二人はガノンドロフの住むマンションがあるという区まで電車で移動することとなった。駅までは徒歩である。やはりガノンドロフはサングラスをかけていたが、アストルの目にはそれは果たして意味を成しているのだろうと疑問に映った。しかしそれに関して何か聞くのも失礼な気がしてアストルは閉口したままガノンドロフの隣を歩いた。最初彼から自己紹介をされた時に大魔王を想起してしまったことが申し訳なくてならず、迂闊なことは口にできないとアストルは自分から喋ろうとしなかった。一方のガノンドロフも自分の物言いでアストルの涙腺を決壊させてしまったことを気に病んでおり、どんな話題を振ればいいのか迷っていた。
偶然にも、二人は互いを傷つけたくない思いで口をつぐんでいたのである。
休日の朝ということもあり、普段人混みがそこまでではないアストルの最寄り駅は人でごった返していた。ガノンドロフがズイズイと人波を分けていくのに対し、アストルはそんなガノンドロフに付いていくのがやっと。置いていかれる。彼はそんなことしないとはわかっていたが、アストルの胸中を不安が渦巻いた。かといって、待ってくださいと言うのは少し恥ずかしくてならない。自分は子どもでなく、大の大人だ。自分でこの人の側にいたいと思ったのだから自分の足で付いていかなければ。そう思った時だった。必死に付いていっていたガノンドロフの足が止まる。
「すまぬ、我ばかり先んじて歩いておったな」
「い、いえ……私の歩幅が狭いのです。気にしないでください」
「悪いが手を貸してくれぬか?そうすれば離れることもあるまい」
思いがけないガノンドロフの一言にアストルは目を丸くする。そんなアストルにどうしたのかと問えば、急に意識が戻ってきたのかハッとした様子で「は、はい!私の手でよろしければ!」と白く細い手を差し出した。
「お前の手を握りたいのだ。よろしいも何も無い」
ガノンドロフに手を握られ、グイと彼の方に腕を引っ張られて引き寄せられた。その力強さと、手の皮の厚さにアストルの胸が思わず高鳴る。自分の細い枝のような手指と全く違うガノンドロフの手に、その熱さに、アストルは自分がこれまでと全く違う世界に来たことを感じさせる。
「ありがとう、ございます」
ぽつりとアストルが言った礼は、喧騒に掻き消されて相手の耳には届かなかった。
ガノンドロフの自宅マンションがあるのは国の中心街……かつては城下町と呼ばれていた場所である。王族の者たちが住まう城は遥か昔から見た目は変わらないが、青い屋根瓦の小さな家がひしめき合って立ち並ぶ町並みはいつしか高層マンション群へと変わっていった。それでもそれらの高さは城を追い抜くことはない。一般人が王族よりも高いところに住むのは論外な話であるからだ。
中心街へ向かうにつれて、乗車する客は少しずつ増えていく。アストルとガノンドロフは外の景色がよく見える場所に立っていたが、乗客が増えるにつれて何も見えなくなってしまった。見えるのは、他の乗客の頭ばかりだ。つり革に掴まって立っているがやっとなアストルと比べ、ガノンドロフは床にしっかりと足をつけてどっしりと立っている。まるで根っこでも生えているかのようだ。満員になった車内で細いアストルは今にも潰されてしまいそうで、見かねたガノンドロフは片方の腕でアストルの腰を抱き寄せた。しっかりとした手で腰を掴まれてアストルは思わずガノンドロフの方を見た。
「!?」
「他意はないとわかっておるが……他の者に触れられるより我が触れていたほうがマシかと思ってな……」
「そう、かもしれません……」
言葉を発したほうがいいと思っていた二人だったが、こうして触れ合っているだけで満たされるものもあるのだと知る。カタンカタンと揺れる電車の中で、二人は人知れず身を寄せ合った。
