ひさね
2023-11-16 21:20:18
12223文字
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海にかえれないわたし達

シオンと虚構っぽいひとたちが海に行く話。
シリアスと言うほどでもないけど愉快な話でもない。

 午前四時。海に来た。四人で、歩いてきた。黒いアスファルトをゆっくりゆっくりと進んできた。ニアが鈍い金色のツインテールを揺らし、ハチは髪色と全く同じ茶色の猫耳を時折、ヒクヒクさせながら先頭を行く。二人で仲が良さそうに並んでいるが、会話は全くない。その一歩後ろをケントがついていく。目線は先頭二人の背中にはなく、よそ見をしながら、長く蓄えられた銀髪は光源がないはずなのに鈍く光っていた。更にケントから数歩離れて歩いているのがわたしだった。ぼうっと先を行く三人の背中を眺める。三人とも普段着で、靴を履いていた。わたしはそれにうっすらと感じるものを言語化しようとして、ぺらぺらの薄い寝間着の生地の袖を爪で引っ掻いていると、時折、足の裏に砂利が食い込んだ。鈍く痛んでは顔を顰めた。それでも文句の一つも言わずに、否、言えずに歩いていた。
 明らかに奇妙な四人組だったが、幸いと言うべきか誰とも、何ともすれ違う事はついぞないまま、目的地に着いた。
 一向に、誰も、何も喋らない。黙って、皆一様に海を見ている。
 人と呼べるか怪しい存在四つが海を見ている事実が、何処か可笑しく感じられた。
 待望の海は、コンクリートの土手から簡単に見下ろせて、酷く静かだった。皆、それなりの距離を大真面目に歩いても、口を開きもしないから、尚更だった。
 日の出はすっかり遅くなり、午前四時というのに辺りは暗闇そのものだった。昼間は白く、目を焼くほどに輝く砂は、未だ黒く淀む。風は微かで、それでもしっかりと冷たい。塩と磯の香りがした。さざ波は殆ど聞こえない。水と砂の際を気ままに、暢気に行ったり来たり、揺れ動くのは見えているのに。音がないせいで、見ているものと感覚が合わないせいで、全てがゆったりと、ゆっくりと、コマ落ちしているように思えた。
 畢竟、冬の海と言うには、酷く、穏やかだった。
 道路から海を見下ろしながら、微かな風に乗って鼻のてっぺんを掠めた髪の毛を払う。周りには住宅地も店もない。臙脂色の歩道と道路を区切る木がぽつん、ぽつんと広い間隔で植えられ、その隙間を埋めるように低木が生えているだけだ。その木も、葉はすっかり落ちて、枝と枝の隙間がぽっかりと空いては穴の先を映すだけで物寂しい。夏ならいざ知らず、冬になってしまえばわざわざ何もない海沿いの道を通るものもめったにない。ただ、道だけがあった。
 だからわたし達は歩道ではなく、真っ黒な道路を歩いていった。危険な行動だとは、分かっていた。だからなのか、めいめい、おしゃべりな質をしている癖に、このときに限ってずっとだんまりだった。普段は皆揃いも揃って、のらりくらりと曖昧な言葉を繋いで、ニアは自分の可愛さを躊躇いなく振りかざしては、ジョークじみた研究のために人を実験台にして巻き込んだり、ハチは鋭利で意識的な分析力に合わない理由で動く緩い行動指針と時間感覚で外出しては失踪する、いわば天然じみた行動で人を誑かしたり、ケントは経験則で効果的だと知っている言動を上手く切って貼って、そこに感情が伴わない事を悟らせないまま人を惹きつけたり。言葉を使って、日常をやってきている。わたしもそうだ。言葉で不都合な事情を埋め立てている。この旅の中でも、外でも、そうやって過ごしてきた。ほんの少しの余暇、旅中のほんの隙間でも、言葉を必要以上に重ねていた。
 そう言う習性のわたし達が、今は黒い海をじいっと見つめて、何も言わなかった。奇妙な時間だった。
