愛しい人の傍にずっといれたら。手袋のない手で温かな手に触れ、防護服を取り去って触れあって。満たされたまま穏やかに眠りにつけたらどれ程幸せだろう。
(――ああ、でも。そんなことをしたら私は)
きっと二度と立てなくなってしまう。優しいこの人はきっと今の体を見たら嘆くのだろう、苦しむのだろう。今でさえドクターが前線に行くのを止めたいのを耐え、見えはせずとも感じ取っている体の変質に心を痛めているのを知っている。本当は手をとってどこかへ逃げてしまいたいと思っていることも。
(その手に触れて、優しい腕の中で守られてあげられたら良かったのに)
「―――」
さよなら、さよなら私の愛しい人。私に優しく触れ、心を注いでは傍にいてくれたきみ。君が愛してくれたものでなくなる前に、君が好きな人間を害する前にどうか私を終わらせて。
重岳の拳が正確に胸を打つ。肋骨が折れて、肺もろともに心臓を貫いたのを感じた。それでも即死しなかったのは幸か不幸かシーボーンの体だったからなのだろう。いつも泰然と笑っている人があまりにも苦しそうな顔をしていたから、よせばいいのに思わず口を開いてしまって。言葉も意思もない化け物のままいなくなってやればいいものを。
「―――やさしいきみに、こんなことを、させて、しまって、すまな、い」
意味のある声を発した瞬間に目を見開かれて抱きしめられた。呆然となぜ、と一言だけ発した重岳に震える手を背中に回す。久方ぶりに自身から触れた体は大きいはずなのに、今ばかりは小さな子供のようで。
「これでぜんぶおわる、から。のこったきょうぎょは、もう、わたしだけ。だから、わたしがとうばつされれば、にんげんはうみから、まもられる、んだよ」
なぜ守られる人の中に貴公を入れてくれなかったと重岳が嘆く。だって人には鱗も水掻きもない。ましてやヒレなんて一つも。だからもう私は君が愛してくれた人間とは違うのに、きっと愛しい人は何があってもドクターはドクターだと言うのだろう。
逝くなと抱きしめる重岳の体から手が落ちる。やさしい体温が遠退くのが悲しくて、フェイスガードの中に雫が落ちた。自らの体の痛みや死よりも、ただただこの人からこんな形で分かたれてしまうこと、置いていってしまうことが悲しかった。
今更にもう一度、あの手に頭をなでられたならと思う。ヒレのある頭になんて触れてもらうことはできないけれど、私は君の手が大好きで。―――ねぇ知ってる?私が君に最初に惹かれたのは、好きだなぁって思ったのは疲れたときに頭を撫でてくれた手がとても優しくて温かかったからなんだよ。君はどうだったのかな。君は私の何がきっかけで惹かれてくれた?好きになってくれただなんて。
(もっと早く聞いておけば良かったな)
恥ずかしいからだなんて先延ばしにせずに聞いておけば。きっと重岳は笑って答えてくれたのに。そうしたら、人じゃないからと傍にいることを諦めることはなかっただろうか。あるいは人でなくとも傍にいたいと、重岳の手を取ってやることができたのだろうか。わからない。もうなにもかもは過ぎ去り、ただ後は一人で水底に沈むだけ。
(―――ああ、どうか)
私の存在と記憶があの人を悲しくさせませんように。もしそうなるなら私の存在など全て忘れてなかったことに欲しい。身勝手に君を傷つけてしまった私のためにどうか嘆かないで。愛しいきみにどうか安らぎと幸いがたくさんありますように。
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