しろくまたたくはくしゅんさん
2018-10-20 20:00:12
4934文字
Public
 

新世界より⑦完

幼馴染かもしれないけどそうじゃなかったかもしれない。
※死ネタ

嘘をこめて。

 緑谷出久が幼馴染の名前を呼んですぐに、目の前の人間が消えた。旋回していたヘリはバランスを崩し街中へ落ちていった。平和の象徴は動かなかった。街中でガラスが割れる音、信号機の柱に追突する音。人々のざわめきが消えた街で、主を失った機械が勝手気ままに動き回っている。
 ある晴れた日の屋上で、出久はぼんやりとそれを見つめていた。しかしすぐに足に力を入れる。どういう形で蘇るか知らないが、勝己が蘇るのであれば死んだ場所が一番しっくり来る。もしあの空き地にビルでも建っていようものなら、コンクリート壁に埋まった状態で蘇るかもしれないのだ。
 死亡現場がここから近いのは幸いであった。出久は五十のビルを越えるより前に、その空き地を見つけた。爆破痕はきれいさっぱり消え、コインパーキングとなっていた。そこに一人いる。否──もう一人しか居ないのだ。出久は心臓が跳ねるのを抑えて、その人物の目の前に降り立つ。
「かっちゃん!」
 生き返った勝己は当然ともいうべきか、衣類は全く身に着けていなかった。体は当時のままで、老いていないというのが出久にはわかった。彼は勝己を抱きしめると、涙を流しながら「かっちゃん、かっちゃんだ、かっちゃん!」と呼び続けた。うるさい己の心臓が落ち着くと、胸の外側からとくとくと聞こえてくるのが嬉しくてたまらない、と出久は笑う。対する勝己は、はしゃぐ出久を始終静かに見つめていた。事の成り行きを落ち着いて把握したいのであろう。
「海、の」
「うん?」
「海の、音が聞こえる」
 そう言うと、勝己は歩き出そうとしていた。しかし出久は「ちょっと待って、すぐに戻るから!」とその場を去る。五分ほどして出久が戻ってくる間、勝己はぼうっと大気のふるえを感じていた。覚えている限り、ここは海からだいぶん離れた場所にある。およそ5㎞離れているにも関わらず、ここには見えない雲の層に反射し、大都会のビル街に聞こえてくるのだ。それくらい、あまりにも静かに時が流れている。五分はその結論が導かれるには十分な時間で、戻ってきた幼馴染を殴るのに十分な理由であった。
……ごめん、かっちゃん」
 君しか、選べなかった。
 それを聞いただけで、勝己は出久がどれだけ自分のことを愛しているのか分かってしまった。