 早朝に海を見ようと、わたしを叩き起こして、準備もままならないまま、寝間着のまま、素足のまま、宿屋から引きずりだそうと思いついたのは誰だったのか。ここに着いたなら絶対に聞こうと思っていたが、何となくやめた。取り下げないと無粋な気がした。迂闊に声を出せば、この場の全てが破れる。タブーを犯す。そんな直感が働いた。
 ここまで何も喋らないのは、祈りだったのかもしれない。人ではないものが何に、何を祈れるのかは知らないけれど。わたしも海を眺めながら、そんなつまらない事を考えた。
 そして、誰もいなくて良かったと感じている。
 誰かに見つかれば、何かを話さずにはいられない。話してしまえばわたし達は、いつものわたし達になるしかない。それが嫌だと言う訳ではない。嫌だったら皆、とっくにやめている。今更、嫌な事を我慢するような性質は、長い生活の合間に削げ落ちて残っていない。残っていたらやっていけない。だから、普段も己と乖離した人格を演じている訳はなく、素ではあるのだ。
 ただ、何となくその素をやるのに興が乗らないときもある。興が乗らないときの不作為を許されたかったのかもしれない。誰に許されたいのかは、酷く曖昧だが。
 どれ程眺めても、日の差さない、輝かない海だ。
 ふと、ライターがあれば良い、と思った。夜目は利くのに、辺りが余りに暗かったから。辺りを照らす光が欲しかった。それか、カチカチと、火を出すための音だけが欲しかったのかもしれない。意図的に、それでも構造上仕方ないという建前で起こせる音で、この沈黙を破りたかった。
 無理をしてでも煙草を持ってくれば良かったな、とうっすら後悔するのとほとんど同時に、三人が横並びになりながら、それでも沈黙を保ったまま、コンクリート製の土手を降りていく。
 わたしも後に続いて、砂浜へと続く階段を降りた。
 石の階段はひんやりとしている。蟻が数匹、せかせかと歩いていた。それを避けて一歩、一歩ゆっくりと降りていく。冷たい足が更に冷えていく気がして、足取りは少しばかり重かった。それでも前の三人に着いていけば、最後の一段を降りる事になる。
 さり、と砂を踏む。ついに海と同じ高さまで降りて来た。砂浜を歩く度、足の裏がべたつく。その不快感と共に、漸く微かな波の音を聞く。
 いつの間にか前の三人は横一列に並んでいた。わたしはそこに混ざる気が起きなくて、後ろにいた。何となく、近付きたくなかった。彼らに、ではなく海に。近づいてはいけないような気がした。
 怖い訳ではなかった。恐怖と言うには少し恭しくて、下らない。もう少し身近で、でもすぐ存在ごと忘れるような、忘れるよう努めるような、余り感じていたくはないもの。そういった感情が胸の底に貯まっていた。
 だから、誘うように揺蕩う波に、誘われて足を進めてしまえば、冷たい足に濡れる感覚が起きれば。最後、感情が堪えきれず、どうしようもないことをしでかす気がした。
 辺りを見渡す。特段の意味はなかった。
 ここには人がいない。話し声もない。波も荒れていない。光もない。いつも通りではない海だ。そんな海を前に、三人とわたしが立っているだけだ。
 立っているだけだから、気もそぞろに眺めている。
 未だ誰も何も言わない。いつも通りではないのは、わたし達もだった。
 口寂しくなって、口元を指で軽くひっかく。
 目の前の大きく広がる黒い海とわたし達、四人しかいなかった。普段の日常からかけ離れたわたし達だ。世間に馴染めているようで、内心までは馴染めやしないわたし達だ。人と呼べるかも怪しいわたし達だ。それでも、真っ黒な海があんまり静かだから、面白くなかった。冬の荒々しさがなかったから、つまらなかった。胸を、嫌な感情を埋める物がなかったから、満たされなかった。
 虚しくて寂しかった。寂寥感だ、と気が付いた。
 目を細くする。視界が狭まり、良く見えなくなる。
