【カミ東】月明りに溶けいる夜明けの空

🔪🍮で中秋の名月でお月見する🍮さんと🔪様とO幡さんのお話。

夏の象徴たる虫に変わり薄っすら何処からか聞こえる秋の音は静かな夜道にしみ込み。等間隔で夜道を照らす電灯の水たまりを渡り歩く。会社からの帰路に就く間、賑わい煌々と夜道を照らしていた明かりたちは住宅街に入るなり息を潜め寝てしまう。疎らに灯る人家の明かりも横を通り過ぎれば時間が来たようにフッと消え静まり返る。
誰も彼も寝静まってしまう時間まで仕事が長引いてしまった。久方ぶりの残業は中々に堪え乙幡に多大なる疲労感を蓄積させるが、右手に持ったビニール袋から伝わる重みに顔が緩む。
「明日はお休ミ~」
閉店間際に駆け込んだスーパーで購入した晩酌セット、しかも値引きシールが貼られていたので懐にも優しい。
寝てしまった人等を起こさぬよう、されど、浮つく気持ちが手に持ったビニール袋を控えめに揺らし、アスファルトを蹴る足元が小さく踊る。
秋めいた夜は夏の夜と違い肌に不快な湿り気を齎さず、心地よい風の涼しさに乙幡は秋の到来を感じた。今年の夏は例年以上に暑くて長かった、と独り言ちマンション敷地内に入る。廊下を照らす照明は点いているものの、部屋の明かりは全て暗くなっている。今一度お休みのところを起こさぬよう、抜き足差し足忍び足。ふと、暗い夜の向こう側から何かに呼ばれた気がした。それは恐怖を全く抱かない声だったが、こんな夜更けに誰が自分を呼ぶのだろう。
念のため後ろを振り返るも誰も無し、視線を前に戻しても人っ子一人いない。乙幡の中に生まれた疑問は次に自分を呼ぶ声の正体を知るなり音も無く消え──、雲一つない晴れ渡った夜空を優しく照らす満月に、そして、その満月を背負い屋上の縁に座る東雲の姿に息を飲んだ。右手を掲げ快活に笑う姿は何処から見ても東雲そのものなのに、如何してから目を瞠るほどに綺麗で大きな満月を背負っている所為かとても幻想的に乙幡の目には映り込んだ。
東雲は乙幡が此方に気付くなり掲げた右手を口元に添える。
「涼音ちゃーん、夜遅くまでお疲れー」
寝静まった夜に響く東雲の声は夜に相応しく抑えられたものなのに、乙幡の耳にはっきり届いた。
はたと、知らず見入ってしまった事に気付き慌てながらも何故そこに居るのか。そう乙幡が同じく周囲を起こさぬよう配慮した声で尋ねるべく両手をメガホン代わりにしようとした矢先──。
「乙幡さン、こんばンは」
「ひゃあ!?カ、カミキリさん?!こ、こンばんは」
灯台下暗しではないが、予想すらしていなかった場所から急に声を掛けられた乙幡はその場で数センチ浮きあがった。不幸中の幸いは声量を控えめにした声を出そうとしていたため、口から零れ落ちた声も寝ている人たちを起こすまでのものでは無かった。音も気配もなく乙幡の目の前に現れたカミキリ。月明りの下、白く癖っ毛なカミキリの髪は月光を受け夜闇の中で白く煌めいている。
「夜遅クまで、オ仕事お疲れサマ」
「あ、イエ。あリがとうござイます」
東雲が屋上の縁に座っているのもそうだが、何故この時間帯にカミキリが外にいるのかという疑問が新たに乙幡の中に生まれるも、そうそうに暗い夜の中に消えていった。
「今日、中秋の名月。乙幡サんも一緒にお月見スル?」
聞けば東雲はツヅミ達が寝た後、体よく酒を飲む理由にかこつけて一人屋上で酒を煽っていたところ、カミキリがそれ見つけ自身もお月見すべく自室から何か団子の代わりと飲み物を取りに戻り、そして、屋上に行こうとした際、帰ってきた乙幡と東雲が話しているのを見てカミキリは声を掛けたという。
「なるほど」
よく見ればカミキリは大福が入った菓子盆と小さなお茶のペットボトルを抱えている。
このまま部屋に帰っても一人晩酌するだけ。兎角味気ないものではないが、折角の中秋の名月、たまには月を見ながら酒を飲むのも乙なものである。
「よろしけれバ、ご一緒シテもいいですか?」
乙幡の声は東雲にも届いたらしく頭上から「いいよー」と快活な声が降りてくる。
「何か取りに行ク?」
カミキリの問いかけに乙幡は微笑み、右手に持っていたビニール袋を肩付近まで軽く持ち上げた。

