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よつもり
2024-01-07 14:09:18
3366文字
Public
映画・本のはなし
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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
2024/01/06 映画館で鑑賞
とても丁寧に丁寧に作られた映画っていいですねえ
…
TVシリーズがあるアニメの映画版って私は結構好きで、というのも、TVアニメでは省略されがちな背景が映画版だと大画面に耐えれるようにより丹念に描き込みがされているんですよね。
そういう、背景美術が本気を出してくる感じとかがとても良くって、このゲゲゲの謎もとにかく美術が美しくてとても良かったです。背景の美しさとともに音楽も良かった。最初水木が村に赴くシーンの、真夏の田舎の田んぼ道の空気感が素晴らしかったです。
……
さてです。
この映画について感想を書こうと思ったのですが。私はちょっと悩んじゃったんですよ。というのも、この映画についてはいくつものレイヤーに分けて語ることができると思っていて、それの全てを語ることは大変だし、すべてを語ることが適切だとは思わないし、かといって何も語らないのも適切ではないような気がしているからです。
そのレイヤーというものはどうして発生するかと言うと、この映画の想定している視聴者っていうものが、結構広く幅を取って想定されているからだと思うからなんですね。
普段からアニメを観ている10歳くらいの子供でも観ることができるでしょうし、
それくらいの年齢の子供をもつ親御さんが観たらまた違う感想になるでしょうし、
主役であるゲゲ郎と水木という青年二人であったり、水木と紗代という青年と少女であったり、ゲゲ郎とゲゲ郎の妻という夫婦であったり、そういうキャラクターの関係性に特に着目する見方もできますし、
それと、あの物語で描かれている昭和31年の風俗について着目して語ることもできますし、
水木青年が体験した戦争と、その戦争によって水木青年が負った傷とストーリーの展開についてに着目してみるという方法もある。
水木青年の年齢は明かされていませんでしたが、仮に1945年の終戦時に20歳くらいだとします。それから10年後として水木はおそらく作中で30歳前後。それから現代に生きていたとしたら、2024年の時点で100歳前後。
100歳くらいの戦争経験者のおじいちゃんというのはまだ生きている方もおられると思うし、そういう方に鑑賞されることも、当然想定して作り込まれている。
かなり練り込まれて作られているために、様々な視点から捉えることができる。そのため、この映画を語るときにはまず、この映画を観た自分が何者であり、自分の来歴を踏まえてどの点に着目することになり、自分の結論としては何を思ったか。という語り方をしなければならない映画だと思うんですね。
「自分」というものを仮に置いておくとしても、それでもこの映画を語るときには何らかのフィルターを通さなければいけない。「もし私が子供だったら」「子供を持つ親だったら」「社会の一員としての大人だったら」「戦争経験者の100歳の老人だったら」「オタクだったら」「男だったら」「女だったら」「都会出身者だったら」「田舎出身者だったら」などなど
…
まだまだ色々なフィルターを想定することができると思います。
この映画を観て、ではいざ感想を語ろうと思った時、フィルターは一枚だけで存在するわけではなくて、何層にもレイヤー化して重なっている。それぞれのレイヤーには「子供の私が観た感想」とか「オタクの私が観た感想」とか「大人の私が観た感想」とかいうファイル名がついているけれども、それぞれのレイヤーの書き込みは断片的でぼんやりとしている。一つの層について語ろうと思うと断片的で、では層を重ねて語ろうとすると今度は視点が散らばって散漫なことしか言えない。
この映画について語ろうとする時の難解さって多分こういうことだよな、という感じです。
一つの視点に定めてしまえばきっと一通りの話をすることはできるけれども、それだけでは全てを語れないから、一つの視点で語った後にまた別の視点でもう一度語り直す、という膨大な作業が必要になる。