 それから二人は何をするでもない、ただぼんやりと日々を過ごしていた。太陽光パネルのある家を見つけたので、電気の問題はどうにかなりそうであった。食料も倉庫やスーパーに幾らでもある。問題は、人間がいないことだ。火災が発生しても消火に人手が足りない。消えたのはおおよそ人間だけなのか、家畜やペットが生存のために逃げ、野山からは獣が降りて人間の文明を荒らしていた。二人は己の身を守ることこそすれど、壊されていく建物や田畑を守ることはしない。善性とは他人がいなければはじまらない。ヒーローが二人いるだけでは問うこともできない。しかし三人いなくてよかったのかもしれない。多数決で物事の善悪が決まってしまうからだ。
 かつてヒーローであった二人は、救う対象がいなくなってしまえばただの人で、堕落した生活を送っても怒る者など一人も居ない。地上波はほぼ機能しておらず、映像ディスクやインターネット動画を見て気を紛らわす、適当にその家の庭を弄っては、飯を食い、風呂に入り、寄り添い眠って。その生活を夏ごろまでしていたが、ふと勝己は温度計を見て、記録しているノートの数値も照らし合わせて、ひとつため息をついた。
 地球上から人間が一斉に消えた場合、気候変動が起こることを勝己は知っていた。故に、勝己はインターネットで見た昨年夏との比較で推論を立てていた。出久が壊した生態系は、この星を氷河期にさせるには十分すぎるほどの打撃であった。
「かっちゃん?」
 これまたどこかの誰かが乗っていた車であるが、勝己は出久に「乗れ」と隣の席を指さした。後部座席には食料と衣類、それから登山道具が詰まっていた。窓を開けると8月というのに秋のように涼しい風が入ってくる。
「どこ行くの?」
「北」
「北海道?」
「さァな」
 そうしてトコトコと車を走らせ、ガソリンが無くなりそうならガソリンスタンドでいくらか補給しつつ、食料も得つつ、どこぞのお宅を借りて身を清め、それで夜は身を寄せ合うようにして眠り、言葉をしゃべらなければだいぶ獣の生活に近づいてきたかもしれないな、と出久が思う頃、目的地についた、と勝己が言った。平地では一応秋の気候であったが、霜が降り注いだ盆地を目の前に、勝己は降り立つ。
「寒い……
 そこに着く頃、天候の悪化は一層早まっていた。通り雨に落雷、それから雹が降ってくることもあった平地以上に、聳え立つ山の天候は機嫌悪く蠢いていた。
「登るぞ」
「登る? これに?」
 死んじゃうよ、と出久は言いたかったが、投げられた防寒具を受け取る間際、勝己の横顔を見て気付く。「そうか。かっちゃんは、死にたいのか」と。ならばそれに付き合うしかあるまい。出久は勝己と一緒にいられるならそれでよかったのだし、このまま二人老いてもどうしようもないのだから。そもそもこれは出久に課せられた罰でもある。彼は勝己の生きがいである「勝って救う」ことを奪ってしまった。ヒーローと呼ばれ称賛される職の意味を失くしてしまった。勝己からしてみれば出久こそ「巨悪の根源」であるが、呆れてしまって批判する気も起きない。愛が故にそうしたのであれば、己もそのようなことに覚えがある、と。
 登山経験のある勝己が先を行き、出久はその後ろにぴったりついて行った。まるで幼い頃に戻ったようだ、と出久は思い出していた。まさか最後までそうだとは、と苦笑すると、前を歩いていた勝己に見つかる。訝し気な顔をすれど、ついて来んな、とは言わない彼の背を黙々と追い続ける作業だ。しかしこれほど幸せな死への道もなかった。世界で二人きりになって、大好きな人と登山デートだ。勝手な妄想、と勝己は嫌がるかもしれないが、出久は主観でそう思ったのだ。死に場所は氷河期に差し掛かりつつある雪山で、下手すればこの後何万年もの間雪に閉ざされ、二人の遺体が未来人に発見されるかもしれない。考えて、出久はぶる、と身震いした。凍傷に気を付けて顔を伏せつつも必死に前の人の歩幅に合わせて歩く。
 山に籠って数日経過した。二人の位置は中腹より上になる。しかし頂上はまだ先で、そもそも岩肌に積もった脆く軽い雪は登るのに適していない。通常二日で往復する山を十数日もかけて歩き続けているのだ。天候不順で足止めされ、テントで眠り、少し進んではテントで眠りを繰り返していた。二人は世界最高峰の山を登るのと同じくらいの食料を積んで登っていたが、それもほとんどなくなっていた。その頃には長い横穴を見つけ、そこに避難していた。天候は毎日が雪嵐で、外に出ようものなら肺の中まで粉雪が入ってきた。二人ともテントを立てる体力は既になく、下山することも考えない。この洞穴の中で凍傷にむしばまれながら死ぬという選択以外にない。
 鈍くなった手でライトをつける。光が広がると、出久はほっとしたように勝己の肩に頭を乗せた。
「手袋、はずして……
 怪我の多い右手の血流は悪く、出久の手は凍傷が始まるとあっという間であった。ゆっくり、皮の剥けないようにと勝己は思ったが、内出血で膨れ上がった手はもう内容量を超えていた。仕方なくナイフで布を切り裂いていく。どうせもう使うことのない、無用の道具だ。それから、勝己は出久の手を取った。あちこち凍傷で破けているが、ぼこぼことした関節や傷痕はそのまま残っていた。彼は固くなった指ひとつひとつに温かさを分けるようにして絡めていく。
 しばらくそのままぼうっとしていたが、凍り付き始めた脳髄を動かして、勝己は小さな皮表紙のメモ帳を取り出すと、そこに何かを書き込んだ。出久が「なぁに」と聞くので勝己はそこにある言葉を答えてやる。勝己は絡めた指を強くして、出久の頭にもたれかかるようにして体を傾けると、出久はふ、と息ひとつで笑う。
「うそつき」
 出久はすべてわかっていた。わかった上で、それでも勝己を愛した。勝己もそれが分かっていた。わかっていたから、出久を許した。
 右肩のぬくもりが薄れていく頃、勝己はメモ帳の皮をひと撫でした。凍りついてざらざらとしている。静かな夜だった。ブリザードは止み、ヒトのいなくなった地球の空はあまりにも澄んでいて、星々が煌めいている。
 腕が伸びた。
 既に筋肉は熱量を失い、指先は青黒く染まっていた。爪は剥がれ染み出た液体は既に凍っている。それでも、伸ばす。最後のヒトは、伸ばす。もうとっくのとうに、届かない。
 糸が切れたように、重力によって腕は落ちる。最後の息は既に洞窟天井で霜になっていた。赤い目はそれでもまだ、伸ばした先の星を見つめていた。それは、百年経っても、千年経っても、洞窟の入り口が薄い氷で覆われても、また溶けて星が見え、それからまた塞がれても。とうとう二万と五千年といくらかの時が経って、つるはしがその氷を割っても。
 ただ、ひとつの星を見つめ続けていた。