さてはて。屋上に行くと言われてもこのマンションに引っ越してから一度も上がったことのない場所に如何やって行くものだろうか。一先ずカミキリと一緒にエレベーターに乗り四階まで上がってきた。エレベーターの扉が開き、先に出るカミキリの後を付いていけばエレベーター横にある階段のところに辿り着く。
だが、四階までしかないマンションに屋上まで伸びる階段は無い。その代わりに階段からバトンタッチされた梯子が階段のどん詰まりの壁から屋上に向かって一本伸びていた。梯子を囲むように設置された落下防止用の鉄の柵。その中へ躊躇することなく体を滑り込ませ梯子を片手で器用に上がっていくカミキリに乙幡は小さく感嘆の声を漏らす。
そして、次は自分の番だと乙幡は肩に下げたショルダーバッグを掛け直し右手に持ったビニール袋を握りしめるかたちで拳を作り気合を入れて鉄の柵の中へ体を滑り込ませた。極力柵にスーツが触れないよう細心の注意を払い、少々赤錆が浮いてしまっている梯子を掴み、足を踏み外さぬよう一歩一歩上がっていく。
コッコッコッ。踏み桟をしっかり手で掴み、足を掛け上るたびに固く小気味よい音が反響する。目的地である屋上が近付くにつれ徐々に失われる圧迫感と閉鎖感は、乙幡が梯子の終わりからひょっこり顔を覗かせた瞬間一気に解放感へと姿を変えた。階段を上り終わり屋上に降り立つ。柵はおろか遮るものが何もない殺風景な屋上から見下ろす、しんと寝静まった住宅街の普段見ない顔付に不思議な感覚になる。
上り終えた乙幡を称えるように頬を撫でる夜風と共に東雲の楽しげな声が流れてきた。
「こっちこっち~」
視線と意識を其方に向ければ軽く背を逸らせカップ酒片手に掲げる東雲と、丁度その彼女の右隣に腰を下ろすカミキリの姿が入り込む。東雲は自分の左隣に座るよう促すが、乙幡は少しばかり躊躇った。
基本人が立ち入ることのない屋上ゆえ、落下防止用の安全柵も何もない少しだけ屋上の床から頭一つ出ている縁に腰かけるのは中々にスリルがある。脳裏を過る落ちたら大変の文字。座ろうか如何しようか考えあぐねている乙幡に東雲は今宵の湿気のない空気のように言い放った。
「大丈夫大丈夫。はじめは怖く感じっかもだけど、ここから見る眺めすっごくいいからさ。座ってみ?」
思えば自分はまだ幽霊だから最悪落ちても平気だけれど、生身の人間である東雲が落ちることの方が大変なんじゃ。乙幡の東雲を気遣う言葉は、東雲の晴れ晴れしいまでの面持ちを目の当たりにして、ついぞ喉奥から吐き出される事は無かった。控えめに東雲の左隣に座り、自身の隣にショルダーバッグとその上にビニール袋を置いた。
縁から伸びた足の先。パンプスが脱げないか心配で落としていた視線が右隣から聞こえる「上、見て」の声につられ視線を上へと向けた。果たして夜空に浮かび寝静まる世界を優しく照らす満月の姿に乙幡は「綺麗」と想いをそのまま言葉に綴った。
多寡だか見上げる高さが変わった程度、だが視界に入り込む月の柔らかな光に引き込まれ目が離せない。ぼんやりと月を眺めていれば、また右隣から声が掛けられた。
「じゃ、そろそろ乾杯と洒落込みますかって私はもう飲んでるけど。涼音ちゃん何か持ってきた?」
