ナスカ
2021-06-07 20:35:02
4157文字
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美しき素顔 第1幕

ガノアスでオペラ座の怪人パロ。
オリジナル設定多し。

さっきまでその背中を見ていたはずの人物は、天井から首を吊られて力なくだらりと垂れ下がっていた。ここはこの国の城のそれも謁見の間である。王の御前で殺しが白昼堂々行われたことで兵士や王族の近衛騎士は警戒を強める。だが国王は自分にはまるで関係ないことのように至極冷静に、ともすれば冷酷と思えるほどに落ち着いた表情をしていた。アストルはその表情を見てこめかみに冷や汗が伝うのを感じる。自分の目の前に首吊り死体が浮かんでいると言うのに、彼は眉一つ動かしていないのだ。
「アストル……と言ったか」
アストルは国王に言葉をかけられるという思わぬ出来事に、その身を平伏せることしかできなかった。恐怖で喉が凍りついて、返事をせねばならぬとわかっているのに声が出ない。このままでは自分が不敬罪で殺される。声が出せなくなったアストルに出来るのは、ただただその身を小さく縮めることだけであった。
「お前は此奴の助手を務めていたそうだな」
「は、はぃ……
ようやく絞り出した声は小さくか細く震えていて、とてもではないが相手に届いたとは思えなかった。ましてや王は老齢。もし耳が遠ければ自分の声は聞こえていないかもしれない。しかしそんな心配を他所に国王はアストルの声を聞き届け、要件を話し始めた。
「ならばお前にも占星術師の才があるはず。今ここで、死んだ此奴に代わって予言を行え」
国王の言葉に周囲がざわめく。アストルは正式な宮仕えの試験を受けているわけではない。彼をよく知らない人々からすればアストルはその名が狭い、ただの「助手」でしか無いのだ。王は乱心したのかと思われたが、その鋭い眼光に迷いは無い。国王は本気だった。
そして、アストルも。
アストルは宮廷占星術師だった死体の下に落ちている天球儀を拾う。先程まで震えて小さくなっていた彼とはまるで別人で、なにかに取り憑かれているように顔色は悪い。ただ爛々としている星色の瞳だけが彼に生気を感じさせた。
アストルが何かをボソボソと呟くと、次の瞬間天球儀の中心である青くまん丸とした宝石が光り輝き、アストルを真ん中にして淡い光が謁見の間全体に広がっていく。それはこの季節の天体図であった。星座や主要な星の一つ一つがぼんやりとしかしはっきりと青色に浮かび上がり、宮廷占星術師の予言を初めて見る新人兵士は思わず感嘆のため息を吐いた。
「御覧ください陛下、こちらに見えます大きな星が勇気と生命の神フロルの名を冠する星でございます。しかしフロルの星はこれから夏にかけて我が国からは見えなくなります。代わりに現れるのは力と大地の神ディンの星。大地から感じるのは地震、地下からの災い……ディンの怒りは大地からの災禍を引き起こすことでしょう」
「では、ディンの怒りを鎮めるにはどうすればよいのだ?」
国王の言葉には救いを乞うような色は無かった。アストルのこれからの言葉をどんと構えて待っている。
「ディンの星の近くにある星座。こちらは審判の象徴である天秤の星座で御座います。ディンもこれの決定には逆らえませぬ。ディンへ誠実であること。これが怒りを鎮める何よりの手でございます。まずは力の泉の手入れから行っては如何でございましょうか。……私からは以上です」
アストルの予言が終わると、輝く天体図は天球儀の中へと収束していった。国王はふむ、と白い顎髭をいじりながらアストルを見つめる。確かにここ最近の王家は王女が知恵を象徴することからネールを重んじており、フロルとディンに些か不遇な扱いをしてきた。フロルは伝説によると温厚な女神と聞くが、ディンはその炎の腕を以てしてハイラルの大地を創造したとされる力の神。アッカレにある力の泉を荒れ放題のまま放っておけば、ディンは怒るに違いない。それを言い当てたアストルは充分に占星術師の能力があると見た。
「よかろうアストル。お前が今日から宮廷占星術師だ。存分に働き給え」
そう言うと国王は玉座を立ち、謁見の間から去っていった。兵士たちは王が去ったのを見届けてから首吊り死体を紐から下ろし、呼び出していた担架に乗せて運び出していった。アストルは憑物が落ちたように顔色を取り戻し、目も正常な様子に戻っていた。仕える相手はその場にはいなかったが、「有難き幸せ」と跪いて呟いた。