やがて終点である中心街の駅で電車は止まり、全ての乗客が電車からゴッソリと降りていく。車内のやや真ん中にいた二人は他の乗客が降りてからようやっとホームへ出ることができた。アストルはホームの屋根の隙間から見える景色を懐かしそうに見つめた。もちろん、手は握りあったまま。
「ここには来たことがあるのか?」
「はい。大学はこちらだったので。四年間はここで暮らしてました」
「懐かしいか」
「もちろん。でもちょっと見ない間に変わりましたね」
「この街は常に変化している。何かを追いかけるようにな」
ガノンドロフの意味ありげな物言いにアストルは軽く首を傾げたが、これは芸術家ならではの言い回しなのだろうと思っておくことにした。出発駅よりも遥かに行き交う人数の多いこの駅で手を離しては一大事。ガノンドロフは先程にも増してアストルの手を強く握る。アストルは大切してもらえている気がして嬉しくなった。
「こっちだ」
導かれるままホームを降り、改札を出るとそこはアストルが知っているはずの景色とは少し異なっていた。
かつて来た時と印象はほとんど同じ。空が狭いと思った。しかしここに住んでいたときの雑多な雰囲気は薄まり、より洗練された、けれどどこか個性が失われたような。そんな街になっていた。
「ガノンさんのお宅はどちらに?」
「少し歩けばすぐ着くが、こいつをクリーニングに出すから少々回り道だ。それでもいいか?」
「そのくらいで拒むなら、最初から付いていきませんよ」
「ふ、面白い回答だな」
手を繋ぎ、二人は雑踏を歩く。最初ガノンドロフは歩幅も広く歩くテンポも早かったが、アストルがそれに必死な様子で付いていくのを見てそれらをアストルに合わせた。アストルは申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「すみません、歩くスピード合わせてもらって……」
「気にするな。お前と一緒にいると、世界は我一人ではないのだと気付ける」
マンション群に近づくにつれて人の数は減り、いつしかここら一帯を歩いているのはアストルとガノンドロフだけになった。まるで終わってしまった世界を、たった二人で生きているかのような。そんな気分になった。この近辺は道路や線路も近くなく、そして休日の昼間に誰かの住居近くを通る者もいない。工事の音も無く、都会にありがちな音の類が一切無かった。
(二人だけの世界、か)
アストルは少し感傷的な気持ちになり、ガノンドロフの手をそっと握り返す。そして歩きながらコテンと頭をガノンドロフの腕に寄せた。ガノンドロフはそれを黙って受け入れる。誰もいないなら、誰も見ていない。ここが外だろうが多少くっついても許されるだろう。そう思った。けれど何故初対面の人間相手にここまで心を許せるのか……運命という言葉も用いたとしても、如何なる運命で自分たちが結ばれているのか……アストルにも、ガノンドロフにもわからなかった。
クリーニング店にタキシードを預け、先程歩いてきた道を引き返す。ここだと到着したマンションは、周囲のそれらと比べて低い方だった。ガノンドロフはそれを「昔はこれが一番だったんだぞ」と笑って自虐しながら言った。アストルは大してそのことを気にしていなかったが、これは彼のユーモアなのだろうと笑いながら受け流した。
マンションの一階は駐輪所と郵便受けになっており、その奥にエレベーター、それらを分け隔てるようにオートロックドアが配置されていた。ガノンドロフはカチカチと順番通りにボタンを押し、ドアを開ける。アストルはこれからいつでも遊びに来れるようにとその順番を覚えた。ガノンドロフもそれに気が付いていたのか、特に何も言わなかった。