東雲の言葉にふと我に返った乙幡は自身の横に置いていたビニール袋に手を突っ込み目当てのものを彼女に見せる形で自分の顔横に寄せた。
「じゃーん。缶ビールでーす」
「お、いいねー。それではカミキリさんもご一緒に、せーの……カンパーイッ」
「カンパーイッ」
「カンパイ」
夜空に向かって高々と掲げられる缶ビール、カップ酒、お茶のペットボトル。
掲げた後、プルタブを開け喉を鳴らし飲んでいく。キンキンに冷えているの時とは違う、多少ぬるくなっているにも関わらず喉越しは断然冷えたビールの方がいいと感じるのに、それとは比べ物にならないくらい美味しく感じる。プハっと息を吐き満月を見上げた。
「くっはー!これぞ月見酒ってか!がっはっは!」
酒が入って機嫌が良くなり少々大きくなってしまった東雲の声量に彼女の両端から口許に人差し指を立て「しーっ」という声が重なった。それにバツが悪そうに東雲は頭を掻き苦笑を漏らすので乙幡はくすりと笑みを零す。だが、気持ちは分からなくはない。息を飲むほど綺麗な月を肴に酒を嗜むのだ。
「カミキリさんにはまだ早いかな」
「大家サん、僕飲めるヨ」
「だーめ。これは大人の特権ってやつだから」
大人になったからこそ何かにかこつけてお酒を飲む。子供だった頃にはそれの何が良いのか分からなかったが、大人になり社会に出て働くようになってからそれが身に染みて分かる。
だけど、飲めなかった時の記憶もまだ薄れずに残っているので東雲の言葉にやや不服そうにしているカミキリの気持ちも分からなくはない。乙幡は飲みかけの缶ビールを縁に置き、両手でビニール袋の中に入っているフードパックを取り出す。それは値引きシールが貼られた今夜自宅で飲むようだった晩酌セットであった。
「ちょっと冷めちゃイましたけど、焼き鳥ドウですか?カミキリさんも一緒に食べましょウ」
甘辛いタレが付いた焼き鳥の出現に東雲の目が輝き、右奥に座っているカミキリもまた自分が持ってきた大福の存在を思い出し「僕も持ってきタ」と菓子盆を差し出した。
「いいじゃんいいじゃん。順番に回して取っていけばいい?」
「ハイ勿論」
「ウン」
順繰り回して各々のもとに焼き鳥と大福が行き渡る。
早速焼き鳥を半分近くまで頬張り、東雲はカップ酒を煽り残り半分の焼き鳥も豪快に引き抜き頬張った。甘辛いタレが日本酒とよく合うっと言うや否や今度は大福にかぶりつきまた酒を煽れば先程の焼き鳥を大福に置き換えた言葉を満足げに吐き出しては大福にかぶりついた。
「しくったなー。酒もっと持ってくんだった」
残念がっている割には月を見上げている東雲の顔は朗らかに笑っており、残り少なくなりつつあるカップ酒をちびりと舐めた。その右隣では焼き鳥の串から一個ずつ焼き鳥を食べお茶を飲みホッと一息ついているカミキリの姿に乙幡は今此処に流れている雰囲気の心地よさに目を伏せ、月見団子ならぬ月見大福を一口齧りながら月を仰ぎ見た。
口の中に広がる上品な甘さの小豆餡に舌鼓を打つ。その甘くて穏やかな気持ちにさせてくれる味に細やかな幸せに浸りながら、もう一口二口と食べ進める度に乙幡は自分の心と体から疲れが消えていくのをやんわり感じた。

