朦朧としていた意識が浮上するのに合わせ体を動かした。手と足は伸ばし切る前に何かに阻まれ伸ばす事叶わず、窮屈な態勢になっているのだと暗い闇の中ひとり理解する。掌と足裏でグッと阻んでいるものを押してみる。硬い其れは壁の感触に似ており、上半身を起こそうとしたら勢いよく後頭部をぶつけてしまった。
「ッ──」
両膝をつき腰を直角に曲げ、両手を左右に伸ばした状態で長時間維持するのは疲れる。徐々に暗闇に慣れてきた目は低い天井隅にある垂直に伸びる両角を見付け、首を捻り後方を見れば前方と同じ間隔である角に何やら箱状のものに押し込められているのだという結論に辿り着いた。
試しに壊せないものかと掌から折れた刀身を抜き出し壁を突いてみた。硬く鈍い音が擦れる音がするばかりで穴はおろか傷一つ付く気配もない。さてはて如何したものか。カミキリが此処から出る算段を考え始めたその時、カミキリの両膝をつき広げていた足の間を何かが更に広げるように動いたがために、カミキリはバランスを崩して浮かしていた上半身が重力に従い落ちた。
「ぐえっ!?」
「! 大家サん?」
落ちた先は固い床では無く、同じく何故か一緒に箱に詰め込まれてしまったであろう東雲の上だった。
完全に暗闇に慣れた視線の先、鈍い悲鳴を上げ顔を渋くしている東雲にカミキリの大きな瞳が数回瞬く。肩甲骨を壁に押し付け斜めに寄り掛かった東雲の体に跨っているのだとカミキリは理解する。先の事は東雲が身じろいで起きた事故に近しいものであり──、今尚それは継続していた。
「カミキリさん?──は? ここ何処だァ…?」
急に降ってきた衝撃で息苦しくなるが、そこまでのダメージではない。東雲は未だ暗闇に慣れず気配と声だけで自分の上に乗っかっているカミキリの存在をとかく退かさず、窮屈で仕方ない体勢を如何にかしようと伸ばしたくても伸ばせず曲がったままの腕と足で箱の壁を押し始めた。
そう特に上に乗っかっているカミキリを退かさず退かそうという気すらないのかそのままなのだ。
規則正しく上下する柔らかな稜線の谷間に顔を埋める形で落ちたカミキリの顔。はじめこそ一体何処に落ちてしまったのだろうかなんて思っていたが、そんな思考は徐々に溶け消えていった。
トクトクと耳触りの良い鼓動。柔くてあたたかな温もり。鼻腔を擽る匂いを知らず肺の中を満たす。
カミキリの両手がそろり何かを求め東雲の背に回すべく伸ばされる。とっくに無い距離をもっと縮めたくなるこの気持ちはなんだろう。上手く働かない頭は考えるのを放棄して、甘く痺れ蕩けた感覚に溺れていく。
やたら東雲の息遣いと身じろぐ気配を拾い、顰めた己自身の息遣いは震えていた。胸の奥からじわり疼くこれは一体なんなのだろうか。
カミキリの瞼が徐々に閉じていき、箱の中の暗闇とは異なる黒さに染まる一歩手前。
あと少し手を伸ばせば東雲の背中に触れるというところで。
「カミキリさん?」
頭上から聞こえる何処か困ったように聞こえる東雲の声。瞬間カミキリは我に返り狭い中、彼女から飛びのいた。冷静になった頭は羞恥心を引き連れ、離れたのにも関わらず東雲に大きく打ち鳴らす鼓動が聞こえてしまうのではないかという不安を生んだ。
上昇した体温の所為で滅多に掻かない汗がカミキリの顔に浮かび顎を使い垂れていった。
「今、すっげー音したけど大丈夫?」
飛びのいた勢いで頭はおろか体のあちこちを豪快にぶつけたカミキリは錆びついた秒針よろしく首を縦に振う。
薄暗い箱の中、果たして東雲の目に其れが映ったかと云えば、如何やら問題無く暗闇に慣れた彼女の目にも見えたようで東雲は「それならいいけど」と言い淀んだ。