   ◆ ◆ ◆

 少年は、そのしっりとした赤い絨毯が好きだ。自分の父親が館長を務めているので、家族特権でよくここには来ていた。しかし博物館の展示品に興味があるわけでもなく、本当にこのしっとりとした毛長の絨毯の上を歩く感触が好きなのだ。ぞろぞろと皆が先生について行って歩いていくその一番後ろで、少年はのそのそと歩いていた。先生の説明よりも自分の父親がしてくれる説明の方がよほど面白く、ためになる。そう思っているのが彼の先生には丸わかりであった。
「ゼア・T/・リヒト!」
 フルネームで呼ばれると、少年は飛び跳ねながら集団の方向へ向かう。飛び跳ねると絨毯の毛が一斉に後ろに行くので、その感触がまた面白いのだ。
「はい、先生」
 先生の三角の耳が片方だけ前に向いている時は、本気で怒っている時ではない、と少年──ゼアは知っていた。去年からの担任であり、今年も続けて自分の担任である彼女の毛並みは美しい。体毛がほとんどない旧人類には、この美しさが理解できるのだろうか、と少年ゼアはガラス張りの奥のミイラを見つめる。
「この二人の関係、あなたならよく知ってるんじゃない?」
「もちろん。コイビト、ってやつです」
「正解。ほら、みんなこれをよく見て。ゼア、絨毯で遊ばない!」
 ミイラの前に展示されている紙媒体には、先生をはじめ現代では使われていない文字が書かれている。その横に拡大コピーされた説明文があり、下には彼らが読める文字でこう書いてある。

 新世界より、愛をこめて。

 これが、この二人が恋人だったのでは、と言われる由縁である。そしてその言葉に感銘し映像化されたのは、もう五十年も前の事である。旧人類になにがあったのかを示した物語でもあるので、今でも年一は放映されるロングヒット作品である。
 先生は全員がそれを見たことを確認して、うんうんと頷くと「さ、次の展示品に行きましょう」と進みだした。廊下の先には「新人類 進化の過程」とある。
 ゼアはまた叱られるといけないと分かりつつ、その旧人類のミイラの前にいた。彼はふと、疑問を抱いてしまったのだ。彼らが愛し合っているというのは、果たして本当なのだろうか。向かって左の雄は安心しきったように右の雄の肩に頭を置いている。手だって強く絡んでいて、離れそうにない。姿だけ見れば、この二人が特別な関係であったことが容易に想像できる。少年ゼアがひっかかったのは、このメモである。わざわざ強く、ここまで強く「愛」を残す必要がどこにあったのだろう。少年の目は向かって右の旧人類の真っ直ぐな視線を見て、一つの結論に至った。気にし出すと、ゼアはずっと気にする性分である。少年は絨毯の毛並みも忘れて走り出す。父親が仕事から帰ってきたら、その考えを言うつもりだ。
 きっとあの目の先には、もっともっと特別な人がいるんだよ、と。