エレベーターは二人が乗り合えるギリギリの広さで、定員は四名までだった。ガノンドロフがハイリア人二人分くらいの重さと大きさだろうから、定員ギリギリセーフといったところである。二人はまたしても無言になり、エレベーターが上昇していく音だけが静かに響いた。アストルはチラチラとガノンドロフの方を見つめ、見る度に顔を赤らめる。
思い出してしまうのは昨晩の情事。今は平穏を湛えている瞳が、あの時は熱っぽくなって自分を見つめていた。離れまいと握ってくれている手は、官能を引き出してきた。服に包まれている肌を直に擦り合わせ、生まれる欲望に身を委ねた。何度も繰り返すようだが、自分たちは初対面だった。それなのにとアストルは高鳴る鼓動を抑えきれず、空いている方の手でぎゅっと胸を抑えた。思い返したところで手遅れだが、彼の自宅に行けば何をされるかわからないはずだ。
ポーンと静かに到着音が聞こえ、目の前の扉が開く。ガノンドロフがエレベーターから出たのを見て、アストルもそれに続いた。エレベーターを出て角を曲がってすぐのところがガノンドロフの部屋らしく、そこのドアの前で止まって鍵を開けた。もういいだろうと思ってアストルの方から手を離す。ガノンドロフは特にそれを気に留めた様子もなく、ドアを開けてアストルを招き入れた。
「お邪魔します」
アストルの小さな1DKとは異なり、ガノンドロフが借りている部屋は広々としていた。あんな安っぽい部屋に通してしまったのが恥ずかしくなるくらいだ。廊下は二倍ほどの幅があるし、何よりキッチンが廊下に無い。そのことに驚いていると、「もっと驚かせることになるかもな」とガノンドロフは笑っていた。このピアニスト、どうやら相当稼ぎがあるらしい。居間へ続く扉を開けると、そこは広々としたリビングになっていた。アストルの部屋の四倍以上はあるだろうか。白を基調としたテーブルや椅子などのインテリアが並ぶ中、窓際に置かれた大きな黒いグランドピアノはよく目立った。グランドピアノが置かれているのは端っこであるが、そこを中心にこの部屋のバランスが取れているような印象である。
「……広い」
「あまり驚かぬのだな、お前は」
「反応薄くてごめんなさい……けど本当、こんな広いお部屋にお招きされたのは初めてなので……」
「お前がそういう質だということは覚えておくことにしよう」
着替えてくるからソファにでも座って待っていてくれ、とガノンドロフは言って別の部屋へ行ってしまった。この広いリビング以外にまだ部屋があるのかとアストルは圧倒されっぱなしであった。言われた通り、アストルはガノンドロフの言葉に甘えてソファに座って待つことにした。部屋の中の空気は冷たくもなく熱くもない。過ごしやすい温度だ。モノトーンな室内は一見無個性かもしれないが、よくよく観察してみるとそんなことは無い。ピアノの近くの棚にはアストルが天体関係の本を集めていたのと同じように何十冊、いやもしかしたら百数冊にも及ぶ楽譜が仕舞い込まれており、その中の幾つかはもう背表紙が剥がれかけていたり黄ばんでいたり、年季が入っているのを感じさせた。そしてまた別のガラス棚にはたくさんの表彰盾やトロフィーなどが飾られている。それが彼の努力の賜物だと、アストルは瞬時に理解した。そして同時に、この人は強いのだと。変えようもない自分の出自に負けず、くさったりせず、前向きに戦い続けてきたのだ。それに比べて私は、とアストルは思う。本当に望むならば多少傷付いてでも手にするべきだった。やはり自分は逃げ出したのだと、過去を省みた。
「どうしたアストル」
「えっ!?あっ、はい!?」
「そんなに緊張せずとも良いのだぞ」
着替えてきたガノンドロフは初めて見たときのタキシード姿から打って変わり、半袖のシャツとデニムのズボンというかなりのラフな服装をしていた。半袖シャツには小さな女の子が好みそうな動物の柄が総柄になってプリントされていた。こんな服を着てこられたら反応に困る。
