ナスカ
2021-06-11 17:44:18
5460文字
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美しき素顔 第2幕

ガノアスオペラ座パロの続きです。

ハイラル城には無数のタレット……小塔がある。その中の一つが宮廷占星術師に与えられた専用の部屋となっていた。部屋には真鍮で作られた大小様々な天球儀が置かれ、天体の全体図が壁に貼られている。西側の壁一面は本棚が占拠し、所狭しと様々な本が整然と並べられている。日が差し込む唯一の窓辺に使い古されたサイドテーブルが置かれており、そこには羊皮紙やインクや羽ペンが散らばっている。何かしらの作業の途中だったようだが、休憩を挟んでいるのか今は放置されていた。放置している本人はベッドで横になって数十分。休憩はここまでと、起き上がり、椅子に座った。羽ペンを手に取り、カリカリと静かな空間に文字を綴る音だけが響く。アストルは窓からの陽射しが鬱陶しく思えてカーテンを閉めた。太陽の光が体に良いことはもちろん知っていたが、アストルはあまり昼が好きではなかった。誰もが寝静まった夜こそ、自分が自由に闊歩できる時間だったからだ。
アストルは幼い頃、湖畔にある小さな村に母と二人で住んでいた。父親は記憶にある限り最初からおらず、しかしアストルにとってそれが普通だった。母に何があったのか具体的に知らなかったが何か後ろめたいことがあったらしく、村の外れにある小高い丘の家で隠れるように暮らしていた。それでも仕事が無ければ生きられない。母は占いをして身銭を稼いでいた。村の人々も、村の外から訪れる人々も、母の占いがピタリと当たるという噂を聞いて数多くやって来たのである。だが母は尊敬されながら畏怖もされており、どの親も我が子をその子どもであるアストルと遊ばせようとしなかった。息子に傷ついてほしくないと、母も昼間は家の中で本を読ませてアストルを外に出さなかった。その代わり、星がよく見える夜に一緒に出歩いて遊んだのだ。そんなアストルが星を我が友とするようになったのも、占いをする母の背中を見て占い師を志すようになったのも、至極当然のことであった。
母が宮廷で勤めていたことを知ったのはいつの事だっただろうか。母は自分の過去を語ろうとしない人だったが、たった一度だけ宮仕えだったことをポロリと口にした。村は城下から遠くは慣れた田舎で、見知らぬモノやヒトで溢れている城下町とはどのようなところなのかと少年だったアストルは憧れていた。まるで別世界のそこへ行きたいと言えば、母は「じゃあたくさんお勉強しなくちゃね」と仕事と家事の合間を縫ってアストルに占星術を教えた。そして口癖のように母は「星の天使」の話をアストルにするのであった。
勉強ばかりをしてきて子どもらしい日々を送ったかと聞かれれば答えは否かもしれない。けれどアストルはそれを否定的に考えたりはしなかった。これが自分の決めた、自分の運命なのだと思ったまで。星の天使がいつでも自分を導いてくれる。母が遣わした、厳しくも優しい天使が。
ふとペンを動かす手が止まる。あの天使はいつになったら自分に姿を現してくれるのだろうと、頬杖をついて疑問に思った。声でのやり取りを続けてから三年ほどが過ぎたが、未だその顔も見たことが無い。天使なのならば実体は無いのかもしれないが、それでもアストルは天使に会いたくて仕方がなかった。
「いつ私に会ってくださるのですか……天使様……
呟くが返事は無い。アストルはため息をつくと再度ペンを走らせた。きっとまだ努力が足りないのだ。宮廷占星術師に就任したばかりで、華々しい実績を残したわけでも国を未曾有の危機から救ったわけでもない。天使から見れば自分は未熟なのだ。立派に成長したときこそ、彼は姿を見せてくれるはず。そのことを信じて、まだ見ぬ師の容貌を思い描くのであった。
空想をしてニマニマと笑っていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。何でしょうか?と答えると、キビキビした騎士の声が聞こえてきた。
「占星術師殿、国王陛下がお呼びでございます」
「陛下が?」
何の用だろうとアストルは疑問に思う。この前の予言についての話だろうか。それとも別件で何か重大な出来事でも起きたのだろうか。想像がつかないことを考えると、やはり自分は占い師としてまだまだなのだと実感した。それの予知すら出来なければ完全に未来が見えているとは言えない。
「お急ぎの用事……ですよね?」
「いえ、充分に支度をしてからで良いとのことです」
「わかりました。今すぐ支度します」
と言ったものの、アストルは正装用のローブを羽織って天球儀を抱えただけで準備を終わらせた。かつては髪もボサボサで、服装にも気遣うことなどなかった。無頓着だったアストルを変えたのは、やはり天使の存在だった。彼がいつも自分を見ていると思うと、だらしない姿ではいられなかった。
「お待たせしました、では陛下の元へ」
「はい、お連れいたします」