 良く見えなくしている。意識的にそうしている。人と呼べるか怪しいせいでズレた感性を、日常と本性のズレを白日の下に晒したくはないから。伝えるための言葉を重ねて、どうしようもない感性が伝わらないように埋め立てている。
 ただの海に何を投影しているのだろうか。内心呆れても内省は止まらない。
 わたし達、正確にはわたしともう一人は、人間が中心のこの世界を理解することはできないのだ。日常を装えても、心の底からは理解してはいない。人間の言葉を真似ている怪物みたいなものだ。
 感性が違う。種族が違う。根源が違う。全てが違う。
 故に、冬の寂しさを寡聞にして一生知る事がない。だから、寂しい気がした。
 真っ黒な海は何も語らずに、自然法則に則って揺蕩っている。わたし達はそれを見ている。各々何を考えているか、感じているかは知らない。けれど、どうでも良かった。二人はわたしの感性故に理解できない。もう一人は十中八九同じ経路を辿って、そして真逆の結論に至っているのだろう。
 途方もなく嫌だった。何とは明確に指定できない、漠然とした何かが嫌だった。
 そんな内省と光景を前にして、わたし達は、漸く死にに来たのかと思った。頭の片隅で、そんなつまらない錯覚をした。
 一歩後ろに下がる。広くて暗い海から遠ざかりたかった。妙な感傷と錯覚に浸っている今、波打ち際に行こうものなら、何処までも、水平線の果てまでも進んでしまいそうな気がした。
 冷たい波をかき分け、埋まったガラス片を踏み、やがて足場がなくなる。それでも歩く。沈むまで歩いて行く。沈んで、肺に水が貯まっていく。
 この妄想がどれほどつまらないことか、理解している。
 理性は、あるのだ。生産性がない事だと、望んだようにはならない、分かり切った結末だと理解している。だから距離を置く。
 わたしが後ずさるのと、ほぼ同時だっただろうか。ニアとハチはとてとてと波打ち際へと駆けていった。二人していつもの服装と靴で躊躇いなく、ひたひたと水を踏んで、蹴って、足元を見ている。
 そしてそこに踏みとどまって、そこから先には進まない。何かを話しているが、ここまでは聞こえてこない。
 わたしは二人をみつめるだけだった。あのひと達は一体何時、着替えていたのだろうとどうでも良いことを考えるようにした。着の身着のまま出てきたわたしは、足の裏に直に張り付く砂の固さとべたつきを紛らわすように浜を蹴る。更に砂がくっつく感覚がしてため息を吐く。
 一人、砂と格闘していると、ケントが振り返った。目が合うなり、心底愉快そうに口の端を持ち上げて、こちらの方へ向かってくる。
「何一人で砂遊びしてるんだ?」
 わたしの隣に着くなり、意地悪く揶揄ってくる。確かに端から見れば、砂をちまちま蹴る滑稽な仕草だったかもしれないが、彼に揶揄されると無性に気分を逆撫でされる。だからか、思った以上に尖った声が出た。
「足の砂を払ってただけ。まさか、靴も無しに窓から外出させられるとは思わなかったからさ」
「はは、それはそうだな」
 今も、長く蓄えられた銀髪は太陽がないのに光っている。それに襟の詰まったシャツとズボンだけという出で立ちは、この時期の割にいささか薄着だった。寝間着に素足の自分が服装について言えた事ではないのだが、いつものコートはどうしたのだろうか。
「コート着てないみたいだから一応聞くけど、寒くないの?」
「んー? 全然大丈夫だぞ」
「そう」
 夏場にコートすら着込む様な奴に聞くだけ無駄だと再認識した所で本題に入る。
「で、何でコート着てないの?」
「ああ。時間がなかったからな。突然、ニアとハチに連れ出されたんだぞ、日のない海を見に行こうって。今日じゃないと駄目だとも言っていたな。何が面白いんだか」
「成る程ね。発案者、そこの二人なんだ。それに海の状態もわざわざ狙ってたのか」
「みたいだな」
 ケントは腕を組んで、鷹揚に頷く。いつもの、わざとらしい立ち振る舞いだった。良く出来た兄貴分らしさに顰め面をして、そっぽを向く。
