豪奢な部屋の内装や家具全般はさながらおとぎ話に出てくる宝物庫。煌びやかで見た目を重視したお陰で合理性に欠け強いて言うならば使いにくいったらない。少しでも触れたら折れそうな取っ手なぞ如何やって掴めばいいのか。細やかな装飾が施されている水差しには冷たい水が並々と満たされているが、透明感溢れる百合の花々が淑やかに取っ手を模っているためエマは手を伸ばせずにいた。
「(指一本でも触ったら壊れそう)」
頭頂部から生えた触角も怖気づき垂れ下がる。
もっとも飲んでも大丈夫と云う確証が持てない飲み物に手を出す気にはなれない。
「君も飲み給え。この水は甘みを帯び喉を潤すのにとても良い」
特に鬼が飲むから人間も飲んでも平気! …だなんて楽観的に思えないのはかねがね自邸のように寛ぎ、微塵も焦燥感に駆られていない大きな鬼の存在がすぐ隣にいる他ならない。
触れただけで壊れてしまいそうな取っ手を異形の手で優雅に持ち、これまた永久の氷山から繰り抜いたような澄み切ったグラスに注いだ。涼しげな音色に喉が鳴るのをエマはグッと堪え視線をグラスから油断ならない相手に向ける。
見上げるほど高い背丈。夜闇を溶かした衣服と外套に身を包み、深い海の底色をした帽子を被り、肩に乗っている小さな生き物の姿は見えない。折り重なったプレートの隙間から覗く縦に並んだ二つの目は心底この状況を楽しんでいるらしく、鋭い牙が生え揃った口元も見えエマの背筋をゾクリとさせる。
「さあ、飲み給え」
有無を言わせない鬼の──レウウィスの高圧的な物言いにエマは咄嗟に距離を取ろうとした。
瞬間、双方の間からなる金属の硬い呻き声。ピンと張ったところでもう片方がグラつくわけもなく、逆にエマの体が二人で座るには十分すぎるほど大きいソファの背もたれに凭れ掛った。
「ふむ。喉が渇いていないとしても一口飲んではどうかね? 毒なぞ興ざめする類のものは入っていない」
エマにとっては忌々しい手錠もレウウィスにとっては枷にすらなっておらず、それどころか丁度いい玩具という認識なのか緩く鎖を引っ張り自身の元に引き寄せる。
到底力では勝てず、半ば強制されるかたちで手の中にグラスが収まった。
手のひらから伝わる冷たい感触を感じながらエマの目がちらりとレウウィスを見遣る。
長い指先が顎先を撫ぜ唯一の出口であろう取っ手も鍵穴も見当たらない扉の上に掲げられた文字を一人納得したように頷き。両手でグラスと持ちチビチビ水を飲むエマをレウウィスもちらり見下ろしていた。
「此処は私がやるしかないな」
「なにを?」
敵意と警戒心塗れの言葉にレウウィスは興奮すると同時にやはりと胸中独り言ちる。
「このゲームを仕掛けた主は欲張りが過ぎる。まず一つ、君と私に繋がれた手錠だが”鍵はこの部屋の外にある”。次にこの部屋は”どちらかの目を抉らない限り出られない”これは私が引き受けよう。君の目玉を抉って今後の狩りに支障が出ては敵わない。もし、それでも私を楽しませてくれる自信があるというのであれば別だが君の成長に期待して抉らないでおこう」
驚いた様子に言葉も出ないと思いきや今し方得られた情報をフル回転で構築する聡いエマの姿にレウウィスの目が細められた。
そして、此方側の言葉はまだ勉強中だという情報が得られたのも相まって静かに嗤う。
この部屋は”どちらかの目を抉らない限り出られない”のは本当だ。されど”鍵はこの部屋の外にある”というのは嘘だ。端から手錠の鍵は用意されていない。どちらかの腕を切り落とすか、無理矢理壊さない限り外れやしない。
もし、その事実を知ったら一体どんな表情をしてくれるのか。レウウィスの仄暗い喜色に染まった欲望が喉奥からせり上がり、あわや言葉として生まれる前に舌先の上に転がり絶えた。
「期待していないだろうが目を抉った程度じゃ私たちは死なない。安心したまえ」
「……それは残念」
挑発的な笑みを称え睨むエマの瞳の奥。懸命に恐怖と困難に立ち向かおうとする姿勢にレウウィスは一つ面白い遊びをしてみることにした。
グラスを両手で持っていたエマの手を、手錠が自身と繋がっている方の手を恭しく取り仮面の隙間から覗く口元に寄せた。エマの柔らかな手の甲からわざとらしく音を立て離れれば時間差で栗毛色の触角がわたわた揺れ出した。触角の本体はといえば、素っ頓狂な声を上げソファから転げ落ちそうになった為、レウウィスの細い腕が腰に回され難なく引き上げられた。エマの手から滑り落ちたグラスは不幸中の幸いか毛足の長い絨毯のお陰で切ない音を立て砕け散る悲劇を免れた。
「…!?」
手の甲にキスをされ泡を食っているのか、鬼の口が手の甲に当てられ吃驚しているのかは定かではない。
興奮して紅潮する頬のなんと美味しそうなことか。試しに一口齧りつきたい無作法な欲求がレウウィスの脳裏を過っているとは知らず、エマの顔は見る見るうちに赤く染まり熱を帯びていく。
「私としては兎角外れない手錠然り部屋から出れずに困ることは然程ない」
「(ずっとこのまま!?)そ、それだと血沸き肉躍る狩りが出来ないよ?」
「不測の事態は何事も愉しむ性質でね。この状況もまた実に面白く愉快だ」
「じゃあ、もし…。私が飢えて死んじゃったらそれもまた面白くて愉快なことになるわけだ」
「それは些かよろしくないな。この部屋には飲食物が少なすぎる。では、退出するとしよう」
「(やった!)」
「もう少しこの状況を楽しみ尽くしてから」
「(ぐぬぅ)」
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