❋❋

「国王陛下。占星術師アストル、只今参りました」
アストルが騎士に連れてこられたのは、城の中でも王族や近衛騎士、直近の使用人の出入りだけが許されているパレスエリアにある王の私室だった。部屋の調度品全てが一級品。カーペットからベッド、棚やカーテンに至るまでの何もかもが上物であると、田舎生まれのアストルでもわかった。万が一傷一つでも付けたりしたら御役御免にされてしまうかもしれない。アストルはそんな緊張感の中にいた。
「こちらへ」
国王は職務に追われているらしく、椅子に座って背中を向けたままアストルに言った。アストルは跪いていた姿勢から立ち上がり、国王の仕事用デスクの近くに置かれているソファまで歩み寄った。
「そこのソファに座るが良い」
「で、では、失礼致します」
腰掛けたソファは驚くほど柔らかくふわふわで、まるで雲の上に座っているようだった。アストルの体重は軽い方であったが、尻が深くソファに沈み込んだ。なんて心地が良いのだろうと少しリラックスしたところでハッと思い出した。どんな用で呼ばれたのか、どうして呼ばれたのか、それを考えるとまた体に緊張が走る。思わず俯いてしまい、口をきゅっと結んで体は震える。
「なに、そう固くならんでも良い。儂はただお主と話がしたいだけなのだからな」
「話……とは一体」
「お主の母君はとても優秀な占星術師だった」
アストルは勢いよく顔を上げる。国王は執務机から離れて、天井につきそうなほど高い、ツヤツヤとした木造の棚から何かを探していた。見つけたとその皺が寄るその手はつるんとしたフォルムのワイングラスに伸ばされる。しかし、肝心のワインはどこにあるのだろう。大抵の場合、使用人が持ってくるのだろうが……
そう思っていると、部屋の出入り口とは別の扉を開けて中へと入っていく。ひんやりとした空気が扉から離れたところにいるアストルも感じた。自室にワインセラーがあるのは、さすがこの国の統治者と言ったところだろうか。
「アストルよ、お主は幾つになった」
「今年で二十六になります」
「そうか、ではお主の母君と出会ったのはもう三十年は前か。儂もこんなジジイになる訳だ」
「母はあまり自分のことを語らない方でした」
「お主とは、母君の話をしようと思っておったのじゃよ。お主を謁見の間で見た時、あの女性の子だと一目でわかった。美しく聡明な女性だったぞ」
光栄です、とアストルはやや照れながら笑う。ここまで母のことを肯定的に捉えてくれるのは、まさかの国王が初めてだった。
どっかりとアストルの向かい側に置かれたソファに国王は腰掛けた。ローテーブルにワイングラス二つとボトルワイン一本が置かれ、アストルはこれは自分も飲めということかと少々参った。酒はあまり得意な方で無かったからだ。しかし母が世話になり、自分を取り立ててくれた大恩人のいれる酒が飲めないなどとは口が裂けても言えない。とぽとぽと注がれる白ワインを眺めながら、アストルはどうかこのワインがせめて飲みやすい味でありますようにと祈った。
「さぁ、おあがりなさい」
「ありがとうございます。……では」
グラスを持ち、軽く中身を揺する。白葡萄の芳醇な香りの中に、ひっそりと苦みがその身を隠している気がした。アストルは意を決して、こくんと一口分を口の中に流し込んだ。
「んっ……
「どうだ?」
「結構甘い、ですね。ちょっとびっくりしました」
「そうだな。これならば飲みやすかろう」
「はい」
まろやかな口当たりにフレッシュな甘さ。酒とほとんど縁を持ったことのないアストルでもすっかり気に入り、お世辞抜きで「美味しいです」とニコニコしながら何度も飲んだ。相当高価なものだろうとは思ったが、グラスが空になりかければ国王が直々に何度も注いでくれるので断ることもできなかった。
「それでその、母はここでどのように勤めていたのでしょうか?」
「お主と同じだ。占星術を用いて、この国の行く末を占っておった。お主もなかなか優秀だが、まだ母君には遠いな。彼女は我が王家に仕えた中でも指折りの占星術師だった」
「具体的には、何を、予言して?」
「そうだな……最も我が国に貢献してくれたと言えるのは、『知恵の泉へ姫を赴かせるべし』というものであったな」