 それでもケントは動く気配はない。ここに居座る気なのだろうと察してはいるものの、口を開く。
「ニアとハチの所、行かなくて良いの?」
「ああ、興味ないから。シオンは?」
「わたしは」
 うん、と言い淀んで、ケントの顔を再び見る。首を傾げて、紫色の目を細くしていた。見透かすような目だった。
 はあ、とため息ばかり出る。
「いきたくないから。何となく」
「波を突っ切って何処までも進んでいきそうになるから?」
 ハッと目を見開く。ケントは実に愉快そうに、きゅうと目を細めた。普段の気風が良い態度とは裏腹な、薄気味悪い表情が良く合う奴だ、と改めて思う。こっちの方が本質に近いのだろう。
 だから益々腹が立つ。この感情が何なのか良く分からない。偽っているから腹が立つ訳ではない。それを言えば、ここにいる皆、何かを隠している。わたしだって言葉で感性を誤魔化している。だから、偽りを嫌うのは自己否定そのものだ。
 だから、もっと単純な理由なのだと思う。頭のどこかでは分かっていて、見ない振りをしているだけなのかもしれない。
 そうこうしている内に、胸から喉元まで上がってくる疑問が一つ、堪え切れそうになかった。だから口にする。
……そこまで同じ感性してるの?」
「お陰様で話の前提だけは合うよな、ぼく達」
 肩をすくめれば、ケントはからりと笑って、あっけらかんと認めた。それを見ていると、みぞおちからぞわぞわしたものが走ってきて不快だった。
 唾を吐きかねなかったので、黙って目線を海の方へ、波打ち際の二人へと向ける。
 ニアとハチはいつの間にか、しゃがんで地面を凝視していた。何かを探しているようにも見えるし、ただしゃがんで駄弁っているだけなようにも見える。
「何やってるんだろ、あれ」
 ケントの顔も見ずに、疑問だけを投げつける。彼が拾わないならそれで一向に構わなかったが、律儀なのかわざとなのか、丁寧に拾い上げた。
「えー、ヤドカリとか探してるんじゃないか?」
 その割に、答えは適当だ。単純に何か話していたいのだろうと察する。暇なら暇と宣言する質だから、恐らくお喋りの目的はわたしと同じなのだろう。考えを整理するために話す。何か口に出している方が頭が回る、そういう性質だ。わたしにも覚えがある。たったそれだけの事が、妙に癪に障る。
「ヤドカリって。ここらへんにいる?」
「さあ。水には縁がないからよくわからないぞ」
 きっと肩をすくめてしらばっくれているであろうケントの反応にも、もう飽き飽きして口を開く。
「魔法、乃至魔術では万物の根源にもなっているのに?」
 カウンターをぶつければ、意外にも刺さった様で、一瞬沈黙が過る。
……それは諸説あるし、火の方が好きなんだぞ、ぼくは」
「良くご存じで何より。とてもスラム育ちだとは思えない」
「君さあ」
 呆れたような声が聞こえたから、漸く隣を見やる。眉を下げて、声のトーンも下がっていた。ケントが明らかな不快感を示したので、胸がすく。
「魔法関連にはしらを切れないの、大概好きだよね。魔法の事」
「嫌がらせに使われると腹が立つのも良く分かったぞ」
「きみがずっとやってる事じゃん。良かったね、体験できて」
 前半以外思ってもいない事をつらつらと述べれば、ケントは、はは、と乾いた笑い声を上げた。紫色の目は当然笑っていない。そして、珍しく眉間に皺が寄っている。彼が苛立ちを滲ませているのも珍しいと思った。
 ケントはそれ以上何もせず、淡々とこちらを見つめるだけだった。
 こんな応酬をしているが特別仲が悪い訳でもなく、加えてニアとハチがいる手前、本気で言い合う事もない。
 隣人は放っておいて腕を大きく上に伸ばす。
 そして、ぱしゃりぱしゃり、波を蹴っている二つの背中を見つめる。横顔が見えた。二人で何やら笑っていた。相変わらず何を話しているかは聞こえてはこない。
