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豆炭々炬燵
3669文字
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日本一ソフトウェアシリーズ
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【夜廻三】夏の亡骸
──それは恨めし気に佇んでいる
ユズちゃんとほんのちょぴっとだけ顔のない大男と。
あれだけ鬱陶しいまでに肌に纏わりついていた暑く湿った空気。いつまでも聞こえ続けていた蝉の大合唱。
それがある日を境に涼しい風が熱く湿った空気を攫い、蝉の大合唱はいつの間にか草陰から聞こえる秋の虫の音に変わり──、ずっと太陽を見上げて追っかけていた向日葵は首を垂らし黒く立ち枯れていた。
お姉ちゃんとの約束を果たしてから一年後の夏。学校横にある小さな脇道。土がむき出しの道の端、誰が蒔いたかも分らない種が芽吹き綺麗に横に並んで生えていた大きな向日葵を見るのが好きだった。尻餅をつくほどにしゃんと伸ばした背が高く、大きな顔がニコニコ太陽を見詰めているのを毎回立ち止まって眺めていた。黄色くてこげ茶色の顔、何処までも太陽に向かって真っすぐ伸びる姿が好きだった。
だけど、夏休みが終わりに近付くにつれ向日葵も力なく萎れていった。しゃんと伸びていた背中がぐにゃり曲がり、あれだけ太陽を見詰めていた顔は俯いてしまい目と目が合ってしまうほど。
最近ずっと快晴が続いていたのを思い出した。雨が降らない日が続いたから喉が渇いてしまったのだろうか。すっかり俯いてしまった向日葵の顔を覗き込む。三本の向日葵の茎の根元、緑色の海をかき分け泳がないといけないくらい草が生い茂っていた。根元に広がる草の海はこんなにも元気なのに、その海から伸びるひときわ太い茎の先にある向日葵はちっとも元気そうじゃない。
遣る瀬無い思いは空に上がり、大粒の涙となって降り始めた。
窓ガラスに当たり潰れ落ちる雨。これだけ降ればきっと向日葵も元気になる。傘を差して様子を見に行きたかった。でも、傘を差したところで容易く突破する雨脚の強さは子供ながら外に出てはいけない、と。ひとりっきりの部屋の中で自分に言い聞かせた。
降り続いていた雨の日が左手を使って数える前に終わった。青空が映った水たまりを飛び越えて走る。沢山水を飲んだからきっと前みたいに戻っている。そんな子供らしい単純で大きく期待に膨らんだ考えは自分の想像の中とはかけ離れすぎた向日葵の姿を見て空気の抜けた風船のように萎んでいった。
実に楽天的な考えの裏側、子供だとしても簡単に分かる分かっていた事から目を逸らしていただけだって目の前に佇む向日葵たちを見上げ、きゅっと握りこぶしを作った。
晴れ渡った青空と真っ白で大きな雲を背に力無く佇む黒く立ち枯れた向日葵たち。向日葵の変色した黒色の茎を囲み生い茂る緑色の海が風に吹かれ揺れる。なんで向日葵だけ枯れて、周りの草は元気なの。口から零れた小さな疑問は誰もこたえてくれない。
あれだけ通い詰めていたというのに学校がはじまってから向日葵を見に行かなくなった。
違う。黒く立ち枯れた向日葵の姿を見ると心がきゅってなるのがイヤで避けていたんだ。太陽を見詰めないで項垂れ地面に視線を落とす、種も実らずただただ黒く小さく萎れてしまった顔。青々と茂る草の中、三本だけ真っ黒な茎が風に吹かれ倒れずに揺れ立っている。誰が蒔いたかも分からない、誰かがその場所を手入れしているわけでもない、だからずっと残っている。引っこ抜かれるわけでも、切り取られるわけでもなく、残っている。
その姿を見る度に心がきゅっと寂しくなるから避けていた。
──でも、本当はもっと違う理由。
夏の象徴がひっそりと息を引き取る光景に何となく昼間賑やかな学校が夜になると静かになる時に感じる
…
、身の毛がよだつ感覚が足元から這い上がってくるのがイヤで避けていた。
意識して見ないように考えないようにした。じゃないと、力なく太陽を見ずただただ俯く姿に目を奪われてしまうから。見ない方がいい、近付かない方がいい。頭の中で五月蠅いくらい警告音が鳴り響いているのに、気が付けば足が勝手に歩き、じっと見上げてしまう。
そして、無言で見下ろしてくる種すら残せず黒く立枯れた三本の向日葵たちを見て漸く薄っすら恐怖を抱くんだ。
背を向けて駆け足で動くはずもない追い掛けてるはずもない向日葵から逃げる。振り返る、俯いている黒く萎れた向日葵の顔が地面ではなく此方を見詰めていた。瞬間、心臓が大きくドクンと鳴った。縺れた足を如何にか踏ん張った。足元から聞こえる砂利が滑る音。決して振り返らず、そのまま駆け足で家に帰った。
