不気味な家で起きた出来事のあと。胸に残ったしこりは中々消えそうにない。エディの怪我を筆頭にリッチーの一言で頭に血がのぼり彼を殴ってからというものみんなと会っていない。変な気まずさが僕とみんなの間に大きな横腹を見せ横たわり、僕はそれを越えられないでいる。
ジョージィがいなくなった家で食べる食事はお世辞にも美味しいとは言えなかった。湯気がのぼり暖かで柔らかな料理を口に含んで広がるのは置きっぱなしにして冷めて固まってしまったものと殆ど大差ない。それでも母さんに笑顔でおいしいと言いながらジョージィが好きだった料理を口に運ぶ。ジョージィがいなくなってから出される食事はジョージィがいつもおいしそうに頬張る料理ばかり。ジョージィの好物ばかり。僕の好きな料理は一切出てきていない。
無言で食べる食事はただでさえ美味しく感じられない料理を益々美味しくなくなってしまう。如何にか話題らしい話題を振ってみても母さんは悲しみに打ちひしがれた金切り声を上げ席を立ち、父さんも何かを堪えるような低い声で一言二言残して席を立った。静かになった食卓。一人残され何となしに目の前の料理を見下ろした。だんだんと熱が逃げていく様子を茫然と眺めていたところで元から無かった食欲が湧くわけもなく、その日も二口三口胃に収めたっきり食べるのを止めた。
覇気のない足取りで階段を上る。一歩一歩上る度、階段が小さな呻き声をあげた。前の調子で駆け足で上がれば聞こえない小さな呻き声がやたら耳に残る。階段を上りきり自室のドアの前で立ち止まって視線を足元に落とし目を閉じた。
外に出掛ける予定がめっきり減り、何をするわけでもなく自室に籠っては窓の外を眺め物思いに耽るばかり。考えることの大半はジョージィの事。だが、ジョージィの事を考えるともれなく家族や、端的に言えばそれが原因でみんなを危険な目に遭わせてしまった事や喧嘩をしてしまった苦い記憶が肩を叩く。煙たく払ったところで”それ”は嬉々として何回も叩いてくる。
そして、最近は新しい遊びを覚えたらしく執拗に同じことをくり返す。
目を開けドアノブを捻りドアを開けて視界に否応なしで飛び込んでくる随分とセンスのいい悪戯を一瞥してドアを閉めた。
【行方不明 ビル・デンブロウ】
良く出来たポスターが僕を出迎えるように窓に張り付いている。物は恐らくリッチーに仕掛けたものと同じ。一見して偽物だと分からない丁寧な作り。拍手喝采を送る代わりに勢いよく剥がして屑籠に向かって投げた。
「ぼ、僕はき、消えてなんか、いいい、いない。消えるもっ、もっ、もんか」
丸め投げたポスターは溢れ返った紙屑の山に当たり屑籠の傍に転がり、他にも数個のくしゃくしゃになったポスターが床に転がっている。その全てが同じ文章、同じ写真が印刷されたポスターなのだからよくも飽きずにやれるものだ。こんなものは幻の嘘っぱち。現実じゃない。第一僕は行方不明になんかなっていない。行方不明になる気だって予定だってない。
赤い風船が視界の端で逃げていくのだって、きっと気のせいだ。現実じゃない。幻の嘘っぱちだ。
ィイイイー…
ドアが勝手に開く音に反応して咄嗟に振り返る。
僅かばかりに開いた隙間の先。誰かが覗いている気がして何も考えず考えられず、ドアに近付き思いっきりドアを開けた。
果たしてそこに広がっていたのはいつも見る光景が味気なく此方を眺めているだけ何ら変わりない。
数テンポ遅れて心臓が五月蠅いくらい鼓動を鳴らしているのに気が付き、呼吸も全力疾走したあとみたいに大きく乱れていた。
酷く動揺した僕は母さんに怒鳴られる心配もすっかり忘れ思いっきりドアを閉めてしまった。
両手で顔を覆いドアに背を預けずるずる床に腰を下ろした。何とか落ち着きを取り戻すべく深呼吸する間にまた言いようのない違和感が体に纏わりついてくる。視界を遮っていた両手を外せば、それは存外早く見つかった。物凄い自己主張を放つ──新しく窓に貼られたポスター。あの短い合間にや、如何やって侵入したのか諸々の疑問や不気味な気持ちが苦笑となって零れ落ちた。
見上げた先。まるでこちらの反応を面白おかしく楽しみ嘲笑うポスターに”それ”の姿が重なる。傷を負い井戸に逃げていった”それ”。体の中で殺意混じりの許し難い感情がぐつぐつ煮えたぎっているというのに、今すぐにでも井戸の中に飛び込んで追い掛けたいというのに、震え竦んだ足は動いてくれそうにない。
それが悔しくて不甲斐無くて情けなくて。一人だけじゃ恐怖に立ち向かえず後退る自分自身がどうしようもなくて込み上がる涙と嗚咽を堪えるしか出来ないのがまた泣けて仕方なかった。
膝を抱え顔を埋めるビルを正面から見下ろし見詰める金色の瞳が弧を描き、真っ赤に染められた唇の両端をつりあげた。
影を従え降下してくる金色の気配にビルは気付いていない。それどころか形の良い耳の縁を白い指先がなぞり、真っ赤な唇が腕に押し付けられているのさえ気付かない気付いていない気付けない。
『はやく君があのポスターの通りになってくれないかなァ?』
鼓膜を通り越し直接脳内に吹き込むウィスパーボイスもビルには聞こえていない。熱を孕んだ吐息が皮膚を舐め、艶やかな赤色がビルの耳を彩った。音を鳴らし離れては唇を重ね赤い跡を残す。
『そうすれば……!』
姿を声を捉えられてないと言えども濡れた青いビルの瞳と目が合った瞬間息を飲み恍惚の表情を浮かべた。
沢山の感情が綯交ぜになった青い瞳。たとえその瞳に姿が映っていないとしても魅入られずにはいられない。白い手で頬を包み顔を覗き込む。意志とは関係なく上向きに顔を上げられるがやはりビルは白い手の存在に気付いていない。
『嗚呼、もっと思う存分君を堪能したい。さあ、はやくおいでビル。楽しい楽しい下水溝に私を探しにくるんだビルゥ~……』
ビルの名前を呼び続ける赤い口は溢れる涎を飲み込まずだらだら流してはビルの服を汚し染みを付けた。
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