「二人は何でここに来たかったんだろうね」
 根本的な疑問を口にすれば、無機質な声が返ってきた。
「さあ。皆目検討もつかないな。郷愁とか?」
「郷愁ね〜。二人って海の近くの産まれだっけ?」
「違うな。どちらかと言えば川と山」
「そっか。まあ、それもそうか。都も隠れ家も山と川のそばにあるもんね。じゃあ何だろう。イデアとか共通観念としての感覚辺りにあるかな」
「というか」
 ケントが呆れを隠しもせずに言葉を切る。
 何が言いたいかは分かっていた。感性は同じなのだ。致命的な位に。
「分かってるよ」 
 視界に波打ち際で遊ぶ二人は、決して水平線へは、際限なく歩く馬鹿な真似事をしそうにない。現実感があるとでも言うのだろうか。地に足がついている。
 同じ人でないものでも、こうも違う。あの二人にあって、わたし達にないものを知っている。
「きっと、理由は人間だった頃の名残に由来する、と推測している」
「そうだろうな。ぼくも同意見だ」
 だから、確信している。
「それを知ってどうするって話でしょ? 理解出来やしないのに」
 そう口にして、沈黙が流れる。居心地が悪くなる様な葛藤はなかった。明白な事実だった。それで全ての事情を飲み込めてしまう自分は根っこが薄情なんだろう。
「話が早くて助かるな」
「鈍くなれない自分が心底嫌になるよ」
 自嘲、自棄を綯い交ぜにして吐き捨てれば、「ふうん」と欠片も興味のなさ気な相槌だけが返ってくる。
「終局、理解できないと分かっているなら尚更、どうでもいいじゃないか。知る価値もないのに何でそんな気にするんだ?」
 純粋な疑問の形を取る皮肉にへらへらと笑う。
「理解できないから知りたいんだよ」
「好奇心の類、って訳でもないんだろうな。考える事は本当に同じだもんな」
「ご明察。知る価値がないから、知りたい」
 価値があるものは知る必要を訴えるまでもないから、選ばない選択肢すら与えられないから。だから必要性を語られない無価値なものを、価値観も根源も違うから知ることが出来ない無価値なものを知りたい。そんな無駄な選択をしたい。天地がひっくり返っても出来やしないことをしたい。
 そして、出来ない事実を突き付けられたい。
 ここまで破滅的な経緯でさえ、ケントに察せられていると思うと、過剰な言葉を剥がして笑うしかなくなってくる。
「その結論だけはよく分からないんだぞ。徒労に終わるだけの事に執着してもな」
「分からなくて結構。ここまで同じなのに最後は無関心に振り切れるきみのこと、わたしも理解できない」
……大層な執着心で、大概な物好きだから大したもんだな」
「本当にね。無価値だから、で全て捨て置ける傲慢が心底羨ましいよ」
 半分は本音の悪口だった。お互いそういうものを吐いて、この妙な応酬を辞めるのが何時からか始まった慣例になっていた。
「それに、ニアとハチがここに連行してきた理由も気になるし」
 気合いの入った本心から離れて、今回の出来事に戻ろうと付け足す。ケントは何も言う気がないといった様子で、黙って続きを待っているようだった。
「わたし達の感性がまあまあ終わってるの、知らないはずがないじゃん。共感が欲しいならそれこそ二人だけで良い。だから、何かあるのかなって」
……単純に、回顧のついでに観察されているだけじゃないのか?」
「そう言われるとそんな気もするから困る」
 肩をすくめると、隣から一つ息を吐くのが聞こえた。ケントが珍しく考え込むときの癖だった。そこに水を差すのは流石に紳士協定に反するので、黙っておいた。
 妙な応酬をしている内に、ニアとハチはまたしゃがんでいた。今度は二人とも、思い思いの場所にいる。どうしたのかとよくよく見てみれば、ハチの尻尾がなくなっていたので、それを探しているのだろう。余り深刻ではない様で、二人とも時折緩く笑っていた。