その日から意識して可能な限り黒く立ち枯れた向日葵の傍に行かないよう、目に入れないよう避けてきた。
それなのに、朝からすっきりせず髪を湿らせるような霧雨が降る日。夏の暑さが徐々に薄れ秋の色味が濃くなり始めた日。たまたま昼間は何もいないウサギ小屋に用事があって、黒く立ち枯れた向日葵の横をフェンス越しにだが横切る羽目になった。早く通り過ぎたくて速くなる足と鼓動。フェンスの向こう側、少し下がった場所に立っているであろう向日葵から意識を目を頑なに向けないようにした。
淡く細かい雨粒が肌に張り付く。薄暗くどんよりした空の下、あともう少しで向日葵が見えなくなる位置にまで来たのに、誰かに呼ばれた気がして声がする方向を見てしまった。
フェンス越し此方を見上げる黒い向日葵の顔が笑っていた。ゾクっと背筋が寒くなる。一歩二歩と向日葵から目を逸らさず後退る。体中に響く鼓動の大きさに校庭から聞こえる賑やかな声が遠のく。
はやくはやく逃げなきゃ此処から離れなきゃ。数歩後退っただけで震え止まっていた足に何回も指示を飛ばして無理やり動かす。逸らせずにいた目が校舎の方へ動かせたその時、僅かばかり違和感が産まれ、それはすぐに視界端で強烈な存在感を放っていた。
黒く立ち枯れた向日葵の本数が増えている。
枯れる前も枯れた後も三本だった向日葵が四本になっていた。四つになった向日葵の黒ずんだ顔がニコニコと笑って見詰める姿に悲鳴が喉奥で潰れる。湿った空気の匂いに混じって微かに香るお線香の匂い。学校には不釣り合いな匂いに不気味な気配が大口を開ける。
昼間なのに、違う、昼間だからこそ際立つ異質さから逃げるようにその場から立ち去った。
午後の授業、帰りの時間、家に着いてからも頭の中で黒く立ち枯れた向日葵たちがニコニコ笑い、枯れ落ちてしまった葉を揺らし手招く姿が焼き付いて離れない。振り払って振り払って、意識しないよう、頭の中から懸命に追い出しても、視界の端に入り込む四本の黒く立ち枯れた向日葵が笑い誘う。
目を閉じて手の中にある鈴を鳴らす。心が強くなる綺麗な音。黒い影を消すように何回も何回も鳴らす。
鈴の音が響く度に薄れていく黒い影。五月蠅かった心臓の音も落ち着いて、そっと目を開けた。
黒い空の下。草陰で鳴いている虫の声が鈴の音しか聞こえなかった頭の中で大音量で響く。
折角静かになった心臓がまた大きく鳴り出し、見たくないのに下を向いていた視線が顔が徐々に上へと動いていき──、黒く萎れた向日葵と目が合ってしまった。
途切れ途切れに掠れた悲鳴が微かに開いた口から零れ落ちる。昼間の比じゃない辺り一面に漂うお線香の匂い。
それが黒く萎れた向日葵の顔がググっと下がってくるのに連れて強くなる。四つの顔が取り囲むように伸びてくる。肺の底にまでお線香の香りが満たされる。聞こえていた虫の声はもう聞こえない。
腰が砕けてその場にへたり込んでしまった。動けない事をいいことに向日葵の顔の笑みが深くなり、向日葵の笑い声が大きく鳴っている心臓の音をかき消す。
四本の黒く立ち枯れた向日葵が風もないのに黒い茎を揺らすのに合わせ、後ろから湿り気を帯び何かを引きずる音と規則正しい空気が漏れる音が聞こえた。真夜中の学校、それだけでその音の正体は分かった。
音がする方へ首を捻る。フェンス越しにのっぺらぼうの大男が左手に鎌を持って此方に近付いてくるのが見えた。なんでこんな時にと、だけど此処は学校の外だから来ない大丈夫というふたつの思いが産まれ、それはのっぺらぼうの大男が音も無く一瞬で後ろに現れ、左手に持った鎌で黒く立ち枯れた向日葵たちを真一文字に刈り取ったことで吹き飛んでしまった。鋭い刃で刈り取られた向日葵ははじめっから其処にはいなかったようにスゥっと姿を消し、あれだけ充満していたお線香の匂いもしなくたった。
振り切った鎌をまただらりと下げ、背中から生えている黒い触手たちが体に纏わりつき抱き起した。その冷たくも温かくもない、でも、触られている感触に身構えていれば真っ白な鎌を持っていない方の手が頬をするり撫でてくる。今度は黒く立ち枯れた向日葵じゃなくて目も鼻も口もないのっぺらぼうな顔を見上げた。
何も無い顔から表情は読み取れない。けれど未だに体にゆるく巻き付いて離れない黒い触手と、白くなめらかな大きな手が頬を包み撫でる仕草に恐怖は感じない。
視界端に映る命を刈り取る鈍い輝き。それが此方に向けられる前に如何にかして逃げなければ。だけど、黒い触手たちと白く大きな手が離してくれる気配はなく、見下ろしてくる何もない顔も此方から顔を逸らしてくれない。
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