「その……すごい、柄ですね……」
「ん?あぁ、スナザラシだ。なかなか可愛いだろう」
「すなざらし……」
「かつてゲルド地方にいたとされる生物だ。……何百年か前に絶滅したと聞いている」
「どうしてですか?」
ドカッとガノンドロフはアストルの横に座ると、アストルを見てチョイチョイと手招きをする。アストルは恐る恐るガノンドロフの方に体を近づけた。すると脇の下に手を差し込まれ、体が宙に浮いた。そしてアストルの体はガノンドロフの膝の上に置かれた。他人の膝の上など何年ぶりだろう。圧倒的体格差が為せる技だとアストルは思った。
「アストルはかつてのゲルド地方を知っておるか?」
「は、はい!その昔は砂漠だったと……」
「今は地道に行われてきた緑化活動が功を奏して砂漠はほとんど無くなった……が、スナザラシは砂漠でしか生きられん生物だ。環境を改善することが必ずしも全ての生物にとって良いことではないのよ」
「……」
「そして砂漠で生まれた我らゲルドの文化も、今ではほとんど消え失せたも同然……我も幼き頃はスナザラシを架空の生物だと思うていた」
アストルはゲルドの実情に対してなんと言ったらいいのかわからなかった。同情で何かを言ってはいけない気がした。ゲルド族とハイリア人が和解したと言ってはいるが、それはハイリア人が勝手にそう思っているだけなのだろう。これは民族に対する、緩慢な粛清である。気候や宗教などの生活環境から少しずつ特徴を削っていき、いつしかゲルドの文化はその名が博物館や教科書に残るだけになって。生きた文化を背負う者がいなくなってしまう。
「私たちハイリア人のせいですね……」
「お前は悪くない。悪いのはこのような政策をとってきた王家だ。そして賛同した者。それに、これはもうとっくの昔の話だ。お前が気を負うことは無い」
「でも……」
ガノンドロフはアストルが落ち着くようにとそっと頭を撫でた。武骨な指であったが、その手つきは優しい。
「気にするな。……お前はこんな話がしたくて我の元へ来たのか?」
違う、とアストルは首を横に振る。そうであろう?とガノンドロフはアストルの顔を自分の顔に向かせた。強気だがどこか穏やかさを感じるその表情にアストルは思わず見入る。あぁやはり私はこの人といると落ち着くのだとアストルは思った。何がこの思いを抱かせるのかはわからない。けれどこの気持ちは嘘ではない。ただ一緒にいたいだけ。魂が透明になるような心地よさ。いつまでも寄り添っていたいという、誰にも抱いたことのない感情。
(これは……何なのだろう)
「ふ、ぁ……」
アストルは小さく欠伸をする。まだ昨夜の疲れが残っていたのだろう。ガノンドロフはアストルの背中をゆっくりと撫で、眠気を促す。
「眠るがよい、アストル。ここでは何の心配もいらぬ」
「ん……」
もぞもぞと顔を動かし、アストルは膝を抱えて体重をガノンドロフに預けた。その仕草がまるで赤ん坊のようでガノンドロフは思わず笑みが溢れる。呼吸のリズムに合わせて体をそっと揺すれば、アストルは穏やかな寝息を立てて眠り始めた。
「不思議だな。こんなお前を、我はずっと昔から知っておる気がする……」
眠るときは体を丸める癖を、そんな彼を寝かしつける自分を。これまで会ったことも無いのに、ガノンドロフは自然とこれがアストルなのだと理解していた。
「……我も、お前の腕に抱かれておった気がするが……気のせいだろうか」
❋❋
『アストル……アストル……』
ガノンドロフ様?どうして泣いているのですか?
『こんな、こんなことしか出来なかった我を許せ……いや、許すな……憎め……我を嫌いだと言うてくれ……』
どうして?どうしてそんなことを仰るのですか?