 ぱっと見れば、まだ幼気な普通の少女と猫耳が生えた不思議な少年が談笑しているようにしか見えない。アンバランスだと思った。
……異様な光景」
「何処が?」
 思わずぼそりと口にした言葉に、ケントが食いつく。ちら、と隣を伺えば目が合う。眉間の皺はなくなっていた。思考を邪魔されて不機嫌な訳ではないようだ。
「外観だけ見れば十代前半の女の子と変な、猫っぽい亜人かコスプレした少年が並んでいる所。兄弟や親戚にするには似てなさ過ぎるし、共通項が全く見えない」
「そこにぼく達も加わると尚更だな。寝間着と素足の奴もいるし」
「きみも冬の割に薄着だし、やっぱり髪が目立つよ。負けず劣らずって感じ」
 あはは、と声を上げて笑う。ケントは若干納得がいかなかったのか、首を傾げていた。
「それにしても全然纏まりがないね、この集団」
「頭が奔放過ぎるからだろうな」
「律儀過ぎると従わないんだから仕方ないじゃん。……そうなると益々共通項がこの旅しかなくなる訳で。そんな面子でここに来たものだからさ」
 うっかりここまで言ってしまって、不味いなと息と一緒に言葉を呑んだ。
 言うつもりはなかった。ケントはそれを絶対に知っている筈で、だからこそ楽しそうに目を細める。
「だから?」
 実に愉快そうに続きを促されて、はあ、と息を吐く。言葉を無理に剥がされるのが苦手だと言うのに、自分でボロを出すのでは全く意味がない。ほとほと呆れるばかりである。
 ケントはニコニコと気味が悪い位に楽しそうで、ここでわたしが逃げようものなら確実にロクな事にならない。言うしかない状況だった。
 そうなった以上、最早言葉を選ぶ必要もないだろうと答える。
「漸く、死にに来たのかと思った。出来合いの面子でできた自殺サークルみたいだから」
「クソみたいな悪口だな」
「そこまで言う?」
 率直が過ぎる感想にうろたえると、ケントはけらけら笑って「素直に思った事を言っただけだぞ」と付け加えてきた。自分でも言った言葉が悪い自覚があったので反論もできず閉口する。
 顔をそらすと、ハチの耳がぴるぴると動いているのを見た。そしてくるり、とこちらを振り返ったから手を振っておいた。どうやらこちらの話はハチには筒抜けらしい。どこから聞いていたのか、と考えようとして止めた。相手もこちらの性質を理解しているのだから、今更、こんな会話を聞かれた所で困りはしない。
 ハチは大きく手を振り返してからくるり、と海の方へ向き直った。靴もズボンの裾も濡れていて重そうだった。
 見送り終わって、ケントが口を開く。揶揄うような調子だった。
「皆仲良く海に入っていくって事か? 手でも繋いで」
「うん。……実際に見た事はないから知らないけど」
「それで死に切れる筈もないのにな、全員」
 ケントはそう言って、またからりと笑った。本心が何処にあるか分からない、乾いた笑いだった。そんな風に言う事ではないだろうと言おうとして止めた。事実には違いなかったからだった。それにケントをわたしが諫めるのは、何となく違う気がした。
「皆、二回も死ねないもんね」
 相手に倣い、自分も事実を口にする。それから、虚しい気持ちになった。二回とは、本当に自分も含むのだろうか。産まれたときから死体のようなものが、そう言っても良いのだろうか。発言してから気が付いた。己のズレを告白したも同然だった。
「何の事だか」
「一体何の事だろうね」
 すっとぼけたケントに、こちらも同じように返して、海に視線を戻す。それなりの時間が経ったつもりでいたが、相変わらず空は真っ暗で太陽は昇りそうもない。重苦しい海が、そのイメージに反して穏やかにこちらを誘うように波を作っている。黒い水平線がある。
 それがどこまで続いているのか、という想像にずっと憑かれている。何処まで行けば果てに辿り着くのか。果てまで行って、わたしは何を求めるのか。