❋❋

「アストルさん、その、大丈夫ですか?」
「!これは姫殿下」
城の廊下でアストルに声をかけてきたのは御年十七を迎えるゼルダ王女であった。王太子妃夫妻の娘であり、国王の孫にあたる。この国で二番目に貴い女性に声をかけられ、アストルは思わず膝を屈めようとしたが、そのままでとゼルダが言うのでその言葉に甘えて立ったまま話をすることになった。
「殿下こそ、あのような場面に居合わせることになって……お気の毒に」
「貴方はそれを目の前で見ていたのにも関わらず、彼の代わりとして立派な予言をしてくださりました。祖父の無茶に応えてくださって、本当にありがとうございます。……やはりあれは怪人の仕業なのでしょうか」
「怪人?」
ご存知ないのですか、とゼルダに問われてアストルは頷いた。アストルは厠や風呂、食事以外は亡き前任の占星術師との相部屋で勉強や助手の仕事に勤しんでいた。噂話などに興味は無く、そんなものはただの迷信や都市伝説だと思っている方である。
「皆が噂しているのです。そして実際に見た者もいるというのです。ここ三年ほど城の中で起きている奇妙な事件は全て怪人と呼ばれる男の仕業だと」
「確かに、私が初めて城に来たときよりも城に仕える者の人数は減っているような」
「皆怪人を恐れて辞めていくのです。私、この城で勤める人が安全にいられるように怪人を何とかしたいと思っているのですけど、なかなかうまくいかなくて」
「殿下はお優しいのですね」
アストルは微笑んだがゼルダの表情は浮かない。何か無礼なことを言ってしまったかと不安になっていると、ゼルダはそれに気が付いたのか無理な笑顔を見せる。
「けどこんなことは姫のやることではないと祖父に叱られてます。お前はハイラルの姫としての役目だけ果たせば良いと」
「殿下のお役目?陛下には失礼ながら、殿下の行いはここで働く物を思っての行動。立派な王族としてのお役目を果たされているかと」
……祖父はまだ玉座に座っていますが、考え方は昔のままなのです、きっと」
その言葉でアストルは大方を察した。女は飾り物。その場に花を添えるだけでいい。結婚して子を生み育て他は何もするな。男のアストルですらそんな考え方は古いものだと思っていたのに。
「心中お察しいたします、殿下」
「ありがとうアストルさん。……それで、その、話は変わるのですが……
「なんでしょうか?」
「占星術はどなたに教わっているのですか?亡くなった彼はとても忙しそうでしたし……独学で?」
この好奇心旺盛な学者肌の姫の気持ちを満たすには、自分の身に起きていることは少々物足りないかもしれない。けれどこれは事実。アストルは素直に、そしてどこか夢見心地に語った。
「母も占星術師をしていたのですが既に亡くなっていまして……その母が言っていたのです。『私が死んだら貴方の元に星の天使を遣わす』と。星の天使は本当にいるのです殿下。姿は見たことないのですが、星の動きの読み方、その意味の解読の仕方。あらゆることを教えてくれます。素敵な方なのです」
アストルは色白な頬を淡い紅色に染める。顔も見たことのない相手にそこまで言えることをゼルダは不思議に思ったが、アストルのうっとりとした表情を見て彼の思いが本気だと知る。星色の瞳を輝かせながら星の天使についてあれこれと話すアストルだったが、正気に返ったのかハッとして「すみません殿下……」と小さくなった。
「気にしないでアストルさん。尋ねたのは私なのですから。星の天使……できることなら私も教授してもらいたいです」
「殿下は勉学に励んでいらっしゃいますからね、きっと殿下の元にも天使様はいらっしゃってくださると思いますよ」
引き止めて申し訳なかったとゼルダが言って二人は別れた。アストルは前任者と使っていた部屋に戻り、一人になると扉に背中をくっつけてふにゃりと床に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……疲れた……
今日の自分はただ助手として奏上に行く前任者についていっただけだったのに。その死体を見てしまった上に、自分が新しい宮廷占星術師に任命されてしまうなど思いもしなかった。しかも話したことのない姫殿下と初めての会話。もう盛りだくさんで頭がついていかなかった。占い師は自分の未来を占うことはできない。してはいけない。それは禁忌とされているからだ。
「けど……天使様のお陰でここまで来れた……母上と同じ、宮廷付きに……
『よくやったな、アストル』
ふと聞こえてきた声にアストルはガタッと立ち上がった。低く優しく己を包み込むように響く男の声。紛れもなくあの人の声だとアストルは姿を探すように天井をキョロキョロと見回した。しかしやはり天使の姿は見えない。少し落胆したがアストルは両手を組んで祈るように囁いた。
「ありがとうございます天使様。貴方のお陰で私はようやく母と同じ役職に就けることとなりました。全て、貴方のご教授の賜物でございます」
『そう謙遜するなアストル。お前の才能は本物だ。これからも励むように』
いつもは厳しいことを言う天使だったが、今日はいつになく褒めてくれた。声はすぐに聞こえなくなってしまったが、アストルには褒めてもらえた事実だけで嬉しくなったのである。ふふ、と笑みを浮かべたままベッドに身を投げ、クッションを抱きしめた。

❋❋

城には豊富な資料を揃えた図書室がある。だがそこに王の書斎があることを知る者は少ない。
国王は在りし日の出来事を思い出していた。それを思い出せたのは、アストルと出会ったからである。濡羽色の髪、黄玉の如く輝く瞳、色白で美しい顔立ち、なよやかな体躯……全てが思い出の中の女性と一致した。
「帰ってきたかエストレリータ……儂の元へ」
老体に似つかわしくない欲望を孕んだ瞳で、国王はアストルの写し絵を見つめた。


続く