それくらいの読み解きができるほどに重厚、といえば、この映画の凄みはそれだけで伝わってくれると思います。
(その作業をしている人は多分いまX上でいっぱいいる。)
☆ ☆ ☆
じゃあそういう前置きを踏まえて、よつもりはこの映画をどう読んだかという話なんですけれども。
……
うーん。この映画について私は、あまり語れることがないんですよ。
この映画を語るためにはある程度の自己開示が必要だとも思いますが、それもあまりしたくない。なんでかと言うと、私というフィルターを通して語るとかなり身も蓋もない話になるから。
思うことは色々ある。無いわきゃない。考えることを提示してくる映画ではある。問題提起をしてくる映画であることは間違いないと思うんです。
でもこの映画ってあくまで「子ども向け映画」だと思うんです。
どれだけ酷いことが描かれていても、「子ども向け映画」としての枠の中でやっているし、「子ども向け映画」として結論を出している。
で、私がもしこの映画について語ることになると、私の話は「子ども向け」の枠からかなり外れることになるんですね。
で、そこまでして語るかというと、私はそれはあんまりしたくないんですよ。なんでかと言うと、それは子供の耳に入れるような話じゃないからです。
作中で、親族間の性的虐待であるとか、人を家畜化して利益を出していく構造とか、犠牲は犠牲のままで救いがない事とか。
そういう話は、最終的に崩壊した哭倉村であるとか、龍賀一族であるとか、作中の昭和31年という時代で「終わった」話ではなくて、今現在のリアルな世界でも普通にあることだよね。現在進行系だよね、という話なんですが、私はこの映画を通してそれらの現実を語ることにはかなり抵抗があるんですよ。
私は『ゲゲゲの謎』を観た同日に、北野武監督作品の『首』も観てきたのですが、『首』の方が安心して観ることができました。大人向けの枠の中でむき出しの暴力を描かれた方がまだ大丈夫というか。安心感がある。
それでもじゃあ何か語ろうとすればですね。
例えば、紗代という子の境遇について、この映画を観てかわいそうと思った人が、X上で「親から虐待を受けていました」などと言う人の投稿を見ても、多分「ふーん」「かわいそうね」とかしか思わないし、なんなら「嘘言ってんじゃないの」と思うことは普通にあることだと思うんですよね。
隣の家の子供が親から虐待を受けている様子があったとしても、そこに関わって子供を助けようとしてあげることができる人って少数だと思うし、なんなら関わり合いにならないほうが賢いともいえるかもしれない。
アニメに描かれた美少女の境遇を可愛そうだと思うことはできても、現実に訴えている人がいたら人間って冷酷になることができるよね、だって自分の心も人生も守らなきゃいけないから。
そしてそれが現実では?
──という感覚と、『ゲゲゲの謎』で提示された結論って多分、相容れないんですよね。
『ゲゲゲの謎』の主人公水木は、そういう現実的な冷酷さをずっと持っていて、水木はだからこそ紗代を気の毒だと思っていたけれども、紗代に本当に心を寄せることはなくて、最後に灰になった紗代に伝わらない謝罪を述べることしかできなかった。この辺りはけっこうリアルを描いていると思うんです。あの謝罪は水木の心からのものであったとしてもすごく意味のないものでしたよね。
そんな水木が墓から生まれた子を引き受けたのは、そういう冷酷で無力な大人が面倒な他人を引き受けたという描写だと思うのですが、これは理想としての結論だと思うんですね。
『ゲゲゲの謎』は「子ども向け」だからこそ綺麗事を結論として持ってこないといけない。だから『ゲゲゲの謎』はあの結論で正解ですが、ではリアルの私達の世界と照らし合わせた時に、そこにははっきりと、理想と現実の落差が存在する。
で、その落差について私が語ろうとすると、『ゲゲゲの謎』が「子ども向け」として描いた綺麗事、理想論、良心を反故にすることになるので、この映画を通してその先について語ろうとすることは、私はあまりしたくないなあ
……
という気持ちなんですよ。
というわけで、この映画の感想はここまでです。
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