「母なる海とはよく言ったものだね。何処まで行けるんだろ」
「さあ。そんなに興味あるのか?」
 感じたことを口にすれば、ケントは律儀に拾ってくる。知らない間に、もう考え事も済んだらしい。
「うん、あるよ。還れるものなら還ってみたいよ」
 胎内回帰願望かな、と呟けば、眉根を寄せてやたらと神妙な顔をされる。眼鏡の奥の目も困惑気に、ぎゅうと不気味ではない形で細くなっていく。心底わからないと言いたげな顔だ。「訳のわからない事も言うんだな」と丁寧に言葉にもしてくれた。
「訳の分かる事しかいわないと思ってるみたいな言い草」
 まるで話の結論以外なら、全部分かると思っているかのような傲慢な台詞に笑いがこみ上げてくる。ケントは不思議そうな顔をして続けた。
「うん。いつも分かる事しか言わないから、そうだと思ってたぞ」
「それは不名誉だ」
「酷いぞー!」
 何もかもが同じの、完全な焼き直しでは堪ったものではない。
 ケントがやんややんやと喚くのを笑って聞き流していれば、渚から「おーい」と呼びかけられる。ニアの声だった。ツインテールを揺らして、ゆったりと歩いてくる。
「話は終わったー?」
「ああ、丁度終わったよ」
 ニアの問いかけに、わたしが半ば食い気味に答えれば、彼女は胸をなで下ろす仕草をして「良かったあ」と言った。ケントが何か言いたげな顔をしていたが気にしなかった。本人もすぐに諦めたように首を振った。
 どのみち、直に帰宅するのには変わりがない。
「ニアさん。尻尾、自分で持ちますよ」
 後ろからハチも顔を出す。ハチの言葉におや、と思って、ニアの下ろしたままの方の手を見れば、ハチの尻尾が握られていた。しとしとと水滴が滴っている。「了解~」とニアが緩く返事をして、ハチの指先が真っ黒で些か人間の手より鋭いそれに握らせた。
 ふんす、とどこか満足げなハチに、「また抜けたんだ?」と問いかけてみる。すると彼の八の字の眉が更に下がって、ちぎれた根元からコードがちらちらとはみ出ている尻尾を絞りながら答えた。
「ええ、そうなんですよ。困りますね。塩水でべしょべしょですし」
「もう捨てても良いんじゃないか?」
「アイデンティティがなくなるのでそれは困ります」
 ケントの茶々にも、ハチはへなへなした声できっぱりと反論する。そのギャップが可笑しかったのか、ケントは満足気に笑っていた。そのままハチの方へ寄って暇を潰すことにしたらしい。
 合流してから急に賑やかになったやり取りを横目に、ニアは話しだす。
「で、これからどうするの? 件の出来合いのサークルだったら」
 げ、と思わず声が漏れた。ハチが聞いていたのは予想していたが、そしてハチに聞こえているならニアに聞こえていても可笑しくはないのだが、不思議とそこまでは考えが至らなかった。頭に手をやると、にやにやと彼女は唇を歪める。悪戯が成功したときの子どものようだった。
「悪魔の耳だから警戒しないとね?」
「油断ならないな、本当に」
 大きく息を吐く。物の見事に手玉に取られた気分だった。今回が初めてという訳でもないのに、毎回新鮮に感じていたら、その内骨抜きにされるのではないか。何とも悪女らしい手腕である。
 他人事みたいに分析していたら、くるる、と腹が鳴って我に返った。
「お腹空いたね?」
「あー、ラーメン食べたいかも」
 微妙な気恥ずかしさを誤魔化すように要望を伝えれば、くすりと、ニアの顔が綻ぶ。細められた目は何時になく、優しげで形容しがたかった。その目で見つめられると何故か背中の真ん中から冷える感覚がした。
「あはー、食欲だねえ」
 歌うような言葉に、わたしの声が喉に引っかかるのを感じながら、何とか返事をする。
「生きてるから仕方ないでしょ」
 そう答えた側から、後ろめたくなった。本当に、わたしは生きているのだろうか。波を掻き分けたって、死にきれないのに?
