悠久の時が流れた。一定の期間寝て覚めてを繰り返す。井戸一つしかなかった平野は永い年月を経て小さな町となり人々が常時住み着くようになった。
数えることすら億劫になった幾度目かの目覚め。その年はやたら手強い子供らのお陰で今までに無いくらい不変の暮しに変化が訪れる羽目になった。このままでは美味しい恐怖にありつけない。故にまず手強い子供らの中心核となる子供の攻略から始めた。
日々の人間観察、生態調査に余念がない。そして、ある一つの考えに辿り着く。人間は”好意”なるものを抱かせた方が抱かせていない人間より感情の振り幅が大きくなる。即ち感情の振り幅が大きくなればその分だけより一層恐怖を抱くようだ。これはいい。だが、如何すれば”好意”なるものを抱かせられるのか皆目見当がつかない。
再び観察、生態調査に没頭。それらしいのを発見した。如何やら人間は贈り物を貰うと”好意”を抱くらしい。特に花を贈るのが多い。他は指に付ける輪か、首に付ける輪だった。何故贈り物を贈れば”好意”なるものを抱くのか理解できないが、手始めに家の近くに生えていた向日葵を数本もぎ取り渡してみた。
「い、いらない」
一刀両断。これは本数が足りなかった所為だろうか。
後日、本数を増やし装飾品を増やすも結果は同じ。何がいけないのか全く分からない。もしや花が嫌いやもしれない。向日葵の代わりに赤くてフワフワ浮かぶ風船を持っていったが向日葵以上に顰めた顔をされ断られた。数を増やした。
「か、数の問題じゃない!」
項垂れ頭を抱えながら声を張り上げる行為を見る限り”好意”なるものはまだ抱いていない様子。
中々恐怖以外の感情を抱かせるのは難しいことこの上ない。しかし、これもそれも極上の恐怖の為。諦めるわけにはいかない。
次に”恋文”なるものも”好意”を抱かせる一つの手のようだ。相手の事を常に如何思い、此方がどのような気持ちで過ごしているかを書きしたためる。
愛しのビルへ
君の碧眼が恐怖に彩られ暗く沈んでいくのを見たい
瑞々しい唇が戦慄き悲鳴を上げるその一瞬を目に焼き付け
その血の一滴まで啜り食べたい
白い便せんに赤い血文字が好きではなかったらしい。ぐしゃぐしゃに握りつぶした後、近くにあったゴミ箱に捨てられてしまった。一先ず返事が来るまで手紙は書き続けよう。今度は演出も変え直接手渡さず風船に括り付けて家に送ってみるか。学校の下駄箱に大量の手紙を入れてもいいかもしれない。”恋文”の内容も抽象的なものから詳細なものまで色々書いてみよう。
後日、零れんばかりに手紙を抱えそれを目の前に放り燃やし始めたのを見るにまだまだ”好意”なるものは抱いていないようだ。
早々に”恋文”を止め次に軽度のボディタッチに移行した。これは簡単。普段と何一つ変わらない。後ろから抱き付き首に手を回し、前から抱き付き首を掴む。たまに腕を掴んで噛む振り。これ以上ないほど完璧にも関わらず、頭に鉄柵が刺さる回数が増えた。何故だ。分らない。
頭の傷も癒えぬまま軽度のボディタッチを勤しむ人間を観察。飽きるほど観察して漸く違いを発見。一つ首を掴んだりしていない。二つ腕を掴んで噛む振りをしていない。
見よう見まね。早速観察した人間と同じ行動をしようと試みた、試みたのだがあからさまに警戒され距離を取られた。右手に握っている鉄柵の存在感の強さに怯みそうになる。だが、刺激しないようやおら距離を詰め鉄柵を握っていない左手に指を絡めた。指の間に指を通す。大きさの違う手が強張り、訝しげな青色が見上げてくる。
指を絡め繋いだ手とは逆の空いているもう片方の手を太陽の光を浴びきらめくハニーブラウンの髪を撫で手袋越しに梳いた。
変に力が入り小刻みに震える小さな手。見開いていた青色が泳ぎだしたかと思えば俯き見えなくなった。