私はずっと、貴方のお側にいます。それこそ、貴方が新しい輪廻に入ることが許されるまで、ずっと、ずっと、いつまでも。
『もし……もしもう一度、お前に生きて会えたら……その時は……』
『お前を、我の手から解放しよう』
「!」
アストルはガバリと目を覚ました。自分の体にはシーツがかけられており、側にガノンドロフはいない。彼の体に見を預けて眠っていたはずなのに、彼本人の姿はリビングから消えていた。
「まさか……まさか……」
あんな言葉をかけられた記憶は無いのに、夢の中で聞いた声はガノンドロフのものだとハッキリわかった。だからこそ不安になる。解放?何故?自分は彼の側にいて落ち着けるし幸せになれるのに。依存という訳ではない。ただアストルは初めて出会えた、一緒にいて楽しいと、居心地がいいと思える人を失いたくなかった。彼の方から離されるともっと怖くなる。
「ガノンさん……ガノン、さん……」
「アストル、目が覚めたか」
「あっ……」
アストルはソファから降りると、その細い脚でガノンドロフの元までぱたぱたと駆け寄り、巨躯に抱きついた。側にいないのを不安に思ったのだろう。そっと抱き返す。ガノンドロフは黒いエプロンを着けていて、すんすんと鼻を動かすと少し甘い匂いがした。それでアストルはガノンドロフが何かしらの作業をしていたことを察する。
「何か、お作りになられていたのですか?」
「そうだな、お前を饗すために。すまない、不安な気持ちにさせたな」
「いえ……不安な気持ちになってしまうのは、貴方を信頼しきれていない証拠。善処します」
「もう少しで完成する。待っていてくれ」
ガノンドロフはアストルの頭をポンと撫でてから、キッチンへと戻っていった。何を作っているのかは気になったが、きっとガノンドロフも準備を見られたくないタイプなのだろう。覗き込むのはやめておくことにした。代わりに外を眺めようと窓際へ向かう。
「綺麗……ここからハイラル城が見えるんだ……」
マンションやビルの隙間からだったが、青空に映える美しいハイラル城が見えた。壮麗で雄々しい印象を受ける、深い堀に守られた国の象徴。それこそ、一万年以上前からあそこに鎮座しているという。大抵のこの国の民はその敷地内に足を踏み入れることなく人生を終える。古代より栄えるあの城はどんな場所なのか、アストルは知りたかった。これまで見てきた本よりも貴重な書物が眠っているかもしれない。勤勉で学者肌だったと伝わる古の姫が記した研究録を読んでみたいとアストルは思っていた。
(あんなに、美しい……のに……)
アストルの脳裏に浮かぶのは、赤い月が昇る空。それと同じ色をした粘り気のある物体に穢された城。そしてそれに取り憑いた、黒い巨大な影。無数のからくりの兵たちが大地を覆い尽くし、破壊の限りを尽くす。自分はその時どちらにいた?城を取り戻さんとする女神の力を宿した軍勢か、城を征服したと笑う我が物顔な厄災の傀儡か。
『私が貴様らを消す、それが……』
「さだ……」
「アストル、出来たぞ。お、城を見ているのか」
自分の内側に向けられていた意識がガノンドロフの言葉で外の世界へと戻ってくる。思い出そうとしたものは、夢から覚めたときのようにザラリとした違和感を思考の片隅に残して消えた。
「はい、いい眺めだなと思って」
「ならば床に座って、眺めながら食うとしよう。紅茶は飲めるか?」
「えぇ、ストレートティーで大丈夫です」
持ち手が流麗な細工で出来たトレイが二人の間に置かれる。トレイの上には二人分のティーカップとフォーグと皿、丸い形のケーキだ。アストルは見たことのないケーキですね、と格子模様の表面を興味津々な様子で観察しながら言った。
「それはクロスタータと言ってな、我がピアノの腕を究めるために修行をしに行った国の伝統菓子だ。これが美味くてな、折角だから自分で作れるようになろうと思ったのよ」
「ガノンさんって、すごい行動的ですね。感銘を受けたものを自分でも形にしようって思えるってすごいことです……」
「褒めるな、何も出んぞ」
「だって本当にすごいんですもの」
ガノンドロフはクロスタータを切り分け、アストルの皿に盛り付ける。アストルはありがとうございますと皿を受け取り、先に食べろと言われたので一足先に頂くことにした。
「いただきます」
フォークで先の尖った部分を切ろうとしたが、たちまちボロッと崩れてしまった。刺せども刺せどもなかなか刺さらず、アストルはムッと口をへの字に曲げた。
「アストル、そうカッカするな。皿部分を二度焼きするタルトと違い、これは生地を生のまま焼き始める。こういう菓子なのだ、許してやれ」
「わ、わかりました……」
ようやくフォークに刺さったのをアストルは口に運ぶ。しっとりとした生地と甘酸っぱいジャムのハーモニーが堪らず、アストルは「ん〜っ!」と身を捩らせた。
「美味しいです!世の中にこんなお菓子があったなんて……」
「喜んでもらえたようで何よりだ。作ったかいがあったというものよ」
出会って二日目。まだ二人は、過去が忍び寄ってきていることに気付かない。
続く
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