空になってしまったカップ酒を縁に置いた東雲は行儀悪く焼き鳥の串を口に銜えたまま月を見上げ、乙幡は完全に冷めてしまった焼き鳥を齧りながら二本目の缶ビールに手を付け、残り一口分だった大福をカミキリは口の中へ放り込みもぐもぐと咀嚼している。
そろそろ夜も大分更けてきた。でも、どうせ明日は休みな上に別段肌寒くない過ごしやすい気候のため、誰も喋らずとも気まずくないゆったりとした穏やかな時間に微睡んでしまう。夜更かし上等、なんて乙幡が心の中で思っていれば、サラサラ吹く風に乗り顰めた、されど、明瞭な幼さが残るカミキリの声が夜の闇に沈んでいく。

「大家サん。月が、キレイですね」

暫しその言葉の意味をありのままに乙幡の脳は理解したが、間髪入れず記憶の一部の蓋が勢いよく開け放たれたのと同時に思わず手に持っていた缶ビールを落としそうになってしまった。そして、ついでに微睡んでいた目が一気に覚め、穏やかだった脳内も俄かに慌ただしくなるを通し越して騒がしくなった。
その所為もあり缶ビールを落としそうになった乙幡に東雲がビクつき意識と視線をカミキリから乙幡に差し替えてしまうのも致し方ないといえば致し方のないことだった。
「(待っっっっって!?その言葉、知っている人なら誰しも通るであろう有名な小説家の逸話のやつではないんですか!?カミキリさん、まさか大家さんのことを──。いやいやいや決めつけるのはまだ早い。純粋に、純粋に、ただ月が綺麗って言っただけかもしれないじゃない。ほら、私も月を見て綺麗って言ってたから。……でも、それなら前置きに≪大家さん≫って言わないんじゃ?いや待って、もしや報告的な意味で≪大家さん≫って言った可能性無きにしも非ずでは?嗚呼、でもでもでも……ッ)」
百面相になる顔をグッと堪え背を丸め小刻みに震える乙幡に東雲は小首を傾げ、乙幡の顔を覗き込みながら気遣いの言葉を掛けるも乙幡はそれをやや片言で返した。というより返す他なかった。
「涼音ちゃん大丈夫か?どっか具合悪くなったりした?」
「イエ、ダイジョウブデス」
乙幡の前髪で隠れている右目が鋭く光る。東雲、更には彼女の背に隠れ見え難いが月から顔を逸らしていないカミキリを凝視した。耳に届いているがぼんやりと響く東雲の気遣いの言葉がやたらゆっくり聞こえる中、乙幡は顔は月を見上げているものの、その夜空の如く深い宵闇の瞳がじっと東雲に注がれているのに気付き、更に輪を掛け月明りに照らされたふっくらと透き通るような肌をした頬が軽く朱に染まっている事に目を瞠る。兎角暑い夜ではないのに加え、カミキリは酒を飲んでいないのを思い返し乙幡は静かに悟った。
「(あ、これ逸話の方の意味合いで言ってますね)大丈夫になりましタ。心配をお掛けしてスミマセン」
「そう?でも、遠慮せず辛くなったら言ってな?」
スッと背を伸ばし当たり障りのない笑みをたたえる乙幡に東雲は些か本当に大丈夫かと視線を投げかけるが、変わらず乙幡はニコニコとしているので、やや気がかりであるが体と視線を月へと戻した。
そして、東雲の体の向きが前に戻ったのに合わせカミキリの視線も東雲から月に戻されたのを乙幡は見逃さなかった。顔は月に向けたまま、二本目の缶ビールを煽り飲む。
「(これはもう私お暇して二人っきりにした方がいいんじゃ……)」
ならばと、離れるタイミングを一人窺う乙幡の様子を横目で見遣る東雲は訝しげに眉を顰めたが、先程の彼女の言葉を信じようと意識を月に向け、ふと右隣から言われたカミキリの言葉を思い出し今度は視線をカミキリに向けた。
逸らさず月を仰ぎ見るカミキリの横顔。その零れ落ちそうな大きな瞳に映り込む柔和な輝きで夜を照らす月に東雲は銜えていた串をぽろりと落とした。直接見るのとは違う、潤いに満ちた瞳の輝きもさることながら瞳に映り揺れる月の美しさに東雲は縁に手をつきカミキリの顔を覗き込むように体を傾かせれば、カミキリは東雲の動きに気付き月から彼女の顔を見上げた。先程とは違う角度になったが、変わらず大きな瞳に映り込む月の姿に東雲は胸の中に込み上がる想いを言葉に綴った。

「ほんとカミキリさんの月、綺麗だ……

瞬間、二人の様子を静かに見守っていた乙幡は手に持っていた缶ビールをぐしゃり握りしめた。飲み口から零れ出る生温いビールが手に伝う感触を何処か他人事のように思えるのは実際それどこではないからである。
「(ああああああああああああ!!!!!)」
心の中で大絶叫をかます乙幡の体は戦慄き、それでも落ちそうになるにも関わらず身を乗り出した態勢で視線を二人から逸らせないでいた。
「ア、エ、ウゥ……
言葉にならない呻き声しか口から出てこないカミキリもまた大いに焦っていた。実のところ東雲からの返事はあまり期待しておらず、半ば独りよがりの自己満足に近いものだった。確かに淡い期待を抱いてはいた。いたが、まさかじっと目を見詰められ先程自分が言ったような返事を返されるとは思ってもみなかった。
たとえ東雲にその気も意味合いも全く込められておらず、単純に他意なく月が綺麗だと述べていたとしてもである。
「あ、消えちまった」
東雲の視線に耐え切れず目を伏せた事によりカミキリの瞳に映り込んでいた月は姿を隠した。
それに少しばかり東雲は残念がったが、すぐに八重歯を口から覗かせ笑う。
「カミキリさんの瞳に映った月、綺麗だったぜ」
「ウン、僕も好キ……
頬とは言わず、耳まで赤く染まったカミキリが静かに呟き。
「(最早ストレート!?)」
その言葉に乙幡は缶ビールを握る力が更に入り。
「ん?でも、カミキリさん自分の瞳見えなくね?」
「(気付いていらっしゃらない!!)」
きょとんとする東雲に思いっきり自分の額をペシーンと叩く乙幡なのだった。