
「王太子妃殿下……
広く絢爛豪華な、しかし品のある部屋の中心に置かれた長めのソファに腰掛けて落ち込んでいるのは見事な金髪を頭の上で結い上げた高貴な女性だった。彼女に寄り添うように心配しているのはそのお付きの者。王太子妃の髪が月ならば、彼女は太陽のような赤毛だった。暑い日差しに強い褐色の肌も持っている。
「ねぇウルボザ、やっぱりおかしいと思うの。どうして御父様は占星術師殿にあそこまで……
「御母様!あっ、ウルボザも!」
部屋の中に飛び込んできたのはゼルダだった。我が子が息を切らせて急いだ様子でやって来たのを見て王太子妃は驚いて立ち上がる。ウルボザもそれに続いた。
「どうしたのゼルダ、そんなに急いで」
「御母様、アストルさんが、占星術師殿が見つかりました!」
三人は駆け足で謁見の間へ向かう。裾を引きずるほどの正装姿である母子は軽くドレスを持ち上げて走っていた。ようやく謁見の間に着き、王太子妃とゼルダは簡単に通してもらえたがウルボザは警備の兵士に苦い顔をされた。ウルボザもこちらへ、と王太子妃が言ったことでようやく通される。広い謁見の間で、アストルが国王の前で膝をついていた。どうやら間に合ったようだ。
「アストルよ、今までどこに行っていた。ほうぼう探したのだぞ」
「申し訳ございません陛下。ご心配をおかけしました」
探したのではなく探させたのでしょう、とゼルダは軽く口を尖らせた。まるで自分がしたかのように言うのは如何なものかと、年頃の姫は祖父にやや反感を抱いていた。
「答えになっておらぬ。どこに行っていたと聞いているのだ」
怒ってる怒ってる、とウルボザは肩を竦めながら軽く口角を上げた。さあこれからどう切り抜けるかと、面白そうにウルボザはアストルを見つめた。
「実は、私にも場所がわからぬのです。気を失っていたのかどこに連れて行かれたのか皆目見当もつかなく……。しかし、私をその場に連れて行ったのが誰なのかは知っています」
「ほう、申してみよ」
「星の天使です」
ブッ、と誰かかが噴き出すのが聞こえた。しかしアストルの瞳は真剣で、嘘偽りがあるとは思えない。それにゼルダは知っていた。彼が星の天使から占星術の教授を受けていることを。
「星の天使……とな?」
「兵士たちから話を聞きました。どうも私は、城の地下に住むという怪人に攫われたそうですね。けれど星の天使が私を助けてくださったのです。亡き母が私のもとに送ってくれた、守護天使様です」
「ふむ……先々代の宮廷占星術師だったお主の母が言うていたことならば、信じるしかあるまいな」
「ありがとうございます陛下。本当に、ご心配をおかけしました」
「もうわかった、よい、下がれ」
国王の言葉を受けてアストルは一礼すると玉座に背を向けた。そして謁見の間の出入り口付近にいた三人にも同じく一礼し、そのまま去っていった。廊下に続く扉が閉められ、王太子妃はつかつかと父王の元へ迫る。
「御父様どうなされたのですか」
「どうした、とは?」
「一介の占星術師の捜索のために人員を割くのはどうしたものか、と言っているのです!」
怒っている母の姿を見てゼルダはハラハラした。しかしゼルダが恐れていたのは怒っている母ではなく、それを叱責する祖父の方だ。
「王太子妃たるお前には関係の無いことだ。口出しをするな」
「しかし……!」
「それにこの場にゲルドの女を連れてくるとはどういう了見だ。不快極まりない。そいつはつまみ出せ」
「御祖父様、あんまりです!」
耐えきれずにゼルダは声を上げた。相手は祖父とはいえ国の統治者だが、自分にだって意見くらいはある。
「時代遅れの政策はもうやめてください御祖父様。ゲルドを蔑むのはもうやめましょう。ウルボザは素敵な方です。それに御母様にあんな言い方……
「ゲルドはかの魔王を輩出した一族だ!この国の平和を脅かしたのだぞゼルダ!本当ならば一族を粛清するべきだ。だがそこの女が一生お前の母に仕えるからと許してやっているのだ。それに政治も軍事も儂の仕事。女のお前たちに口出しされる道理は無い」
ああまただ。またこうして言いたいことを塞がれてしまう。こう思ってしまってはいけないと思っているが、早くこの人がいなくなってしまえばいいと考えていた。そうすれば母と結婚した王太子である父が即位し、ハイラルでは迫害される人も減るのに。
「おひいさま、私のことは気にしないで。殿下、私がついてきたのがいけなかったんだ。ここから出るよ」
「ダメよウルボザ、貴女を一人にしたら何をされるか……!」
「そうですウルボザ。貴女に非は無いのです!」
負けるものかとゼルダは祖父を睨む。ゲルドを敵視することでその他の部族とハイリア人の結束を図るという政策に打って出た祖父をゼルダは許せなかった。小さい頃から忙しい母に代わって自分を見てくれたウルボザを知っているだけに、ゲルドを蔑視する理由がわからなかった。たとえ、国を滅ぼそうとした魔王が同じ一族の人間だったとしても。
……あの占星術師はお前の結婚を後押しした者の息子だ。あれは優れた力を持っている。それを探すのに血眼になって何が悪い」
「!彼女の子……?」
「そうだ。それにゼルダ、お前も婚期が近い。あれに占ってもらって良い相手を見つけようと思っておったまでよ。可愛い孫のためと考えておったというのに……
三人は顔を見合わせた。いきなりしおらしい態度を取られてはこちらも軟化してしまう。
「良いか。儂が考えることには必ず理由がある。考えもせずに非難せず、もう少し想像力を働かせよ」
ゼルダは黙って、頭を下げた。

続く