重苦しい黒雲が明るい日差しを遮る所為で周囲は終始薄暗い。澱み湿った空気。そこかしこから感じる厭らしい視線と笑い声に二杯の小さな喉が鳴る。視線と声の正体を突き止めるべく目を凝らしたところで持ち主の姿は見えなかった。
ケトルじいさんの言いつけを守らず好奇心に任せ足を踏み入れた時には此処まで怖いと感じなかった。きっとカジノに早く行きたくて遊びたくて周りが見えていなかったに違いない。
何も知らず深く考えず無警戒でやって来た相手を誘い騙し陥れることしか考えていない者たちが集まる危険な場所。再び訪れた二杯にとって此処かどれほど危なくて恐ろしいところか身をもって理解している。
此処に来るまで集めた魂の契約書をぐしゃりと握りしめるカップヘッドの手が震える。それを隣にいたマグマンは心配げに気遣いの言葉を掛けるべく口を開くも。
「カップヘッド…」
「大丈夫だマグ! ただの武者震いさ」
カップヘッドが無理やり笑いながらわざと言葉を被せたため、マグマンは喉元まで出かかった言葉を飲み込むしかなかった。だが、代わりに契約書を掴んでいない逆側の手を強く握りしめた。
――大丈夫、僕らならきっと勝てる
言葉で語らず目でじっと見つめれば、カップヘッドもまた何も言わず視線を合わせマグマンの手を強く握り返す。
一杯じゃない二杯一緒なら大丈夫。たったそれだけでも勇気が湧いてくる。
あれだけ震えていた体の震えはおろかビクビクしていた心も落ち着きを取り戻した所為か、そこかしこから感じていた厭らしい視線と笑い声を感じなくなった。
「行こう」
「うん」
怯えなくなった兄弟を恐れたからか、はたまたつまらないと愛想を尽かしたのかは定かではない。
ただ未だに兄弟の後ろ姿を見送る幾つもの視線たちは声すら出さないものの、二杯が向かう先に何が待ち構えているのかを考えるだけで肩が震え勝手に口端がつりあがる。
そして、その兄弟が向かう先で待ち構えている者は二杯が来るのを今か今かと玉座に座し、苦し気な扉の悲鳴が上がると共に二股に分かれた舌先で唇を湿らせた。
「交渉決裂を身をもって味わった気分はどうだ?」
抵抗出来ないほどダメージを受け磨かれた石床に突っ伏す兄弟にデビルが問い掛ける。
体の節々にヒビが入り息も絶え絶え。兄弟の頭もそれぞれ欠けてしまい中身が床に零れてしまっていた。
「なんだ? 声が少々小さくて聞こえんな」
尊大に踏ん反り返っていた玉座から降り、石床に突っ伏しているカップヘッドの前でしゃがみ込みニヤニヤと笑いながら顔を覗き込んだその時──。
カップヘッドの指先から放たれたショットがデビルの頬を掠めたが、威力も碌にないショットは傷一つ付けるどころか毛一本すら焼き切ることも叶わなかった。
「ぐへっ!」
金色に輝く三叉槍の矛先がカップヘッドの手首と首を抑えつける形で床に突き刺さる。鋭利な先端が直接的に刺さってないとはいえ、溝に固定される形で抑え込まれてしまい息苦しさにカップヘッドの顔が歪むもデビルを睨み上げる目には揺るぎない意志が宿っていた。
どんなに無様で惨めだろうとも輝きを失わない子供の瞳にデビルの口から果実酒のような芳醇で甘ったるい息が漏れた。
とっくに後方から気付かれぬよう息を潜めこの場から逃げようとする気配を感じ取っていた。だが、あえてデビルはさも知らない素振りを通し、追手を差し向けず、自分が注意を引き付けることで片割れを逃がせたのだと勘違いする憐れな子供の悲しくも嬉しそうな笑顔にデビルの尻尾がくねりと揺れる。
「さて、まんまと貴様の弟を逃がしてしまった」
槍を引っこ抜くなりカップヘッドの細い首をデビルが鷲掴み引き寄せた。鋭い爪先がカップヘッドの頬をコツコツと小気味よく叩く。
「魂の契約書全てを持ってな。随分と小賢しい真似をしてくれる」
闇夜に浮かぶ不気味な双子の三日月は嘲笑はすれど、悔しさなぞ微塵にも感じていない。
むしろ楽しそうに笑うデビルにカップヘッドの背筋が凍り付き身を強張らせる。その反応が頗るお気に召したのかデビルは床に散らばっていたカップヘッドの破片を器用に尻尾で拾い上げ、欠けたカップを掴んでいない方の手で掴みなおし、さながらジグソーパズルで抜けたピースを嵌める要領で欠けた部分に破片を嵌め合わせた。
カチャリ。カチャリ。
硬い音が響くたび、カップヘッドの欠けていた部分が元の形に戻っていく。
「些かピースが少な過ぎるパズルゲームとしては物足りない欠陥品だ」
「勝手に、遊ぶなっ…」
なけなしの力を振り絞り自身の首を掴んでいるデビルの手から逃れようとカップヘッドが身を捩れば嵌めただけの欠片がか細い悲鳴を上げ震えた。
「おいおい。折角完成したのを崩してくれるな」
懸命に暴れたところで殆ど無意味だと分かっていてもカップヘッドは抵抗し続け、そんなカップヘッドを嘲笑いながらデビルは二又に分かれた舌先を亀裂が走る断面に押し付け舐めあげた。
欠けた分だけ、ひび割れ亀裂が走る箇所の数だけデビルの生暖かく湿った赤い舌が蛇のように這いまわる。
「やめろっ、やめろって…!」
今まで感じたことのない味わったことのない執拗に舐めあげる感触。どうしようもない気持ち悪さ、言い表しがたい恐怖に耐えるべくカップヘッドは無意識に目を固く瞑りデビルの手にしがみ付いた。
自身の手にしがみ付く小さな手が震えているのもお構いなしに、デビルは魔力を乗せた舌先をひび割れた断面に押し付け傷を舐めとる形でカップヘッドの物理的損傷を治していく。
か細く詰まった悲鳴と粘着質な水っぽい音だけが禍々しい玉座の間に響き染み渡る。
「これで崩れまい」
今はもう塞がったひび割れた痕をデビルの尻尾が満足げになぞると、その感触にまたカップヘッドの背筋がぞくりと凍り付く。
「どうした? さっきまでの威勢は何処かに忘れてきたか」
──それとも恐ろしい地獄の悪魔が経営するカジノで迷子にでもなっているのかな
デビルの分かりやすい挑発にカップヘッドは精々言葉を返さず視線を合わせない抵抗しか出来ない。
「まあ、いい。貴様の弟が魂の契約書を引っ提げ戻ってくるまで俺様と一緒に楽しく待ってようじゃないか」
音もなく立ち上がり自身の玉座にカップヘッドを座らせ、覆いかぶさるように見下ろすデビルの黄色い瞳は残虐な輝きを放ち、その瞳に映る子供は強がっているものの怯えているのか可哀想に小さな体を更に縮こませていた。
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