「母の時代というと、王太子妃殿下がまだお若い頃ですよね」
「うむ。ラネール山は険しい雪山であるが故、寒さに弱い女を赴かせることには反対だったのだが……ネールの星が我が娘の祈りを欲しているとのことでな。ラネール山に向かわせることにしたのだ」
「それで、どうなったのですか?」
「やはり娘は寒さに耐えきれず、頂上まで行ったが祈りも十分にできず下山することとなった」
……では母の予言は、」
「だが娘は近衛師団の一人と懇意になって帰ってきた。お主の母の予言が無ければこの人とは出会えなかったと、娘は言った」
……
「お見通しだったのよ、お主の母君は。そこまで見えておったのだ。見合いを嫌っていた我が娘がようやく異性と懇意になるのをな」
「母が、王太子妃殿下のご結婚を後押ししたと?」
「そうだ」
ニヤ、と国王は笑った。母がそんな偉業を達成していたとは、聞いたこともなかった。話してすらくれなかった。
「本当に、娘には困ったものだった。王家の女としての役目を果たさず、このまま女神の血を引く王家が断絶されるかと思うほど娘は結婚を嫌がった。だがお主の母君の予言のお陰で、王家は断絶の危機から救われたのだよ」
「そう、だったのです、ね」
そう言えば、頑なに城下町へ連れて行ってくれなかった母が一度だけ、自分を連れて行ってくれた記憶がある。それは現ゼルダ王女の誕生記念パレードで、建国記念の祭りにも興味を示さない母が唯一興奮しながら、「ほら、王太子様と王太子妃様、それに生まれたお姫様よ」と肩車をして見せてくれたのだ。何故そこまで母が興奮していたのか昔はわからなかったが、自分が結んだ縁で生まれたのだと思うとそうなっても当たり前だな、とアストルは理解する。
いけない、頭がふわふわしてきた、とアストルは思った。話に相槌を打ちながらアストルの思考はどんどん浮ついたものになる。体中にアルコールが回ってきてしまったのだろう。これが酔いかと、軽く頭を抑える。
「どうしたアストル」
「す、すみません陛下。酔いが回ってきたみたいで……
「あぁ、少し飲ませすぎたか。良い、儂の落ち度だ。ここで眠りなさい」
無理をして帰ろうとするアストルにこれは命令だぞ、と茶目っ気を含めながら国王は言った。あぁ、死体を見ても動じないこの方は冷酷な方だと思っていたが、人は見かけによらぬものだなとアストルは考えた。命令ならば仕方が無い。アストルはふわふわしたベルベット生地のソファに体を横たわらせ、「お言葉に甘えて……」と呟くとあっという間に夢の中へ落ちていった。
……そう、人は見かけによらぬのだよアストル」
国王は立ち上がると、深い眠りの中にいるアストルの体を抱える。老体に似つかわしくない腕力だ。平均より細身とはいえ、成人男性のアストルの重さをものともしない。
アストルを自分が常用している巨大な天蓋付きベッドに寝かせる。白い肌がアルコールによってほんのりと色付き、浅い呼吸を繰り返しているために胸が上下していた。そっと服を肌蹴れば露わになる体は淡い色の赤葡萄のよう。国王は翡翠色の瞳を歪ませて不気味に笑った。
「案外、あっさりとこちらへ転がってくれたな」
どれまずは接吻からと、そう思ったときだった。

『愚王め、誰がその星を育てたと思うておる』

『我が黄玉に邪な心で触れる者、無礼者が』

低く地を這うような、背筋も凍りつく怒りに満ちた声が部屋中に響いた。その声は部屋の中に反響し、何度も何度も繰り返す。五月蝿い邪魔だ!と国王が声を掻き消すように腕を振り回せば、いつの間にか部屋は霧で満たされてしまっていた。突然の出来事に戸惑っている内に、眠っているアストルも霧で覆われる。手を伸ばしたが、アストルはどこにもいなかった。消えてしまっていた。アストルを神隠ししてしまった霧は用が済んだと言うように、数秒もしないうちに晴れた。
ようやく手にしようとしたものを奪われ、国王は憤慨する。部屋の出入り口の扉を勢いよく開くと、欠伸をしていた兵士がビクッと体を震わせた。

「兵士たちよ!例の怪人が現れた!宮廷占星術師を誘拐したぞ!探せ!城中を!隈無くだ!」

王の命令は、外の訓練所まで響いた。


続く