何も言わない。俯いたまま何も喋らない。
今まで見たことの無い反応。鉄柵を握りしめた右手も強く握っているだけで頭を刺してくる気配はない。耳が僅かに赤かったので興味を抱き触れた瞬間、鉄柵が思いっきり頭に突き刺さった。如何やら”好意”なるものはまだ抱いていない様子。
しかし、鉄柵を振り上げた際、耳だけではなく頬も薄っすら赤みを帯びていたのを思い出すだけで何故か胸の奥がぎゅっと何かに握られた。この感覚の正体は一体何なのか。未だに不明。原因解明解析正体を突き止めるのに勤しみ時間を見つけては気付かれぬよう身を隠して観察し続けた。が、此処最近察知する感度が上がってきた所為かクローゼットに隠れていても見つかる頻度が増えてきた。観察当初気付くなり無視を貫き目と目が合おうとも反応せず。クローゼットから出てきても無理矢理押し戻して扉を閉めていたというのに時間が経つにつれ――、ため息混じりにクローゼットの扉を開けてくる。
「な、なにしてるの」
「やあ、ビル。君を見ていたんだよ」
以前なら速攻扉を閉められていた会話すら今となっては苦笑するにとどまっている。
「ぼ、僕はお前を家に、よ、呼んだ覚えはない」
「なら私の家に招待しよう」
「遠慮し、しししとく」
「そいつは残念」
踵を返し戻っていく後を追いかける。クローゼットの中から眺めていたのと違い間近に背中から覆い込む形で覗き込んだ。半ば諦め混じりの笑った顔がそこにあった。
腰から背中にかけてむず痒くなる。以前意識せず動かしていた指の一本一本にまで意識して動かしていることに気が付いた。傍に近寄るだけで距離を取られていた。だが、今はそれ以上の近い距離にいても離れない避けられない。椅子に座った子供に覆い被さる形で後ろから抱き締めても突っ撥ねられることはない。それどころか表向き外すべく腕を掴んでいる小さな手が触れる感触に何かが満たされた。
微かな鼓動すら聞き逃したくない。ずっと聞き入っていたい。己自身理解不能な傍にいたい触れていたい欲求は自然と抱き締める力を強くする。本来の目的が霞むほど。
静かな夜更け。産まれてこのかた隣に誰かの気配がある中はじめて眠る心地よさ。無理も承知で強請れば恥ずかしがりながらも首に腕を回して抱き締めてくれた。胸の奥がこそばゆい。されど不快じゃない。
速かった鼓動が緩やかになり規則正しい寝息が聞こえ出す。額に掛かった前髪越しに唇を押し付ければ閉じていた口元がふにゃりと緩んだ。
もしかしなくても――”好意”なるものを抱いてくれた兆しに深く抱き締められずにはいられない。
――あとは恐怖に身も心も染め上げ貪り尽くすだけ
暗がりの片隅で聞き覚えのある声が響く。地の底から這い上がる夥しい赤い声色。
脳裏に腕の中で眠る子供を恐怖に陥れその肉体を喰らい血を啜り骨を砕く様を思い描く。恐らくそれは極上の恐怖。今まで食べてきた中で順位すらつけるのも烏滸がましいほど美味に違いあるまい。
だが、其れと同時に貪り尽くすのに躊躇する。何故躊躇するのか自分自身理解できない。頭の中がグルグル回って仕方ない。混乱に継ぐ混乱はありえない空想を繰り広げ出した。
もし、腕の中で眠る子供が「君が求める恐怖に身も心も染まったら僕を食べて?」って自ら身を捧げる発言をしたら?これ以上ない待ち望んだ展開だのに心が昂らない。それどころか大きな衝撃を受け狼狽えるのが目に見えている。
ありえない。ありえない、ありえないありえないありえない。
それはどちらに対してなのか、という疑問から目を逸らすべく腕の中で眠る子供の名を囁き呼んだ。
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