それも其の筈。カミキリは今箱の角に張り付く形で手足を突っ張っているが、その手足がガクガクと震えていたからだった。どう見てもきつい体勢に東雲はカミキリに向かって手を伸ばす。
「私は大丈夫だから、ほら」
おいで。自分のもとへ招く東雲からカミキリは顔を背けた。
「重いカラ……」
「どってことないって。ほら、んっ」
毛ほども気にする事なんかない。手を差し伸べ続ける東雲にカミキリは大きな目を泳がせたのち、なるべく体重を掛けぬよう体を下ろしたというのに、知ってか知らずか東雲は先程と同じ態勢になるようにカミキリを引き寄せ自身の体の上に乗せた。
途端、カミキリの肩が跳ね上がる。奇しくも先程まで味わっていた感覚を再び味わう事になったカミキリの頭の中はぐるぐる回り、正体不明の何かが体の中でのたうち暴れまわりいっぱいいっぱいだった。
呼吸の仕方を忘れ上手く空気が吸い込めないカミキリを東雲は暗い箱の中に閉じ込められて怖がっていると思い安心させるよう彼の背中を擦った。
「平気、平気。私が何とかすっから」
数回擦っていれば不規則ながらに上下していたカミキリの背中がゆっくり浮いては沈むをくり返すので東雲は安堵の溜息を吐いた。ともかく此処から出なければ。薄暗い闇の中、空気がいつまで持つのかという事を頭の隅に置きつつ東雲は考えを巡らせる。
そんな中カミキリは非常にのっぴきならない状況に陥っていた。
意識をしないようにすればするほど意識してしまうドツボに嵌まり、唇を噛み締め耐えに耐えていた。可能ならすぐさま距離を取りたい気持ちと、このままずっといたい気持ちが常時競り合いを続けている。
「……ンゥゥ…」
情けなく漏れた呻き声がまた恥かしくて仕方ない。
そして、衝動的に湧き上がる、もっと顔を埋め手を背中に回したい欲をカミキリは必死に抑えつけた。が、ずっと背中を擦ってくれている東雲の手の動きが、それすらも肯定してくれるような錯覚に陥った。
おずおずとカミキリが東雲の胸元に顔をすり寄せ埋め、躊躇していた手を彼女の背中に回した。結果からして云えば東雲はカミキリの行動を指摘する事も拒む事もなかった。
頭が、脳が、甘く痺れ蕩け、胸の奥からじわり疼く何かにカミキリは目を閉じた。
何処からか聞こえる「ずっとこのままならいいのに」の声はカミキリにとってとても聞き覚えのある声だった。
だが、突如としてあまりにも呆気なく終わりを告げた。
軋み唸る音に合わせ目を焼く明るさに東雲は手で庇を作り見上げる。箱の蓋が開いたのだと喜び体を起こす東雲にしがみ付き続ける意気地を持ち合わせていなかったカミキリは彼女の背から手を離し、するり箱から出ていく東雲の背中を見続けるしか出来なかった。
虚しく伸ばした手、悲しみと寂しさに彩られた宵闇の瞳。そのどれも気付かず離れていく東雲にカミキリは伸ばしていた自身の胸の前に引き寄せ甚平を固く握りしめ、程なくして自身も箱から身を乗り出し出た。
如何すればまた同じ事が出来るだろうか。如何すればまた同じ事をしてくれるだろうか。
カミキリの心の中に生まれたそれは、常日頃東雲に向ける感謝の念とは違うものだと自覚するのに時間は掛からなかった。
そうしてカミキリが東雲に対し恋心を自覚したのち、如何にかこうにか目出度く付き合える運びになり、以前と違い事後でも何でもない何の憂いもなく真正面から抱き着き抱き締められることに幸せを噛み締める事になるのはまた別のお話。
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