 ぐるぐると占領しようとする思考から逃れるように、慌てて続ける。
「確か、宿屋の側にあった気がする、屋台。たまに早朝にもやってる。今日は休日だし、ミカも今日のご飯は各々食べてねって言ってたし。そうしない?」
 空回る単語を矢継ぎ早に、最低限の意図は伝わる程度の語順で並べ立てて問いかける。そうすれば、皆頷いていた。
「自分は何でも良いですよー」
「さんせーい。ふふ、こってりしたの食べたいよね~」
「ぼくはそんなに食べられないから、水だけ貰うって出来るのか?」
「まあ、出来るんじゃない? 最悪湯気があるし」
「湯気は最終手段が過ぎるぞ」
 わたしのまとまらない思考とは裏腹に、話はまとまり、ぞろぞろと歩き出す。わたしも少し遅れて歩きだした。ここに留まっていても結論が出ないのは分かっていたし、何より空腹には抗えなかった。
 生理的現象に抗えない事に安心する自分がいた。まだ、生きていることにしても良いような気がした。
「ところでシオンさん、素足で大丈夫ですか?」
 ハチが出し抜けに言った。今更が過ぎる問いに、吹き出してしまった。
「全然大丈夫じゃない。砂利が食い込むと痛いし、砂でべたべただし!」
「あらら、災難ですね」
「連れ出しておいて他人事が過ぎる」
「加えて寝間着だしな」
……流石にこれで行くの駄目な気がしてきた」
 馬鹿馬鹿しくて下らない会話だった。やっといつも通り言葉を好き勝手に重ねる、普段のわたし達になるのを感じた。からからと笑う。
「宿の側なら一回着替えてきなよ」
「あー、確かに。有難う」
 ニアの一言に、言われてみればと頷く。
 そして砂浜からひんやりした石の階段を上って、同じ位冷たい道路に出る。数歩先を行く三人の背中を前に、片足立ちになって足裏にへばりついた砂を払う。やはりべたべたしていて中々落ちない。完璧に落とした所で、また暫く歩くのだからこだわっても仕方がないか、と足を下ろした。そして手のひらに付いた微かな砂を、行儀は悪いが服に擦りつけた。
 ふわりと微かな風が吹く。塩と磯の匂いがした。それを辿るように振り返る。
 黒い海が始めと変わりなく、そこに鎮座していた。冬の海の割に、始終穏やかだった。わたしを満たすのではなく、揺さぶるばかりの海だった。誘っても、満たしてはくれない無常な海だった。
 それでも広大で、結論を出せないわたしの言葉を、妙な願望を拒みはしなかった。だから、見られて良かった、とほんの少しだけ思った。
 名前を呼ばれる。それから前に向き直って、少し先を歩く三人の背を追いかけた。